第2話 スナッチ─②
こんにちは!本当は①と②は一緒に投稿しようと思ったんですけど、5000字を超えるので分けてみました。「スナッチ」はこれで終わり、第3話はまた別のになります〜
ハッチが開いた瞬間、冷たい空気が勢いよく流れ込んでくる。漂白剤を水で薄めたような鼻を突く無機質な臭い。空中に浮遊する微細なセラムの粒子で、視界は薄らと白かった。
まだ昼時だというのに、陽光は濁った霧に遮られている。
地上は薄暗かった。
「あーあ、今日も天候は最悪。帰ったらシャワー浴びなきゃ」
ベティが呟く。彼女は一足先に降下を開始した。
ワイヤーが音を立てて滑り落ちていく。高度五十メートルからの降下は、生身であれば無事では済まないが、強化外骨格があれば話は別だ。
リリスはヘルメットのバイザーを下ろし、ベティの後を追った。
リグの視覚補助を起動した。白い帳の向こう側、何層にも重なる不透明な霧の向こうに、一つの熱源反応があった。視界の隅に表示された高度計が猛烈な勢いでゼロに近づいていく。
(やっぱりキャリアーか……ストライカーはいない、と)
キャリアーは背負ったポッドを保護するため、常に一定の熱を放射している。人間の敵のはずが、捕らえた人間を生かし、保護するための機能が備わっているのは、たとえ繁殖目的であったとしてもリリスにとっては理解し難かった。
リリスが着地する寸前、先行したベティの着地音が霧の中から響いた。
四十キロ近い金属の塊が動く音が聞こえる。
リリスの足が地面を捉えた。地面、アスファルト、金属、そのどれとも似つかない感触。強いて言うならばタイヤのゴムを数枚重ねたような、硬くも柔らかくもない不思議な弾力を感じる。
リリスは着地の勢いを殺さず、流れるような動作で銃を水平に構えた。二人は背中合わせになり、標的を探す。視界を埋め尽くす薄白い霧、その奥には着地直前に見た熱源が変わらず一つある。
それは建物の影に隠れていた。全長は六メートル。サンショウウオのような湿った皮膚に、昆虫のような節足が三対、更に吸盤のような見た目の口が異様さを際立てていた。唾液がたまに滴り、狂犬病に罹った野犬のような獰猛さを二人に感じさせた。
リリスの網膜には、背中から伸びたポッドの内二つがぼんやりと赤く、熱を帯びている様子が映し出されていた。彼女は犠牲者のことを思うと、ぎゅっと歯を食いしばった。
「おかしい……ストライカーもスラッシャーもいないなんて」
背中を合わせていたベティが低い声で呟く。プロメテウスの銃口が、キャリアーを警戒している。
通常であれば、移動能力の低いキャリアーは──特に、捕食後の個体は──周囲に最低でも一体の護衛を置いている。しかしこの場所には、付近を探しても一切のネクストルムがいなかった。
「罠かな?」
「私は丘から辺りを見回してみる。リリス、あれ仕留められそう?」
「どうだろう……車両の援護がないと厳しいかも」
「じゃあ、私が援護するから倒して。他に敵がいなかったら合図する」
「了解」
ベティはリグのブースターを一瞬だけ吹かし、近くのビルの瓦礫の上に跳ね上がっていった。残されたリリスは良さそうな場所を見つけ、そこに身を隠す。銃にエネルギーを送ると、息を吸った。吐いた。
「AR-32、セーフティ解除。リバースを起動」
背中のタンクが青白く光り始め、冷却ファンが高い音を立てて回り出す。腕の紋様が脈打ち、脳内にノイズが流れ込む。ネクストルムが女からエネルギーを効率的に吸収する方法を、無理やり人間に変えたのだ。これにより訓練兵がしばらく意識を失うことが多々あった。
リリスは呼吸を整え、目を見開いた。
気持ちのいい目覚めのような、妙な爽快感があった。
リリスはシンクロニティのグリップを強く握り直した。
(狙いは足……まずは前足から……)
集中に割り込むように、ベティから通信が入った。
『もしもし?私だけど、敵は四方百メートル以内にはいないわ。いつでも攻撃していいわ』
「了解、ちゃんと援護してよね」
リリスは膝をつき、銃を固定した。照準器の中、キャリアーの前足がレティクルと重なった。
倒すだけなら簡単なことだ。しかし問題はポッドの存在だ。ポッドはキャリアーと密接にリンクしている。そのためあまり大きな衝撃を与えると中にいる人がショック死してしまう可能性もある。
「一発で決める……!」
リリスが引き金に指をかけ、今にも引こうとしたその瞬間だった。
それまで死体のように沈黙していたウォーカーの体が跳ねる。三対の足が地面を捉え、抉り、一直線にこちらへと突進してくる。
「っ……?!」
その速さは、本に記されていたものよりも格段に速いものだった。前足の関節が照準器から一瞬のうちに消える。鈍重な運搬個体の面影は一切無く、そのままリリスを最後のポッドに入れてやるという勢いを感じさせた。
『動くなリリス!そのまま低く構えて!』
怒号とも取れるベティの通信。
直後、頭上から空気を切り裂く音と共に、プロメテウスの二十ミリ弾の猛火が、瓦礫の上に陣取ったベティが放つ援護射撃が降り注ぐ。
ガガガッと金属音が響き渡る。
重金属徹甲弾はキャリアーの硬質装甲を物理的に叩き割る。
キャリアーの突進が強引に逸らされた。
『足だ!足に集中砲火!』
「分かってるって……!こいつ、思った以上に俊敏で!」
ベティの叫び声と共に、より一層プロメテウスの炎が激しくなる。弾丸がキャリアーの装甲に食い込み、セラムを弾き飛ばす。苦悶の叫び声すらあげず、踏ん張るようにリリスへ矛先を向ける。
(見えた……)
炎によって剥き出しになった足の付け根、昆虫の神経節のように独立した組織を持っている。すなわちポッドへの影響はほとんどない。
リリスは引き金を引く。
青白い光の尾を引く弾丸が、連続して剥き出しの足の付け根に命中する。
ドッと鈍い音がした。
キャリアーの巨大な肉体が、まるで糸が切れたかのように傾いた。地面に前のめりに倒れ、土煙をあげた。
リリスは慎重に近づき、憎きネクストルムの命を絶つために銃口を脳天に向ける。至近距離で三十発の弾丸全てを撃ち込むと、ようやく命が絶たれた。鼓動が止まり、足で蹴っても反応が無い。
「やったなリリス!」
遠くからベティの歓声が響いてくる。プロメテウスの銃声が完全に止み、辺りはまた静寂に包まれる。
巨体は動かない。リリスは背中のポッドを一瞥すると、体をよじ登る。まだ同化が始まっていないかもしれない。助かるかもしれない。
二つのポッドは熱を帯び、脈動を繰り返していた。
リリスは腰からシンクロ・ダガーを抜く。これは刃先をリグのエネルギーで振動させることで、並大抵の刃物よりも切れ味を良くしてくれる代物だ。生々しい音が響く。肉を引き裂き、内蔵を引き出しているような感覚だった。
感触が変わった。
中から粘液が溢れ出した。リリスは手で軽く払い除ける。
生暖かい粘液の中から、一人の女性が滑り落ちた。リリスは彼女の腕を掴み、抑える。両手に抱えると、彼女を地面に下ろした。
「ターゲットを確認、まだ同化はしていない。意識は不明だが、脈は安定している」
彼女の通信に、ベティが短く「よし!」と言う。リリスは再びもう一つのポッドに駆け上がる。セラムで滑りそうになるが、なんとか掴む。急げ、急げ、と自分に圧をかけながらダガーを押し当てた。
希望を抱き、ポッドを切り裂く。
だが、そこから現れた光景にリリスは思わず呼吸が止まった。
「っ……これは」
声を失う。
中にいた女性の体は、胸から下が同化を始めていた。神経系と結びつき、血管のような細かいものが皮膚の下を突き破っていた。恐らく彼女は死ぬ。いや、その前に私が殺すんだ。リリスは軍隊での経験から直感的に答えを出した。
リリスが息を呑み、膝をつく。
だが、侵食を免れていた彼女の左手が、リリスの足を掴んだ。
白濁した瞳と目が合う。彼女は震えた手で、首にかかっていたドッグタグを掴み、最後の力を振り絞ってそれを引きちぎった。
硬質な音が響く。
彼女は血と粘液に塗れたプレートをリリスの手に押し付ける。
「シオン……カトラス中尉」
「任務は……失敗、申し訳……なかったと伝えて」
「……はい、本当にご苦労さまでした」
リリスは銃を眉間に押し当てる。カトラス中尉の口元が微かに震え、笑顔を作った。
銃声の余韻が、まだ耳の奥に残っている。
冷たい風が吹いていた。幸運にもその風は空気中のセラムを遠くに飛ばし、良好な視界を確保した。
「リリス!回収部隊が来た!撤収するぞ」
丘の上からベティの声が響く。
霧の向こうからは、巨大な足音と共に多脚強襲車両の「タロス」が姿を現した。リリスは胸ポケットにドッグタグを押し込むと、横たわった女性を抱えあげる。一度も振り返ることなく、タロスに向かって駆け出した。
リリスが乗り込むと、ベティが無線に小さく言う。
「エレン・ヴァンスを無事に確保、これより帰還する」
ここまで読んでくれてありがとうございます〜〜〜ということでいつも通りの設定資料集置き場になります。今回は、「サイレント・セラム」です
サイレント・セラム:ネクストルムが分泌する「セラム」によって地形が変貌した領域の総称。大型の生物はネクストルム以外存在せず、完全に彼らのコロニーと同じ環境である。




