16.初仕事は前途多難③
「あ、あのぅ……」
「おういらっしゃい! なにをお探しだい?」
「え、えっと……そ、そこのお茶碗、くださいっ!」
怪我をしたカーバンクルを抱き、クロの背に乗ってリアンブルの町に戻ったあと、ティナはよくわからない模様が入った工芸品を売る露店に立ち寄った。
「おお、嬢ちゃんお目が高いね! その茶碗は帝国で一番と名高い陶芸家の作品でね、滅多に市場に出回らないんだ。もしかして嬢ちゃん、工芸品に興味があるクチかい?」
「へっ……!? あ、え、えと、そういうのじゃ……」
「なんと素晴らしい! いやあ、最近の若いもんはみーんな工芸品なんて古臭いってケチをつけるだろう? わかってくれる子がいるなんて嬉しいなあ、おまけでそこのブレスレットもつけておこう!」
「あ、ど、どうも……」
「ああでも、その茶碗はかなり貴重なものだからね。傷つけないよう用心して飾っておくんだよ。それから手入れにも気をつけないと──」
「え、ええっと……」
当たり障りのない返事をしていただけなのだが、どうやら店主の妙なスイッチを押してしまったらしい。
急いでいたティナは泣き出しそうになりながら店主の話に相槌を打ち、それがやっと一段落ついたところで、商品の代金を押し付けるようにして逃げ出した。
後ろから聞こえた「嬢ちゃん、お釣りー!」という店主の声には「チップですぅっ!」という叫びを返し、ヒイヒイ言いながら町中を走る。
やがて目的地である森の入口に到着すると、いかにも不機嫌そうなクロが腕を組んで待っていた。
「クロ! おまたせ……!」
「遅い。誰かに襲われたのかと思って町を焼くところだったぞ」
危うく町が消し飛ぶところだったらしい。ティナは眉を下げた。
「ご、ごめん……。なんかね、帝国一の陶芸家さんの武勇伝がかなりの大長編で」
「は?」
「その昔彼が作った壺を神の依代だって崇める二つの宗教が大きな争いを起こしたほどの人らしいんだけど……そ、それよりっ! あの子は無事!?」
「はあ……慌てるな。あそこで眠ってる」
呆れたように頭を掻き、クロは近くの木陰を顎で示す。
ティナが駆け寄ると、そこには例の怪我をしたカーバンクルが横になって眠っていた。
応急処置を施したことで多少楽にはなったようだが、それでもまだ辛そうだ。ティナが頬のあたりを撫でると、カーバンクルは弱々しい力ですりよってきた。
「ついでにあいつらも眠ったままだ。起きる気配もなかったぞ」
小馬鹿にしたように笑うクロの視線の先では、先ほど森を燃やしていた兵士たちとリアンブル子爵がまとめて縛り上げられている。
あの場に放っておくわけにもいかなかったため、縛ってクロの背に乗せてここまで運んだのだが、昏倒魔法が効いているのかまだぐっすりと眠っているようだ。
本来の魔法の効果ならそろそろ起きてもおかしくないのだが、うっかり魔法を強くしすぎてしまったのかもしれない。
「それで? お前は町で何を買ってきたんだ」
「あ……えと、手当てするための道具だよ。お薬を作ってあげようと思って……」
町で購入したものを地面に広げ、ティナはあたりを見回した。
記憶が確かならば、この辺にも生えているはずだ。
「薬? このウサギのか?」
「うん。えっと……あ、あった」
ティナは近くの木に駆け寄ると、その足元に生えていた葉を三枚ほどちぎった。ついでに手頃な花を拝借し、先ほど露店で買った茶碗にぽいぽいと放り込んでいく。
「なんだ、それは。薬草か?」
「うん。この葉っぱ……アルバの葉はね、魔法生物の身体組織の回復を早めてくれるの。ミストローズの花弁にはちょっとした解毒作用があって……万が一あの矢に毒が塗り込まれていたりしてたら大変だから、混ぜておく」
帝国一らしい陶芸家が作った茶碗をすり鉢代わりに使い、ティナは手頃な大きさの石でゴリゴリと植物たちを混ぜ合わせていく。
手際よく調合を行うティナを眺め、クロが感心したように声を上げた。
「ほお……お前、いつの間に薬学なんて学んでいたんだ?」
「そ、そんな大したものじゃないよ……。魔法生物のことを勉強してたら自然と身についただけ」
「それでも大したものだ。ついこの間までただの事務員だったとは思えないな?」
含みのある笑みを浮かべ、クロは調合作業でじんわりと汗の滲むティナの額を撫でた。手が冷たくて気持ちいい。
「よし、できた。……ごめんね、ちょっとだけ苦いけど飲めるかな」
葉っぱをお皿代わりして薬を差し出すと、カーバンクルは静かに目を開け、ゆっくりと身体を起こした。
それから大きな瞳で手元の薬を興味深げに観察し、顔を近づけてはすんすんと匂いを嗅ぐ。
やがて意を決したようにティナを見やると、カーバンクルは小さな口でそっと薬を飲んだ。やっぱり苦かったのか「きゅぅ」と消え入るような鳴き声が響く。
「に、苦いよね、ごめんね……。頑張ってくれてありがとう」
「……きゅ……」
「なんだその媚びるような鳴き声は。ウサギ風情がティナに取り入ろうとするな」
「クロは静かにしてて」
しばらくしてカーバンクルが薬を飲み終わると、ティナは町で買った包帯で改めて止血を行った。
傷口は痛々しいままだが、応急処置のおかげか血はほとんど止まっている。薬もきちんと飲んでくれたし、ひとまずはこれで安心だろう。
「よし、えらいえらい。あとはぐっすり寝ればきっとよくなるからね」
ほっと安堵の息を吐き、ティナはカーバンクルの頭を撫でる。
すると、カーバンクルがティナの腕にすりすりと額をこすりつけてきた。きゅうきゅう、と何かを主張するように鳴いている。
「どうしたの? まだどこか痛い……?」
「きゅ」
「わっ、あああ危ないよ……!」
カーバンクルはティナの腕をぽんぽんと叩くと、よじ登るようにしてしがみついてきた。
慌ててその身体を抱きかかえれば、カーバンクルは心なしか満足げな表情で目を閉じる。
どうやらティナの腕の中で眠りたかったらしい。
程なくして先ほどよりも穏やかな寝息が聞こえ、そのあまりの愛おしさに、ティナは心臓のあたりがきゅっと掴まれるような感覚に陥った。
「か、かっわいい……!」
「……この姑息媚び売りウサギが……」
腕の中のカーバンクルにきゅんきゅんしているティナは、クロの目が今にもカーバンクルを射殺しそうなことに全く気がついていない。
クロはそのまま大きく舌を打つと、ティナとカーバンクルを引き剥がしたい気持ちをぐっと堪えて兵士たちの方を見やった。
縛られて転がされた兵士たちとリアンブル子爵は、未だに目を覚まそうとしない。クロはフンと鼻を鳴らした。
「しかし……町を治める子爵が密猟者とはな。貴族が意地汚いのはどこの国でも変わらんらしい」
それも常習犯ときた。カーバンクルの巣が燃やされる悪夢のような光景を思い出し、ティナは眉尻を下げる。
「うん。……魔法生物の密猟はどこでも問題になってるけど、カーバンクルは特に被害がひどいんだ。毛皮とおでこの宝石が高く売れるから」
腕の中で眠るカーバンクルの欠けた宝石を見つめ、ティナはぎゅっと唇を引き結んだ。
きっと、今までもたくさんのカーバンクルがリアンブル子爵によって殺されてきたのだろう。到底許せないし、どんな理由があろうと同情もできない。
「じゃあ、このまま突き出してやるのはもったいないな」
ティナが静かに怒りを感じていると、クロがそばにしゃがみ込んで言った。
「せっかく捕まえたんだ。突き出す前に一発くらい殴ってやったところで誰も気づきやしないぞ」
「そ、そんなことしないよ……。パーシヴァルさんに連絡して、あとは向こうにお任せしよう」
「なんだ、つまらんな。お前を不快にさせたのだから、爪の一枚くらい剥がしてやろうと思ったのに」
「ぜ、ぜぜぜ絶対にやめてぇっ!」
想像して顔を真っ青にするティナに、クロがにやりと口角を歪める。
竜にはやっぱり倫理観がない。ティナは腕の中の小さな命を抱きしめながら、大変な初仕事だったなあ、なんてことをぼんやり考えるのだった。




