第2話 心外な噂
瑞々しい芝生と木々が広がる庭園には、生徒の姿がまばらにあった。降り注ぐ初夏の陽光はまだまだ優しく、心地がよい。
噴水のすぐそばに佇むルークを見つけたミレイユは、半ば早足で彼のもとへと向かった。
「お待たせして、申し訳ございません……っ」
「いや、急に呼び出してすまなかったな」
かぶりを振ったルークが、目線で空いているベンチを示す。ちょうど木陰になっていて、涼しそうだ。
並んで腰掛けると、ルークは感慨深げに銀色の双眸を細めた。
「君とこうして言葉を交わすのは、久しいな」
「そうですね。懐かしい気分になります」
幼少の頃は年に数回顔を合わせ、一緒に遊んでいた。それなりに仲は良かったと思う。
ミレイユの中でのルークの印象は、責任感が強く、生真面目な伯爵家の善き後継者、といった感じだ。
「オスカー殿と破談になり、新しく侯爵家の弟君と婚約を交わしたと聞いた」
ルークが切り出した話題に、ミレイユは頷いた。
「はい。事実ですわ」
「ミレイユはアルヴィン殿との婚約を、どう思っているんだ……?」
なぜそんなことを尋ねてくるのだろう。
疑問に思いつつ、答える。
「そうですね……。現状は、最良だと思います」
昨日のアルヴィンとのやり取りを思い返せば、自然と頬が緩んだ。
なかなか良い関係を築けていると思う。
すると、ルークの顔が険しいものになった。
「ミレイユ。落ち着いて聞いてくれ」
あまりにも切迫した声音と緊張感溢れる表情に、ミレイユは居住まいを正す。
「アルヴィン殿との婚約は、考え直したほうがいい」
「それは……不躾ではありませんか?」
思わず、眉を顰めてしまった。なぜそのようなことを言われなくてはならないのか。
「気を悪くして当然だ。だが、どう考えても思い留まるべきだろう。オスカー殿への未練からアルヴィン殿と婚約を交わしたところで、誰も幸せになどなれない」
「え……?」
言われた意味が理解できず、ミレイユは息を呑んだ。
頑張って理解しようと努めるのだけれど、何をどう解釈すればそうなるのか、まったくわからない。
「オスカー様への、未練……? そのようなものは、ありませんけれど……」
というか、そもそもオスカーに心を寄せたことがない。あまりにも心外だった。
だというのに、ルークは痛ましげに言う。
「無理をしなくていいんだ、ミレイユ。婚約を解消されても尚、いずれ侯爵家を継ぐオスカー殿を手助けしようと、その弟君と婚約を結ぶほどに彼を慕っているんだろう?」
「…………」
想像もしていなかった解釈に、呆気に取られて言葉が出てこない。
「君の一途さは素晴らしいと思う。だが、やはり――」
「ま、待ってくださいっ」
我に返ったミレイユは、慌てて否定する。
「オスカー様との婚約解消は、私にとっても本望でした。未練があるだなんてこと、あり得ませんっ」
強く主張すると、ルークは納得いかなげに眉根を寄せた。
「だが、皆が噂しているぞ。君がバークライト家の次男との婚約を呑んだのは、オスカー殿への未練ゆえにだろう、と」
だってそうだろう? と、ルークは続けた。
「ミレイユは教養が確かで、とびきり美人だ。今時、一度の破談くらいで価値は下がらないし、君なら引く手数多だ。わざわざ名家とはいえ次男のアルヴィン殿を選ぶ理由がない。皆、そう言っている」
ミレイユは唖然となる。
オスカーから一方的に婚約破棄を突きつけられ、その弟とすぐさま婚約を結べば、噂の種にされることは容易に想像がついた。
話題にされることは想定の範囲内。だが、それはあくまで、婚約解消前からアルヴィンと密かに想い合っていたのではないか、とか、そちら方面であって。
オスカーへの未練からアルヴィンと婚約したなどという憶測を生むのは、想像の埒外だった。
(……こんな噂、アルヴィン様の耳に入ったら……)
膝の上で重ねた手に、力がこもる。
いくら政略結婚とはいえ、心穏やかではいられないだろう。まるで、ミレイユという人間にとって、アルヴィンにはオスカーの弟という立場しか価値がないかのよう。
酷い侮辱だ。
早々に、周囲からの誤解を解かなくては。
決心したミレイユは、まずはルークの誤解を解くべく、諭すように言う。
「アルヴィン様は聡明で、気配り上手な、素敵な方です。そのような方との縁談が持ち上がれば、お断りする理由がありません」
「アルヴィン殿の評判の良さは俺も聞き及んでいる。だが、ミレイユなら更に条件のいい縁談も望めたはずだ」
思わず、苦笑がこぼれ落ちた。
「子爵家の娘がそこまで高望みをしては、罰が当たってしまいます」
実際には、アルヴィンは侯爵家の次期当主なので、身に余るほどの良縁なのだけれども。
結果的にそうなったというだけであって、そこまで望むのは強欲だと思う。
実感がこもっていたからか、響くものはあったらしい。
「……オスカー殿への未練からではないと?」
ミレイユはにっこりと微笑んだ。
「大変不本意な例え話ですけれど、仮に私がオスカー様をお慕いしていたとして。事あるごとに他の女性を優先され、蔑ろにされ続ける日々が三年も続けば――百年の恋も冷めると思います」
力説してから、ちょっとだけ声音を低くする。
「私を心配して忠告をくださったのは、理解しました。ですが、このような勘繰りをなさるのはアルヴィン様に対して失礼ですし、私にとっても気持ちの良いものではありません……。今後は控えていただけますか?」
言われて、ルークはようやく、一連の憶測がアルヴィンへの侮辱に当たると気づいたらしい。
バツが悪そうな顔になる。
「……下衆な勘繰りだった。許してほしい」
「わかっていただけたのなら、よかったです」
ミレイユはホッと胸を撫で下ろした。
恥じ入るように目を伏せたルークが、ぽつりとこぼす。
「君がオスカー殿に蔑ろにされているのを、ずっともどかしく思っていたんだ。かと思えば、今度はその弟君との婚約が話題になり、それも、あまりいい縁には思えなかったから……」
「先ほどお伝えしたとおり、私にとって現状は最良ですから。心配ご無用、です」
ミレイユは淡く微笑む。
「……余計なお世話だったな。すまなかった」
いいえ、と緩やかに首を横に振る。
納得してくれたようで、ルークは先に戻るよ、と立ち上がった。
去っていく背中を見送り、ミレイユもまた、教室に戻ろうと立ち上がって――。
「婚約者のいる身で殿方と談笑だなんて、ミレイユ様も隅に置けないわね」
聞き覚えのある声。
目線をずらすと、視界に入ったのはオスカーの幼馴染、キャスリーンだった。




