人間に斬り殺される女神などいるはずがない
「サングロリアによる大陸統一が実現し、長きに渡る戦乱の世に終止符が打たれれば、その後の世界は、そこに住まう人々はどうなるでしょう? 彼らは奪われることへの恐れや怒り、悲しみの連鎖から解放されて泰平を謳歌し――」
平和が訪れること、それの何が悪いというのか。
ヒューガには、女神がなぜそれを否定するのか何ひとつ理解できない。
「やがて神への信仰を失ってゆく。……人々の信心を糧として生きる我々創造神にとって、それはもっとも忌避しなければならないこと。故にやむを得ず、わたくしはサングロリアの大陸平定を挫くべく世界に劇薬を投与したのです」
「劇薬……? ま、まさか――」
ヒューガの頭に浮かんだのは、他でもないあの《勇者》の顔。
断片的だった点の情報が急に線で結ばれたような気がした。
「合点がいった。……まさにそんな顔をしていますね」
――なんということだ……奴の言葉は、妄言などではなかったというのか!?
《勇者》は言った。自分は女神から天啓を授かったのだと。
「それではまるで……! 私が斃されたことも、帝国が蹂躙されたことも、すべては《天空の女神》……あなたの意志だったとでも言うのですかッ!?」
ヒューガは上擦る声で叫んだ。
足元から崩れ落ちる思いだった。
「そう受け取っていただく他ありません。わたくしは、彼の魔道士――あなたの後輩を名乗る《死神》エリオットに天啓を授け、《勇者》としていくつかの《奇跡》を与えました。あなたへの歪んだ執着を抱く彼の者こそ、あなたを排除するのに最も適任だったのです」
「なぜなのです!? 勇者とは、悪を討ち倒し、世を救いに導く英雄のことではないのですか!? あの男がやったことは破壊と蹂躙、そんなもの勇者などではなく、むしろ――」
「……《魔王》である、と? あなたの言うとおり、人知を超越した力で人の世に恐怖と混乱をもたらす彼の者の姿は、紛う事なき《魔王》のそれ。――そう、あくまで人の世に立って見れば、ですが」
「――っ! 創造神たるあなたから見れば、奴は《勇者》であると……?」
女神サラは泰平の世の訪れを恐れた。それは自らへの信心の喪失に繋がると。
であれば、逆もまた然り。
女神は恐怖と混乱に満ちた混沌の世を求めている。
苦境に立たされた人々の、救いを求める切なる祈りが力強い信心となって顕れることを。
ならば話も頷ける。
黒衣の魔道士エリオットは、あくまで女神にとっての《勇者》なのだと。
「察しがよすぎるのも、少々考え物ですね」
女神はまるでヒューガを憐れむように苦笑した。
「――そう、すべてはわたくしの見通しの甘さが招いた事態。故に、我が不始末の最たる犠牲であるあなたには、謝罪と、そして償いをしなければならないと思い、こうしてここに導いたのです」
およそ創造神に似つかわしくない言葉とともに、女神は再び頭を下げた。
――この期に及んで償いだと?
ヒューガは不遜を承知で沈黙を以て返事とし、女神に続きを促した。
もはや何かを恐れる段階など、とうに超えていた。
自分からすべてを奪い、あまつさえ帝国のみならず世界そのものを恐怖と混乱の渦中に陥れようという女神の償いとやら、聞き届けてやろうではないか。
「……あなたの苛立ちも尤もです。だからこそ、あなたには《勇者》になっていただきたいと考えています。――ああ、勘違いをしないでください。彼の者のような人の世において《魔王》と畏怖される混沌の存在ではなく、《魔王》に敢然と立ち向かい人々の希望そのものとなる、言うなれば真なる《勇者》としてです」
ヒューガが《勇者》という言葉に眉を顰めたからか、女神セラは補足を加えて微笑む。
「……それは、私に奴を――《勇者》……いえ、《魔王》エリオットを討てということですか?」
自ら火をつけた相手に、今度は爛れたその手で水を撒けというのか。抜き身の刃で神経を逆撫でにされる思いを必死に押し殺して、ヒューガは問うた。
望むところだ。たとえどんな屈辱を受けようとも、アシュリーゼの愛するこの世界から理不尽な脅威を取り除けるのであれば自分は何だってする――ただ、その一心で。
しかし、女神はそれすらも許しはしなかった。
「いいえ、この世界における真なる《勇者》の到来はもっと先――人々の救いを求める祈りの滴が甕を満たしてからの話。代わりにあなたには、今まさに《魔王》の暴虐によって人類存亡の危機に立たされ真なる《勇者》の到来を切望する、甕が満たされた世界。――すなわち、他の創造神が司る別の世界の救世主となっていただきたいのです。先にも伝えたとおり、あなたの《異能》は表の世界で振るうにはいささか強すぎる力。されど、《魔王》という人知を超越した存在に脅かされた世界ともなれば話は別。あなたがあなたで在るがままに、持てる才とその勇敢さを存分に発揮して、今度こそ間違いなく、称賛と畏敬を以て迎えられる蓋世の英雄になれる新天地の提供を、わたくしは約束します」
それが女神の償いの形である、と。
最後の望みすら絶たれ、あまつさえ「それこそが、人の望みでなのしょう?」という確信的な笑みを向けられて、ヒューガは絶望した。
「ちょうど、わたくしの親しい女神が《勇者》に相応しい魂を求めています。あなたの、主への忠誠に殉じたその気高き騎士の魂であれば、きっと彼女の御眼鏡にも適うことでしょう。わたくしとしても安心して送り出すことができます」
この女神は自分のことを何ひとつ理解してくれていないし、するつもりもないのだと。
「――さあ往くのです、忠義の騎士ヒューガよ。その身に宿す力と白銀の剣がごとき魂の輝きを以て、新たなる世界で栄光を掴み取るのです!」
ヒューガの意志などお構いなしに、女神はそれが決定事項であるかのように何やら宣い始めた。
償いなどとは口ばかりのお為ごかし。体よく他の神に貸しを作るための道具としてしか見ていない。
――私にとっての世界とは、すなわちアシェの愛した世界ただひとつ。
縁もゆかりもない舞台で女神の書いた筋書きをなぞって掴む栄光など、まやかし以外の何物でもないのだから。
今ならば、あの《勇者》の溢した「白ける」という言葉さえも、幾ばくかは理解を示せてしまう。
――ふざけるな。こんな存在が、我々が崇め奉る《天空の女神》だというのか? 悪魔の間違いではないのか?
いや、きっとそうに違いない。
「――ああ、わたくしとしたことが忘れるところでした。あなたを送り出す前に、預けていたその《因子》だけは返していただかなければなりませんでしたね」
思い出したようにそう呟くと、女神はヒューガに向けて右手をかざした。
「――ッ!」
瞬間、ヒューガの《異能》が――五感を超えて脳裏に閃く鋭い刺激が、けたたましく警鐘を鳴らした。
「それを奪われてはならない」――と。
ヒューガは無意識に剣を抜いていた。
いつも腰に携えた愛用の剣ではなく、背中の――マントの下に隠されたもうひとつの剣を。
そして、瞬きの間の後。
ヒューガは女神の背に立っていた。
神速の一閃を見舞う形で。
「なっ――――このわたくしが、にん、げんに――――――? まさ……か………まの……なぜ、あな、たが……れ、を…………」
女神サラは信じられないという顔でヒューガを見つめ、歯切れの悪いうわごとを残し、光の粒子となって夜空に散った。
あまりにもあっけない幕切れだった。
しかし、ヒューガは心の底から安堵していた。
――私は、悪魔の誘惑に打ち勝った……!
そうだ、この女が本当に創造神たる《天空の女神》なのだとしたら、人間である自分が傷をつけることなどできようはずもない。
こうして剣の一太刀で斃せたことこそが何よりの証明。あの女は、やはり女神を騙る悪魔だったのだ。
頭で考えるより先に、まるで別の何かに衝き動かされるように無心で剣を振るっていたことに少しの戸惑いを覚えつつも、ヒューガの心はとても晴れやかだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
女神ざまぁまでが長くなってしまいすみません……。
次話からにぎやかなボクっ娘元女神が出てきて雰囲気がガラッと明るくなり、異世界冒険モノの空気感に変わっていきます。
引き続きお楽しみいただければ幸いです!




