4.その婚約破棄には、相応のリスクがある
間に合ってなどいない。人死にが出なかったとはいえ竜鷲の被害は甚大で、何より目の前で唖然とするマクエルは片腕が吹き飛ばされている。
(よかった、よかった、うまくやれた……!)
しかし、連日の激務で視力を悪くしていたティナはそれに気が付いていなかった。
それどころか、目の前の人影がマクエルだなんて夢にも思っていない。
対して全てを理解しているクロは小さく鼻を鳴らすと、すっかり怯えきったマクエルに視線をやった。片腕を失ったマクエルは、震えながらティナとクロを睨みつけている。
「お、お前っ、て、ティ、ティ、ナ、ティナっ……!」
それどころかティナの名を口にしたものだから、クロは一睨みしてマクエルを黙らせてやった。
世の中には知らなくていいこともあるものだ。首を傾げたティナに「何でもない」と首を振ると、クロは翼をはためかせた。
「それよりティナ、休んでる暇はないぞ。もうすぐ魔法省の人間が来る」
「えっ?」
「僕の透明化の魔法は万能じゃないんだ。ある程度近づいたら見えてしまうし、さっさとここを出よう。他の奴に姿を見られると面倒だ」
「え、で、でも……あそこで倒れてる人は?」
ティナの右手が、ブルブルと震えるマクエルを示す。
クロはそんな哀れな元婚約者を見据えると、「ハッ」と一つバカにしたように笑った。
「大丈夫だ、気絶してる。竜鷲も逃げたし、ここに長居する理由もないだろう」
未だしっかりと目を開いているマクエルを前に大嘘をつき、クロは空高く飛び立った。
もうマクエルに割いてやる時間などないのだ。疑うことを知らないティナはほっと息をつき、穏やかな手つきでクロの背を撫でる。
「ありがとう、クロ。おかげで助かっちゃった」
「追い払ったのはお前だろう。竜鷲が光に弱いなんて僕も知らなかったぞ」
「お父さんの本に書いてあったのを思い出したの。……お父さん、特に『竜』って名前が付いた魔法生物のことは詳しく調べてたから」
ティナを助けてくれるのはいつだって父の教えだ。ティナは懐に杖をしまうと、もう一度深く安堵の息を吐いた。
(ふう、ぶっつけ本番だったけどなんとかなった……)
ついさっきのことだ。上空から竜鷲を見つけたあと、ティナは取り出した杖で光魔法を発動させた。
竜鷲は光に弱い。魔法にはあまり自信がないティナだがそれでも効果はあったようで、竜鷲は一瞬動きを止めた。その隙を逃さずクロが風を起こして威嚇し──紙一重のところで竜鷲を追い払うことができたのだ。
判断がもう少し遅れていれば、あそこで倒れていた人の命もなかったことだろう。
禁忌と呼ばれた研究も人の役に立つのだ。ティナがこっそり頬を緩めると、クロが不満そうに眉を寄せた。
「おい、喜ぶのはまだ早いぞ。問題は一つも解決してないだろ」
「えっ?」
「お前、職を探すために僕を呼んだんだろう? 次に向かうのは職業案内所か?」
「あ、そ、そうだった……! まずはお仕事見つけなきゃ……」
すっかり忘れていた。今のティナは、職もお金も宿もない極限状態なのだ。
(……でも)
魔法に自信はなかった。咄嗟の判断も、当たっていたかは分からなかった。
それでも、竜鷲を追い払えたのは、わたしが知っていて、考えて、選んだ行動だった。
父の教えと、これまでの勉強と、そしてあの場の決断が繋がって──誰かの命を救えた。
(……こんなわたしでも、誰かの役に立てるんだ)
胸の奥が、小さな灯がともったかのように温かくなる。
けれど、竜鷲を追いやったところで誰かが報酬をくれるわけでもないし、現実は相変わらず厳しい。
ティナは途端に憂鬱な気分になり、「うう」とため息を吐いた。
「まあ、そう悲嘆することじゃない。せっかく自由になれたんだろう?」
そんなティナを見かねてか、クロが得意げに言う。
「今までは余計なのが近くにいたせいでまともに会えやしなかったが、今後は僕も一緒にいてやれるさ。職くらいどうにかなるだろ」
「えっ、本当……!? 心強いかも……!」
「馬鹿、『かも』じゃない。心強いんだ」
咎めるように羽を動かしたクロに笑いかけ、ティナは視線を上げた。山地から離れた市街地では、市民がいつも通りわいわいと暮らしている。
竜鷲が現れたことなど誰も知らない、いつも通りの穏やかな町並みだ。慣れ親しんだ愛しい風景だけれど、でも悪評の広まったティナはここから出なくてはならない。
これが最後だからと景色を目に焼き付け、ティナは心地よい風に目を細めた。
これからどうしよう。お金も何もないけれど、どう生きていこう。
でも、クロが一緒にいてくれるなら何かうまくいくような気がする。
(今度暮らすなら、どこか穏やかなところがいいなあ。魔法生物に囲まれながらゆっくり過ごしたい……)
そうぼんやり空想するティナは知らない。
これから自分に巻き起こる出来事も、そしてマクエルたちに降りかかる報いも──何もかも、ティナは知る由もなかったのだ。
以上までが短編の内容となります!
次回からはタイトル通り就活が始まりますので、
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