第3話 哲平
教室の中では、半数以上の生徒が居眠りをしている。なのに怒られる事はない。何故なら教師も寝ているからだ。
黒板に向かいチョークを持ち、立ったまま寝ている。器用だ。
折角の居眠りチャンスなのに、こんな日に限って俺は眠くない。季節は春。席は窓際1番後ろ。吹き込む風は朝とは打って変わって穏やかで、最高な環境なのに。
目が覚めているのなら、と教室の中央辺りを見る。2年に進学してからも、運良く同じクラスになれた沙奈を見つめた。
相変わらず可愛い。後ろからだから顔は見えないが可愛い。
沙奈は、中等部2年の時に同じクラスに編入して来た。
見た瞬間世界が変わった。沙奈以外どうでも良くなった。以来ずっと同じクラス。
もはや運命。
沙奈はずっと、前の席で寝ている親友の弥生を突いて起こそうとしている。良い子だ。時間の許す限り眺めていよう。
チャイムが鳴り、下校の時間になった。
「沙奈可愛いよな、つい見ちまう」
俺の前の席の奴が言う。目線は沙奈を追っていた。俺はそいつを睨み付けた。俺の視線に気付いてそいつは俺を見た。
「何だよ、別に見る位良いだろ?付き合ってる訳でもない癖に。そんなに好きなら告れば?」
「出来る訳ないだろそんな事!」
思わず大声で言い返す。うるせえ、とそいつに頭を叩かれた。
そんな俺らの横を山内が通り抜けた。いつも俺らと3人でつるんでるのに完全シカトで。
「どうした、山内・・・」
俺らを無視して無言で歩いて行くその先、隣のクラスにいる山内の彼女が後ろのドアからこちらを覗いていた。
「何だよ、彼女さんかよ」
いつもの山内なら、俺らに彼女の存在を自慢気にアピールしながら向かいそうなもんだが・・・、どうしたんだろうか。
俺は前の席の奴と顔を合わせた。何だか様子が変だな、と目配せをしながら2人で山内の様子を伺う。
「でもやっぱいいよな。すぐそばに彼女の存在って」
前の奴がそう言った。月曜日から金曜日まで毎日好きな子に会えるんだ。そりゃ羨ましいに決まっている。
俺は相槌を打ちながら山内の様子を見ていた。
山内は、彼女と一言二言話したかと思うと、なんと彼女の手を取り自分の口元に運んだ。
「な!」
「何だよ、アツアツかよ」
前の奴は天を仰いで口を開けた。今にもそこから魂が抜け出しそうだ。俺は顔を横に背けて、デカい鼻息を一発フンッと吐き出した。
山内の奴、いつもと違う雰囲気を醸し出し注意を引き付けといて、俺達に自分と彼女の仲の良さを見せびらかそうという魂胆だったのか。チッ、ムカつくぜ。
そう思って目を逸らしたまま不貞腐れていると、直後山内と彼女の方から悲鳴が上がって再びそっちを向いた。
見ると、山内の彼女が手から血を流しながら、廊下の反対側迄飛ぶ様に下がって、そのまま腰が抜けた様にそこに尻餅を着いた。悲鳴は、その彼女から発せられたみたいだった。
あ、パンツ見えそう・・・ってそうじゃない。
俺は驚いて立ち上がり、そっちに向かう。現場のすぐ側に居たのであろう、沙奈と弥生が、山内の彼女に駆け寄り、自分達の荷物を放り出して「大丈夫?」「どうしたの?何があったの?」声を掛けた。
弥生が山内に向き直り、肩をどついて詰め寄る。
「あんたどういうつもりよ!」
弥生の顔は青ざめていたが、かなり立腹の様子。目が吊り上がっている。
「山内どうしたんだよ」
やっと辿り着いた俺は、山内の肩を引きこっちを向かせてそう言い、奴の顔を見た。
そして引いた・・・。
口の端から彼女の物であろう血を垂らしながら、完全な無表情。顔は俺の方を向いてはいるが、目線はまだ彼女の方を向いている。彼女の方、というか、自らがつけた手の傷口を、だ。
山内の彼女の方を見れば、遠目で見たよりも多くの血が流れ出ている。鉄臭い臭いが広がっていた。沙奈が自分のハンカチを出して巻き付け、止血しようとしている。
「あんまりにも美味そうだったからさ」
山内は、そう言って笑った。その顔が、まるで血の匂いに酔っているかの様で鳥肌が立った。
何なんだコイツ・・・。
思って俺は、何も言わずに奴の肩をそのまま後ろの壁に押し付けた。ドタンとでかい音がする。
「哲平君、山内お願い。うちら彼女さん保健室に連れてく」
弥生が山内の事を睨みながら俺にそう言って、沙奈と一緒に山内の彼女を支えて歩き出す。保健室に向かうのだろう。
俺は、それを追おうとする山内を押さえ付け、山内の彼女の傷口を追う視線の先に無理矢理入り込む。そして、山内を睨み付けながら「お前何やってんだよ!」と言った。
山内は一瞬面倒臭さそうな顔をして、俺を見る。そしてニヤリと笑って言った。
「言っただろ?美味そうだから食ったんだよ。丁度ランチタイムだ」
俺の背筋に冷たい物が流れた。「怖」という思いと同時に怒りが湧き上がって来る。
「てめぇ」
言って思わず手が出た。拳を奴の顔に叩き込もうとする。が、片手で軽く掴まれて止められた。
今まで山内と喧嘩をした事は無かったが、まずその素早さに驚いた。掴まれた手を外そうとしても、凄い力でびくとも動かない。
コイツ、こんなに喧嘩強かったのか?
「興が冷めるよ、死に損ないが」
山内が言った。
「は?どういう意味だよ」
言った俺を掴んだ手ごと軽々と横に払い除けると、山内は保健室と反対の方向へ歩き出した。
掴まれた手越少し痺れている。クソッ。
「おい山内!」
叫ぶ俺を無視して行ってしまう。
クソッ、ホント何なんだよコレは。
混乱と苛立ちを抱えたまま、とりあえず俺は沙奈達を追って保健室に向かった。
保健室の入口で3人に追い付いた俺は、中に山内の彼女と同じく、噛まれて出血して治療をしに来た生徒が何人かいるのを見て驚いた。
「何だよこれ・・・」
中に保健医はおらず、それぞれに付添って来た生徒達が怪我をした生徒の消毒やら止血やらをしていた。
「キリヤは傷の深い生徒に付き添って中等部の保健室に行ったよ。中等部の養護教諭はこの春から交代になって、新しい人は元外科医らしい」
3年のヒョロッと背の高い男子生徒の手当をしている女生徒が教えてくれた。
キリヤというのは保健医の桐谷先生の事だ。まだ若い男の先生で、気安い性格のせいか生徒達からは結構呼び捨てにされている。
「他にもいっぱいいるんですか?噛まれた人って」
沙奈が震えた声でそう聞きながら、山内の彼女を空いている椅子に座らせた。
うん、と頷く先輩。
「今、5人あっちに向かっているわ。プラスここに4人だから9人ね。でもまだ増えそうな気がする」
「奥のベッドには登校時に意識を失った人が寝てるし、今日は本当、何なんだろね」
手当を受けているヒョロッと男子がそう続けた。
沙奈と弥生が包帯や消毒液の場所を聞いて処置をしていく。その様子を俺は見ていた。戦場で救護班の護衛をしている気分だ。
山内の彼女の他の怪我を負った3人は、手当が終わっても保健室から帰ろうとはしなかった。
「何かさ、怖いんだよね。また誰かに噛み付かれそうで・・・」
それぞれに目を合わせながら苦笑いを浮かべて、付き添って来た友達も一緒になって、何となくみんな保健室の中に居た。
「急に、なんだよね。何か怒らせる様な事をしたわけでもないのに。通りすがりにガブッ!だぜ」
「私もそう。朝は普通だったのに、授業終わって帰ろうと思ったら突然・・・。親友だと思ってたのに。ミクちゃん、酷い・・・」
言いながら泣きそうになる女生徒。彼女は手と、それから首にも包帯を巻かれていた。首とか、マジ危ないよな。
そんな話を聞いていると、山内の彼女が涙ぐみ出した。さっきの事を思い出したに違いない。
沙奈と弥生に慰められながら、山内の彼女は怪我をしていない方の手で顔を覆った。
山内の彼女に包帯が巻き終わった時だった。カーテンの奥で人が起きる気配がした。
意識を失っていた生徒が気付いたのだろう。ゆっくりとカーテンが開いた。フワッと甘い匂いが漂う。
怪我を負った4人の生徒達の肩がビクッと震えた。そして、そのまま怯えた様に一歩ずつ下がる。山内の彼女に至っては、座っていた椅から立ち上がった勢いで、その椅子を倒してしまった。
カーテンの間から覗いた顔を見て、俺は納得した。
そこから出て来たのは、この学園一の有名人。
須田愛海だった。