19.新たな仕事、新たな仲間
大成功を収めた初仕事から、数日が経っていた。
リアンブルでの騒動もようやく収束し、密猟を行なっていた子爵の処分を決めるための審理が、早くも始まったと聞く。
そんな慌ただしい日々が嘘かのように、宮廷に戻ったティナの生活は穏やかだった。
「わ、この作者さん……お父さんの知り合いだ。この人、竜に関する本も書いてたんだ」
そんな日の昼下がり、ティナは宮廷の敷地内に併設された巨大な図書館にいた。
帝国内で出版されたものはもちろん、学術書を中心に他国の書物も大量に蔵書されているというここは、本の虫であるティナにとって天国のような場所だ。
そんなわけで最近のティナは、こうして宮廷図書館を訪れては、入手困難な魔法生物の資料を読むことに時間を費やしていた。とりわけエルン王国では禁書とされていた竜の専門書に至っては、見つけ次第、片っ端から読み耽っている。
「『脊索動物門・竜綱・真竜目の頭部にみられる感覚器官は、周囲の魔力に干渉し、同種のみが感知可能な特殊な波動を発する。この波動は、他の個体への存在の告知や集合の呼びかけといった基本的なコミュニケーションを可能にしている。』……だって。クロ、そうなの?」
「ちょっと違うな。頭部そのものというより、僕たちが意思疎通を図っているのは角だ」
クロはいつの間にか手にしていた『いじわるなぞなぞ辞典』なる本から視線を上げると、指で角を作って頭に乗せる。
なるほど、現役の竜の話はなかなか興味深い。ティナは納得したように頷いた。
(角……そっか。そうなると、竜の角は人間でいうところの杖みたいなもの……って考えていいのかな? 魔力を扱うための道具、あるいは器官っていう意味では役割が似てるし)
「なあティナ、ところでこの本は傑作だぞ。お前にも一問出してやろう。『答えは簡単、明日の天気はなに?』……どうだ、わかるか?」
(意思疎通の手段に魔力を使うっていうのも面白いよね。人間や他の脊索動物門に属する動物たちは、大抵音とか見た目の変化とか……そういう魔力以外のものでコミュニケーションを取るけど)
「わからないか? 答えは『簡単』だ! 驚いただろ、『答えは簡単』という文そのものが答えになっていたんだよ。全くくだらんが、これはこれで面白い。明日の天気なんて空を三秒飛べば予測できるが、そういうことじゃないんだ。よく考えられていると思わないか?」
(他の文献からしても、竜は他の生物とどこか一線を画しているような……)
『いじわるなぞなぞ辞典』の面白さを熱弁するクロと、竜の正体についての考察を巡らせるティナ。その足元では、カーバンクルのきゅーちゃんが小さく丸まって、静かに寝息を立てている。
「ここにいたのか、お嬢様」
そんな二人と一匹の元へ、不意に声がかかった。
ティナがはっとして顔を上げると、ティナの帝国での上司ともいえるパーシヴァルが立っている。ティナは慌てて頭を下げた。
「パーシヴァルさん……! お、おおおはようございますっ!」
「ああ、おはよう。……クロードはもう少しまともな本を読めねえのか?」
「なんだと? ならお前にも出題してやる。『答えは簡単、明日の──」
「簡単」
クロを一瞥することもなく即答し、パーシヴァルはティナの持つ本へ視線を落とす。
それが竜に関する学術書だとわかると、彼は鮮やかな瞳を興味深げに見開いた。
「なるほど、流石アステル先生の娘だ。君も竜には強く惹かれているらしい」
「あ、え、えぇっと……」
「竜をタブー視してるエルン王国じゃ、アステル先生の研究は非難されるばかりだっただろ? 先生のファンとして残念でならないな」
「あぅ、あ、ありがとうございます……」
(ク、クロの隣で竜の話するの、すっごいドキドキする……)
当然のことながら、クロが人間に変身した竜であることは、パーシヴァルはおろか他の誰にも言っていない。
バレたらどうしよう……と内心ヒヤヒヤするティナをよそに、クロがわざとらしく会話に割り込んできた。
「ヒトが竜に惹かれるのは当然のことだろう。何せ竜はこの世で最も強く、賢く──そして美しいのだからな」
(ひぇっ!?)
「……竜を見たこともねえ奴が何言ってんだ?」
「僕がいつ見たことないと断言したんだ」
「ほお……? なら何だ、竜の知り合いでもいるのか?」
(や、や、やめてぇーっ!)
睨み合う二人に、ティナの胃がキリキリと悲鳴を上げる。
このままではクロが余計なことを口にしかねない。ティナは嫌な汗が噴き出すのを感じながら、「あ、あのっ!」と慌てて口を開いた。
「パ、パーシヴァルさん、何かご用だったんじゃ……?」
「ああそうだ。悪いな、クロードが余計な口を挟んでくるせいで失念していた」
「大体にしてお前のせいだろ」
クロが不愉快そうに目を細める。
だがパーシヴァルはそれを意に介することなく、ティナへ視線を戻して言った。
「新しい仕事のことで話がしたいんだ。謁見の間まで来てくれないか」
◇◇◇
「おっ、来た来たー! 待ってたよ、二人とも!」
案内された先の謁見の間では、玉座に座った皇帝陛下──ローガン・ヴァンタールが、人の良さそうな笑顔で待っていた。
ティナは慌てて深々と頭を下げる。
「ごぁっ、ごっ、ごごご機嫌ようございますっ! お日柄が! お日柄がもう! 素晴らしくて本当に! お日柄が!」
「うんうん、お日柄がいいよねー! こういう気候が一番過ごしやすいと思わない?」
「ひ、ひゃいっ! お日柄がいい! お日柄しかよくない!」
「……こいつらのこれ、一体いつまでやるんだ?」
クロが呆れたような視線でパーシヴァルを見やる。
対するパーシヴァルは聞こえよがしに咳払いを一つすると、半ば無理やり話題を逸らした。
「陛下、よろしいでしょうか」
「えっ? ああそうだった、仕事だよね!」
ぱちりと、ローガンが思い出したように手を叩く。
それと同時に視線を上げたティナは、室内の隅に、見慣れない女性がいることに気づいた。
(……誰だろう?)
年齢はティナと同じくらいだろうか。明るい色の髪を二つにまとめていて、ツンと目尻がつりあがっている。
使用人かとも思ったが、服装からしてそういう雰囲気でもない。生真面目そうに前を見つめる少女に気を取られていたティナは、ローガンが話し始めたことでハッとし、急いでそちらを向いた。
「グリフォンが、帝国の輸送と伝令の一部を担っていることは知ってる?」
グリフォン。翼獣目のグリフォン科に属する、大きな体躯と空を自由に駆けることのできる翼が特徴の魔法生物だ。
ティナは指をこねながら頷いた。
「あ……は、はい。お手紙とか運んでくれたり、あとは注文した商品をグリフォンが届けてくれたりして……グリフォン便、って言うんでしたっけ」
「そうそう! それでね、帝都の南にグリフォンの飼育場があるんだけど、そこで最近困ったことが起こってるみたいなんだ。育ててるグリフォンたちが凶暴化したり、逆に衰弱して飛べなくなったりしてる」
ローガンの説明を聞くなり、ティナの表情から先ほどまでの緊張がすっと抜け落ちた。代わりに専門家としての鋭さが顔を覗かせる。
凶暴化に、衰弱。まるで正反対とも思えるその症状は、確かに通常の疾病や環境変化では説明がつきにくい。ティナは小さく顎に手を当て、思考を巡らせた。
「どちらか一方ならまだしも、両方というのは……ちょっと珍しい、ですね。帝都の近くなら、衛生的な問題もないでしょうし」
「でしょ? 初めてのことで飼育員も打つ手がなくて困っちゃってさ。そこで君たちに調査を頼みたいんだ」
困ったような表情でローガンが言う。
すると、ティナの隣で腕を組んでいたクロがやれやれとでも言いたげに鼻を鳴らした。
「また原因不明の事象を調査か。皇帝陛下は難題を押し付けるのが好きらしいな」
「あはは、そうだよね! 僕もそう思ってさ、今回は新たな戦力を紹介させてもらいたいんだ」
そう言って、ローガンは楽しげな眼差しを部屋の隅へと向けた。
視線の先には、先ほどティナが見かけた生真面目な風情の少女がやはり静かに佇んでいる。まるで出番を心得ていたかのように、少女はすっと歩みを進めると、ティナとクロの正面でぴたりと足を止めた。
「中央魔導学院出身、フェリィ・ロッド。本日付けで宮廷への配属を賜りました。以後、お見知り置きのほど、よろしくお願い申し上げます」
フェリィ・ロッドが洗練された所作で一礼すると、ローガンによる気の抜けた拍手がぱらぱらと謁見の間に響く。
「君たちの新しい仲間になるフェリィさんです!」
「……へっ!?」
「一応立場上は部下ってことになるから、よろしくね!」
ローガンの軽やかな声とは対照的に、フェリィの瞳は鋭く、ティナを値踏みするかのような厳しさを宿している。
(わ、わたしに、ぶ、ぶぶぶ部下……?)
その怜悧な眼差しに、ティナは自身の力量を試されているような、刺すようなプレッシャーを感じずにはいられなかった。




