10.出世したけど荷が重すぎます!
ティナたちを乗せた飛行船は、定刻通りにエルン王国を飛び立った。
ここからは数時間かけて空の旅だ。
飛行船に乗った経験のないティナは搭乗前から緊張でドギマギしていたが、いざ乗ってみるとこれが素晴らしかった。
まず何より揺れない。
空を飛ぶ手段がクロの背に乗るしかなかったティナにとって、飛行は酔いとの戦いだ。
それに好き勝手飛ぶクロに振り落とされないようしがみつかなければならなかったのだが、飛行船はティナを振り落とすどころかぴたりとも揺れなかった。
なんでも帝国製の魔法エンジンがそうさせているらしい。ティナは帝国の技術に感動し、しばらく窓に張り付いていた。
「えっ、パーシヴァルさんって帝国の皇子なんですか!?」
そんな興奮も落ち着いた頃。
到着まであと少しとなったところで、ティナは衝撃の事実を告げられた。
「あー……、まあ。そんな大したもんじゃねえけど」
困ったように頬を掻くパーシヴァルに、ティナはさあっと顔を青ざめさせる。
それから転げ落ちるように椅子から降りると、正座をして額を地面に擦り付けた。
「お嬢様!? 何してんだ急に!」
「こっ……ここ、ここここここの度はクロが大変失礼な発言を……」
「いや気にするなって! 黙っていたのは俺だし──」
「すみませんすみませんっ! 処刑だけはご勘弁を! この通りですのでぇっ!」
帝国の皇子相手にストーカーだ何だと好き勝手言ってお咎めがないはずがない。
このままだと帝国で2人揃って処刑ルートである。おでこが削れて斜面になりそうな勢いで謝罪すると、優雅に足を組んで座っていたクロが愉快そうに笑った。
「ティナ、お前は世間に興味を持たなすぎだ。帝国の王族の名くらい把握しておけ」
「何言ってるの! クロも謝るんだよっ!」
「何を謝罪する必要がある。僕がこいつに何かしたか?」
「したでしょ、色々と……!」
出会い頭に吹っ飛ばしたり口を開けば挑発したり、思い返すだけでも血の気が引く。
帝国の法律には詳しくないが、最悪帝国に到着した瞬間ひっ捕らえられてしまうのではないだろうか。ティナが残像が見える勢いでガタガタ震えていると、パーシヴァルは苦笑いを浮かべた。
「気にするな、お嬢様。次同じことをやったらこいつを処刑台に送るだけだ」
「ヒ、ヒェッ……スミマセ……」
「それより、ほら。もう帝都だぞ」
「……へっ?」
帝都。
聞き慣れない単語に顔を上げると、窓の外に美しい町が広がっていた。
(わ……)
身内が皇族に思いっきり不敬を働いていた衝撃でまるで気付かなかったが、どうやら飛行船はいつの間にか帝都の上空を飛んでいたらしい。
エルン王国とはまるで違う景色だ。
通りにはたくさんの住民が行き交い、広場では楽団が面白おかしく楽器を鳴らして、子どもたちがそこらじゅうを駆け回っている。
目を悪くしているせいで細部までは見えないが、帝都の温かみのあるレンガ道は、緊張でガチガチだったティナの心を少しだけ落ち着かせてくれた。
(すごいなあ、小説の中の城下町って感じだ……)
「このあたりは店が多いんだ。ちょうど昼時で人も多いな」
「お……王国とは、結構雰囲気が違うんですね」
「ああ。それで、向こうに見えるのが──」
そう指をさされた先に目を向け、ティナは思わず目を見開く。
そこには荘厳な宮殿があった。
白い外壁は太陽の光を受けてまるで光っているかのようで、広がる庭園は、ここから見てもため息が出るほど美しい。
きっとあそこが皇族の住まう宮廷なのだろう。ティナは感心し、思わず「すごい……」と言葉を漏らした。
「皇子様ってことは、パーシヴァルさんもあそこに住んでいらっしゃるんですか?」
「ああ。俺の部屋は四階の一番奥だ、暇なら遊びに来てくれ」
「い、一生かかっても行けないと思いますけど……」
一般人が宮廷なんぞに足を踏み入れられるはずがない。窓に鼻先をくっつけ、ティナは美しい宮廷を目に焼き付けた。
「それでお嬢様が働く場所の話なんだが」
「……へっ?」
そうしていると思い出したように話題を転換され、ティナは少し首を傾げる。
そういえば帝国で働いてほしいとは言われたが、どこでどう働くのかは全く聞いていなかった。
(でも、何で今……?)
もっと他のタイミングでもいいだろうに。ティナがぱちぱちと瞬きをすると、パーシヴァルは宮廷に目を向けて言った。
「お嬢様には、あそこで宮廷お抱えの魔法生物学者として働いてほしいんだ。いいよな?」
数秒の沈黙が落ちて、ティナの細い悲鳴が飛行船に響き渡った。
◇◇◇
「おいティナ。いつまでそこで蹲っているつもりだ」
「む、むむむむむむむりぃっ……!」
「無理なら帰るか? 別に僕はそれでもいいんだが」
1時間後。
先ほど飛行船から見た荘厳な宮廷の正門前で、ティナは震えながら蹲っていた。
「だ、だって、だって! 宮廷で働くなんて聞いてないしっ……!」
「そりゃ言ってねえからな」
深々と頭を下げる衛兵に軽く挨拶を返しつつ、しれっとした顔でパーシヴァルが言う。ティナは悲痛に叫んだ。
「何で教えてくれなかったんですか!」
「何でって……お嬢様は『宮廷学者になれ』って突然言われても嫌がるだろ」
「そりゃそうですよっ!」
「だから言わなかった。もうここまで来たら引くに引けねえだろ?」
「さ、ささささささ詐欺じゃないですか……!」
目尻に涙を浮かべ、ティナは恨みを込めた視線でパーシヴァルを見上げた。こんなの聞いていない。
てっきりティナは、帝国のちょっと小さな建物で細々と書類仕事をして働くものだと思っていたのだ。
それが蓋を開けてみれば宮廷学者って、恐れ多いにも程がある。ド田舎のいち事務員とは比べ物にならない大出世にティナはブンブンと首を横に振った。
「む、無理です無理です! 帝国の宮廷で働くなんて無理っ!」
「何でだよ。給金の心配ならいらねえし、休みだってちゃんと──」
「そういうことじゃないですっ! わたしには荷が重すぎますよ……!」
泣き言を言い、ティナはぐずぐずと洟をすする。とにかくティナには荷が重い。なんたってヴァンタール帝国は世界でも有数の大国だ。
その宮廷で働くということはつまり世界でもトップクラスのエリートになると同じで、ついこの間までド田舎で働いていたティナには信じられない話だった。何はともあれ無理なのである。
「荷も何も重くない。俺が決めたんだから間違いねえ」
「いやいやいや無理なんですって!」
「無理じゃない。ほら早く立ってくれ」
「無理なんですってばぁー!」
「は〜……仕方ねえ。おいクロード、お前足持て。こうなったら力づくで中まで連れていく」
「ひいぃっ!? た、たすけてぇーっ!」
ティナの脇の下に両手を入れると、パーシヴァルは軽々とその身体を持ち上げる。
やがてクロも呆れた様子でティナの両足を持ち上げ、抵抗虚しくティナは宮廷の正門を駄々をこねる子どものような姿で通るはめになった。軽い公開処刑だった。




