第19話 極秘任務
やったね!
「じゃあ、第四分隊の勝利を記念して──」
『乾杯!!』
四人がジョッキをぶつける音が賑やかな店内に響く。大衆食堂『マズルフラッシュ亭』では、任務明けの兵士や鉱山帰りの労働者の熱気で溢れかえっていた。安物の油の匂い、零れたアルコール臭、そして銃声のような怒号と笑い声が充満している。
リリスとベティは最初、この店を見て尻込みしていた。軍人としてのプライドが、この小汚い店構えに入ることを渋らせていたのだ。しかし会計を全てサラが持つと言った途端、二人の態度は急変し、迷わず店の暖簾をくぐった。
サラは気前よく次々と注文をする。出てきたのは厚切りのベーコン、山盛りのフライドポテト、他にも食べ盛りの兵士が食べるような、山盛りで油だらけの料理が次々と出てくる。その懐の深さに、思わずリリスは感心した。
「あれ?そういえばエレンはお酒飲んでも大丈夫なんだっけ?」
リリスの右に座ったエレンは、いつの間にか隣のテーブルの工兵らしき酔っ払いに絡まれている。身振り手振りをしながら自らの武勇伝を語り、勢いに任せてウイスキーを飲み干し、机に突っ伏していた。
彼女を押しのけると、リリスの問いかけにエレンが胸を張って答える。
「私もう十八ですよ?子供じゃないので」
「そっかそっか、じゃあたくさん飲んでおきな」
ベティがつまみの皿に手を伸ばす。フライドピクルスを口の中に放り投げ、カリッと心地よい音を立てる。リリスがジョッキにビールを注ぎ、エレンに無理やり飲ませる様子を見て穏やかに笑う。
一方でサラは、神妙な面持ちでビールを傾けていた。周囲の喧騒とは対照に、彼女の表情は石のように固い。酔っ払うほど顔の筋肉が強ばり、上手く笑えなくなるのが彼女のアイデンティティだった。
「それにしても、凄かったなリリス」
「どこら辺が?」
「エリヤを騙すところさ。あの時は流石に負けを覚悟したよ」
「あいつが私の脱落表示を見ないで行動したのが敗因だったね」
リリスがジョッキを傾ける。顔が朱に染まっていった。
エレンがラミネート加工されたメニュー表を手に取り、店員を呼び止めるとバッファローチキンを一つ注文した。デジタル化が進んだ今、店員を呼んで注文するのは珍しい光景だった。しかし田舎出身のエレンにとっては、このようなアナログの手法が一般的で、慣れていた。
エレンが注文をしている間、リリスの顔はみるみるうちに赤くなり、水面に赤いインクを垂らしたようだった。
「ちょっとリリス、あんたそんなに飲んで明日大丈夫そう?」
「うるざいなぁ……あじだが何日だとおもってるのぉ」
「水曜日だろ」
「そ……そっかぁ、平日かぁ……」
勢いでリリスはサラに絡み始めた。並々注がれたビールを彼女の前に突き出し、顎を引く。サラは落ち着いた様子で喉を鳴らし、ジョッキを受け取った。
「リリス……私は、私は……君と違ってお酒には強いよ」
「嘘つけぇ、そのしょーこにさ、表情が固いよ?それ酔っ払ってるってあたし知ってるから」
サラは躊躇いなく一気にジョッキを空けると、横でエレンがパチパチと手を叩いた。
「わぁ、サラさんすごい!男前……じゃなくて女前?」
空のジョッキがテーブルを叩く。サラの頬は微かに赤く、眼光がさらに鋭くなっていた。剣を握らせれば今にも斬りかかってきそうな険しさを帯びている。
リリスはケラケラと乾いた笑いを飛ばし、今度は自分のビールを飲もうとして激しくむせた。ベティが立ち上がり、慣れた手つきでリリスの背中を叩く。リリスは裾で口元を拭おうとしたが、ふと我に返ったようにテーブル端に置かれた紙タオルを手に取った。
「リリス、ベティ……ところでその、重要な話をしていいかしら?」
「あー……こいつはダメそう。私がちゃんと聞いてるから、どうぞ」
「ふふっ……エレンあったかいねぇ……いい匂いもする」
リリスがエレンの肩に擦り寄る。ベティはそんなリリスを肘で押しのけると、サラの顔を見る。お互いに真剣な眼差しだ。店内で流れていた陽気な音楽が急に遠のいたようだった。
「首輪のちぎれた猟犬、覚えてる?」
聞き馴染みのある部隊、その名が出た途端ベティの背筋に冷たい物が流れた。
「確かエレンを連れていた部隊だっけ」
「そうね。記録によると、彼女らは八月二十六日土曜日に急に進路を変更しているの」
「エレンを見つけたからか」
二人の視線はエレンに向けられた。彼女は酔いつぶれたリリスに抱きつかれ、茹であがったタコのように顔を真っ赤にしている。キスを迫られそうになりながら、ベティに助けを求めようと手を伸ばした。
「大型のネクストルムが出現したのは?」
「……八月二十八日」
「それを報告したのは誰かしら?」
「──まさか」
「そのまさか、猟犬たちだったのよ。正確には彼女たちが全滅する前の最後の連絡」
サラの言葉に、ベティの酔いは完全に冷めた。
グラスの中で溶けた氷が音を立てて崩れる。
「おかしいと思わない?弱小部隊じゃないのに、保護してから二日で全滅、まるで……」
「待ち伏せされていた、と言いたいのか?」
サラは声を潜める。テーブル越しにベティと共にエレンを見つめた。
サラがリリスを押しのけると、エレンの横に座った。その拍子にリリスが床に崩れ落ちる。
「エレン、少し聞きたいことがあるのだけどいいかしら?」
「なんでしょうか?」
「八月二十六日のこと、覚えてる?」
「八月、二十六日……」
エレンの指先がテーブルクロスを握りしめた。
彼女が語り始めたのは、平和を切り裂いた血の記憶だった。
「兵士さんたちは、私をセクターに連れていく……と言いながら装甲車に乗せました。でも道中で、急に地響きがしたと思ったら……」
震えるエレンの手の上に、サラがそっと自分の手を置く。
「一瞬のことでした。前の装甲車がひっくり返ったと思ったら、こっちもいきなり吹き飛んで、みんな叫んで、みんな……」
リリスが起き上がり、虚ろな目をしながらエレンの言葉に耳を傾けた。
「シオンっていう人が、血だらけになりながら私の手を引っ張って……走り出したんです。絶対に振り返るなと言いながら、ちぎれそうなくらい私の手を握って」
シオン、シオン・カトラス中尉。その名を聞いた瞬間、リリスの酔いが冷めた。ベティも驚いた様子だった。緊張が走ると、サラが口を開いた。
「シオン中尉が君を助けたのね……そのあとは?どうなったの……」
「ひたすら逃げました。ひたすらセクターの方角を目指して走りました。でも、急に大きな音がしたと思ったら、私を物陰に突き飛ばして『動くな』って」
エレンの話を聞いていた三人は、いつの間にか口を縫い付けられたように黙っていた。赤かった頬も消え、真剣な様子で話を聞いている。エレンが体験した惨劇の様子を思い浮かべ、相槌を打つ。
「それが最後で……あとは、リリスさんに助けられたようです」
リリスは床から這い上がると、エレンの隣に座り、彼女の細い肩を引き寄せる。リリスの瞳にあった酔いは完全に冷めていた。真面目に人の話を聞く時と同じ、鋭い光をその目に宿していた。
「ネクストルムに、知性はあったっけ?」
「部分的に。学習能力はあるけど、基本的に攻撃を止めることはないわ」
「そんなヤツらが……待ち伏せなんて出来るものなの?」
リリスは自分の問いを、頭の中で反芻した。
小さな呟きが、空気の中に溶けていく。
不意に、リリスが青い顔をして口元を抑えた。
「あ、ごめんちょっと吐きそう」
20話まで更新したら、1週間ほどお休みしてから少し早めに投稿します




