6.就活、始めます!
更に1時間ほど空を飛び、ティナとクロは南部最大の都市ビアレイにやってきた。
港湾都市であるビアレイは貿易が盛んで、そして何より人が多い。
仕事とは人がいるところに集まるものだ。そんな期待を込めて近くの森に降り立つと、ティナは人間に変身したクロを引き連れて職業斡旋所に向かった。
「えっ、じ、事務仕事は残ってない……?」
「そうなのよ〜。ビアレイにも人が増えてねえ」
──が、ティナに待っていたのは仕事ではなく、就活の厳しい現実だった。
「ほら、南部の田舎で育った女の子は都会を求めてみんなこっちに移住してくるでしょう? そういう子たちってみんな事務をやりたがるのよねえ」
「はあ……」
「おかげで書類仕事なんかはもう退職待ちの状態で。あっ、でもどうしてもビアレイで働きたいって言うなら一個あるわよ。男性とお話ししてお酒を注文してもらう接客業なんだけど──」
「け、けけけ結構ですっ!」
ちぎれる勢いで首を振り、ティナは「うう」と項垂れる。……盲点だった。
確かに人のいる場所には仕事が集まるが、そう考えるのはティナだけではないのだ。ため息を吐くと、尊大な態度で椅子に座るクロがフンと鼻を鳴らした。
「まあ、非力なお前じゃ力仕事もできんだろうしな。諦めて別の町にでも行けばいい」
「で、でも……」
「あ、でもお兄さんくらいカッコいい人ならどこも大歓迎よ! 特にこの貿易会社のオーナーがイケメン好きでねえ、なんとイケメンは給料5割増し!」
「黙れ。不敬だぞ」
竜らしい理不尽な物言いである。クロは「もったいない」だの「どうせならウチで働いてくれても」だのと食い下がる斡旋所の職員を無視し、へこむティナを引きずって建物を出た。
「……ビアレイでこれなら、他の町も事務仕事は余ってないだろうなあ」
ぼんやり人気のない道を歩きつつ、ティナは路傍の小石を蹴る。
「どうだろうな。王都にでも行ってみるか?」
「王都かあ。でもあそこは魔法省の権力が一番強い場所だし……」
もしかすると、既にティナの悪評が広まっているかもしれない。
そう口にしようとして、ティナはぱたりと足を止めた。
「どうした?」
「あ、ううん。人の足音に混じって、魔法生物の鳴き声が聞こえたような気がして……」
気のせいだろうか。
そう振り返った、その瞬間だ。
「へえ、すげえな。こっちは音を立てないよう気張ってたのに、平然と聞き取るのか」
「〈風よ〉」
「うわッ!?」
突然上の方から声がした――と思えば、ティナがそちらを向く前に、隣のクロが風魔法を唱えた。
屋根の上に立っていた何者かはそのまま吹き飛ばされ、顔面から盛大に地面に着地する。ティナは思わず「ひっ!」と顔を覆った。
「ちょっ……、クロ! 何してるの!」
「襲いかかってきたから撃退したんだ。何の問題がある?」
「ありすぎるでしょう……! し、死んじゃったりしてたらどうするの!」
「は? お前に害を為す悪人は死ぬべきだよな」
「そういうことじゃないよ!」
やはり倫理観に欠けるクロを放り、ティナは慌てて男に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか……!? 鼻血出てますけど……」
そして男の傍らにしゃがみ込むと、思わず「うっ」と呻き声を上げた。
(こ、このひと、身に付けてるものが全部高価……!)
服装からアクセサリーに至るまで、男の格好は、平民のティナが見てもわかるほど値打ちのあるものばかりだった。
高価なものを身に付けたがるマクエルでさえ、こうも緻密な刺繍がなされた服には手を出さない。もう間違いなく途方もないお金持ちだ。
(どうしよう、ただでさえ無一文なのに偉い人を怒らせたりなんかしたら……)
ティナの額を冷や汗が伝う。洋服のクリーニング代なんて今の自分には出せやしないし、それどころか不敬罪で投獄なんてことも――。
「ああ、わりい。大丈夫だ」
「ァエッ、あの……」
「ご心配どうも、お嬢様」
泡を吹いて倒れそうなティナをよそに、鼻から下を血まみれにした男は思いの外元気そうに起き上がった。
そして言葉通り『大丈夫』らしい。
いかにも高そうな服の袖で鼻血を拭うと、けろっとした様子で続けた。
「そんな顔するな。本当に大丈夫なんだ、こいつが風魔法で守ってくれたから」
「こ、こいつ……?」
「ああ、俺の相棒。『ダリス』っていうんだ」
男が軽く合図をすると、彼の背後から、小さな魔法生物が姿を現した。
(! ウガルルム科……)
獅子のような見た目をした、足に4枚の爪を持つ生物だ。
全長は約40cm。幼いのか小型だが、ティナにもよく見覚えがある。
「マンティコア、ですか?」
「! ああ。よくわかるな、こいつまだ子供なのに」
「爪、まだ短いんですね。……生後半年くらいかな」
「…………本当にすげえな」
偶爪目・ウガルルム科の一種、マンティコア。
非常に高い知能を持つ、世界でも珍しい魔法生物だ。成長すれば人間と同じくらいの大きさになり、生後およそ5年を境に、翼を生やすことでも知られている。
その生態には謎も多く、魔法生物オタクとしては非常に興味深い。
ティナは警戒姿勢をとるマンティコア――ダリスをじっと見つめた。
(羽が生えてない幼生期のマンティコアは初めて見るな……。後天的に翼が生えてくる種族って本当に珍しいし、何より不思議なのが、マンティコアの羽を構成する細胞が、幼生期のマンティコアには全く確認できないっていう話で)
「そんで、俺実は用が──……お嬢様?」
(ブリッツマン教授の実験で『5年の年月をかけて成長した体内器官が細胞を生み出している』って結論が出たけど、全く新しい細胞を生み出すって構造的に可能なのかな。何かしらの拒否反応が出てもおかしくないし、そうなると私としてはマンティコアの羽って本来は異物なんじゃないかって説が)
「お嬢様? ……ダリスがどうかしたか?」
「はあ……」
思考に没頭し、ぱたりと喋らなくなったティナ。
首を傾げて戸惑う男とは対照的に、クロは呆れたように肩を落とした。
ティナはいつもこうだった。魔法生物を愛するあまり、そのことを考え始めると、まともに他人の話を聞かずに熟考を始めてしまう。
「これだからこいつは……」
こうなっては仕方ない。ひとつ文句を零し、クロはダリスの首根っこを引っ掴んで持ち上げた。こういう時は物理的に視線を外してやるのが一番良い。
案の定、ティナはハッとした様子で瞬きを繰り返した。
「あ、ち、ちょっと、何してるのクロ……!」
「で? そっちのお前は、こんな魔法生物なんぞにこちらを監視させて一体何の用だ? 僕たちは怪しい者じゃないんだが」
「ああ、気分を害したなら悪いな、浪人。でも用があるのはそこのお嬢様だけなんだ――〈火花よ〉」
クロの目の前で火花が弾け、反射的に開いた手からダリスの身体が離れる。
華麗に着地したダリスはキャウキャウと吠えた。可愛い。
(でも、ウガルルム科って最近どこかで……)
聞いたような気がする。
さて一体どこだったかと記憶を漁り始めたティナの隣で、クロがハッと嘲笑した。
「ほお……、初対面の者にいきなり魔法を使うとは。あの男爵馬鹿ドラ息子とよく似た無礼者がいたものだな?」
「どの口が言ってんだよ。それとも何だ、他人の相棒を粗雑に扱うのは無礼じゃねえ、って?」
「ああそうか、それは大変失礼なことをしたな。許せ、僕にはお前の相棒が愛し子に群がる羽虫に見えたんだ」
「……なるほど、随分と目がわりいんだな。きっと悪いものが憑いてるんだ、神殿にでも行ったらどうだ? そんで懺悔室に籠って真人間になれ」
「あ、ウガルルム科!」
途端に険悪な雰囲気になった2人をよそに、既視感の正体に気がついたティナはぱちりと手を叩く。
「いきなり何だ、ティナ」
「あ、いや……えっと、さっき森の奥でウガルルム科の気配を感じたなって思って。……あの、さ、さっきもわたしのこと、見てましたか?」
思えば、先ほどクロとサンドイッチを食べたあの森で感じた気配もウガルルム科のものだったはずだ。音の響きからして、サイズ感もきっとダリスと同じくらいだろう。
おずおずと尋ねると、男は一瞬目を見開き、しかしすぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「……すげえな、お前。俺の見込んだ通りだ」