魔剣
「サラちゃん、バカなのっ!?」
「いったい何があったのさ?」と元女神セラに事の顛末を質され、ヒューガは己に起こったことのすべてを話した。
自分が帝国皇女に仕える近衛騎士であること。突然敵国から不可解な侵攻を受けたこと。皇帝の命で皇女アシュリーゼを連れて異界へ亡命しようとしたが、《勇者》を名乗る魔道士に斃されてしまったこと。
次に目が覚めた時にはこの《領域》にいたこと。《天空の女神》と交わした言葉、《勇者》の真実。そして、女神をこの手にかけたこと。
そのすべてを。
黙って聞いていたセラだったが、ヒューガが話し終えるなり最初に口を突いて出たのは最愛の妹への罵声だった。
「お姫様に命捧げてる騎士くんに向かって、お詫びとか調子いいこと言って『そんなものほっといて異世界で勇者やってみない?』なんて勧めたら、そりゃあ人間だってブチ切れるに決まってんじゃん!? ホント、人の気持ち考えないっていうか、自分がそう思ったんだから相手もそう思ってるに違いないって根拠のない確信持っちゃうっていうか……あーもうっ! 昔っからそういう自己完結でなんでも勝手に決めちゃうとこ全然成長してないんだから!! いったい何年女神のお仕事やってるっていうのさっ!? お姉ちゃん悲しいよ!!」
胸中を代弁してくれてヒューガとしては少し胸のすく思いだが、それにしても「最愛の妹」に対してこれほどまでに散々な評価を下すとは、本当に最愛なのかも怪しく思えてくる。
「でも、おっかしいんだよなぁ……。ヒューガの言うとおり、いくら君が第六感じみた異能持ちだろうと、それが『神核を破壊する力』でない限り人間が神を殺すなんて絶対あり得ないことなんだよ。ホント、いったいどんな手を使ったっていうのさ?」
セラはお手上げといった仕草で肩を竦めた。
「どうと言われても……この姫から賜った宝刀で斬りかかっただけだ。無我夢中だったので、どう斬ったかとまで聞かれると困るのだが……」
マントの下に隠していた飾り気のない片刃の細剣を手に取り、セラに見せた。
途端、セラは血相を変えてヒューガの顔とその剣を交互に見つめ――。
「あ――――――――っ!!!!!!!! ぼっ、ボボボボ、ボクの《ミストルティン》!? なっ、なんでそんな物騒なもん、お姫様の騎士なんかが持ってるんだよっ!?」
素っ頓狂な声とともに、小さな身体がヒューガに掴みかかる勢いで詰め寄る。
「『ボクの』とはなんだ! これは王室親衛隊の叙任祝いに姫から賜った私の宝だぞ! 私の修める流派は片刃と言って、このとおり得物が少々独特でな。普段使っているこの腰の剣もわざわざ特注しなければならないほど帝国領内では馴染みが薄い。それ故か、大変光栄なことに姫は王宮の宝物庫をひっくり返してまで私の手に一番馴染むこの細身の剣を選りすぐり、こうして授けてくださったのだ」
ヒューガにとってこの世でアシュリーゼの次に大切なもの。皇女から賜った唯一無二の宝であるが故に畏れ多くて実戦に用いたことはなかったが、常にマントの下に背負い、その重みを背中で感じ続けてきた。
「あー……そういう流れかぁ」
セラはひとり納得したように腕を組んで頷く。
「……どういうことだ?」
「とっても単純な話。君のそのお姫様からもらったっていう剣こそ、さっき言ったボクの護身刀――もとい神殺しの魔剣……に、なぜかなっちゃった《ミストルティン》それそのものってコト」
人間、限度を超えると本当に言葉を失うらしい。ヒューガは目を瞬かせ止まった息で眼下の女神を見つめた。
「つまり、なが~い年月が経つうちに下界に隠したはずのボクの《ミストルティン》の封印が解けちゃって、遺跡調査隊だか盗掘者だかわかんないけど人の手で地下神殿から掘り起こされちゃって、いつの間にか帝国の宝物庫の肥やしになってて、それが何の因果かお姫様を通じてヒューガの手に渡った……と」
「…………」
「そんでもって、そんなことこれっぽっちも知らないサラちゃんは、暢気に《勇者》候補として最悪の刺客を自分の《領域》にサルベージしちゃって、無神経な我が妹に散々神経逆撫でにされてプッツンした君の一振りによって、彼氏とお揃いの凶器で仲良くお空の二連星にされちゃった……って」
セラはそこで一度を言葉を切った。すぅっと大きく息を吸い込み――。
「サラちゃん、アホなのっ!? どんだけ日頃の行い悪かったら女神のくせにこんな『運の女神に見放されちゃった☆』みたいな逆ミラクル引き起こせるのさっ!?」
二度目の罵声が星屑の空に木霊した。
「まぁでも、これでだいたいの事情は把握できたよ。……ごめん、ヒューガ。ボクの剣が人の世界に渡ってしまったせいで、巡り巡って君にも神殺しの罪を背負わせることになっちゃったみたいだ……」
セラはしゅんとした顔で本当に申し訳なさそうに俯いた。
「いや、この剣がなければ女神によって私は為す術なく望みもしない異界に飛ばされてしまっていた。むしろ、私の浅慮のせいでお前の妹を殺めてしまったことを謝罪させてほしい。――このとおりだ!」
ヒューガは胸に手を当てて深く頭を下げた。
「なんでヒューガが謝るのさっ!? 君はボクたち姉妹のやらかしに振り回されちゃった被害者そのものじゃないか」
「お前は、その……妹に会いたがっていたのだろう? 経緯はどうであれ、私はその機会を永遠に奪ってしまった。騎士として、それを謝罪しないわけには……」
セラが《領域》に落ちてきて最初に発した「久しぶりの再会」という言葉は、それを強く望んでいたことの裏付け。ヒューガにはそう思えてならなかった。
「あはは……騎士くんってば鋭いなぁ。まぁ正直会って仲直りはしたかったけど、こればっかりはサラちゃんの自業自得なところが多いし、魔剣については完全にボクの責任だ。君を責めることなんてできないよ」
「……そうか」
そう言われて、少しだけ肩の荷が下りる気がした。
「あー……でも、ちょっと面倒なことにはなったかもしれない」
「な、なんだ?」
ヒューガは下ろしかけた見えない荷を再び背負い直した。
「最初ボクは、サラちゃんが頭冷やしてボクと仲直りしたくなったから《領域》に呼び戻してくれたんだと思ってた。でも、残念だけど実際は違った。たぶん、下界……《箱庭》を管理するサラちゃんが死んだことで管理者不在になることを避けるために、神界の中枢機構によって、かつての共同管理者として名前の残ってたボクが強制的に呼び戻されたんだと思う。そこで大問題発生なんだけど……」
「……女神セラは神の力を失っている」
「そ、今のボクは神核を抜かれた元女神でしかない、ただの不老不死でカワイイだけの女の子ってコト。――つまり、せっかく呼び戻されたところで《箱庭》を司るだけの力がないから、サラちゃんが置き土産みたいに残していった因果律干渉なんてインチキ《奇跡》を持つ《魔王》が地上を滅茶苦茶にしていくのを目の当たりにしても、ただ指を咥えて見ていることしかできない」
「――ッ!!」
たとえ人々の祈りが水瓶から溢れ出たとしても、真なる《勇者》が現れることは決してない。
《勇者》を導く女神はもういないのだから。
その事実の重大性を再認識して、ヒューガの胸はひどく軋んだ。
「どうにかならないのか!? このままでは、私の――姫の愛するこの世界は……っ」
「どうにかって言ったって、ボクの神核はサラちゃんに取られちゃったし……。たぶんあの捏造神話とサラちゃんの性格から察するに、うっかり何かの拍子にボクに奪い返されないように、いくつかに砕いて、どうせ取り巻きの子たちの《箱庭》に1個ずつ封印させてもらってるとか、そんな感じだと思うんだよなぁ……そういうとこ、意外と用意周到なんだよね」
「では、あのポータルで手当たり次第に他の創造神の《箱庭》に忍び込み、その封印とやらを探して回れば女神セラは復活するのではないか?」
「ほ、本気で言ってる!? こんなの砂漠の中でちっちゃい宝石を探すようなもんだし、 それに……そもそもボクの憶測でしかないんだよ?」
「憶測であろうと何であろうと、僅かでも可能性があるのならば私はそれを諦めるわけにはならない。それに――」
「どうせお姫様のことも同時に探して回りたいって言うんでしょ? 言わなくたってわかるよ、顔に書いてあるもん」
「……ああ。こうして再び命を得た以上、なんとしても姫をお迎えに上がり、《勇者》を退け世界から脅威を取り除き、そして帝国復興を果たすまで、もう二度と私に死ぬことは許されん」
そのすべてが自分に課せられた義務であり、望みだ。アシュリーゼとの約束を果たすことも、この手で女神殺しの罪を濯ぐことも。
「だから、元女神セラよ。私とともに往き、そして封印がすべて解かれた暁には――私の女神になっていただけないか?」
ヒューガは黄金の髪の少女の前に跪くと、胸に手を当てて真っ直ぐな瞳で彼女を見上げた。
人の世界を愛するというこの変わり者の元女神ならば、信じてみることができると思った。
「…………あーもうっ!! わかったよ、ボクの負けだよ……。乗りかかった船……というかボクたち女神が君を乗りたくもない船に乗せちゃったようなもんだし、こうなったら責任持ってトコトン最後まで付き合うよ。まずボクの神核を取り戻すのと、同時進行で君のお姫様を見つけるために、いろんな神の《箱庭》をこっそり探しまくる。そして、もしボクが《天空の女神》として復活できたら、その時はサラちゃんの《魔王》をぶっ飛ばすとっておきの《奇跡》で、ヒューガ――君を、君の一番大切な人や世界を守れる本物の《勇者》にしてみせる。――これでいいかい?」
真剣な眼差しに逃げ場を失い観念したのか、セラはやれやれと頭を掻いて跪くヒューガに手を差し伸べた。
「ほ、本当ですか!?」
ヒューガは両手でその手を取って力強く握った。
やはり、この少女ならば信じられる。こんなにも自分の意志を汲んでくれるのだから。
甕に溜まる信仰の滴しか汲み取る気のない、あの妹の方とは根本的に違う。
「ホントも何も、どうせボクが首を縦に振るまで絶対に拝み倒してやるって目してたくせに……。ってゆーか、急に恭しくなるのなんかゾワゾワ~ってするからやめてよねっ! ボクたち、これから一緒に超無謀な旅をする相棒同士なんでしょ? ――あ、そうだ! 手始めにこれからは親しみ込めてボクのこと『セラちゃん』って呼んでみない?」
「……ひとまず『セラ』で勘弁してくれないか」
セラは「むぅ」と頬を膨らませ、子どものように愛らしく唸った。




