エルフの家に転がり込む
「……30人は少々話を盛りすぎではないか?」
村を流れる小川の石橋を渡り、ノエルの家を目指す。
ヒューガの両腕には野菜をこれでもかと詰め込んだ木箱。ロジーヌからもらったものだ。
「子どもはオーバーなくらいがイメージ湧きやすくてちょうどいいの。それに、よくわからない異国の旅人よりも、とんでもなく強い正義の剣士様の方がみんなだって受け入れやすいでしょう?」
「なるほど……」
「ま、子どもたちって何かと話を大きくしちゃうから、明日には千人斬りの大英雄ってことになっているかもしれないけれど」
「30人でも大概荷が勝るというのに、それは……」
ヒューガは大げさに肩を竦めてみせた。
「そう? さすがに千人はないにしても、ゴロツキくらい100人相手でも平気で蹴散らしちゃいそうな凄腕に見えたのは、颯爽と助けてもらった私の買い被りすぎかしら?」
ノエルは表情ひとつ変えずに冗談ともつかないことを言う。
「ノエル、君はいったい――」
「さあ、着いたわ。ようこそ我が家へ、ヒューガ・レイベル殿下」
村はずれの緩やかな丘の上にポツンと建つ一軒の家の前でノエルが立ち止まり、ヒューガの言葉は遮られた。
年季の入ったレンガ造りの家屋。隣の頑丈そうな小屋は工房を兼ねた診療所なのだという。
「好きにくつろいでくれて構わないけど、私も間借りしてるような立場だから、できるだけ綺麗に使ってくれると助かるわ」
「君は、この村の者ではないのか?」
靴とマントの汚れを落としてから玄関をくぐると、ハーブの爽やかな香りがした。
素朴ながらも彼女なりのこだわりを感じさせるような、緑を基調とした落ち着いた部屋だ。
「元々はね。三ヶ月くらい前かしら? いつもは薬草研究のフィールドワークで旅をしてて、この村に立ち寄ったのもたまたまだったんだけど、ここでお医者様をされていた先生が少し前に亡くなられて村に医術のわかる人がいなくて困ってるって聞いて、それなら次の旅先が決まるまでの間ってことで簡単な診察とか薬の処方をしてたの。……なんだけど、この近くの森は良質な薬草がたくさん採れるし、何より村の人たちがとても親切にしてくれるから、なんだか離れるのが惜しくなっちゃって……」
「それで、そのままこの家と診療所を受け継いだというわけか」
「そういうこと。まあ、その先生と違ってちゃんとした医術の心得があるわけじゃないし、あくまでわたしの薬学知識の範囲で医者の真似事をやってるだけだから、正直どれだけ村のみんなの力になれているのかはわからないけど……」
「いや、君は十分村の皆に信頼されているはずだ。今日来たばかりの私などが言うのもおこがましいが、それでも先ほどのロジーヌ殿や子どもたちの様子を見ていればわかるさ」
少なくとも、ヒューガが騎士団の任務で訪れた田舎の村々は、どこの地域もよそ者への警戒心が強い傾向にあったと記憶している。
ノエル自身のみならず、突然連れてきたヒューガまで抵抗なく受け入れてしまうあたり、彼女がよほど信用されていることが窺える。
「ふふ、ありがとう。これも何かの縁だし、あなたも予定が立つまでゆっくりしていくといいわ。――ああ、もちろんその間助手としてはしっかりと働いてもらうつもりだけど」
「無論だとも。幸い体力にだけは自信がある、力仕事なら遠慮なく任せてくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えて早速で申し訳ないけど薪割りをお願いしようかしら。そろそろストックしておかないと切らしちゃいそうだったから」
ノエルはローブを脱いでクロークにかけると、ヒューガのマントを指差して寄越すように促す。
不意に、ローブの下に隠れていた彼女の細くしなやかなシルエットが露わになった。
ショートパンツからすらりと伸びる引き締まった眩しい素肌に視線を奪われてしまいそうになり、ヒューガは慌てて視線を逸らした。
「あ、ありがとう。では早速取りかかるとしよう」
「ちょっと待って。その前に――はい、これ」
そう言って、ノエルは棚に置かれていた1本の青い薬瓶を差し出した。
「これは?」
「わたしが調合した自家製ポーション。街で出回ってるやつと違って即効性はないけど、その分滋養強壮の効果は抜群だしおなかにも優しいわ。仕事前の1本ってことで」
得意げに人差し指を立てて、ノエルが微笑んだ。
「ありがたくいただくよ」
瓶を開けると、ハーブ独特のツンとした香りが鼻を突いた。
帝国で出回っていたポーションの苦さを思い出し、意を決して瓶を煽る。
「……! な、なんだこれは……ポーションだというのにまったく苦くないぞ。それどころか、ミントの爽やかさとクセのない甘みがほどよく調和して、まるで甘いハーブティーでも飲んでいるかのような味わいだ」
ヒューガの中でポーションの概念が破壊された。
むしろ、今まで口にしていたあの苦い液体はなんだったのか。
謳い文句は「マズい、もう1本!」だったが、おかわりなんてとんでもない。マズくなくなる努力をしてほしい、ヒューガは騎士団で支給される小瓶を飲み干すたびに顔を歪めながら常々思ったものだ。
「気に入ってくれてよかった。子どもでも飲めるように村で採れた蜂蜜を加えてアレンジしてみたら思いのほか大人たちにも好評で、今ではすっかりこっちがメインになっちゃったの」
照れくさそうにしつつも、ノエルはどこか誇らしげだ。
「皆が気に入るのも頷けるよ、これなら何本でも飲めてしまいそうだ。おかげで薪割りがとてもはかどる気がするよ」
テーブルに薬瓶を置くと、大袈裟に肩をぐいと回して玄関を開ける。
「小屋の脇に薪割り場があるわ。くれぐれも斧で怪我したりしないように気をつけてちょうだい。その間に、私は村長にあなたのこと報告してくるから」
「承知した。手斧や鉈の類いは扱いに慣れている、安心して任せてくれ」
「あなた、本当に変わった王子様ね」
たしかに、剣ならともかく斧や鉈の扱いに慣れた王子というのも変な話だ。
ヒューガは微妙な苦笑を浮かべて、そそくさと隣の小屋へと向かうことにした。




