第3話 展覧会
週末。ミレイユはアルヴィンから誘いを受けて、とある貴族邸で開かれた展覧会に訪れていた。
「こ、この絵画は……っ」
広いホールに展示された一枚の絵画の前で、ミレイユはふるふると身を震わせる。
流行の画風で描かれた、異国の物語を主題とした絵画。美しい姫君の前で跪く騎士の姿が繊細に描かれている。
現在王国で大流行している歌劇の題材にもなっている小説『白百合姫』。そのワンシーンを表現した絵だ。
「ミレイユ様、前にこの絵画を見てみたいとおっしゃっていたでしょう? 今日の展覧会に並ぶと聞いて、これはお連れしないとと思ったんです」
そう、アルヴィンが柔らかく瞳を細めた。
隣国の有名な画家オニールが『白百合姫』を題材とした絵を発表した。ひと目でいいから鑑賞してみたい。
ミレイユは以前、アルヴィンにそうこぼしたことがあった。
日常会話の、ほんの些細な言葉。覚えてもらえていたことが嬉しくて、ミレイユはほわりとはにかんだ。
「覚えていてくださって、ありがとうございます」
じっと絵画を見上げる。
原作の小説は何度も何度も読み込んだお気に入りの物語。その一幕をこうも繊細に絵として切り出されたら、感慨もひとしおだ。感想を語りたい。語りたいけれど。
ミレイユは先日、理想的な淑女を目指すと心に決めたばかりである。完璧な淑女とはいつだって上品に微笑み、物静か。
「……ええ、と。とっても素敵ですね」
描かれているドレスのレースの緻密さだとか、絵画に用いられている顔料の珍しさだとか。
ぽんぽんと浮かぶマニアックな角度からの感想をぐぐっと堪えて、ミレイユは淑やかに微笑んだ。
「ミレイユ様?」
アルヴィンが怪訝な面持ちになる。
「……お気に召さなかったでしょうか」
ちょっぴり残念そうに肩を落とす婚約者の姿に、ミレイユの良心がぎゅっと痛んだ。
言葉少なな感想は、楽しんでいないように映ってしまったようだ。
これでは、せっかく連れて来てくれたアルヴィンの厚意を無下にしてしまっている気もする。
慌てて、口を開く。
「いいえ、そのようなことはありません! 素晴らし過ぎて、すぐには感動を言葉にできなかっただけです……っ」
勢い込んで、ミレイユは絵画の素晴らしさを熱弁した。
描かれているドレスだったり、騎士の表情だったり、これでもかと感想を語れば、アルヴィンはホッとした顔になった。
一通り語り終えてから、ミレイユは内心で焦った。
(私、どうすれば……っ)
理想の淑女を目指すという決意を、そうそうに破ってしまった。
(次から、次からがんばります)
今回は例外、と言い訳をしておく。
それから、二人で展示された絵画を順番に見て回った。
最大限に上品さを意識しながらアルヴィンと絵画の感想を語らい、いくつか見て回ったところで。
「アルヴィン」
美しい妖精が描かれた絵画の前で、アルヴィンに声が掛かった。
「ヒース伯爵」
この展覧会の主催者であり、屋敷の主人でもあるヒース伯爵だ。
「そちらのご令嬢は……」
伯爵がミレイユを見て、瞳を揺らした。
「婚約者のミレイユ・マグノリア子爵令嬢です」
「ミレイユ・マグノリアと申します」
紹介されたミレイユはスカートの裾を持ち上げ、一礼する。伯爵は気さくに笑んで、挨拶もそこそこに絵画を見上げた。
「この絵は私が贔屓にしている若手が描いたものでね。モチーフはわかるかね?」
虹色に輝く羽。珍しい紫の髪。アクアマリンのような瞳。優美な手が掲げるのは美しい宝剣。
特徴から、知名度の低い古典に登場する妖精の女王だと窺えた。
わかるけれど。
ミレイユの脳裏に、ふ、と鋭い令息の言葉が過った。
『女は頭が弱い方が愛嬌があって好かれるんだ。お前のように賢しい女は敬遠される。少しは身の振り方というものを意識すべきだと思うがな』
(賢しい女性が敬遠される、というのは世間的にはその通りでしょうし……)
この絵画のモチーフがわかるのは、一般的な令嬢が有している教養の範疇なのか、度の超えた知識なのか。ミレイユには判断がつかなかった。
「ぜひ、ご教示いただけますか?」
ひとまず、わからないふりをしておくことにした。
「もちろんだとも。この絵は――」
伯爵が得意げに己の知識を披露し始める。
(……よかった。正解だったみたい)
ミレイユはホッと胸を撫で下ろす。
お気に入りの画家の絵をいくらか語って、伯爵は満足したらしい。ほくほく顔で去っていった。
「……ミレイユ様」
呼ばれてアルヴィンを見やると、なんだか物言いたげな眼差しと目が合った。
「な、なんでしょう……?」
じいっと見つめられて、ミレイユはたじろぐ。
「失礼しますね」
そう断りを入れて、アルヴィンが手を伸ばしてきた。
前髪をそっと払って、額に手のひらが触れる。温かな熱に、ミレイユはきょとんとなる。
「熱はなさそう……ですね。どうしたのですか?」
「どう、とは?」
「ミレイユ様がこの絵のモチーフを知らないとは思えません。どうして答えなかったんです?」
アルヴィンの端正な顔が、訝しげに曇る。
どう説明したものやら。
言葉に迷った末に。
「……実は、ただいま人格矯正に挑んでおりまして」
「はい?」
アルヴィンがぱちくりと目を瞬かせる。
「その一環で、博識路線は封印することに決めたのです」
ミレイユは大真面目な顔でそう伝えた。
これが一番、端的に伝わるはず。
「……ミレイユ様」
「あら、ミレイユ嬢じゃない」
何事かを言い掛けたアルヴィンの声は、ソプラノボイスによって遮られた。
「オークス夫人」
声を掛けてきたのは、母の友人の貴婦人だった。
「あなたも来ていたのね。お気に入りの作品は見つかったかしら」
「はい。特に気に入ったのは――」
話し掛けられるままに、ミレイユは応対する。
社交は貴族の娘にとって、仕事のようなもの。疎かにすることはできない。
それからも何かと見知った顔に声を掛けられ、二人で話す機会は巡って来ず。
結局、アルヴィンが何を言い掛けたのかはわからずじまいだった。




