17.初仕事は前途多難④
次回で初仕事編が終わります!
「それで、こいつらはどうするんだ?」
魔法で眠らされた子爵たちを一瞥し、クロが尋ねる。
「あ、えっと……とりあえず、町の守衛さんに引き渡そうかなって。詰所ならこの人たちを捕まえておけるし……あとは宮廷に連絡して、処遇はそっちにお任せするのがいいかなと思う」
ティナが提案すると、クロは顎に手を添え、しばし考え込んだあとに頷いた。
「……まあ、それが一番手っ取り早いか」
「うん。じゃあえっと……守衛さんをここまで呼んでこよっか?」
「わざわざ呼ぶのか? そんなことしなくても、こいつら引きずり回して連れて行けばいいだけだろう」
「だ、だめだよ……! いくら悪いことした人でも、不当に痛め付けちゃいけないんだから」
ティナがぶんぶんと首を振ると、クロは納得がいかない様子でフンと鼻を鳴らした。
「仕方がない、なら僕が守衛を呼んできてやろう。お前の足の遅さと社交性じゃ、人を一人呼ぶのにも何時間かかるかわかったものじゃないからな」
「うう……よ、よろしくお願いします……」
まるで否定できないのが虚しい。自分のポンコツぶりに改めて項垂れ、ティナは町へ向かうクロの背を見送った。
(……でも、無事に片付きそうでよかった)
リアンブルの町に到着してからというもの、トラブルに見舞われてばかりだったが、これでようやく休めそうだ。
そう思うとどっと疲れが押し寄せてきた気がして、ティナは癒しを求めるように腕の中のカーバンクルをそっと撫でた。すうすうと寝息を立てるカーバンクルの小さな口元が、ほんのりと緩む。
(お薬も飲ませたし……。この子も明日には良くなってる、よね?)
ティナたちはこのままリアンブルの町に一泊する予定だ。早く森に帰してあげたい気持ちは山々だが、怪我をしている以上、今夜は連れて帰った方がいい。
「……きゅ?」
そうぼんやり考えたところで、腕の中のカーバンクルがぴくりと身体を動かして目を開けた。
どうやら起こしてしまったらしい。ティナは慌てて謝った。
「あ……ご、ごめんね、起こしちゃった?」
「きゅうっ、きゅっ」
「わわっ、あ、暴れると危ないよ……! まだ傷が──」
興奮しているのか、カーバンクルはティナの腕の中でじたばたと暴れ回っている。
そのはずみで腕に鋭い爪が食い込み、「ひゃっ」と悲鳴を上げたティナは思わず手を離してしまった。
カーバンクルが勢いよく跳ねて飛び出す。危ない、と声をかけようとしたその瞬間だ。
ティナの背後から、鋭く尖った氷の槍が飛来した。
(魔法……!?)
咄嗟に杖を取り、ティナは防御魔法を展開しようとする。
だが間に合わない。痛みを覚悟したティナが歯を食いしばったその時──カーバンクルの額の宝石が、眩しいほどに輝いた。
「きゅぅっ!」
高い鳴き声と共に吐き出された炎が、氷の槍を一瞬にして消滅させる。
カーバンクルの魔法だ。カーバンクルは目を見張るティナの足元に寄ると、不安げにティナを見つめた。
助けてくれた。
カーバンクルは、ティナに向けて迫る魔法の気配をいち早く察知していたのだ。
「うん、大丈夫だよ。……ありがとう、あなたのおかげで助かった」
カーバンクルを抱え上げ、小さな身体を落ち着かせるように撫でる。
それから深く息を吐くと、ティナは真っ直ぐ前を見据えて尋ねた。
「……どういう、つもりですか。子爵」
視線の先──眠っていたはずのリアンブル子爵が、杖を片手に舌を打つ。
「チッ……下等生物風情が、余計な邪魔をしやがって」
明確な敵意が滲む瞳に睨まれ、ティナは唾を飲んだ。
昏倒魔法の効果時間は、一般的におよそ10分から30分程度とされている。
もっとも、それは並の魔法使いに限った話だ。
昏倒魔法を利用して不眠症を解消していたティナは、最大で5時間ほどその効果を持続させることができる。
だが、子爵は2時間も経たないうちに目を覚ました。おそらく、数十人に魔法をかけたことで一人一人の効果が薄れたのだろう。
(ってことは、兵士たちももうすぐ……)
「……あれ? 俺たち、何をして──」
「なんだこれ。縛られてる……?」
予想通りだ。ティナの推測を裏付けるように、眠っていた兵士たちが次々と目を覚まし始める。
「おお、ようやく目覚めたかお前たち。ちょうどいい……俺たちの商売を脅かす馬鹿がおでましだ」
子爵は勝ち誇ったように口角を緩めると、状況が飲み込めず困惑する兵士たちを縛る捕縛魔法を解除していった。
それからティナを見据えると、思い切り顔を顰める。
「その徽章、宮廷の者だな?」
ティナの胸元には、宮廷で働く者であることを示す徽章が控えめに輝いている。
「どこのよそ者かと思ったが……そうか、宮廷か。大方、カーバンクルの件を片付けるために派遣されて来たのだろう?」
「…………」
「まったく宮廷も余計なことをするものだ。金を生んでいるのだから、文句など付けずに見ていれば良いものを」
腕の中のカーバンクルが怒りに身を震わせたのがわかる。
その身体を優しく撫でると、ティナは静かに口を開いた。
「……あなたのやっていることは、大きな罪、です。お金のために殺されて、どれだけのカーバンクルが苦しんだか、わかるでしょう」
「無様な綺麗事だな。人間の皮を剥いでいるならともかく、ただ動物を殺しているだけだろう? 鳴くばかりで言葉も発せられない動物と、人間様が生きるための金! どちらが重要かなどわかりきったことだ!」
あまりにも自分勝手な論理に、ティナは唇を固く引き結ぶ。
違う。人間も、魔法生物も、等しく命だ。
そこに優劣なんてあっていいはずがない。
「ハッ、何だその顔。まさかこの人数相手に戦う気か?」
子爵が更に口角を歪める。
目を覚ました兵士たちは、当惑しつつも、とにかくティナをどうにかしなければ自分たちの罪が暴かれることを理解したらしい。
それぞれ杖や武器を手に取り、じりじりとティナを取り囲み始める。子爵が堪えきれない笑いを漏らした。
「先ほどここを去った男、相当な実力者だろう? 俺たちの足元を凍らせたのも、昏倒魔法で眠らせたのもあの男だな?」
「……最後、です。大人しく、捕まってください」
「俺たちを眠らせて安心したのだろうが……まさか女一人残して去るとはな。全く馬鹿で助かるよ。おかげでお前を人質に取れる」
子爵は杖を張り上げた。
「やれ! その宮廷の犬をさっさと捕えろ!」
叫び声を合図に、兵士たちは一斉に突進する。
槍を構えた兵士が雄叫びを上げ、
杖を持つ兵士は詠唱を始め、
数十人もの兵が一斉にティナへと殺到した。
「結局偉いのは人間様だ。魔法生物なんぞの肩を持ったこと、後悔するんだな!」
屈強な兵たちに取り囲まれてしまえば、小柄なティナの姿はもう見えない。
子爵は高笑いをした。
金儲けの邪魔をするからこうなるのだ。あとは、この女をダシに先ほどの男を脅してやればいい。
──そう考えた、その時だ。
「〈浮揚せよ〉」
場違いなほど柔らかな声で詠唱が響く。
「……は?」
直後、数十人を超える兵士たちの身体が、いとも簡単に宙へ持ち上がった。
何が起こったか理解できず、子爵は呆然とその場に立ち尽くす。
囲まれ、捕らわれているはずのティナは、震えるカーバンクルをしっかりと抱きながら、確かに子爵を見据えていた。
「……後悔するのは、あなたの方です」
ティナはゆっくりと子爵に歩み寄りながら、静かに言葉を紡ぐ。
「宮廷の犬じゃ、ありません。……あなたみたいな人から魔法生物を助ける、“宮廷魔法生物学者”です」
ティナが杖を振り下ろすと、子爵と、浮かび上がった兵士たちの身体が、たちまち光の鎖に絡め取られる。
強力な拘束魔法だ。
鎖はまるで生き物のように絡みつき、逃げ場を与えない。やがて兵士たちは次々に倒れ込み、子爵も忌々しそうに歯ぎしりしながらも、力なく膝をついた。
「この……っ! 薄汚い小娘が……!」
恨みがましい呻きを上げる子爵に一瞥だけくれてやり、ティナは腕の中のカーバンクルを抱き直す。
カーバンクルは短い前足で、労わるようにティナの腕を撫でてくれた。ティナが柔らかな笑みをこぼすと、町の方角から誰かの足音が近づいてくる。
「妙な反応があると思ったら、もう終わっていたか」
クロだ。背後に数人の守衛を連れている。
「クロ……!」
「遅くなって悪かった。怪我はないか?」
「うん、大丈夫……! この子も無事だよ。ねっ?」
ティナが優しく問いかけると、腕の中のカーバンクルが嬉しそうに耳をぴんと立て、小さな前足でティナの胸元をぽんと叩いた。
それから「きゅう!」と、甲高く愛らしい鳴き声を響かせる。
「なんだ、生き延びたか。姑息ウサギめ」
クロはその様子に、僅かに口元を綻ばせた。
「な、なんだこれは!? カーバンクルもいるぞ……!」
「おい、そこの女! お前、子爵様たちに一体何をした!」
だが守衛たちは、兵士や子爵が縛られ地面に転がっている光景をすぐには理解できなかったらしい。
困惑しながらも眉を吊り上げ、こちらに向かってくる守衛たちに、ティナは慌てて胸元の徽章を掲げた。
「ち、ちちち違いますっ! わたしはその、き、宮廷学者のっ、ティ、ティナ・シストロイズといってぇ……!」
「落ち着け、さっき密猟者がいると言ってやっただろ。そこで転がってる子爵たちがその密猟者だ」
クロが短く補足すると、守衛たちはリアンブル子爵たちに目を向け、青ざめた顔で呻く。
「リ、リアンブル子爵が……まさか……」
「こんなことが……」
ティナは小さなカーバンクルを抱きしめながら、事の顛末を簡潔に説明した。密猟の証拠、子爵の命令、カーバンクルによる被害の真相──。
守衛たちは言葉を失い、ただ真剣な顔でうなずくばかりだった。
「……確かに、引き渡しを受けた。あとは我々が責任を持って宮廷に報告する」
状況を把握した守衛長は、厳しい顔をさらに引き締め低く呟く。
町の自治を担うために配置された守衛たちは、本来領主ではなく宮廷の管轄下にある。きっと正しく子爵たちを罰してくれるだろうと信じ、ティナは頷いた。
「お願いします」
「待て! 俺は子爵だぞ! こんな扱い、許されるはずが──!」
未だ諦め切れないらしい。縛られた身体を懸命に動かし、子爵は声を張り上げて抵抗を叫ぶ。
「……おい、そろそろ口を閉ざせ。吠えるにしても相手が悪い」
しかしその威勢も、クロの冷ややかな声によって一蹴されてしまった。
反射的に声を飲み込んだ子爵を見下ろし、クロは薄く笑う。
「そもそもが勘違いなんだよ。お前、僕が守衛を呼びに場を離れて、今が好機だと思ったのだろう。小娘1人ならどうにかできると」
「は……」
「僕を実力者だと見抜いたのは褒めてやるが、見誤りすぎだ。確かに僕はお前などよりよっぽど強いがな」
そこで一度言葉を区切ると、クロは皮肉めいた笑みを浮かべながら続けた。
「実戦での立ち回りは、僕よりティナの方が上だ」
信じがたいものを見るように、子爵の双眸がティナを射抜く。
ティナは、そんな視線にため息ひとつで応えた。
「……言い過ぎだよ、クロ」
「お前は自己評価が低すぎだ。学園始まって以来の才女ともてはやされたのを忘れたか?」
それこそ大げさな話だ。そう拗ねたように唇を尖らせるティナを前に、子爵はただ、言葉を失うほかなかった。




