18.わたしの勲章
初仕事編、これにて終了です!
次回からはまた新たな物語が始まるので、何卒宜しくお願い致します。
「あ、あれ……? ここにもいない」
事件を解決した、その翌朝のこと。
宿を出る支度をしていたティナは、這いつくばりながらベッドの下を覗き込んでいた。
「なんだ、あのカーバンクル、まだ見つからないのか?」
朝食を買いに出ていたクロが扉を開け、呆れたように声をかける。
ティナは力なく頷いた。
「うん……。昨日の夜は確かに一緒に寝たんだけど、朝起きたらいなくなっちゃってて」
「別に心配するほどでもない。もともと今日森に帰す予定だと言っていただろう?」
「そ、そうだけど……。でもお別れも言ってなかったのに」
のろのろと起き上がり、ティナは前髪についた埃を振り払う。
やはり勝手に出て行ってしまったのだろうか。せめて傷の様子だけ見てあげたかったのだけれど。
「どちらにせよ、もう時間だ。帝都への飛行船がそろそろ出る」
「あ……もうそんな時間?」
「ああ。例の子爵たちも、じき帝都に移送されるらしいからな。早く向かった方がいいだろう」
ティナのぶんの荷物を軽々と持ち上げ、クロは顎で外を示す。
「あ、ま、待ってよお……!」
早々に歩き出すクロの背を慌てて追い、ティナは後ろ髪を引かれる思いで宿を出た。
事件から一日が経過したリアンブルの町は、どこか沈んだ空気に包まれている。
昨日まで賑わっていた市場の通りも、今日は足早に通り過ぎる人が目立つ。誰もが視線を伏せ、小声で何かを囁いているようだった。
人格者として讃えられていたはずの領主が、森を焼いた密猟者として摘発されたのだから当然だ。
飛行船場へと歩を進める中、あちこちから聞こえる不安な声に、ティナはそっと眉尻を下げた。
(密漁はいけないことだし、子爵は悪い人だったけど……町の人たちはそう簡単に受け入れられないよね)
でも、だからと言って犯罪者を野放しにするわけにはいかない。
きゅっと拳を握り、ティナは真っ直ぐ前を見て歩いた。自分の行いは正しかったのだと、自分を肯定してあげるためにだ。
「あの子爵には、子どもはいないらしいな」
到着した飛行船に乗り込んだあと、サンドイッチの包み紙を雑に破りながら、クロがぽつりと呟いた。
「あ、うん……。守衛さんの話では、まだ結婚もしてなかったみたい」
「兄弟もおらず、一人息子だったそうだな。大事にされすぎた末が、あの有様か」
相変わらず貴族が嫌いらしい。クロは鼻で笑った。
「近親者に爵位持ちの貴族もいないとなると、リアンブルの町は一度宮廷の管轄になるだろうな。まったくあの子爵も馬鹿なことをしたものだ」
「う、うん……。あの町の人たちは大丈夫かな、大きな混乱がないといいけど……」
そればかりはパーシヴァルや宮廷に任せることしかできないのがもどかしい。
そうティナがため息混じりに鞄に手を伸ばした、その瞬間だった。
──もぞり。
「……ん?」
妙な動きをした鞄に目を瞬かせ、ティナは中を覗き込む。
すると、衣類の間から長い耳が飛び出してきた。
「きゅっ!」
「ひゃああああっ!?」
甲高い鳴き声と共に、何かがティナの顔に張り付く。
反射的に身体を仰け反らせると、それはぽてりと膝の上に落ちた。
「カーバンクル……!?」
ティナが呆然と呟くと、カーバンクルは「きゅうっ」と得意げに胸を張った。まるで「どう? うまく隠れてたでしょ」とでも言いたげだ。
「な、なんでっ!? あれ、えええええっ!?」
慌てて抱き上げると、カーバンクルはくすぐったそうに「きゅう」と鳴いてティナの胸元にすり寄ってくる。
その様子を見ていたクロが、サンドイッチを口に運びながら低く唸った。
「まさかとは思っていたが、こいつ……昨日の会話を聞いていたな?」
「き、昨日の会話……?」
「お前、そいつを森に帰す予定だと言っただろう。その姑息ウサギ、お前と離れるのが惜しくて無理やり着いてきたんだ。……まったくどこまで姑息なんだ」
まさかと思って見やると、カーバンクルはティナの腕の中でぴたりと動きを止めていた。
たれた耳をちょこんと伏せ、まるでいたずらが見つかった子どものような表情を浮かべている。それが愛らしく思えて、ティナは思わず笑ってしまった。
「そ、そっかあ……。はやく仲間のところに帰してあげたほうがいいかなって思ってたんだけど」
「きゅうっ!」
まんまるの瞳をつり上げ、カーバンクルはブンブンと首を横に振る。
まるで一生懸命ティナの言葉を否定しているかのようだ。ティナはその頭をそっと撫でると、おそるおそる問いかけた。
「えと……い、一緒に来る? あんまりその、面白いことはしてあげられないかもだけど……」
カーバンクルはぴくりと耳を立てると、ぱっと顔を輝かせた。
そのまま嬉しそうにティナの胸元へと顔をうずめ、何度も小さく頷く。
「……そっか。じゃあ、よろしくね」
ティナがそっと微笑むと、カーバンクルは「きゅうっ」と高く鳴き、耳をゆらゆらと揺らした。
「あ、そうだ。せっかくなら名前とか付けてあげたほうがいいよね?」
「きゅうっ?」
これから一緒にいるなら、カーバンクルなんて種名で呼ぶわけにはいかない。
少し考え込んだのち、ティナは人差し指をぴんと立てた。
「あ、きゅーちゃんとかはどうかな……? かわいいよね」
「……お前、まさか……」
「う、うん。この子きゅーって鳴くから……。だめかな?」
「……まあ、お前たちがいいならいいんじゃないか」
呆れたように肩をすくめたクロが、サンドイッチを飲み込みながら言う。
ティナがそっと視線を向けると、カーバンクルは嬉しそうにまんまるの瞳を輝かせた。
どうやら、気に入ってくれたらしい。
「ふふ、よかった……。よろしくね、きゅーちゃん」
飛行船は、静かに雲を裂いて空を進んでいく。
遠ざかる町と、近づいてくる宮廷の城壁。
新しい仲間と共に帰る空の旅路と初仕事は、ティナにとって忘れられないものとなりそうだった。
◇◇◇
帝国の空をゆったりと進む飛行船は、やがて帝都の一角に滑り込むようにして着陸した。
乗客が続々と降りていく中、ティナは荷物を抱えたままそわそわと背伸びをする。
「えっと……子爵たちのことは、もうパーシヴァルさんに報告されてるんだよね?」
「ああ、そのはずだ。こいつが着いてきたことは奴も予想外だろうがな」
クロがちらりと腕の中のカーバンクル──きゅーちゃんを見下ろすと、当の本人(?)は「きゅうっ」と小さく鳴いて胸を張る。
まるで「当然の成り行きだったでしょ」とでも言いたげな態度に、ティナは思わず吹き出してしまった。
「じゃあ、あとは帰還報告をするだけだね。……無事に終わるといいけど」
そびえ立つ皇城を見上げながら、小さく息を吐く。
今回の初仕事は、簡単に言えば、よその国からやって来たティナたちを認めてもらうためのものだった。
カーバンクルたちが暴れる原因──密猟を行っていた子爵を捕らえることで目的は達したが、しかし宮廷がどんな判断を下すかはわからない。
(だ、大丈夫、だよね……? 少なくとも怒られるようなことはしてない、はずだし……)
一つ懸念点があるとすれば、勝手にカーバンクルを連れて帰ってきたことくらいだろうか。……なんだか怒られるには十分な理由である気がする。
だが連れて帰ってきてしまったものは仕方ない。
そんな緊張とともに宮廷の門をくぐったティナは、注がれる視線の多さに気づいて思わず足を止めた。
廊下を歩くたび、すれ違う使用人たちがジロジロと二人を見やる。ティナが思わず背筋を伸ばすと、隣でクロが盛大に舌を打った。
「チッ……、一体なんだ? 鬱陶しい」
「ちょ、ちょっとクロ! 声が大きいよ……!」
「まったく、手柄を立てても歓迎ムードには程遠いらしいな。密猟者を捕まえてやったというのに」
「そ、それは、そうだけど……」
帝国の人間でない以上、ある程度は仕方のないことだ、と口にしようとし、しかしそこでティナは言葉を止めた。廊下の奥から甲高い靴の音が聞こえたからだ。
耳の良いティナは、靴音に人一倍敏感だった。
中でも、高価な靴が響かせる甲高い足音には、無意識のうちについ反応してしまう。
高価な靴の足音には、どうにも苦手意識がある。
そうした靴を履く人は、往々にしてティナのような鈍臭い人間を好まないからだ。
だが、今回の靴音は違った。
「よお、お嬢様。無事に帰ってこられたようで何よりだ」
「パーシヴァルさん……! おおおお疲れ様ですっ!」
ティナは慌てて駆け寄ると、髪を振り乱す勢いで深々と頭を下げる。
相変わらずの様子に苦笑すると、パーシヴァルはティナの腕の中でちょこんと頭を下げるきゅーちゃんに目をやった。欠けた額の宝石が、窓から差す光に反射していっそう煌めいている。
「その魔法生物は……カーバンクルか?」
「ぁ、あ、えと、はい。その……も、森で保護した個体でして。本来は森に返すつもりだったんですけど、そのお……き、気付いたら、鞄に潜り込んでいて」
「ティナを気に入って着いて来たんだ。僕としては、飛行船の窓からつまみ出してやっても良かったんだがな」
「きゅうっ!?」
垂れた耳をつまんだクロに甲高い悲鳴を上げ、きゅーちゃんはティナの腕の中で飛び跳ねるようにもがく。
もう随分と馴染んでいるようだ。パーシヴァルはふっと笑みをこぼすと、微笑ましいものを見るような瞳で「そうか」と一つ頷いた。
「あ、そ、そのっ、勝手に連れて来ちゃったことは謝ります……! でもその、わたしがきちんと責任を持って管理しますし──」
「ああ、わかってる。魔法生物が自ら懐き、同行を選ぶ例は決して多くはない。お嬢様の接し方に信頼を置いた結果だろう」
「え……」
「処遇については陛下の判断に委ねるところだが、問題視する理由もないだろ。そいつについては安心していい」
「あ……ありがとうございますっ!」
ぱっと顔を輝かせたティナに、パーシヴァルはわずかに口角を緩める。
「……謁見の時間だ。そろそろ向かうか」
だがのんびりしている時間はない。一度だけきゅーちゃんの頭を軽く撫でると、彼はくるりと踵を返し、廊下の奥へと歩を進めた。
案内された先にあったのは、想像していたよりずっと威圧感のある重たげな扉だった。
ティナはその前で小さく息を吸い、緊張を押し込めるように深く呼吸を整える。
(だ、大丈夫、大丈夫……何も悪いことはしてない、はず……!)
護衛が一礼し、ゆっくりと扉が開かれた。
「おっ、来た来た! 待ってたよ〜!」
ティナの緊張とは裏腹に、場違いなほど明るい声が響く。
皇帝陛下──ローガン・ヴァンタールの姿を認めた瞬間、ティナは慌てて額が床に触れそうなほど深々と頭を下げた。腕の中のきゅーちゃんが「ぶぎゅっ」と押しつぶされたような声を上げる。
「ごっ、ごごっ、ご機嫌ようございましてっ! 皇帝陛下におかれましてはっ! お変わりなく! お、お肌なども若々しくっ!」
「えっ、ほんと!? 嬉しいなあ、ケアには気を付けてるんだよね〜!」
「陛下、そのようなお話をしている時間は──」
「は? 僕だって肌には自信がある。おい触ってみろティナ、どちらにハリがあるか一目瞭然だろう」
「…………」
やたら真剣な顔で対抗してくるクロに、パーシヴァルは今度こそ突っ込む気をなくしたらしい。無言で額に手を当てた。
「いやあ、それにしてもよく帰って来てくれたよ。初仕事の成果も上々だったみたいじゃないか」
「あ、ああありがとう、ございます……!」
「子爵の件でも迷惑をかけたね。爵位を持つ人間があんな真似をして、まったく君たちには恥ずかしいところを見せてしまった」
そう言ってローガンは、きゅーちゃんに視線を落とす。
「その子は……カーバンクルだね? なかなか愛らしいじゃないか」
「きゅうっ!」
「あ……え、えと、事件の途中で、色々あって保護した子で……」
「うんうん、仲間が増えるっていいよね! それに、その欠けた額の宝石もチャーミングだ」
ローガンの言葉に、ティナは呆気に取られて立ち尽くす。あんなに気を揉んでいたのに、思いのほかあっさりとカーバンクルの存在を受け入れられてしまった。
きゅーちゃんは誇らしげに耳をぴんと立て、ひとつ「きゅう」と威勢よく鳴く。
皇帝の前とは思えないほど堂々とした態度だ。「わたしは正当に評価されました」と言わんばかりに胸を張っていて、ティナは思わず頬を綻ばせてしまった。
「それより、君の働きぶりだ。報告書の内容も、パーシヴァルの報告も、現地の評判も──全部読ませてもらった。完璧だったよ」
「え……」
「魔法生物暴走の原因究明、そして解決。これ以上は望めないほどの成果だね」
ローガンが朗らかな笑みを少しだけ引き締める。
「だから、ここに正式に宣言する。ティナ・シストロイズ。君を帝国の“宮廷魔法生物学者”として認めよう」
ティナの目が大きく見開かれ、胸の奥にじんわりと熱いものがこみ上げてくる。
やり遂げた。少し前まではのろまで愚図だと罵られていた自分が、任された仕事をこなすことができた。
認められた。それだけで言葉が出なくて、けれど、隣からクロがそっと背を叩いてくれたことで、ティナはようやく口を開くことができた。
「……ありがとうございますっ!」
震える声だったけれど、ティナはしっかりと皇帝の目を見て、深く頭を下げる。
そっと息を吐いた。
まだ不安はある。視線も刺さる。
けれど──それでも、今の自分なら、胸を張ってここに立っていられる気がした。




