第5話 桐谷
危険だ、という事は分かっていた。可能ならば、縛り付けて監禁でもしておきたかったが、保健医と生徒という関係上そんな事は出来るはずもなく、先ずは、と、怪我をした生徒達を中等部棟に避難させる事を優先させた。
自分が不在の間も、恐らく怪我を負って保健室へとやってくる生徒は何人かいるだろう。しかし、今の保健室には、最も危険な災厄が眠っているかも知れないのだ。
どうか、自分が戻るまでの間、目覚めないでいてくれ。そして、願わくば彼女がそうで無い事を祈る。
俺は、怪我を負った生徒達を送り届けた後、可能な限り校内を早足で進んだ。が・・・。
もう少しで保健室という所で、ガシャンというガラスの割れる音が廊下に響き渡った。俺はハッとなり、室内へと駆け戻る。
引戸を開け放つと、校庭側の吐き出し口の窓が割られているのが目に入った。室内にガラス片が散乱している。
ああ、やはり・・・。
見ると、使用中だった2つのベッドは目隠しのカーテンが開けられて、両方とも無人になっている。
中に居る生徒達に、ガラスによる怪我は無いようだが・・・。
「・・・これは、どういう事だ・・・。何があった」
「キリヤ!須田さんが!」
俺の絶望的な呟きに、3年の女生徒がそう叫んだ。
残っている生徒の中に、ベッドの上で寝ていた筈の須田愛海の姿は無かった。
怪我を負って手当を済ませた生徒が4人と、その付き添いで来ていると思われる5人の生徒達。
そして、須田愛海の向かいのベッドで寝ていた筈の、同じく登校時に倒れた剣道部の男子生徒だ。今は起き上がり、竹刀を割れた窓に向かって構えている。
「須田愛海は、どうした・・・」
俺は静かに聞いた。
起き上がってガラスを割って逃げたにしては、室内にガラス片があるのはおかしい。そもそも逃げ出すなんて事があるだろうか・・・?
「様子がおかしかったんです。突然襲い掛かってきて・・・」
2年の女生徒が答える。
水川弥生。
『水川弥生』か『須田愛海』のどちらかだとは思っていたが、『須田愛海』の方だったのだな。
「危ない所だったのを、そこで寝てた剣道部の先輩が起きて来て助けてくれたんスよ」
2年の男子が言った。この子は『アレ』か。懐かしい匂いがする。来ていたのか・・・。運が良いのか、悪いのか。
「その竹刀でぶっ飛ばして、そこの壁にズドンと」
喋りながら両手を合わせて握り、野球のスウィングの様な動作をして奥の壁を睨む。
剣道の動作は、そんな野球の様ではないと思うのだが、と思いながら壁を見ると、ヒビが入って少しへこんでいた。
「ミアナ」
2年の男子が再現をしている間に、体中に漲らせていた緊張を解いた剣道部男子が、呟くようにそう言って、水川弥生を抱え込む様に抱き締めた。名前は、高嶺スバル。
そうか、この2人は『あの2人』か。
「ヒィッ!」
水川弥生が小さく悲鳴を上げて固まる。
「せ、先輩?えっ?2人はそういう関係だったの?」
焦った声を上げるのは、2年の領寺沙奈だ。
「違う!喋った事も無いのに!」
「ミアナ・・・」
「離して下さいー!」
私は溜息を吐きながらやんわりと2人を引き離した。相変わらずな様子に少し呆れた。
「で、須田愛海はどうなった。姿が見えない様だが」
改めて聞くと、最初に喋った3年の女生徒が答えてくれた。
「外から男子生徒が2人、ガラスを割って入ってきたんです。その2人に連れられて須田さんは・・・」
「2人のうち1人はウチのクラスの山内だったぜ」
2年男子が言う。なるほど、状況は大体分かった。
「ここは片付けるから、怪我の無い人は帰りなさい。噛まれたと言う生徒は、念の為中等部の先生に診てもらおう。向こうで軽食を用意してくれるそうだから、荷物を持っておいで」
俺の言葉に、固まっていた生徒達が動き始める。
怪我を負った生徒達が、返事をしながら私の方へとやって来る。
「ああ、そうだ。もし他に怪我を負った生徒がいたら、中等部の保健室に来る様に伝えてくれ。ここにもそう張り紙をしておく」
そう言って割れた窓を見た。都合良くここが使えなくなって良かった。直接あっちに行ってもらえる。
考えながら、不要な紙を一枚探し出して簡単な文言を書き、セロハンテープを四隅に付けた。
「では、失礼します」
そう言う3年の生徒を筆頭に、無傷の生徒達は引き揚げて行った。
廊下を進む無傷の生徒達の中、1人が振り返った。他の生徒に気付かれないように俺に向かって頷く。
「宜しく」と言っているのが分かる。
私は「了解」の意を込めて頷き返した。
「何だか、校内を歩くの怖いな・・・」
中等部棟に向かう途中、連れて行く4人の生徒達が、俺の後ろで話している。
「私も・・・」
頷き合う全員。俺は先頭に立って歩きながら耳を傾けていた。
「夢を見たんだ。授業中居眠りして。その夢はすげー楽しかったのに。起きたら、なんか怖いんだよ・・・。校内全部が。ずっと鳥肌が立ったままで・・・」
「分かる。私も居眠りしてて、って、へへ。キリヤここは聞いてない振りしてな」
俺は、少し笑って頷いた。
「夢で、人間じゃ無いみたいにスピード出して泳いだの。水面に飛び出してジャンプしたりとか。もう最高に気持ちいい夢だったのにさ」
「そうそう!何か俺も魚になったみたいで、飛び魚みたいなことしてたわ」
「え?一緒じゃない?」
沈んでいた4人が、楽しかった夢の話で盛り上がる。気持ちが昂揚していっているのだろう。楽しそうに話し合う様子に気持ちが揺らぐ。止血はしっかりとされている筈なのに、良い匂いが漂う。
辛い役割だ。
そう思いながら先を急ぐ。
角を曲がった時だった。3人の生徒がこちらを睨んでいるのが見えた。
男子が2人、女子が1人。学年はバラバラ。もう少しで中等部棟だが、そこに行くためにはその3人の前を通らなくてはならない。
後ろの4人のが前の様子に気付いた。
「な、に?」
無意識にだろう。それぞれが傷の上に巻かれた包帯を隠す様に押さえる。漂う良い匂いが少しだけ収まるが後の祭り。
間を詰めてくる3人に向かって、俺は威嚇をする。
立ち止まる3人。格の違いが分かったのだろう。すごすごと引き下がって行った。
「えっ・・・キリヤ・・・⁈」
振り返ると、付いて来ていた4人の生徒が、怯えた顔をして足を止め、身を寄せ合っていた。このままでは私に付いて来ないだろう。
仕方が無い。
俺は甘い匂いを行き渡らせる。途端に虚な表情になる4人。
「行こう」
従順に従う4人の生徒を連れて、俺は中等部棟へと入って行った。




