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21.グリフォン飼育場

 帝都の街が人々の賑わいで満ち始める昼下がり、ティナたち一行は、南の飼育場へ向けて出発した。


 移動には馬車を使用する。

 それも宮廷が用意した豪勢な特別車だったが、ティナはそれよりも、馬車を引くスレイプニルに夢中だった。


 スレイプニルは、八本の足を持つ馬に似た魔法生物だ。その珍しさゆえ目にする機会も少なく、ティナは観察したいがあまりたびたび窓から首を出し、フェリィに「危ない!」と叱られた。


 宮廷を出発して間もなくすると、車窓からは活気ある帝都の街並みが見えてくる。


 帝都名物のお菓子を売る露店、道を駆ける子ども、芸を披露して拍手を受ける者──そのどれもが新鮮で、ティナはふと、つい最近まで暮らしていた王国の田舎町を思い出した。


(……ここに来れてよかったな)


 あのまま王国にいたら、ティナはきっとまともな職にも就けず、うじうじと悩んだまま路頭に迷っていただろう。


 大好きな魔法生物とも触れ合えず、生きる意味だって見出せていなかったはずだ。そう思うと今こうして好きなことを職にできているのが奇跡のようで、ティナは無意識のうちに右腕のブレスレットに触れた。


 父アステルがクロの鱗で作ったこれは、クロとティナとを繋ぐ大切なものだ。


 このブレスレットでクロを呼び出さなければ、〈竜鷲〉の一件はきっとどうにもできなかっただろう。


 何より、クロがいなければ新しい人生を歩むこともなかったはずだ。そう思うと途端に恐ろしく思えて、ティナはブレスレットをきゅっと握った。


「どうした?」


 ティナの様子に気付いたらしいクロが小声で尋ねる。


「あ、ううん。えぇっと……」


 ティナは慌てて首を振り、そこでハッとしてフェリィの様子を窺った。事情を知らない彼女の前では余計なことを話さない方がいいかと思ったが、フェリィは膝の上に乗せたきゅーちゃんを、どこか険しい表情でおそるおそると撫でている。


 どうやらカーバンクルに興味があるらしい。しかし肝心のきゅーちゃんはと言うと、フェリィのぎこちない手つきが不満なのか「きゅふぅ……」という声を漏らしていた。


 そのちぐはぐな光景にティナは思わず苦笑し、クロに向き直る。


「ううん、なんでも。……このブレスレット、マクエル様に取られてなくて良かったな、って」

「ブレスレット?」

「うん。……これまで取られていたら、きっと帝国に来ることもなかったから」


 両親の遺産は奪われてしまったけれど、せめてこれだけは守れてよかった。

 そうティナが微笑むと、クロはフンと鼻を鳴らした。


「どうせ、お前以外が持っていたところで意味のないものだ」

「……そうなの?」

「ああ。父親がノートに書いていただろ」


 ノート。フェリィの存在を気にしてか曖昧に濁すクロの言葉に、ティナはふと思い出した。


(あ……そういえば書いてあったかも。『竜の身体から分かたれたものは、その竜と強い繋がりを持つ者、あるいは竜自身が力を認めた者でなければ、本当の力を引き出すことはできない。』……)


 そしてこうとも書かれていたはずだ。『もし資格なき者が無理に扱おうとすれば、周囲に害をなすだけでなく、竜自身にも大きな負荷を与える』。


「仕事前に関係のない雑談とは、また随分と余裕がおありのようで」


 つまり、クロの鱗で作られたブレスレットは、ティナ以外が使用しても力を発揮できないということである。


 なるほどなあとティナが納得していると、いつの間にかきゅーちゃんに逃げられたらしいフェリィが不機嫌そうに口を挟んだ。ティナは慌てて両手を振る。


「あ、す、すみません、つい……! そうですよね、わたしもフェリィさんともお話したいです」

「……えっ? あ、いや、そういうことじゃ──」

「フェリィさんはその、趣味とかは、ありますか? よろしければ、魔導学院のお話も聞きたいな……」


 フェリィも話に加わりたかったのだろう。仲間はずれにしてしまって申し訳ない、と妙な勘違いをするティナの耳には、フェリィの否定も届いていない。


 やがて諦めたフェリィが出身校である中央魔導学院の話を気持ちよさそうに語り始めたところで、馬車が目的地に到着した。


 帝都の南にあるグリフォンの飼育場は、自然に囲まれた小高い丘の上に、広大な敷地を持っていた。


 施設の門をくぐると、壮年の男性が三人を出迎えた。胸に飼育員長の徽章をつけた、グスタフと名乗るその男性の顔には、深い疲労の色が刻まれている。


「ティナ様、クロード様、フェリィ様。お待ちしておりました。このような事態になってしまい、面目次第もございません……」

「あ、そ、そんな……! えと、大変でしたよね。詳しい状況を教えていただけますか?」


 ティナが促すと、グスタフは重々しく頷いた。


「はい……それが、一週間ほど前に数羽の食欲不振がありまして。それだけなら対処できたのですが、ここ数日になって急に凶暴化して手に負えなくなる個体と、逆にぐったりと衰弱して飛ぶこともできなくなる個体が続出しまして……。既に全体の四割が何らかの異常をきたしております。帝都への急ぎの郵便物も遅れが出ており、昨日ようやく宮廷へ緊急報告を……」


 遠くから、グリフォンのものらしき、苦しげな、あるいは苛立った高い鳴き声が風に乗って聞こえてくる。本来ならば誇り高い彼らの咆哮が響き渡るはずの場所は、今は重く沈んだ空気に支配されていた。


 フェリィは、グスタフの説明を冷静に聞きながら手元のメモ帳に何かを書き留め、鋭い視線で尋ねる。


「発生の時系列を正確に教えてください。それと症状の進行速度に個体差は? 最近変更した飼料、水質データなどもいただけますか?」


 矢継ぎ早の質問に、グスタフはやや戸惑いながらも誠実に答えていく。


(数日で、全体の四割が一斉に……? あまりにも急激だし、凶暴化と衰弱、症状が両極端なのも引っかかる。感染症だとしたら感染経路はどこだろう。郵便を届けに行った先で何かを貰っちゃったのかな)


 ティナは内心で首を捻りながら、グスタフに言った。


「あ、あのぅ……まずは、グリフォンたちの様子を直接見せていただけますか? 特に症状が出ている子たちを中心に、舎の中と、放飼場と、両方とも」

「ああ、もちろんです。ただ凶暴化している個体もおりますので、どうかお気をつけて」


 心労が絶えないのだろう。背中を丸めたグスタフの案内で獣舎へ向かう途中、「あの」とフェリィがティナの横に並んだ。


「もちろん個別の観察も重要ですが、同時多発的な異常となればやはり感染症の可能性を最優先で考慮すべきです。ただちに全個体の隔離レベルを引き上げ、詳細なサンプルを採取しなければ原因究明が遅れるでしょう。中央魔導学院の危機対応マニュアルにも同様のケーススタディが……」

「あ、は、はい。もちろんその可能性も考えます。……でもまずは、彼らを見てあげないと」


 やんわりと、しかし明確な意思を持って主張し、ティナは大股で飼育場を進んだ。


 案内された獣舎には、鉄格子で仕切られた区画ごとにグリフォンたちが収容されていた。


 あるものは力なく横たわり、浅い呼吸を繰り返している。またあるものは目を血走らせ、絶えず何かを威嚇するように金切り声を上げていた。


(どの子も、視線と呼吸が落ち着かない……。きっと苦しんでるんだ)


 フェリィが職員に指示を出してサンプル採取の準備を始めるのを横目に、ティナは一羽一羽の鉄格子の前にそっとかがみ込む。


「大丈夫、大丈夫……。ごめんね、知らない人が来て、怖いよね」


 それから赤子を相手にするような、柔らかな声で語りかけると、全身を注意深く観察した。

 羽の艶、瞳の光、呼吸の速さ、鉤爪の摩耗具合、その全てが、ティナにヒントを与えてくれる。


(衰弱したり暴れたり、症状は正反対だけど……でもなんだか、みんな得体の知らないものに酷く怯えているみたい。ずっと緊張してる……?)


 ティナは特に衰弱の激しい若いグリフォンの鉄格子に近付いた。


 隙間から左手を伸ばし、震える首筋をそっと撫でようとする。するとグリフォンがぴくりと動き、彼女の背後に、心配したクロが音もなく近づいてきた。


 その瞬間だ。

 獣舎全体の空気が一変し、それまでぐったりしていたグリフォンが、まるで電気に打たれたかのように金切り声をあげて飛び起き、鉄格子に体を打ち付けた。


「お、お下がりください! 危険です!」


 飼育員が叫び、クロがすんでのところでティナの襟首を掴んで引き寄せる。

 近くの区画のグリフォンたちも一斉に騒ぎ出し、獣舎は耳をつんざくような鳴き声と羽音で満たされた。


「ちょっと! クロードさん、あなた何をしたんですか!?」


 準備の手を止めたフェリィが叫ぶ。

 クロは忌々しげに舌を打った。その顔に、普段の余裕はない。


(……なんだろう、これ)


 そんなクロに襟首を引っ掴まれたまま、ティナはじっと暴れ出したグリフォンを見つめていた。


 グリフォンたちは少しずつ落ち着きを取り戻し、また力なく伏せたり、鉄格子の中を歩き回ったりしている。


「ねえ、クロ……」


 どうも不自然だ。未だ自分の襟首を掴むクロに意見を求めようと視線を上げたティナは、クロと視線が絡むなりぴたりと動きを止めた。


「クロ? ……ど、どうしたの?」


 彼の顔色が普段より明らかに青白い。

 額には脂汗が滲み、眉間に深く皺を寄せている。ティナは慌ててクロに向き直った。


「体調が悪い? 馬車に戻っていてもいいよ」

「なんでもない」


 クロはティナから目を逸らし、ぶっきらぼうに答える。


「人間の身体が脆弱なだけだ。僕に問題はないし、それよりあの鳥どもの方がよほど重症だろう」

「うそ」


 ティナは腕を伸ばすと、背の高い彼の両頬にそっと手を添えた。ひんやりとした感触が伝わってくる。

 ティナは、クロの瞳を真っ直ぐに見上げた。


「少しでも辛いなら休まなきゃだめだよ。それは人間も竜も変わらないでしょ?」


 クロの肩が微かに強張る。

 クロはティナの真剣な視線に一瞬たじろぐと、やがて諦めたように小さく、そして重く息を吐いた。


「……少し、頭が重い」

「うん」

「馬車に戻る。そばで守ってはやれないから、できる限り鉄格子には近付くな」


 そう言って頭にぽんと乗った手が、ティナにはどこか弱々しく感じられて仕方がなかった。

次回マクエル視点になります

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