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7.勧誘されました

 噛み締めるように言った男の頭に、クロが素早く手刀を入れる。


「痛っ!?」

「初対面の人間を『お前』呼びとは何様だ。敬意くらい持てんのか、お前は」

「清々しいほどの棚上げだな……」


 男はこほんと一つ咳払いをすると、服の皺を伸ばしてティナに向き直った。


「無礼を失礼、お嬢様。……つっても、君の名前はもう知ってんだ。ティナ・シストロイズ、だろ?」

「……えっ?」

「気を悪くするかもしんねえが、大体察してる通り俺は随分前から君をつけてた。……あの森ではなぜか突然見失っちまったんだけど」


(ぜ、絶対クロに乗って飛んだからだ……)


 念の為、森の奥でも透明化の魔法を発動しておいてよかった。でなければ今頃竜発見で大騒ぎだと震えるティナを横目に、一応この国では禁忌の存在であるクロがフンと鼻を鳴らす。


「で? そんなストーカーが僕たちに何を?」

「お前に用があるわけじゃねえよ、浪人。……そもそもお前誰だ? 名前はなんだ」

「は? 何を貴様に名乗る必要がある」

「俺はお嬢様に用があるんだ。名乗りもしないなら黙ってろ。……なあお嬢様、こいつ君のなんなんだ? 絡まれてるだけじゃねえよな?」

「へっ!?」


 一番触れられたくなかったことを問われ、ティナは「ひぐ」と喉の奥から呻き声を上げた。どう答えよう。


 クロが自分にとってなんなのか。正直に答えるなら『お父さんが長年の研究の末見つけた竜』なのだが、まさか素直にそう答えるわけにもいかない。


「あ、えっと、ク、クロは、あの……」

「クロ? 珍しい名前だな」

「あっえと、違くて! ク……クロード! クロードです! クロード・シストロイズ!」


 とりあえず思いついた名前を適当にでっちあげると、男は不思議そうに首を傾げる。


「シストロイズ……親戚なのか?」

「旦那だ」

「おおおおおおお兄ちゃんです!」


 慌ててクロの口を塞ぎ、ティナは大して動いてもいないのにゼェハァと荒く息を吐いた。この竜、喋れば喋るほど墓穴を掘る。


 だが男の方は奇跡的に納得してくれたらしい。顎に手を当てると、ふむと一つ頷いた。


「なるほど、兄か。なら仕方ねえ」

「ハ、ハハ……何よりです……」

ひは(ティナ)ははへ(はなせ)

「それで、俺が君をつけていた理由なんだが」


 そこで一度言葉を区切り、男はまっすぐティナを見つめる。やたらと真剣な眼差しに射抜かれ、ティナは思わず姿勢を正した。


 南部の森からこんなところまでティナを追ってきたのだ。深く考えなくたって、何か特別な用件があることは理解できる。


(ま、まさか、魔法省の人だったりしないよね……?)


 途端に最悪の想像が頭をよぎって、ティナはぶるりと肩を震わせた。でもありえる話だ。横領の話は全くの冤罪であるとはいえ、ティナが魔法省の支部を解雇されたことに間違いはない。


(ど、どうしよう……。わたし横領で捕まったりするの? でもあれは冤罪なのに)


 ばくばくと心臓が音を立てる。そうなったらいよいよクロと国外逃亡に踏み切るしかない。


 ティナが耐えきれずぎゅっと目を瞑ると、男は綺麗な瞳をきらめかせて言った。



「うちの国で働かないか。君の力は国を変えると思うんだ」

「…………はい?」



 一体何を言ってるんだこの人。


 口をぽかんと開いたティナを、未だ口を塞がれたままのクロが咎めるような視線で見つめていた。



 ◇◇◇



 こんな道端で話すのもなんだし、という男の提案により、ティナたち3人は近くのカフェに移動した。


 港湾都市らしいおしゃれなカフェだ。こういうところに慣れていないティナはテラス席に座るだけで所作が硬くなってカップがガタガタ震えてしまうのだが、2人は何食わぬ顔で紅茶をぐびぐび飲んでいる。


 わたしの味方は君だけだよ……とティナがコップにぎゅうぎゅうに顔を突っ込んで水を飲むダリスを眺めていると、男が早速切り出した。


「それで、さっきの話なんだが」

「あっ、は、はい」

「俺はこの国の人間じゃない」


 そう言って、男は懐から手帳のようなものを取り出す。クロと2人で覗き込むと、どうやら要人が国境を越える際の許可証のようだった。


(……どの国の許可証だろう?)


「へえ、ヴァンタール帝国か。隣国だな」

「なんだ、見ただけでわかるのか?」

「そりゃあな。近隣諸国の押印くらい一般常識だろ? なあティナ」

「…………」


 確実にティナが大陸の事情に疎いのをわかって言っている。ティナはふいとそっぽを向いたが、しかし帝国のことはよく知っていた。


 ヴァンタール帝国は、ここエルン王国のおおよそ西に位置する国だ。


 その国土はエルン王国のおよそ2倍。


 豊富な資源と工学の発展、そして何より先進的な魔法研究により世界を牽引する大国であり、ティナも学生時代、帝国の論文を何度も読む機会があった。


(南部の田舎で育ったわたしにはまるで縁のないところだけど……)


 許可証と目の前の男とを見比べ、ティナは数度瞬きをした。彼がその帝国の人間だとして、なぜ田舎で暮らしていただけのティナに声をかけたのだろう。


 まさか新手の詐欺だろうか。疑わしくて目を細めると、それを察してか男が苦笑する。


「いや、怪しいのは承知の上だ。とにかく俺は帝国で──あー、魔法に関する仕事をしてるんだが」

「はあ……」

「ここ最近、帝国内で魔法生物に関する問題が増えてるんだ。それも専門家が手に負えねえくらいで、詳しい人に意見を貰おうって話になったんだが」

「それでティナに目をつけた、と?」


 紅茶を飲み干したクロがつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 男は頷き、鞄から紙を一枚取り出した。


 文字がびっしりと記されているそれは、どうやら凶暴化したフェンリルに関する報告書類らしい。概要をざっと眺めると、ティナは顎に手を当てた。


「帝国の北部にしか生息しないはずのフェンリルが、ここ最近町の方まで降りてきて暴れてるんだ」

「…………」

「それも突然で原因もわからねえ。うちの専門家は最近の天候悪化で食糧不足になって気性が荒くなったって言ってんだが、何か心当たりはないか?」


 フェンリルは、その警戒心の強さと、そもそもの数が少ないために研究が進んでいない魔法生物だ。


 だがその毛は魔力によって変色する性質を持ち、それが竜の鱗に似ているという理由で、ティナの父アステルは盛んにフェンリルの研究を行っていた。


 つまり、父の研究成果を読んで知っているティナには十分すぎるほどフェンリルへの知識がある。


 数秒押し黙ったあと、ティナはぽつぽつと呟き始めた。


「フェンリル……は、もともと臆病で……。暴れることなんて滅多にないんです」

「ほう?」

「だからあの、彼らが町に下りてきた理由を考えるなら、気性が荒くなったとかではなくて…………て、帝国の環境が悪いんじゃないかなって」

「…………」

「ひっ! ご、ごごごごめんなさいっ!」


 途端に男の表情が苦々しく歪み、怯えたティナは椅子ごと思いっきり後ずさりした。ついうっかり帝国の人の前で帝国の悪口を言ってしまった。


(で、でも、わたしの思った通りならフェンリルたちが可哀想で仕方なくてぇっ!)


「いや……構わない。続けてくれ」

「で、でも……」

「お嬢様に意見を聞いたのは俺だ。何か問題があるなら、それが国だろうとなんだろうと全て教えてくれ」


 おずおずと視線を上げると、男は思いのほか真剣な表情でティナの言葉を待っている。


 どうやら本当に怒る気はないらしい。


 それにホッとしつつ、ティナは続けた。


「えと……て、帝国って、魔法工学の発展が素晴らしいと思うんですけど」

「悪口を言った直後にごまを擦っても変わらんぞ」

「クロは静かにしてて! ……それで、あの、帝国は北部にも研究施設がありますよね?」

「ああ、ここ2年くらいで特に増えたな」

「はい。そこから出る魔力なんかが、フェンリルたちに影響を与えてるのかな、って」


 膝の上に置いた両手をきゅっと握る。

 ティナは深く息を吸った。


「か……過剰な魔力は、フェンリルにとって毒なんです。自分の許容量を超えた魔力を浴びると、敏感な彼らはどうしても苦しくなっちゃう」

「…………」

「だから、その……魔法工学の研究施設から漏れ出た魔力が、空気に乗って長い時間をかけて彼らを蝕んでいったんだと思います。……それで堪えきれずに町の方へ移動したのかなって」


 辿々しいながらも自分の意見を話し合え、ティナはカラカラの喉を潤すため紅茶を喉に流し込んだ。


(……もしこの予想が当たってたら、フェンリルたちは辛かっただろうな。許容量を超えた魔力を少しずつ浴びて、日に日に苦しくなっていくなんて)


 ヴァンタール帝国は豊かな国だが、その発展の裏で犠牲になっているものも多い。


 今回のフェンリルの件だってその一つに過ぎないのだろう。ティナが心を痛めていると、それまで押し黙っていた男が「おお……」と感嘆の声を上げた。


「流石、俺の見込んだ通りだ。すぐ北部の状況を詳しく調べさせる」

「あ、な、なによりです……」

「それに確信した。──やっぱり俺は君が欲しい」

「ヒェッ!?」


 歯の浮くセリフと共に顔を近付けられ、ティナは喉の奥から悲鳴を上げた。


 すると間髪入れずクロの手刀が飛び、男の額から骨の軋む音が響く。

 倒れる勢いで立ち上がり、ティナは慌ててクロの背に隠れた。


「おい、許可もなく近付くなド変態。次は殺すぞ」

「だからお前に話してるわけじゃねえよ、お兄様。俺が欲しいのはティナ・シストロイズだ」

「……この僕が、いつお前のお兄様になったんだ……?」


 クロが綺麗な顔を思い切り歪めて凄み、しかし男の方は平然とした表情を崩さない。


 男はクロの背でぶるぶる震えるティナと屈んで目線を合わせると、真剣な声色で言った。


「俺の見込みに間違いはなかった」


 パーシヴァルの凛とした瞳が、まっすぐティナを見据える。


「帝国の観測班も、フェンリルの暴走原因を掴みかねていた。だが、君の推察は極めて整合的だ。魔法生物に関する深い理解と倫理的な視点を併せ持っている」

「そ、そんなことは……」

「この見解は、すぐに報告書に記載する。──君の言葉が、政策を変える可能性がある」


 その言葉に、ティナは思わず息を呑んだ。

 まるで夢のようだが、パーシヴァルの目は真剣だった。


「なあお嬢様、これは国からの正式な依頼として聞いてほしい。ぜひ帝国に力を貸してくれないか。帝国には、君のような視点が必要だし、俺は君に──アステル先生の娘に、これ以上なく期待してる」

「!」

「悪い、君のことは結構知ってるんだ。アステル・シストロイズって言ったら魔法生物学の偉人だろ? エルンじゃ禁忌の研究者だなんだって言われてるが、帝国は先生を評価してる」

「……お父さん、を?」


 突然飛び出た父の名に、ティナは目を見開く。


 父。アステル・シストロイズ。


 魔法生物学界に多大な功績を残したにも関わらず、竜の研究を行ったというだけで悪口ばかり言われていた研究者だ。彼の名を呼ぶ時、エルン王国の研究者は大抵失笑する。


 ──せっかく才能があったのに、竜の研究一つで人生を終わらせるなんて。


 ──あんな馬鹿を見るのは生まれて初めてだよ。竜なんぞに執着しなきゃ、もう少しマシな暮らしができただろうに。


(……お父さんを、評価してくれた)


 そうやって誰もが笑うアステル・シストロイズの名を、彼が認めてくれた。


 父の研究に誰よりも誇りを持っていたティナが心を揺らすには、それで十分だった。


「それに、あー……今は求職中なんだろ? 着いてきてくれるって言うならそれなりの給金は出してやれるし、寮に入るなら生活費の心配もない」

「えっ」

「残業もゼロ、週休は3日。君の願いなら大抵聞いてやる。……なあ、どうだ? 来てくれるか?」


 綺麗な顔を不安げに歪め、男は首を傾げた。魔法省の南部第3支部で働いていた頃とは比べ物にならない、破格の条件だ。


 でもどうしよう。ティナは男の瞳を見上げ、今度はクロの方を見やり──ぎゅっと唇を結ぶ。


 クロはいつも通りの、ちょっと不機嫌そうな顔でティナを見ていた。ティナのことなのだから自分で選べと、暗にそう言われている気がする。


(わ、わたしが、選ばなきゃ……)


 きゅっと拳を握る。

 数秒の沈黙のあと、ティナは震える声で言った。



「…………じ、条件を、出していいですか」

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