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雇用主のエルフは朝に弱い

「ノーエールーぅ! もう9時過ぎだよー! お日さま昇りきっちゃってるよー?」


 幼く甲高い声が部屋中に響き渡る。

 リビングテーブルに置かれた銀色の懐中時計の短針は、しっかりとⅨの数字を示していた。

 しかし、ノエルの寝室から声はなく、扉が開く気配もない。


「起きてこないと、今からボクの相棒が君を甘ぁ~く切なぁ~く起こしに行っちゃうぞー?」


「行くか、アホが! 寝ている女性の部屋に無断で立ち入るなど、首を刎ねられても文句は言えんぞ……」


 家主の寝室の前でふたりが騒がしくしていると、キィ……と戸の軋む音ともに、ついに開かずの扉が開かれた。


「ふ、ぁ……っ。んぅ……?」


 小さくあくびを漏らして、不思議そうに小首を傾げる我らが雇用主。

 銀色の神秘的な髪はボサボサに跳ね、爽やかなミントグリーンのシャツパジャマからは白い素肌が覗く。

 昨日の聡明でクールな印象はどこへやら。今はただ年相応の寝起き少女そのものの姿を晒していた。


「や、やあ……おはようノエル、いい朝だね」


 ヒューガは犯しがたい無防備な美少女を視界に入れることに罪悪感を覚え、頬を掻きながら視線を逸らした。

 言ってから、朝と呼ぶには少々遅い時間であることを思い出し、却って嫌味に聞こえてしまったかもしれないと後悔する。


「意外だなぁー……あのノエルが実はお寝坊さんだったなんて」


 一方のセラは同姓を盾に、遠慮なく家主の寝起き姿を眺め回していた。

 

「~~~~ッ!!」


 しばし半覚醒で眠気眼を擦っていたノエルだったが、やがて状況を理解したのか目を白黒させ、バタン! と勢いよく扉を閉めて部屋に閉じこもった。


「ご、ごめんなさい! 今行くから少し待ってちょうだいっ」


 扉の向こうからはバタバタと身支度をする慌ただしい音が鳴る。

 ヒューガたちは顔を見合わせ、彼女の意外な一面に驚くのだった。


 

   *


 

「……本当にごめんなさい。生まれつき朝ってホント苦手なの……」


「あらら……低血圧?」


 白いブラウスに着替えたノエルは、大きなマグカップを両手で持って半分顔を隠すように、ふーふーとコーヒーを冷ましながら頷く。

 彼女の聡明さの象徴のような長い睫毛をいただく蒼い瞳も、今はきまり悪そうに伏せられていた。


 懐中時計の短針がⅨとⅩの間に差し迫る頃。

 テーブルには、チーズを乗せて暖炉の残り火で軽く炙ったライ麦のパンに、昨晩の残りを温め直したポトフ。

 雇用主の起床を待っての、遅めの朝食を3人で囲む。


「誰しも苦手なことの1つや2つくらいあるものだ。もしよければ、これから朝食の用意は私が引き受けよう。大したものはできないが、助手として寝起きの君に負担を強いるわけにもいかないからね」


「はいはーいっ! ボクのおしごとはー?」


 セラはわざとらしく大げさに手を挙げて自己主張した。

 この家の中にいる時くらいしか太陽石の外に出られないため、自分も何かをしたくて堪らないようだ。


「セラの仕事は……毎朝、決まった時間に彼女を起こしてあげることだ。私の触れられない領域だからな、これはお前にしか任せられない」


 ヒューガはチーズの乗った香ばしい匂いのパンを千切って、スープ皿に浸しながら答えた。

 一晩経って深みを増したスープを茶色いパンが贅沢に吸い上げていく。


「ムムッ……これは重大任務だなぁ」


 セラはおどけたように言って、悪戯っぽくノエルに視線を向けた。


「……お手柔らかに」


 外堀を埋められてしまったノエルは小さく諦観を漏らし、ズズ……とコーヒーを啜る。


「ところで、診療所(あっち)のベッドはちゃんと眠れた? そこのソファに比べたら、ちょっと硬かったんじゃない?」


 濃いめのコーヒーを摂取してようやく脳が覚醒してきたのか、ノエルの瞳は昨日のように理知的な輝きを取り戻していた。


 昨晩ヒューガは、リビングのソファをベッド代わりに使って構わないと言うノエルの申し出を固辞して、代わりに隣の診療所を寝床に使わせてもらうことにした。

 ひとつ屋根の下で若い男女が寝るという状況だけは、帝国騎士の意地として何がなんでも避けたかったのだ。

 最初は診療所の適当な椅子にでも座って眠るつもりだったのだが、様子を見に来た雇用主に露骨に呆れられて無理矢理患者用のベッドを宛がわれてしまった。


「野宿のころを思えば、まるで天国のような寝心地だったよ。おかげで久々にぐっすり眠らせてもらった」


「それならよかったけど……でも、あれはあくまで療養用よ? もし急患が入ってベッドが必要になったら今度こそソファ(こっち)で寝てもらうから、その時はまた椅子で寝るなんて言わないでちょうだいね」


 呆れ交じりの気だるい声の中に、有無を言わせぬ医者の顔が覗く。


「こ、心得た」


 思わずまた「ドクター・ノワイエ」と呼びそうになったのを、すんでのところで飲み込む。

 ヒューガは彼女の医療従事者としての姿勢に敬意を抱きつつ、急患が訪れることなく村の人々が平穏無事でいてくれることを心から願った。


「――そういえば、今日はこの後どうするんだっけ?」


 昨晩ヒューガのいないソファを独り占めしてたっぷりと睡眠をとった元女神は、いつも以上に血色のいい顔で尋ねた。


「とりあえず村のみんなに彼を紹介しに行くわ。……まぁ、ロジーヌおばさんや子どもたちのおかげで、もうすっかり噂になってるでしょうけど」


「雇い主の顔に泥を塗らぬよう、気を引き締めておかなくてはな」


「最初はどうしたって好奇の目で見られるでしょうけど、あなた真面目そうだし人当たりも丁寧だから村にもすぐ馴染めると思うわ」


「あー……でもアレだね、マダムとかマドモアゼルはやめた方がいいかもねぇ」


「……たしかに。くれぐれも、行く先々でそういうお芝居がかった口説き文句みたいな呼び方は謹んでちょうだいね。ロジーヌおばさんはノリがいいから笑ってたけど、普通みんな腰抜かしちゃうから……」


 「わたしだって正直びっくりしたんだから……」と、ノエルはコーヒーを啜りながらぼやく。

 温かい飲み物を飲んで体温が上がったのか、心なしか形の良い長い耳はわずかに赤みを帯びていた。


 ――??? マダムやマドモアゼルという呼称が芝居がかっているだと……? 城下の商店の女主人など、マダムと呼ぶと大層機嫌をよくしてオマケをしてくれたりもしたというのに……。


 ヒューガは不服を申し立てたかったが、女性2人を相手取っての勝機はどうやっても見出しことができず「う、うむ……」と引き下がって残りのパンを口に運ぶしかなかった。


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