12.舞い込んだ初仕事
抵抗虚しくずるずると引きずられ、ティナは気付けば謁見の間の前までやって来てしまった。
この中に入れば帝国で一番偉い人がいる。
想像するだけでガタガタと震えるティナをよそに、ティナの首根っこを掴んだパーシヴァルは遠慮なく扉を押した。
「陛下、失礼致します」
途端に眩しい日差しが差し込み、ティナはぎゅっと目を瞑る。
謁見の間は独特な空気に包まれていた。緊張感が肌で感じられるほどに張り詰めていて、ティナの腕に鳥肌が立つ。
恐る恐る瞼を開けると、そこには流石のティナでも一度は見たことがある、堂々たる雰囲気を纏った美麗の男性が座っていた。
(ひぇ……)
実年齢よりかなり若く見えるが、帝国の皇帝は新聞で見るよりずっと冷たそうな顔をしている。
ティナのことなど気分一つで斬り殺してしまいそうな雰囲気だ。パーシヴァルは力が抜けたティナの脇の下に手を入れると、ぐっと持ち上げてしっかりと立たせた。
「陛下、連れてきました。彼女が王国で見つけた例の──」
「アステル・シストロイズの娘か?」
パーシヴァルが頷く。ティナはぶるりと震えた。まさか、帝国の皇帝が父を知っているなんて思わなかった。
皇帝陛下は「ほお」と一度瞬きをすると、つま先から頭のてっぺんまで値踏みをするような視線でティナを見やる。
(き、緊張と酸欠で死ぬ……!)
息遣い一つで彼の機嫌を損ねてしまいそうな気がする。
そんな恐ろしさで思わず息を止めていると、皇帝陛下は重々しく口を開いた。
「すっごい! やっぱり親子なんだね、アステル先生と目元がそっくり〜〜!! ようこそヴァンタール帝国へ!」
「……へっ?」
突然ニッコニコで言った皇帝陛下に、ティナの思考が数秒停止する。
何だこれは。固まるしかないティナの後ろでクロが深くため息を吐くと、眉尻を下げたパーシヴァルがこそっと耳打ちした。
「悪い、驚かせたよな。皇帝陛下はなんというか……かなり個性の強い人なんだ」
「『かなり』の範疇か? 何だこのやたら明るい男は。皇帝のスペアか?」
「……正真正銘俺の父親だ」
苦々しい顔で言い、パーシヴァルはこめかみの辺りをぐりぐりと揉み込む。……どうやら相当苦労しているらしい。
「いやあ、本当に会えてよかった〜! しかもうちで働いてくれるんだって!? 本当に困ってたから助かるよ〜〜!!」
息子の悩みの種になっているとはつゆ知らず、皇帝陛下は玉座から降りると、未だ固まっているティナの手を取ってぶんぶんと握手をした。
「……おい、手を離せストーカー。僕には無断でティナに触れる馬鹿を殴る必要がある」
「馬鹿はお前だ、浪人。ムカつくやつを殴りたいなら自分の顔でも殴ってろ」
皇帝陛下に向かって繰り出されかけたクロの右ストレートはパーシヴァルが食い止め、2人の間に火花が散る。
真横の状況は殺伐としているが、ティナはそんなことを気にしていられないほど混乱していた。とにかく明るい皇帝陛下を前にどうしたらいいのか全くわからない。
しかしとにかく重要なのは挨拶だ。挨拶すらまともにできない人間は死んだ方がマシだとチェスター男爵に罵られたことがあるので、ティナは挨拶の重要さを知っている。
これしかない。ティナは震える声を張り上げた。
「ぁ、え、えと、こっこここの度は、こんなわたくしめをさ、採用していただき、あっ違う、あの、ティ、ティナですっ! ありがとうございますっ!」
「うん! 僕ローガン・ヴァンタール。君のお父様とはちょっとした知り合いなんだけどね、もう随分とお世話になっちゃって! いやあまさか娘さんと働くことになるとは思わなかったなあ、ちょっと大変な仕事だけど頑張ってくれる?」
「ももももももちろんですっ! せ、精一杯、やりますので……!」
バッと勢いよく頭を下げ、ティナはゼェハァと荒く息を吐く。とりあえず、挨拶ができない死んだ方がマシな人間からは脱却できた。著しい成長だ。
(でも、皇帝陛下がうんと冷たい人じゃなくてよかった……)
緊張することに変わりはないが、ここまで明るいとティナも働きやすい。
少なくとも処刑に怯えて泣く必要はなさそうだ。そんな安堵感を覚えていると、皇帝陛下はもう一度軽く手を握り、静かにティナの手を離す。
顔を上げると、柔らかく微笑んだ皇帝陛下と目が合った。
「本当によく来てくれたよ。しかも、君だけじゃなく素敵なお友達も連れてきてくれたんだって?」
「ぇあっ、あ、は、はい。この子はクロードって言って……」
「うんうん、職場は賑やかな方がいいからね。僕も君たちを歓迎しよう。ただ、一つ残念な話なんだが」
そこで言葉を区切りると、皇帝陛下はティナと、未だパーシヴァルと睨み合うクロとをそれぞれ見やる。
それから柔らかく微笑むと、極めて穏やかな口調で言った。
「申し訳ないんだが、早速君たちに一つ仕事を頼みたい」
「……へっ?」
謁見の間に、腑抜けたティナの声が響く。
随分突然な話だ。緊急の用事なのだろうか。
「えと……す、すぐにですか?」
「うん。来てもらったばかりで悪いんだけど、明日からにでも頼めないかな」
「あ、明日……」
慣れない帝国に馴染むため、数日はクロと共に付近を散策しようと計画していたのだが、その時間もないらしい。
ティナが考え込んでいると、皇帝陛下は困ったように笑った。
「悪いね。というのも、最近西の方でカーバンクルたちが人を困らせているらしいんだ」
「えっ、あ、は、はい……?」
「魔法を使って暴れ回って店を荒らし、物を盗んだりするそうだ。困った奴らだと思わないかい?」
曖昧に頷き、ティナはぱちぱちと瞬きをした。カーバンクルは、知能が高くてすばしっこい魔法生物だ。
見た目は小動物のようで可愛らしいが、困らされている方はたまったものじゃないだろう。確かに困った話だ。
「すぐにでも君に解決してほしいんだ。よければ──」
「それは緊急を要する仕事なのか?」
続く皇帝陛下の言葉を、クロの低い声が遮る。
「! クロードお前、誰の話を遮って──」
「お前じゃなくてそいつに話しかけている。それで? 僕たちはついさっき王国から帝国にやってきて、慣れない環境に放り込まれ心底疲れているんだが。そんな身体を癒すよりも、その仕事の方が大事だと?」
(ひぃいっ!?)
あまりにも尊大なクロの物言いに、ティナはさぁっと顔を青ざめさせた。命知らずにも程がある。いくら何でも許されないであろう態度だ。
「ああいや、本当に申し訳ないね。実はこれにも理由があってさ」
そんなティナの怯えとは裏腹に、皇帝陛下は咎めることもなく答えた。
「君たちに聞かせる話じゃないんだろうけど、この宮廷には君たちの採用をよく思っていない人間がいる」
「……ほお?」
「全く図々しい話なんだけど、帝国出身じゃない者を宮廷学者にするなんて! みたいな思考の人が少なからず存在するんだ。お願いして来てもらった立場で申し訳ないんだが、悲しいことにそれが現状でね」
皇帝陛下が眉を下げ、納得したティナはそっと視線を伏せる。それはそうだ。
ここは世界有数の大国であるヴァンタール帝国の、一番重要ともいえる宮廷だ。
他国の人間が気軽に入っていい場所ではないし、それどころか働くなんてとんでもない。不満を抱える人がいるのも十分予想がついた。
「でも、僕は君たちと一緒に働きたい。この機会を逃したくないし、かと言って君たちが白い目で見られるのは本望じゃない」
言葉尻に力を込め、皇帝陛下はまっすぐティナを見据える。
「だから早いところ君たちの能力を示してあげたいんだ。カーバンクルの問題を解決して、君たちが帝国の宮廷学者に足る逸材であるってことを証明すれば、きっと不満も取り除けると思う」
華麗なウインクと共に言われ、ティナはぐっと唇を噛んだ。
証明。帝国出身じゃなくても、宮廷学者としてふさわしい人物であることを周囲に示す。
(……や、やるって決めたからには、頑張るしかないよね……?)
となるともう選択肢はないに等しい。
ティナは不安げなパーシヴァルの視線を振り切ると、きゅっと拳を握って言った。
「や……やります、初仕事。精一杯頑張ります……!」




