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女神の領域

「ここは……」


 ヒューガが目を覚ますと、吸い込まれてしまいそうなほどの星空が視界いっぱいに広がっていた。

 仰向けの姿から上体を起こしてみると、髪に付いた青い花びらがヒラリと手の甲に落ちた。


「――っ」


 辺りを見渡し、思わず息を呑んだ。

 小高い丘の一面には色とりどりの花が咲き誇り、眼下に広がる湖は無数の星々が競うように輝く満天の夜空を贅沢に取り込んで水面(みなも)に星座の絵を描く。

 まるで、おとぎ話に出てくる楽園の絵をそのまま切り取ったかのような幻想的な光景。

 

 しかし、ヒューガはすぐに強烈な違和感に気づいた。


 ――なぜ、私はこんなところにいる? いや、そもそもなぜ私は生きている? アシェを異界へ逃がした後、あの黒衣の魔道士の《勇者》なる不可思議な力の前に斃れたはずではなかったのか?


 だというのに、致命傷となった身体の大傷はおろか、近衛の――王室親衛隊の制服からマントの裾に至るまでほつれのひとつ見当たらない。不自然なまでの完全性に、ヒューガは却って気味悪さを感じた。

 とはいえ、これが夢であれ現であれ、己が意識の存在までは否定できそうにない。ならばここがどこなのか、自分の置かれている状況は一体なんなのか、それを確かめなければならない。そう思い、立ち上がろうした瞬間だった。


「目を覚ましたのですね、ヒューガ・レイベル……一途で勇敢なる忠義の騎士よ」


 天から降り注ぐ美しい声に思わず星空を仰ぐと、突如空から白く輝く光玉が舞い降り、ヒューガの前でまばゆく弾けた。

 ヒューガは思わず目を瞑り、そして再び目蓋を開くと――。

 

 ――女神……。


 思わず直感的にそう感じるのが自然。いや、そう感じることこそが必定とも言える、腰までもある艶やかな黄金色の髪の映える一際美しき女性が微笑みを湛えて佇んでいた。

 およそこの世のものとは思えない完成されし美の体現者、それを形容する語彙をヒューガは他に持ち合わせていなかった。


「あなたは……」


 そう切り出したはいいものの、ヒューガは二の句を継ぎ損ねた。まず何から訊けばいいのか、知りたいこと、確認しなければならない事柄があまりに多すぎる。


「はじめまして、騎士ヒューガ。わたくしはサラ――あなた方の世界で《天空の女神》と呼ばれている創造神。……あら、とても信じられないという顔をしていますね」


 いっそ何もかもすべて夢ならば、どれだけ幸福なことだろうか。

 朝日とともに目が覚めれば、皇女アシュリーゼも皇帝夫妻も、王宮務めの仲間たちもみな息災で、妙な悪夢でかいた嫌な寝汗を吹き飛ばすべく親衛隊長の下で同僚たちと厳しい朝稽古に励む。そして午前の見回り任務の後は、お姫様のわがままに随行して市場調査の名の下に日が暮れるまで城下町散策に付き合わされる。それが自分にとってかけがえのない日常。


 ――いや、その日常の方こそ、今となっては夢ではないか……。


 胸の内に湧いた淡い幻想(きぼう)を握り潰し、ヒューガは女神を名乗る現実離れした存在(げんじつ)に目を向けた。


「……いえ、死したはずの私がこうして蘇り、今あなたと言葉を通わせることができている。きっとそれこそが、あなたが女神であることの何よりの証明なのでしょう」

 

 死者を蘇らせる。そのような奇跡、この世界を司る《天空の女神》を置いて他に誰が為し得るというのか。


「理解が早くて助かります。……此度の一件、あなたには大変申し訳ないことをしたと思っています」


 突然、女神サラは謝罪とともに神妙な顔で頭を下げた。


「とっ、唐突に何を仰るのですか!?」


 ヒューガは慌てて両手を振った。ただの人間である自分に《天空の女神》自ら頭を下げるような理由がまったく想像できなかった。


「あなたの死も、延いては帝国の滅亡も、すべては創造神たるわたくしの采配に責任があるのです」


「采配……? それは、いったいどういうことなのですか!?」


 ヒューガは思わず身を乗り出して叫んだ。


「騎士ヒューガ、いいえ――かつて《死神》と呼ばれた影の(ともがら)よ。あなたは、決して表の世界を歩むべきではない存在だったのです」


 まさか女神にその名で呼ばれるなど露ほども思わず、不意を突かれて心臓が大きく跳ねた。


「あの胡乱な教団で、幼子であったあなたが覚醒した《異能》、それは()で振るわれるにはあまりにも強すぎる力でした。強大な魔法を自在に操るでもなく、神業のごとき武技ですべてをねじ伏せるでもない、ともすればそれが《異能》であることさえ気づかせない小さくて大きな力。それは影の中で人知れず振るわれてこそ許される力であり、あなた自身もまた然り。そのまま影に潜む存在でいてくれたのならば、この歯車が狂うこともなかったのですが……」


 そこまで聞いて、ヒューガの脳裏にはひとりの存在が浮かび上がった。

 自分を闇から救い上げてくれた太陽の姫君――女神の言に従えば、歯車を狂わせた秩序の冒涜者だろうか。


「まさか、アシェ……!」


「……そう、サングロリアの皇女アシュリーゼがあなたを陽の当たる表の世界に導いたこと、それこそがわたくしにとって最大の誤算でした。彼女が《死神》を絆しヒューガという新たな名を与えたことで、あなたは皇女の騎士となるべく騎士団の門を叩き、そして帝国の強力な武器となった。……その後の活躍は、その胸の勲章の数が物語っているでしょう」


 すべては女神の言葉どおりだ。

 「私の騎士になってください」――アシュリーゼのその言葉に救われて、《死神》はその名とともに裏の世界を捨てた。彼女にヒューガという名前を授かり、彼女の騎士となる約束を果たすべく死にもの狂いで手柄を求めた。

 そのためには手段を選んでなどいられなかった。元より由緒ある血筋でもなければ平民としての身元すら覚束ない、怪しげな教団組織から出奔してきた曰く付きの孤児(みなしご)

 いくら皇女から個人的に目をかけられていようとも、生半可な実績では帝国最精鋭たる王室親衛隊への道が開かれるはずもない。自身に求められるのは、出自のハンデを押しのけるに足る、誰も文句のつけようがない圧倒的な戦果を上げることだけだった。

 

 《勇者》を名乗るあの男の指摘は正しい。ヒューガは戦果を積み上げるために《異能》を惜しげもなく振るった。

 騎士団への入団当初、元々組織でも単独任務専門で仲間と密に連携を取る集団戦闘を苦手としていたヒューガは、その高い戦闘能力とは裏腹に団の中で持て余されかけていた。どこの隊も味方を攻撃の巻き添えにしかねない騎士など、いくら強くても危なっかしくて願い下げというわけだ。

 しかし、ある隊の隊長の目に留まり、「そんなに集団戦が苦手なら、いっそ一人で勝手にやらせてみりゃあいいじゃねえか」という常識外れともいえる提案により転機が訪れる。

 やがて、それは敵拠点攻略の初動における単独潜入――敵戦力の把握および攪乱、破壊工作という、ヒューガの適性を最大限に活かす形で実現した。

 最初こそ、およそ騎士らしくない卑怯な戦術と白い目を向けられもした。しかし、やがてどんなに堅牢な要塞であっても確実に潜入を果たし、敵に手痛い打撃を与えて混乱を誘い、決して捕まることなく任務を完遂するヒューガの活躍は、その後の作戦を優位に進め、延いては主力部隊の損耗を大きく抑えることに繋がることが実証され、その評価は一変。

 数々の遠征に駆り出されては、ことごとく要衝の防衛拠点を破り、帝国の領土拡大に大きく貢献を果たすこととなった。


「あなたは少しやりすぎてしまったのです」


 女神サラは息を飲むほど美しい微笑みを崩すことなく、されど罪人を裁くかのごとく告げる。


「お言葉ながら、天空の女神サラよ! 私は――」


 大陸全土で信奉される《天空の女神》を前にして口答えなど許されるはずがない。それでも、口を突かずにはいられなかった。


「ええ、存じています。あなたが決して皇女の側に仕えたいという我欲のためだけに力を振るったわけではないことを。大陸統一によって戦乱の世を終わらせるという皇帝カーディフ一世の志に共感し、それを実現することこそが力の正しき振るい方と、そう得心していたことを」


 女神は非礼を咎めるでもなく、ヒューガの想いに寄り添うように目を細めた。


「で、では……いったい私は何をしでかしたというのですか!?」


「あなたの行いそのものではなく、それによって引き起こされた結果こそが行き過ぎていたのです」


 ――結果? 私の行いによってもたらされたもの、それも女神が気をかけるほどのことともなれば……。


 そう、それは決して傲りなどではなく。

 

「帝国領土の拡大……そう、仰るのですか?」


 愕然とする思いだった。自らの行いが、命懸けで成し遂げてきたことのすべてが、女神によって今否定されようとしている。


「本当に察しがよいのですね。そう、あなたの働きによってサングロリアの版図はわたくしの想定をも遙かに超え、異常ともいえる速度で拡大してゆきました。それこそ数十年かかるはずだった大陸南部の平定が、たった数年で成し遂げられてしまうほどに。このままでは、あなたが近衛騎士となり一線を退こうとも、広大な領土と豊かな資源を背景に既にあらゆる分野において他国を凌駕する帝国の大陸全土統一は時間の問題」


 女神は頬杖をつく仕草で眉尻を下げた。

 

 まるで、それでは具合が悪いとばかりに。

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