第17話 予想外の客
「リリスさん!!」
スピーカー越しにリリスが倒れる音が響き、直後リリスの首元が映し出された。赤い飛沫が弾け、地面に倒れる。
エレンは椅子を蹴るように立ち上がり、リリスの名を叫んだ。
「そんな……リリスさんが」
隣に座ったニーナは画面を見つめたまま口を開く。
「無駄な叫びですね。残るはベティただ一人、あんな鈍重な武器だと二人を捉えられませんよ」
ニーナは氷のように冷たく言い、嘲笑う。それはエレンの絶望をさらに深い場所へと突き落とした。
画面に映し出されたのは孤立無援となったベティ。アイリスが瓦礫を掻き分けながら盾を構えて近づき、エリヤは狙撃ポイントを移動しながらベティを追い詰めていく。二つの影がベティを今にも飲み込もうとしていた。
「おっと、先客がいたか……私も見てもいいかね?」
太った体格の男が入ってきた。
ニーナは男の姿を視界に入れると立ち上がり、敬礼をした。その額からは一本の汗が流れ、予想外の客であったことを示していた。
「た、大佐!なぜここに……」
「ああちょっとな。散歩をしていたら、偶然模擬戦が行われていたようで、仕事もないから見物しようと思ってな」
エレンは首を傾げる。胸元から垂れ下がった階級章の下には、小さく名札が添えられていた。
「マクスウェル・ヴァイス大佐……」
エレンが小さく呟いた。
丸々と太った体躯で、お世辞にも軍人らしいとは言えない笑みを浮かべた彼だったが、ニーナの硬直ぶりを見れば、セクター内での彼の影響力は計り知れない。
「大佐、これはただの親善試合でありまして、お見せするような内容では……」
「そうか、それは大変面白い内容ではないか。ではニーナ少尉、ポップコーンかチュロスを買ってきてくれないかね」
「は、はいっ!」
ニーナは敬礼を解くと、今まで見たことのない速さで駆け出す。
マクスウェルは去っていくニーナの背中に「シナモンで頼むよ」と、のんびりした声を投げかける。
ニーナがドアの向こうに姿を消すと、マクスウェルはゆっくりとエレンへ視線を向けた。
「さて、お嬢さん。君はアリアドネ陣営を応援しているようだね。勝てると思うかね?」
「……どうでしょうか。厳しいかもしれません。流石にベティさんでも二対一だと分が悪いです」
「ふっふっふっ、そう思うのが普通だね。だが、リリス一等兵は君の予想を遥かに上回るよ」
「え……?リリスさんが」
「あの娘は、強いよ」
* * * * *
残ったベティを倒すため、アイリスが牽制射撃をした。エリヤが少しずつ肉を削ぎ落とすように狙撃する。油断なく、確実に獲物を仕留めていく。
エリヤは、ベティの報復を避けるために狙撃ポイントを時計塔から別の場所へ移していた。ベティに意識を取られていたのが、彼女の運の尽きだった。
「やっぱり詰めが甘かったね、エリヤ・カレリン少佐」
「なっ……?!」
その声は無線越しではなく、目と鼻の先、背後の空気から流れてきた。エリヤの背筋を、氷のような悪寒が駆け巡る。確かに倒したはずだった、首を正確に撃ち抜き、数秒すれば脱落する骸になったのをこの目で確認したはずだった。
否、彼女は脱落の文字を確認していなかった。狙撃ポイントを変えるのに意識を取られ、死亡確認を怠っていたのだ。
「……しまった……!」
エリヤがライフルを捨て、腰のホルスターに手を伸ばす。それよりも速く、万力のような力で手首を掴まれ、体を壁へと叩きつけられる。
「なぜ……確かに当たったはず!一体どんなトリックを──」
「ああ、これ?」
リリスが自らの首を指で拭った。
指先に付いたのはインクでもない、鮮血でもない、熟れたトマトの瑞々しい果汁だった。
「と、トマト!」
「前に聞いたことがあったんだよ。建物は鉄とかの塊に映像を投影してるけど、小物は本物を使用してるんだってね」
死神のような冷笑を浮かべるリリスを見て、エリヤは卑怯だと罵る。
リリスの手に握られたライフルの銃口が、エリヤの眉間に突きつけられた。彼女はゆっくりと口を開く。
「悪いけど、これが実戦なの。死んだフリ、騙し討ち、なんでもあり。敵が倒れたからって死んだって錯覚しないことね」
リリスが冷徹に引き金を引いた。
乾いた銃声が一発。
エリヤのバイザーは本物のペイント弾によって真っ青に染まり、脱落の文字が映し出された。彼女のリグが機能を停止し、信じられないものを見る目でリリスを見つめたまま、膝から崩れ落ちる。
* * * * *
「……は、はははは!!見たかねお嬢さん!」
静まり返ったモニター室に、マクスウェルの爆笑が響き渡った。彼は手を手を叩き、あまりの愉快さに椅子をガタガタと揺らした。
「素晴らしい!トマトだと?まさかオブジェクトを逆手に取るとは。一体何を食っていたら思いつくんだ!」
エレンは呆然としていた。安堵のあまり、目から涙が零れる。恐怖と絶望で凍りついていた心臓が、思い出したかのように動き始めたようだった。
「リリスさん……よかった……」
「はっはっ、当たり前だろ。たった一発であの娘がくたばるはずがない。彼女はあのアリアドネの生き残りだからね」
大佐はそう言うと、丁度戻ってきたニーナの手から引ったくるようにチュロスの袋を受け取る。息を切らし、困惑した様子のニーナ。彼女の目の前では、信じられないことに隊長が脱落し、倒れていたはずのリリヤが悠然と建物の上で立ち尽くしている様子が映し出されていた。
「少尉も座りなさい。試合を最後まで見届けようじゃないか」
「大佐……あの一等兵は」
「何も言うな少尉、理屈などどうでもいい。今我々の目の前で起こっていることが全てだ」
「ベティ!アイリスはやれそう?」
リリスの明るく軽快な声が無線機越しにベティに届いた。先程までの絶望を吹き飛ばすような頼もしい相棒の声が返ってくる。
「一対一なら余裕さ!」
ベティは盾を握り直すと不敵に笑った。
「じゃあ任せた。私はこれからちょっと用事があるから、私の分も遠慮なくやっちゃって」
「了解。楽しんで」
通信を切ると、リリスは建物から飛び降りた。向こう側からベティとアイリスがお互いに機関銃を乱射する音が聞こえる。戦場とは逆の場所へ向けて、リリスは歩き出した。目指すのはアイリスの背中ではない。
そこから少し離れた路上。
リグを強制的に停止させられ、動けずに高みの見物を決め込んでいたカレンの元へ、リリスはゆっくりと歩を進めた。
「な、なんですの貴女!エリヤお嬢様にやられたはずじゃ……」
大の字に倒れていたカレンの顔が引き攣る。
先程まで嘲笑っていた相手が、今では顔にトマトの返り血を浴びたままこちらへ音もなく近づいてくるのだ。その姿はまさに地獄から自分を追いかけに来た死神そのものだった。
「カレン、傍観者のルールを教えてあげる……負け犬は黙って地べたに這いずりながら見てるものだよ」
モニター室のカメラを操作していたマクスウェルは、気まずそうに一部始終を見て、何事も無かったかのようにベティとアイリスの戦況を大画面に映した。
(……やれやれ、これは私の手には負えんな)
今日は特になしです
あ、17と18を書き直ししました




