石の中にいろ
「フッ!」
カツン、カツンと、小気味のよい音が木霊する。
ヒューガは2つに割れた丸太を掴んで横に放った。あとでさらに半分に割って組み上げるためだ。
(ねぇねぇヒューガ、そういえばさっき初めてエルフを見たって言ってたけど、君の世界にだってエルフくらいいたでしょ? 会ったことなかったの?)
(いや、少なくとも私の暮らす大陸にエルフという種族が実在するなんて話は聞いたことがない。むしろお前がドワーフの名を口にするまで、人間以外の種族などすべて伝説やおとぎ話に出てくる空想上の存在だと思っていたくらいだ)
新たな丸太の芯に狙いを定めて斧を振り下ろしながら答える。
(あ、あれぇ……? ボクが神さまだった時はエルフもドワーフも普通にいたはずなのに。……サラちゃん、いったいどういうこと???)
(それはわからんが……確かなのか、私にとっては彼女が初めて出会った異種族ということだな)
(そりゃまぁ、あの反応になっちゃうのも無理ないかー……。ところで、ヒューガはエルフって種族についてどれくらい知ってるの? これからしばらくあの子のお手伝いして暮らすなら、また変なこと言って怪しまれないように一通り知識は持っておかなきゃと思ってさ)
(そうだな……まずは、やはりノエルのような長い耳を持つということだな。それと、千年以上生きるとも言われる非常に寿命の長い種族であること。……あとは、皆非常に美しい容姿をしていて知能が高く魔法の才能に溢れているらしい。……あくまで私の知る伝承の共通項みたいなものだが)
(あー……そこら辺はしっかり本物ベースなんだ。うん、その認識でだいたい間違ってないよ)
(……いや、待て? 長命ということは、もしやてっきり年下と思って接していた彼女は、実は私などよりずっと――)
そうだとすれば、やはりとんでもなく失礼な喋り方をしていたことになる。
騎士団という縦社会に染まりきったヒューガの顔が、ポーションの瓶よりも青くなっていく。
(あー、それはないない。エルフっていうのは年の取り方がだいぶ特殊で、だいたい20代の半ばくらいまでは人間と同じように成長していって、そこから急激に老化がゆっくりになるんだ。――で、あのエルフちゃんはどう見たって精々10代後半ってとこ。ハタチの君より年上って事はないと思うから安心しなよ)
「まったく都合のいい老化曲線してるよねー」とは、信じられないことに曲線を描くことを頑なに拒み続ける元女神の口から出た言葉だ。
(そ、それはよかった……)
ヒューガは大げさに胸をなで下ろした。
セラがいなければ、危うく雇い主に対して意図せず年増疑惑のような失礼極まりない質問を投げかけてしまうかもしれないところだった。
(ところで……エルフというのは、やはり皆ノエルのような美貌の持ち主なのか?)
アシュリーゼがその華やかな美貌から帝国民に《太陽の姫君》と称されたのであれば、ノエルはまさにその対照――夜空に佇む月を彷彿とさせる神秘の美貌。ヒューガの人生の中で触れたことのないタイプの美しさだった。
種族レベルでそんな美しさと長い寿命に高い知能まで持ち合わせているのだとすれば、人間のヒューガとしては率直に羨ましいの一言に尽きる。
(とんでもない! 言ったじゃん、このボクが認めるレベルの美少女だって。いくらエルフが美形揃いの種族だからって、あんな子がゴロゴロいるなんて思われたら、さすがに他のエルフたちがかわいそうだよ)
(そ、そこまで言うのか……)
ヒューガとしてはそれで納得できてしまうのも非常に癪なのだが、神界一の美少女を自称するセラがそうも力説するのであれば間違いはないのだろう。
(それに、クールな顔して健気でとってもいい子そうだし。超カワイイっていうのを抜きにしても、あんな優しい子に拾ってもらえるなんてホントに運が良かったと思うよ。やっぱり人助けはするもんだねぇ)
(ああ、おかげでこうしてこの世界に足場を得ることができた。しばらくは彼女と村に恩を返しつつ、少しずつだが手掛かりを集めていく他ないな)
四等分した丸太をバランスよく積み上げ終えると、今度は手斧を鉈に持ち替えた。元から保存してあった、よく乾燥したストックの薪を用途に分けて細かくしていく。
――しかし……この鉈にしても斧にしても、驚くほどに切れ味がいいな。きっと、この世界にはよほど腕のいい職人がいるのだろう。
(うん、千里の道も一歩からってね! しっかり働いて旅の準備が整ったら、その時にまた改めて今後の方針を決めよう)
(異存ない。しかし、それにしても――)
緩やかな高台に位置する小屋から、茜色に染まる村の景色を見渡す。
駆け抜ける風が草木を揺らし、ざわざわと心地のよい音を立てる。
種まきが終わったばかりであろう良く耕された麦畑の向こうに沈みゆく夕日を望み、ヒューガは眩しそうに目を細めた。
(いい景色だね)
(ああ、ノエルが愛着を抱いたのもうなずける。初めて見る景色だというのに、この光景を眺めていると不思議と心が洗われるような気持ちになる)
騎士団の任務で赴くことはあれど、田舎の農村に暮らしたことなど一度もない。
ましてやここは世界を隔てた先、郷愁など湧くはずもない。
だというのに、人としての根源的な何かがそれを求めている。
普遍的な田舎の原風景とは、そういう不思議な魅力があるのかもしれない。
(ところで、セラよ。ひとつ聞きたいのだが……)
(んー? なんだい、改まって?)
(……お前は、いったいいつそこから出てくるつもりなんだ?)
(…………へ?)
沈黙の間を持たせるように、一陣の風がサッと吹き抜ける。
(あああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーっ!?)
音なき叫びの「あ」がヒューガの頭の中を埋め尽くす。新手の拷問を受けているような気分だった。
(ど、どうするのだ? もはや出てくる機会など完全に失してしまったぞ……)
それまでお忍び一人旅のようなことを宣っていた男が、薪割りを終えたと思ったら年端もいかない見知らぬ少女を連れて戻ってきた。
完全に事案である。即日解雇、村からも追放必至だ。
(え、えーっと……ヒューガの隠し子ってことで……?)
(私はまだ20歳だぞ!? お前のような娘などいてたまるか!)
当然の反論だ。故郷の倫理まで疑われてしまう。
(……もしかして、ボクこのままずっと石の中? 脱おさかな生活は?? エルフちゃんの手料理は???)
(……残念だが諦めろ。少なくとも、この村を立つまではそうせざるを得ないだろう……)
バングルに輝く太陽石が夕日に泣いているように見えた。




