20.今度の仕事も前途多難
新たな仕事を受けたティナ、クロ、そして新たに部下として紹介されたフェリィ・ロッドの三人は、謁見の間から下がったあと、離宮の一角に設けられたティナの研究室に移動した。
聞くに、他の宮廷学者たちはそれぞれの研究室に籠もり、日々研究に没頭しているというが、しかしティナは割り当てられたこの部屋をまともに使った試しがない。
この広い空間をどう使えばいいのかわからないからだ。書棚はともかく、所狭しと並べられたガラス器具や物々しい装置の数々なんかは触るだけで壊してしまいそうな気がする。
「あのぅ……お、お茶とか、淹れましょう、か?」
そんなわけで、帝国に来た日ぶりに研究室に足を踏み入れることとなったティナは、やや緊張感漂う空気の中でおずおずと口を開いた。
さっさとテーブルについたフェリィは、そんなティナを一瞥して首を振る。
「いえ、お茶会をしている時間はありませんから」
「あ、そ、そうですか……」
「それより、仕事の話が先でしょう? グリフォンの件、既に私が解決の糸口を掴んでいますから」
「えっ」
堂々と言い切るフェリィに、ティナはお茶を淹れようと手にしていたトレイを危うく取り落としかけた。
(グリフォンの様子が変わった原因、わたしは話を聞いただけじゃ見当がつかなかったけど……もしかしてすごい人?)
しかし早く解決できるに越したことはない。ティナがいそいそとテーブルにつくと、フェリィは満足げに笑みを浮かべたあと、一つ咳払いをして「その前に」と切り出した。
「一つよろしくて? 陛下はああ仰せでしたけれど、私はよその国からいらっしゃった方にやすやすと従う気はありません」
「……へっ?」
「この帝国を愛し、その発展に貢献したいと願うからこそです。あなたの若さと実績で、帝国の抱える魔法生物問題に対処できるとは思えませんし」
予想だにしなかったフェリィの言葉に、ティナは目を丸くする。
それと同時に、ふといつか皇帝であるローガンが言っていたことを思い出した。帝国の中には、他国からやって来たティナの抜擢を快く思わない者だっているのだ。
(……こ、こういうことかあ……)
フェリィの瞳には、レイラのような底意地の悪さとは異なる、純粋な信念のようなものが感じられ、それがかえってティナを言葉に詰まらせる。
「ほお、実績か」
そんな重たい沈黙を破ったのは、今まで押し黙っていたクロだった。
テーブルに頬杖をつくクロは、もう片方の手で、鞄から這い出てきたきゅーちゃんの耳を無造作にもてあそんでいる。「きゅー!」と抗議の声を上げるきゅーちゃんにフェリィの眉がぴくりと動いた。
「ならばつい最近、この帝国内で起きた厄介な密猟事件を見事に解決したばかりだが? 僕たちが華麗に子爵を捕らえた一件を知らないのか」
「それは伺っております。ですが、一地方都市の事件と、帝国全体の魔法生物問題とでは規模も複雑さも異なりますわ」
フェリィが一歩も引かずに言い返すと、クロは心底面白そうに口の端を吊り上げる。
「では、お前にはどれほどの実績があるんだ? まさか、誇らしげに語っていた学院を優秀な成績で卒業したのが宮仕えの実績だとでも言うつもりか?」
「なっ……! そ、それはっ! これから積み上げていくものだから!」
「おおおおお落ち着いてください二人ともっ!」
両手でテーブルを叩いたフェリィに空気が張り詰めるのを感じ、ティナは慌てて二人の間に割って入った。
「お、仰ることはわかります。他国の人間を受け入れられないというのも、……か、悲しいけど、そう思われるのも仕方ないですし」
「そうよね!? なのにこの男ってば──」
「で、でもっ、お仕事があるので! まずはそこを話し合いませんか!?」
汗びっしょりで仲裁するティナを前に、教師に言いつける子どものような調子でクロを指さしていたフェリィは、不服そうに口ごもりながら椅子に腰を下ろす。
「……ええ、そうしましょう。我々は子どもでないのですから、優先すべきなのは感情より任務です」
「なんだ、もう終わりか? 舐めた態度をとる割に威勢が良いだけだな」
「このっ──」
「もももももういいですからぁっ! わたしっ、フェリィさんのお話を聞きたいですっ!」
このままではまともな話し合いをするのに三時間はかかる。ティナが半泣きで訴えると、フェリィは『お話を聞きたい』という言葉に多少気をよくしたらしい。
小さく咳払いをすると、先ほど言った『解決の糸口』を丁寧に話し始めた。
「現地の環境、そして過去の類似した事例を踏まえて考えると、グリフォンの体調が変化した原因は間違いなく何らかの感染症です」
「……感染症?」
「よって、罹患個体と健康な個体の血液及び組織サンプルを送らせて検証すればこの件は簡単に終息します。幸いこの研究室には器具も揃っているようですし、念には念を入れて空気中の魔力濃度を計測させても良いかもしれません。中央魔導学院の研究では、魔法生物の突発的な体調変化には、微量な魔力の過不足が関与しているケースも報告されていますから」
つい数十秒前まで、クロを相手に憤慨していたとは思えぬほど饒舌な語り口である。
ティナはじっと考え込むと、一言「なるほど」と呟いた。フェリィは更に続ける。
「提出されたサンプルを検証するだけで目的が果たせるため、飼育場へ出向く必要もなく、作業の効率が上がります。すると空いた時間で新たな仕事にも取り組める」
「…………」
「そうなれば、ぜひ私一人で仕事をやらせてください。誰かの下につかずとも、私だけで十分な実績をあげられることを陛下に証明いたします」
胸を張り、フェリィは確かな意志を持った視線でティナを見据える。
しかしティナは、ゆっくりと首を横に振った。
「フェリィさんのご意見、大変参考になります。……ですが、わたしはまず現地のグリフォンたちの様子を見たいです」
「……と、仰いますと?」
フェリィの眉が訝しげに寄る。
「魔法生物たちは、機械で動いているわけじゃありません。資料やデータももちろん大切ですが、それ以上に彼らの目線に立たないと」
「……目線?」
「毛並み、鳴き声の高低、表情の変化、瞳の動き、彼らが何に怯え、何を求めているか。サンプルだけじゃわからないことが山ほどあります。……たとえば、フェリィさんが今わたしを『前時代的な人間だな』と思っているのも、フェリィさんの血液サンプルを検査しただけではわかりませんし」
フェリィが目を見張り、思わずといった様子で視線を逸らした。ティナは柔らかく笑う。
「でも……それは、経験則や勘に頼るということでしょう。非効率的ですし、何より情緒的すぎます。我々は学者として、客観的な事実に基づいて行動すべきです」
「情緒的、でしょうか……」
ティナは少し悲しそうに眉を寄せた。
「けれど、彼らが何に苦しんで、何を訴えているのかを知らずして本当の解決には至らないと思うんです。特にグリフォンのように誇り高くて賢い動物が相手なら、見て聴くことで感じられることもありますから」
確かに、フェリィの言っていることは間違いではない。研究室でサンプルの到着を待ち、検査を行うだけで解決する問題もあるだろう。
けれど、ティナが目指すべき解決はまた別だ。
ティナが彼女のつりあがった瞳を見つめると、フェリィは黙り込んで考え込むような素振りを見せる。
その表情には、先ほどまでおどおどしていたティナが、魔法生物のこととなると途端に強い意志を宿すことに対する多少の驚きが滲んでいた。
やがて、フェリィは小さくため息をつく。
「……わかりました。まずは現地へ赴きましょう。ただし、その後の具体的な調査計画については、現地で改めて協議させていただきます」
「! は……はいっ! 一緒に頑張りましょう、フェリィさん!」
思わずティナの顔が輝いた。張り詰めていたものが解けたように、安堵からふわりと優しい笑みがこぼれ落ちる。
そんなティナの様子に、フェリィは一瞬、言葉に詰まった様子で口をつぐんだ。しかしすぐにいつもの厳しい表情に戻ると「……当然です。仕事ですから」とだけ短く言い添える。
その隣で、クロがきゅーちゃんの額の宝石をいじりながら、不満げに鼻を鳴らしていた。