第4話 愛海
暗い暗い海の中を漂う様に、体が何処かに流されている。冷たくは無い。暑くも無い。苦しくも無い。
そんな中、声が聞こえる。
いや、聞こえるのか、感じるのか、伝わってくるその意志は威圧的だ。
「欲しいか?」
何がだろう。
「全てが」
それはそうだ。この世の全てが手に入るのならそれに越したことはない。
「他者の上に立ちたいか?」
当然。私は頂点に立つべき人間なのよ。
「支配を望むか?」
望むではない。するのだ。そう決めている。昔から。
「くれてやろうか」
他から恵まれるなんて私じゃ無い。お断りだ。私は私の力で全てを成すの。
「良き心意気。共に行こうぞ」
どこへ?あんたは何?
暗闇が濃くなる。私にまとわりつく。嫌な感じだ。払い除けても退かない。イラつく。
ふざけるな、離れろ!
まとわりつく闇を掴めるだけ掴んで集めて握り潰す。それでも消えない。減らない。苛立ちは強くなる。私は奇声を上げて噛み付いた。
感触があった。噛んで、噛んで、咀嚼する。
暗闇が震える。震えながら、更に私の周りにまとわりついてくる。触れられた所がチリっと熱くなる。焦げる。
腹が立ってもっと噛んだ。するともっと熱くなり、焦げる。そこから熱が広がる。痛みに変わる。
痛い痛い!畜生、やられるもんか!
集めて噛む。噛みちぎって飲み込む。繰り返し繰り返し。
そのうちに、暗闇と私は互いを食い合う様に混ざり合って、そしてとうとう一つになった。
体の真ん中、胸の辺りに強い感情が溢れてくる。
怒り、憎しみ、欲求、焦燥感。
全部丸めて閉じ込めて、須田愛海の姿の中、胸の内側に丁寧に仕舞う。
新しい私が、閉じていた目をゆっくり開く。光を感じる。スポットライトを浴びているみたいだ。
光に向かって踏み出す。
行こう。私が女王だ。
起き上がる。カーテンを開ける。
どうやら、ここは高等部の保健室だ。
開かれたカーテンの先には、手や足、首元等に包帯を巻いた生徒達の姿がある。怪我の治療をしていたみたいだ。
包帯の内側から、消毒液の臭いに混じって、とても良い匂いが漂っている。
ああ、酔いそう・・・。
「どうしたの?何をしているの?」
室内をゆっくりと見回して、私は聞いた。聞きながらベッドから降りて上履きを履く。足を進める。
まずは現状を把握。9人いる。
上履きに赤いラインの3年生が2人と、緑のラインの2年生が5人、青いラインの1年生が2人。男女バラバラにいる高等部の生徒達。
見ただけで直ぐに分かる。彼等の中に見える。居る者の正体が。
端から一人ひとりを確認していく。餌、人間、人間、餌、餌、餌、人間・・・。8人目、視線が1人の女生徒の上で止まる。
「朝から噛まれる生徒が何人か出ているの。その治療よ。あなたは登校中に倒れて、ベッドに運ばれたみたいだけど、覚えてる?」
2人目の人間が答えた。外見は3年生の女生徒だ。
「須田愛海さんよね?大丈夫?私、朝あなたが倒れるのを見てたのよ。ずっと心配してたの」
7人目の人間が言った。横目でチラリと見る。外見は2年生の女生徒だ。こいつの中身には覚えがある。
「ミアナ」という名前だった筈だ。自分1人では何も出来ない弱い人間の癖に、手下を上手く使っていつも我等の邪魔をする。うるさい蠅の様な小娘。
ここでも邪魔立てするのだろうか。ああうざったい。いっそ今すぐ殺してしまおうか。
だが今は・・・。
私は、「ミアナ」の横に立つ8人目の女生徒に視線を戻した。「ミアナ」の外見と同じく2年生の先輩だ。「ミアナ」の外見とは、親友同士という雰囲気が漂っている。
・・・。
この8人目の女生徒だけは、中身が見えない。けれども居ない訳では無さそうだった。
私という存在に気付いて身を潜めているのかも知れない。私が中身を見る事が出来る、という事に気付いて。
・・・欲しい。
興味が湧いた。いや、興味とは違う。
欲望が芽生えた。
腕の中に閉じ込めたい。私だけの物にしたい・・・。髪に触れて爪を立てたい。溢れる血に歪む顔が見たい・・・。
何故かは分からないが、私は突如、その8人目の女生徒を渇望した。本能的に欲する。気持ちを抑える事が出来ない。
「うわ、本物の須田愛海じゃん。近くで見るの初めてだわ」
8人目の女生徒の横の9人目の男子生徒がそう言った。それに応える様に、人間達が頷いて同意し、興味深く私を見ている。
一方で餌達は怯えた様子で、どうやってここから逃げ出すかという、ただそれだけを考えている様に見えた。
状況は大体把握出来た。体に自然に力が入る。やり方は分かっていた。
ヒュッと小さく音を立てて息を吸い込み、そしてフゥッと吐き出す。
私は、周囲に甘い匂いを行き渡らせた。
「うっ・・・」
餌4人と「ミアナ」を含める人間3人が鼻と口元を抑えて疼くまった。影響を受けない9人目の男子生徒は放置していいだろう。どうせ何も出来ない。
私は欲する8人目の女生徒の元に一息に詰め寄る。
「え?愛海ちゃん・・・⁈」
9人目の男子生徒が、突然の状況に驚き、慌てた声を上げる。が、それには誰も反応しない。勿論私も無視する。
手に入れた・・・!
8人目の女生徒のすぐ目の前に立ち、間近で顔を見る。急に近くに来た私に驚いた表情を見せる女生徒。
何て、可愛らしいのだろう。
手を伸ばし捕まえようとした。その時・・・!
私は横から予期せぬ攻撃を受けた。ドカッと音を立てて突き飛ばされ、壁に激突する。壁にはヒビが入り、欠け落ちた漆喰が埃と共にハラハラと落ちていく。
何が、起こった・・・!
「シャーーー!」
受け身を取りつつ振り返り、本能で威嚇をする。
見ると、今し方攻撃を受けた場所に新たな男子生徒が立っていた。どこから現れたのか、両手で木刀を持って構えている。上履きのラインは赤。高等部3年。そうだ見覚えがある。確か剣道部の主将。
・・・こいつ、こいつは!
私は、その男子生徒の中身にも覚えがあった。1番新しい記憶はあの時。市を襲った時だ。
「ミアナ」を仕留めようとした時に邪魔をした男。
「アスラン」
その時だけでは無い。いつも先陣に立ち、我等の邪魔をする。腕の立つ強い戦士だ。そして・・・。
我等の魅了が届かない特異な人間。
ここでも、こいつまでもが邪魔をするのか。
目の前に欲しいモノがあるというのに!
「愛海ちゃん大丈夫?・・・その、どうしちゃったの?」
立ってるだけしか出来ないでいた9人目の男子生徒が、私と「アスラン」をキョロキョロと見比べながら言う。そうだ、「哲平」と呼ばれているのを聞いた事がある。
さっきから1人だけペラペラと、うるさい。
「死に損ない風情がペラペラと、うるさいんだよ、黙ってな!」
苛立ちを隠さずに私はそう言った。
「ええっ!また死に損ないって・・・」
哲平は、語尾を尻すぼみにそう呟いて静かになった。
私は、視線を「アスラン」に戻して睨み合う。
「ミアナに手を出すな!」
私と他の生徒達の間に立って、その背に守る様に剣道の竹刀を持って構える。
・・・どうしてくれようか・・・。
美味そうな餌も、「ミアナ」も、そして何よりも欲する8番目の女生徒も、「アスラン」1人のせいで手を出せない。
歯痒い・・・。
その時、校庭への掃き出し口の窓が外側から蹴り破られた。ガラス戸が派手な音を立てて割れて、破片が飛び散る。
飛び散る破片の中、2本の腕が伸びて来た。男子の制服の袖、2人分の右腕だった。それぞれが私の左右の腕を掴んで校庭の方へと引っ張る。
「山内!」
哲平が、吐き出し口から腕を伸ばして来た2人のうちの1人に向かってそう叫んだ。
餌の1人が、私の魅了を受けながらもその声に反応する。
おや・・・、この餌は・・・。
「一度引きましょう」
山内と呼ばれた方が、餌の1人に気を取られる私の耳元でそう進言した。
「シャーーー!」
一歩踏み出した「アスラン」に向かって、山内の反対側から私を引っ張るもう1人が身を乗り出して威嚇した。
2人共、私の可愛い子供達だ。
「そうね」
「アスラン」が居るのならば、何の計画も無い我等は不利だ。私は両側から抱えられて、連れられるがままに校庭へと出た。
待っているが良い。必ず手に入れるから。
うっとりと8番目の女生徒を見詰めながら、私は2人と共に走り出した。