第11話 弥生2
沙奈が走り出してすぐ、哲平が縛られていた鈴蘭テープを力尽くで引き千切り後を追った。
私も追いかけようとしたものの、クラスメート達に抑えられて行く事が出来ない。
「離してよ。何で止めるの?」
「兵達が追います。ミアナ様はこちらへ」
抵抗する私に、クラスメートはそう言った。そのクラスメートの真剣な表情に、憮然としながらも納得する自分がいた。友達同士の会話としてかなりおかしな事を言われているのに、真面目に聞いてしまう自分に違和感を感じる。
兵って何?
そう思う私の横で、1人のクラスメートと、そのクラスメートに従う様に何人かの生徒達が纏って、沙奈と哲平が走り去った方向へと走って行った。彼等がその『兵』なのだろうか。
反応が遅い。
何故か、私はそう思った。
強引ではあったが、真剣そのもののクラスメート達に無為に逆らう気も起こらず、結局私は彼等に勧められるままに、訳も分からず体育館へと向かう。
1、2年の教室を通り過ぎて歩いて行く。廊下で誰かとすれ違う度に、みんながみんな道を開けてくれる。中には頭を下げる生徒もいた。
本当に、一体全体何なのだ。
そう思うのと同時に、校舎の切れ目や通用口、広く開け放たれた窓等が気になって仕方がない。
警備が甘い。
そんな考えが湧き上がる。『これではいけない』と、不安が募る。
沙奈と哲平の事を気にしつつ、不安と心配で胸がいっぱいになった頃合に体育館に着いた。
高い天井の広々とした空間は見通しが良い。各出入り口や通風口、大きな窓の前には見張りの兵が配置されていて警備の目を光らせている。
舞台の上には、保健室前で別れたばかりの剣道部の先輩を始め多くの生徒や教師が集まっていた。学校行事の為では無い事がすぐに分かる。先輩、後輩、教師の区切りが外され、全く別の階級に分けられているようだった。
その真ん中で指示を出しているのが剣道部の先輩。高嶺スバルと言っただろうか。彼と、彼の周りの教師生徒達が、他の者達をまとめ、話を聞き、このよく分からない事態の収拾に努めている。そんな風に見える。
私は、高嶺先輩や彼の周りの人達を見て、視界の揺らぎを感じた。ふらつき足元が覚束なくなり、横のクラスメートに支えられる。
「関係の深い人や、思い入れのある人が『入っている』人を見ると、そうなるようです」
支えてくれたその子が言った。
「そうして、段々と思い出します。あちら側の世界の事」
「・・・あちら側?」
視点が定まらない。周囲の音もぼやけて聴こえ始める。
「最初は夢。午前中に、あちら側で暮らす人の生活の様子を夢で見ました。起きてからクラスメートの一部に、夢の中での知り合いがいる事に気付きました。そして、あの方を見て、視界と音に揺らぎが起こって、弾ける様に全てを思い出しました」
その子の視線の先には、高嶺先輩がいた。数学の教師が先輩に何かの資料を見せて、それに対して周囲の人と話し合っているのが、ぼんやりとした視界の中に映る。
「・・・思い出す・・・」
「きっともうすぐですよ。アスラン様が居られますから」
徐々に戻る視界。
ハッキリ見える高嶺先輩。
重なって見えるのは、見慣れた逞しい背中。
そう、彼は・・・
アスラン。
物心ついた時には、いつも横に彼が居た。年の離れた兄の様な人。
早くに両親を亡くした私にとって、肉親は祖母だけだった。けれども祖母は、市長というとても忙しい仕事に着いていた。
手の掛かる幼い私の面倒を見る事は困難だったのだろう。私は、縁のあった彼の母に預けられ育てられた。
障害があった私に、彼と彼の母は深い愛情を注ぎ、何不自由無く育ててくれた。大きくなった今でも、その恩を感じない日は無い。
私が10歳になった時、彼の母は私に教えてくれた。私の両親の死について。
魔物。
それはいつの間にか現れた人の敵。
美しい見た目と甘い匂いで人を惑わせて、攫って食糧とする人では無い生き物。
長い間魔物達は、自分達が生きる糧として食べる分だけを攫って食べているのだろうと思われていた。実際には分からない事だが、少なくとも無差別的な殺戮の様な真似はしていなかった。
それが、ある時期を境に人を攫う事なく殺め、攻め入る様になってきた。その原因が、ある1人の魔物の存在によるものらしいと分かったのは、丁度私が生まれた頃だったそうだ。
『マリカ』
そう名付けられた魔物。
天災に女性の名前を付けるという文化が、隣国から入って来て流行り始めた頃だった。竜巻や砂嵐、洪水、そして魔物にも付けられた。
当時の魔物は5つの勢力に分かれており、それぞれの名前が『リリアナ』『グエン』『ジーナ』『ライザ』『マリカ』。初めは魔物の勢力に付けられた名前だった。
後に、勢力毎に女王が在り、女王を中心に兵隊が在り、全てが雌という昆虫の様な構図だという事が分かって来ると、その名は女王を指すようになったのだという。
その中の1人、5人の中で1番最後に誕生したと言われる勢力の、その女王の名前が『マリカ』。
彼女の登場と、その勢力の拡大により、世界は変わった。魔物同士での争いが起こり、5つあった勢力は3つに減り、そして後にマリカは人里を襲う様になった。食の為では無く、その住処である場所を奪う為に。
多くの市が襲われ奪われていった。次々と奪われる領土。私達の住む市も攻撃を受けた。その攻撃で、私の両親の命は奪われたのだ、と。
それを聞いた時、十分に理解出来る年になっていた私は、体の中から静かながらも湧き上がる物を感じた。
私は奪われたのだ。何よりも大切な者を。得て当然の幸せを。この身に受けるべき愛情を。
祖母も、子供とその伴侶を奪われたのだ。市民は、次代の市長を奪われた。
両親だけでは無い。もっと多くの命が奪われた。いや、奪われ続けているのだ。不条理に。不等な占領欲の為に。
私はそれを許せない。いや、許してはいけない。
さっき保健室で見た『アレ』は何だ?魔物では無いのか?魔物、しかも『マリカ』であったのでは無いか?
私は何度も見たはずだ。『マリカ』本人を。戦地で、市街で、私の部屋で。
あの日、幾度も『マリカ』の侵略を阻止した私を殺しに、私の部屋にやって来たではないか。側近を送り込み、アスランが出て来た為敵わないと側近を止めに来た、ひと回り小さな魔物。あの魔物の気配。覚えている。忘れられる訳もない。
今現在、知らない世界で見知らぬ娘の体の中に閉じ込められたこの状態。何が起こっているのか見当もつかないが、アレを放って置けない。捕らえなければならない。
「アスラン!」
私は大声で呼び掛けた。振り向く彼。そのまますぐに側まで来る。
周囲の生徒、教師等が跪く。