第二章
5月2週目の木曜日。
この日は朝から
気温がぐんぐんと上がり続けていた。
天気予報では予想最高気温は26℃、
ほぼ風も無く、
熱気とネットリした湿気が
益戸をドームのように覆っていた。
しかも夕方から突然の雷雨予報が出ている。
アヤカはそっとため息をついた。
午後3時のカフェ・ヴェルデの
お客様の入りは約4割ほど。
来店されたお客様の多くは
暑さからのクールダウンを求めて、
冷たい飲み物を注文されていた。
店内は爽やかな5月の風を諦めて、
クーラーで冷やされている。
「ねえアヤカ、今夜のお通夜、本当に行くの?」
ミナが厨房の窓口からひょっこりと顔を出した。
「え?・・・うん。
上川さんには色々お世話になったし、
最後・・・その場にいたし」
「大丈夫?」
「・・・うん」
あの日。
益戸スプリング・フェスティバルの
初日に起こった悲劇は、
益戸市民に大きな混乱と不安をもたらした。
フェスティバル会場には
警察車両や救急車が続けざまに何台も到着し、
事件を知った人々の一部は
パニックに陥った。
中には気分が悪くなって、
救急員の手当を受けた人も何人かいたらしい。
救急員達が上川さんの処置している間、
アヤカは一歩後ろでその様子を、
現実ではないかのように見ていた。
上川さんは救急隊の懸命の呼び掛けや
蘇生の処置を受けていたようだが、
誰かが言った心肺停止の声がアヤカにも聞こえた。
上川さんがストレッチャーに乗せられ、
救急車で運ばれていくのを
アヤカは歩道の縁に座りながら
ぼんやりと見守った。
(たぶん・・・助からない)
以前、店の裏で遺体を発見したこともあったが、
それとこれとは全く違う。
人の生気が失われていく様は、
恐ろしく淡々と静かだった。
時々、今もその光景がフラッシュバックのように
目に浮かんでくるが、
その時の記憶は曖昧だ。
ただ地面に広がった赤黒い血は覚えている。
座り込んでいたアヤカにも、
救急隊の人が気を配ってくれて、
手に付いた血や、顔の汗を拭いてくれていた。
アヤカは現場に駆けつけた警官に
事情を話していたが、
子供達を連れたチカや園長先生が
店に戻ったのと入れ替わりにミナがスッ飛んできた。
ミナ曰く、私は質問にはちゃんと答えていた
らしいが、私の様子がおかしいと
途中でミナが話を遮って現場から連れ出してくれた。
その後、一旦ミナと店に戻り、
アヤカの車を運転してくれ家まで送ってくれたのだ。
私は・・・大人しくミナに従い、
ベッドで素直に眠ったらしい。
いつの間にか寝る時用の
スエットも着せてくれていた。
どのくらい眠ったのだろう、
目が覚めた時、どこにいるのか
わからず一瞬パニックになりそうだったが、
微かに漂う紅茶の香り、
手に触れる柔らかいブランケットは、
ここは自分の家で、安全な場所だと
アヤカに安堵を与えてくれた。
重い身体を起こしてリビングに入ると、
「おはよう」
ミナが台所にいた。
テレビの上の壁掛け時計を見ると、9時半。
ベランダのカーテン越しに
薄く光が透けて見えるので、
どうやら朝らしいとわかった。
昨日からそれだけ眠っていたのか。
・・・昨日よね?
まさか、一昨日からじゃないわよね?
ソファには、
キチンと畳まれたブランケットがあった。
どうやら、ミナはそのままアヤカの家に
泊まっていたらしい。
「・・・ミナ・・・」
「大丈夫?
昨日から眠り続けていたから。
・・・紅茶いれたから・・・飲む?」
とりあえず事件の翌日だとわかった。
「・・・うん」
「ハチミツとミルクも入れるね」
ミナが濃く入れてくれた甘いミルクティー。
少しづつ啜ると、
ああ・・・温かさが身体にも心にも満ちてくる。
「お腹は?空いてる?食べられる?」
「・・・ううん」
「・・・そう。
じゃあ、飲み終わったらもう一度寝たら?」
「うん」
ノロノロともう一度ベッドに戻る。
まだシーツにほんのりと暖かさが残っていた。
ゴソゴソとシーツとブランケットの間に滑り込み、
いつの間にかまた眠っていた。
何も考えず、ただただ深い意識の下へ。
夢も見なかった。
次に起きるとさっきよりも気分が良くなっていた。
そして今度は母のショウコが珈琲を飲みながら
足を組んでソファに座っていた。
どうやらミナと母が"私の世話係"を交代した模様。
薄グレーのラメが入った半袖のサマーニットに、
ゆったりとしたブラウンのワイドパンツの母は、
テレビでワイドショーを見ていたようだ。
ベランダの方を見ると、
今度はベージュのカーテンの向こう側は
オレンジの光を放っている。
どうやら夕方のようだ。
「起きたのね」
母が首を捻ってアヤカの姿を捉えた。
アヤカとチカの母、鈴井ショウコは、
アヤカの地元、香椎で歯科医院を経営している。
本人も歯科医師だが、今はどうやら若手に
施術は任せて経営のみの模様。
おかげで、チカの子育てに協力して
孫のアンのお迎えやらも担い、
さらに、地域ボランティアにも活動に力を入れ、
精力的に地域を飛び回っている。
ちなみに、父も歯科医師だが、
現在スウェーデンの大学で研究に勤しんでいる。
滅多に日本には帰ってこず、
アヤカとチカも最後に会ったのは4年前。
しかし時折、
「今、ストックホルムにいるわよ」と電話がある。
姉妹の知らないところで、
母だけ父に会いに行っている。
母のフットワークの軽さに驚きつつも、
離れていても夫婦仲はまだまだ良好らしい。
それはそれで家族としては安心なのだが。
母はソファに座ったアヤカをブランケットに包み、
背中をゆっくりとさすってくれた。
「昨日、チカやミナちゃんから電話があって。
大変だったわね。
・・・少し落ち着いた?
もう夕方になるわよ?
お腹は空いてない?
ミナちゃんがスープを作ってくれていたの。
・・・食べられそう?」
「・・・うん」
さっきよりも意識がハッキリとしてきた。
そして急激にお腹が空いてきた。
母が運んできてくれたミナのスープは、
豆乳をベースにした優しい野菜スープ。
カブやジャガイモ、ベーコンが細かくカットされ、
食べやすいようにと、
ミナの配慮が滲み出ていた。
「・・・美味しい」
「災難だったわね」
いつもおしゃべりな母が
珈琲を片手に無言で隣に座った。
アヤカはスープを半分ほど食べてからカップを置いた。
「・・・ねえ、ママ」
「ん?」
「上川さん、死んじゃったのよね?」
「・・・そうね、残念だけど」
「私・・・何にも出来なかったな」
「あなたのせいじゃないわ」
「そうだけど・・・。
目の前で人が亡くなるなんて初めてで・・・。
怖くて頭が真っ白になっちゃって・・・
何か・・・他にも何か出来たんじゃないかなって」
アヤカは万が一、お客様が店の中で
何かあった時の緊急事態に備えて、
人命救助の講習を受けていた。
あの時、もし自分がもっと冷静だったら、
上川さんにもっと何かしていれば・・・違っていたのだろうか。
母がアヤカの顔を見ながらゆっくりと答えた。
「たぶん・・・無理だったと思うわ。
私も医師の端くれだから少しわかるんだけど、
話を聞いた限り、あの出血状態では、
輸血の準備が無い限り、
外科の医師がいたとしても
難しかったでしょうね」
母はミナから事件の詳細を聞いたらしい。
ちなみに母は歯科医だが、
大学では人口蘇生などの講習もあるんだそうな。
「ニュースを見てるけど、
犯人はまだ捕まっていないみたいよ。
・・・怖いわね。
まだ犯人がウロウロしているなんて」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「チカも今週末は家にいるみたい。
ミッキーも付いてるし、
アンもそのほうが安心でしょ。
・・・あ、そうそう!」
突然母がパチンと両手を合わせた。
「さっき、あんたにセンセイから電話があったわよ」
先生?
あっ!
「え?え?・・・もしかして庄司さ・・、
あ、准教授から?」
「あら、あらあらあら・・・!
そうなの?そうなのね?」
母がしんみりした顔から微笑む・・・
どころじゃない、
ニマニマと隠しきれない笑顔を浮かべた。
「で、出たの?」
「しょうがないでしょ?
あんた、ぐっすり寝てたんだから。
何度も着信があったから緊急かもしれないし」
慌ててテーブルに置いてあった
自分のスマホを確認する。
着信とメッセージが沢山届いていた。
ミナ、チカ、友人や
シティ・リビングのユウコさんや元同僚、
店のお隣のヨウコさん達・・・。
その中で准教授からは午前11時頃から3度の着信。
「なんで出るのよ!!」
思わず母に噛みつく。
「あら、だってアヤカは眠りっぱなしだったし、
何度も連絡があったから、
すごく大事なことかと思ったのよ」
「・・・それで?なんて言ってたの?」
「今、羽田空港だって。
これからイタリアへ出発するんだけど、
さっき事件のことを聞いたから、
アヤカのことを心配して連絡をくれたみたい」
「イタリア?・・・今日なの?」
ショックだった。
准教授とはかなり親しくなっていた
つもりだったのに。
イタリアに行くこともユウコさんから
人づてに聞いたし、
その間に庄司さんと会う機会も無かったから、
出発の挨拶も無し。
・・・私ってこんなものなの?
ずーんと気分が沈む。
母がそっとアヤカの肩に手を置いた。
「アヤカは知らなかったの?
先生の出張のこと。
電話に出た時ね、センセイ、すっごく慌ててたわよ?
アヤカは今眠ってる、
大丈夫って言ったんだけど、
それでも心配してたわよ?
先生ね、
こんな大変な時に行けなくてすいませんって
言って、私に謝っていたわ。
・・・ふふっ、
アヤカとはまだ婚約者でも夫でもないのにね。
でもあの先生、誠実さは確かなようだわ。
向こうに着いたらまた連絡するって」
・・・・・・・・・・。
母の目が気になるけど、
スマホのメッセージを開いてみる。
未読が何件もあり、
その中に庄司さんのメッセージもあった。
『アヤカさん。
事件のこと、平原さんから聞きました。
大丈夫ですか?
これからイタリアへ行かなくてはならず、
こんな時に側に付いていられなくて
申し訳ありません。
どうかご自愛なさってください。
また連絡します』
「・・・硬いわね」
勝手に画面を覗き込んでいた母が
ボソッと感想を述べた。
短い文章だったけど、それでもうれしかった。
だって、出張が無ければ・・・
私の側にいてくれたってこと・・・よね?
この部屋で?
付きっきりで??
二人で???
ふと自分の着ているヨレヨレの
グレーのスエットの上下を見下ろした。
・・・・やだっ!
これはヤバい!
何ならシミも付いてるし!
万が一(?)を考えて
なんか、可愛いルームウェアを買っておかなきゃ!
ジェラピケとか?
あ、最近はGUとかでもセンスがいいのがあるし!
可愛すぎるのは無しかしら?
大人の女性として相応しいモノを・・・。
表情がクルクルと変わる長女を見て、
母が立ち上がる。
「・・・とりあえず元気にはなったみたいね。
もう大丈夫みたいだから、私は一度家に帰って、
ちょっと医院にも顔を出してくるわね。
また夕方、買い物してから来るから。
何か欲しいモノはある?
あ、今日は泊まっていくわよ?
用意はしてきたから」
そう言って母はソファの傍らにある
大きめのロンシャンのトートバッグをポンと叩いた。
ハッと気づく。
そうだ、私、文句ばっかりで・・・
まだ母にお礼も言ってない。
「あ、うん。
あの、母さん・・・ありがとう。
ココにいてくれて」
「・・・当たり前でしょ?
それより起きてるなら、
まずはミナちゃんにお礼を言いなさいね?
連絡をくれた皆さんにも
ちゃんと返信するのよ?」
「もう!わかってる!」
「・・・それにしても」
母が小さめのショルダーバッグを肩にかけた。
「今回のこと、どうなのかしらね。
報道通りに、本当に通り魔の犯行なのかしら?
もしかして、あの上川さんって人を
恨んでいるヤツの仕業だったりするのかしら。
・・・アヤカ、あなたはどう思う?
あーー!いやだわ!
最近あなたの周りは事件ばかりだから、
こんな考えになっちゃうのかしら?
じゃあ、行くから!
しっかり鍵はかけるのよ!」
・・・ハイ。
母もいなくなった部屋でアヤカはポツンと一人
残された気分になった。
少しぬるくなった珈琲をすすりながら
母が言った言葉を考える。
通り魔・・・本当に通り魔なの?
あんなに人がいるのに?
なんで上川さんだったのかしら?
偶然?それとも・・・。
カフェ・ヴェルデは当初の予定通りに
火曜日から通常営業を再開した。
ミナやチカは私のことを気遣って、
休みにしたほうがいいと言ってくれたのだが、
日常のルーティンをしたほうが
調子を取り戻せそうな気がした。
が、やはり事件の影響の余波を受け、
カフェ・ヴェルデもいつも通りとはいかなかった。
木曜日の今日になって、
やっとポツポツと客足が戻ってきたが、
フロアは空席が目立つ日が続いている。
フェスティバルは中止になり、
その後の全ての日程も計画も無くなった。
平日に戻った益戸の駅前は、
出勤や通学で使用する朝夜以外は閑散としていた。
パトロールする警官やパトカー、
取材しようとするマスコミもウロウロしていた。
いつもとは違う雰囲気に、
多くの益戸市民は、必要最低限の外出のみで
他は控えているようだった。
外食や飲みに行く人々が減り、
夜も足早に家路を急ぐ人ばかりで、
飲食店を中心にジワジワと益戸の経済にも
影響が出てきている。
子供たちも学校の緊急措置として、
集団登校や下校が行われ、
放課後は校庭で遊べなくなり、
いつもは賑やかな公園もひっそりとしている。
ちなみに今日はチカが休みを取っていた。
子煩悩なチカの夫のミッキーは、
アンの為に今週は自宅でのリモートワークに
切り替えていたそうだが、
今日はどうしても都内にある会社に
出勤しなければならず、
チカが休みを取ることになったんだそうな。
姪のアンは益戸駅近くの幼稚園に通っているのだが、
今週はすべて休園になっている。
何でも、今まで以上に幼稚園のセキュリティを
上げなければならないので、その準備期間だそうだ。
電話の向こうでチカがため息をつく。
「しょうがないよ。
これまでだって、幼稚園の入口は
スタッフの方が出入りを見てくれていたし、
認証カードを持っている人しか通さないんだけどね。
でも、あの事件の犯人は
まだ捕まっていないからさ、
ママ友達も先生もみんな心配してるし、
不安がってるから。
そのおかげで、もう!
アンが退屈しちゃってて!
家にいるの限界なのよ!!
まだそこら辺に犯人がウロウロしてるかも
しれないから、
公園にも不安で連れていけないし・・・」
上川さんの事件は、すでに殺人事件として、
全国的にニュースが流れていた。
本来なら楽しい祭りなのに殺人事件だなんて、
恰好のニュースネタだもん。
警察の捜査は進んでいるかどうかわからないが、
とにかく今夜、上川さんのお通夜があるそうだ。
これはお隣のヨウコさんからの情報。
今日、午前中にヨウコさんとキクさん、
それに孫のサクラさんの三人で来店してくれていた。
ヨウコさんは顔を曇らせながら、
ハニーレモネードアイスティーを手にした。
「益戸市役所の知り合いから連絡を頂きましてね。
上川さんとは、私が講師をしている
お茶とお華のカルチャークラブの
お世話をして頂いていたんですの。
・・・遅くなったようですけどご遺体が返されて、
今夜、お通夜みたいですわ・・・辛いわね」
キクさんは本日のアイスコーヒーを
ストローでクルクルとかき回した。
「私もサクラから事件の知らせを聞いて、
びっくりしましたの!
サクラがお手伝いしている"こばとの家"の子供たちの
パレードに上川さん、突っ込んだんですってね!
子供たちもさぞ怖かったでしょうね。
アヤカさんもその場にいらしたんでしょう?
大変でしたのね。
もう大丈夫ですの?
・・・それは良かった。
でも無理はなさらないでね。
・・・それにしても、
上川さん、お気の毒ですわ。
確か、お子さんがいらしたはずですわよね?奥様。
・・・まだまだこれからなのにねぇ・・・」
するとハニーレモネードスカッシュを飲んでいた
キクさんの孫のサクラがコクコクと首を縦に振る。
「私も深田さん達から話を聞いて
びっくりしちゃった!
私、ここで他の大学の子達と
そろそろパレード見に行こうって話してたんだけど、
慌ててみんな帰ってきて!
話聞いたら、大変なことがあったって、
園長先生がおっしゃってて!
子供たちも不安定になっちゃって、
大きい子達はどんなことが起きたかわかってたし、
泣き出した子もいたし、
震えていた子もいたんです。
・・・ホント、子供達が心配で。
昨日、電話して園長先生と話したんですけど、
今はこばとの家には行けなくて。
だからって友達とも出かけられないし。
ココに来るのだって!
お祖母ちゃんとヨーコさんが、
わざわざタクシーでウチまで迎えに来たんです!
んもう、心配性過ぎて困っちゃう!
・・・大学も今週は全部休講だしな・・・」
ぼやくサクラだった。
誰もが気持ちが沈んでいるようにアヤカは思えた。
何も出来ない自分を歯痒く感じるけど、
どうしたらいいのか。
上川さんが亡くなったのは悲しいけど、
・・・ああ、もう!なんだかイライラする!
よーーし!!
「ねえ、ミナ。
このブルークグロフだけど、
小さめに切って、サービスでお客様に配らない?」
ミナの目が大きく開く。
「!・・・いいわね。
お客様が喜んでくれるのなら」
「じゃあ、そうする!」
カフェ・ヴェルデも来客が少なくなっているので、
ミナは店で焼くスイーツの量を
減らさざるを得なかった。
その為、少し、ほんの少しだけど、
落ち込んでいる様子。
・・・まあ、もしかしたら、上川さんの事件で
恋人の久保さんが忙しくなっているから
かもしれないけど。
クグロフ型で焼いたブルークグロフは、
王冠のような型で焼いたバターケーキで、
ブルーベリーを入れ、
さらにほんの少し塩が加えられてある。
シュガーパウダーを頭上に振り掛け、
まるで雪山のような美しさ。
外はカリッと、中はふっくらとした食感で、
ブルーベリーの甘酸っぱさと、
ソルティの風味が絶品だ。
アヤカは素早くケーキを切り、
皿に盛り付け、生クリームも添えた。
サービスとはいえ、手は抜きたくないもんね。
アヤカはトレーに試食用の
ケーキを沢山乗せながら、フロアを笑顔で回った。
「・・・あら!ケーキ?」
「美味しそうね!え!?サービスなの?
いいのかしら!?」
予想通り、ケーキをいらないと
おっしゃるお客様は一人もいなかった。
追加で珈琲を頼んでくれるお客様もいたし、
自宅用にブルークグロフを
購入してくれたお客様もいた。
何よりも、お客様が笑顔を浮かべてくれたのが
アヤカは嬉しかった。
それに、コレでカフェ・ヴェルデの今後に繋がれば、
有益な投資よね?
でも一番大事なことは、
カフェ・ヴェルデに来てくれたら、
暗い気持ちを吹き飛ばして
幸せな気持ちで帰ってほしいから。
・・・それにしても、
事件はどうなっているのかしら?
アヤカも事件の目撃者として、
あの場所で警官から事情聴取を受けた。
といっても、アヤカも少なからず
ショックを受けていて何を話したかを
あまり覚えていないのだ。
警察は今ももちろん捜査しているのは
わかっているけど、
事件になるといつも来店する、
益戸警察署の一之瀬警部補が
一向にカフェ・ヴェルデに顔を見せないのだ。
しかも第一発見者(?)であるアヤカに
直接話を聞かないなんて。
もしかすると、もう犯人がわかっているのかな?
・・・今夜、お通夜に行けば会えるのかしら。
上川ナオキのお通夜は、
北益戸駅すぐ目の前の四階建ての
セレモニーホールで行われた。
アヤカとミナは仕事が終わってすぐ、
店の二階で喪服に着替え、アヤカの車で訪問した。
入口には"上川家葬儀"と札がある白い花が
飾られていた。
今日のお通夜は一組だけ、
上川家のご葬儀だけのようだった。
エレベーターで4階に昇り、扉が開くと、
目の前に上川さんの遺影が飛び込んできた。
いつ撮られたものなのか、
穏やかで温かな笑顔をこちらにむけていた。
(あんな・・・ひどい最期を遂げたとは思えない)
アヤカはふっと涙が込み上げてきそうになった。
上川さんとは、スプリングフェスティバルの
打ち合わせからの付き合いである。
1月のある日、カフェ・ヴェルデに電話が
掛かってきたのだ。
「お忙しいところ誠に申し訳ありません。
私、益戸市役所の生活安心課、上川と申します。
カフェ・ヴェルデ様のお電話で
間違いないでしょうか?
ご店主の鈴井様は・・・あ、失礼しました、
御本人様でいらっしゃいましたか。
実は今年の益戸スプリング・フェスティバルに
カフェ・ヴェルデ様の出店をお願いしたく、
ご相談の訪問をさせて頂きたいと
お電話したのですが、
只今、少しお話しさせて頂くことは
可能でしょうか?」
あと少しで休憩に入るところだったアヤカが、
電話を取っていた。
「あ、お世話になっております。
カフェ・ヴェルデオーナーの鈴井と申します。
・・・あと20分程後でしたら、
お話しできると思うんですが・・・」
「承知しました。
では、あと20分後にまたお電話差し上げても・・・?」
それが上川さんとの最初の出会いだった。
電話口からの上川さんの声から、
第一印象はおっとりとした
優しそうな人物という印象だったが、
カフェ・ヴェルデでの初対面で
それは確信になった。
フェスティバルへのエントリーを決めた後、
何度か行われた出店する各オーナー達との
会合でも、
いつもニコニコと終始和やかな雰囲気で
会議の進行を進めながら、
話し合いがこじれそうな時も、
それぞれの意見を纏めながら、
しっかりとしたリーダーシップを発揮し、
プロジェクトを進めていた。
まさに益戸のために、地域を守る公務員を
地で行く人だった。
それが何で・・・こんなことに?
なんで殺されなきゃならないの?
「あの人が上川さんの奥様ね」
小声でミナが囁く。
ミナが見ていた方向にアヤカも視線を向けた。
祭壇のすぐ側の椅子に、焦げ茶色の
ショートカットの女性が座っていた。
後ろ姿なので顔は見えないが、
きっちりと喪服の着物を着ていた。
女性のすぐ横のイスには
落ち着かない様子の小さな男の子がいた。
おそらく上川さんの息子さんなのだろう。
3、4歳くらいだろうか、
白いシャツとサスペンダー付きの
黒の半ズボンを着用し、
葬儀訪問者や葬儀場スタッフの
大勢の大人に興味津々の様子で、
キョロキョロとあちこちを見回していた。
・・・たぶん、まだお父さんが亡くなったことを
理解していないんだろう。
でもいつかお父さんと会えないとわかる日が来る。
可哀想に・・・胸がきゅっと痛んだ。
アヤカはミナと共に受付を済ませ、祭壇に進む。
お棺の扉は閉まっていて、顔は見えなかった。
アヤカは遺影が飾られた祭壇を見上げた。
ほんのり明るい照明と白い花々に囲まれ、
静謐な雰囲気を漂わせていた。
その周りでは、
親戚や仕事関係者と思われる人達が、
あちらこちらで小声で話し込んでいたり、
葬儀社のスタッフ達が
準備の慌ただしさに追われている。
アヤカ達が失礼しようと出口に向いかけたその時、
今着いたばかりの様子の4人組が会場に入ってきた。
受付に軽く会釈し、
そのまま喪主の上川さんの妻に近づいた。
すると、上川さんの息子がポンと椅子から降りて、
タタッと一人の背の高い男性の足元に抱きついた。
「オジちゃん!」
「・・・ナオヤくん」
(親類の人達かな?)
アヤカが何気なく見ていると、
かなり茶色に髪を染めた男性の一人が
突然泣き出した。
「上川!なんで、なんでこんな事に・・・!
こんな素敵な奥さんと可愛い子供を残して!!
こんなことってあるかよっ!」
「古賀・・・気持ちはわかるけど落ち着け。
まずは、カヤコさんにお悔みを言おう」
上川さんの子供の頭に手を乗せていた男性が
諌めた。
「そうよ、ユウジ。
今は静かに上川くんを見送りましょう」
唯一の女性が古賀ユウジと呼ばれた腕に
そっと自分の腕を絡めた。
しかし、ユウジと呼ばれた男性はそれでも
気持ちが収まらないようだった。
「わかってる、わかってるよ!
でも俺、まだ気持ちが追いつかないんだよ!
俺達、小学校からのダチなんだぜ!?
こんな、こんな形で親友を失うなんて・・・。
なあ、松永。
アイツは、上川は本当にイイヤツで、
人が良くて、いや、
良すぎて、なんで通り魔なんてヤローに
殺られて・・・」
あまりの大声に周りの注目を浴びていることに
気づいていないようだ。
「古賀!・・・そこまでだ。
・・・ナオヤくん、ビックリしたね。ごめんな」
松永と呼ばれた男性が
優しく上川さんの息子、ナオヤくんの頭に手を置く。
「向こうでゲームしようか?
・・・カヤコさん、いいですか?」
「・・・ありがとうございます」
未亡人の横顔が初めて見えた。
目鼻立ちがハッキリした、
可愛らしい感じの女性だった。
しかし、伏し目がちなその表情は暗く沈み、
疲れているように見えた。
「ハ・・・いや、モナさん、古賀のこと頼みます」
モナと呼ばれた女性は、おそらく古賀ユウジの妻なのだろう。
松永に軽く頷くとまだしゃくり上げている夫を
壁際の椅子のまで誘導していった。
上川さんの息子を連れた人物は、
エレベーターに向かって歩いていった。
すると一番後ろにいた人物が、
上川夫人の前に進み出た。
「カヤコさん・・・上川くんのこと、本当に残念です。
お悔みを申し上げます。
彼はこの益戸にとって、
なくてはならない人物でした」
4人の中で一番後ろにいた最後の一人が
カヤコさんに言葉をかける。
あれ?
あの人・・・見たことがある。
「ありがとうこざいます・・・山中副市長」
副市長!
そうだ!あの人、ウチの副市長じゃないの!!
古賀と呼ばれた男性よりは少し低いけど、
180センチ近い長身の身体を折って、
上川夫人に挨拶しているのは、
間違いなく益戸の副市長だった!
確か、山中・・・ユウイチロウだっけ?
去年の益戸市長選で立候補し、
若く、爽やかなイケメンと言われ、
街頭演説に立てば、
かなりの人だかりができていたっけ。
結局3期目の現役市長が選ばれ、
市長選には敗れたが、副市長に就任した、
話題の政治家だ。
ふーむ・・・確かに顔はいいかもね。
少し日焼けした肌に少し垂れた目、
鼻筋も通っているし、
歯もクリーニングに通っているのであろう、
白さが目立つ。
仕立ての良さそうな喪服を着用し、
靴もよく磨かれている。
「同じ益戸の一公務員としても、
何より友人として上川がこんなことになるなんて・・・。
悔しくてなりません」
友人?
そうか、副市長も上川さんの友人なのね。
山中副市長は周囲の注目を浴びていた。
益戸の公務員が悲劇的な事件で
亡くなったのだから、
地域の長として訪問したのは、わかる。
しかも友人で、さっきの号泣していた人の
仲間だと思うと、かなり親しいのだろう。
・・・本当に、お気の毒だわ。
アヤカはミナとそろそろ失礼しようと、
受付で会葬御礼を受け取り、
エレベーターの方向へと歩き出した。
すると、パタパタと乾いた足音が聞こえた。
振り返ってみると、
え?真っ直ぐこっちに来る?
喪服を着た上川さんの奥様が切羽詰まったような形相で、
彼女はアヤカとミナの元まで迷いなく、
近寄って来た。
そして、幽霊でも見たかのようにジッと
アヤカの顔を見つめた。
座っているときはわからなかったが、
かなり小柄な人だった。
「あの・・・失礼ですが、
益戸のカフェ・ヴェルデの鈴井さんですか?」
幾分戸惑ったような声で上川カヤコが
アヤカに話しかけた。
「ええ、そうですけど。あの、この度は・・・・」
お悔やみを言おうとしたアヤカだったが、
上川さんの妻は言葉を遮るように、
アヤカの腕をそっと掴んだ。
「すいません、ちょっとこちらへ来て下さい」
へ?
反対する暇もない無く、
引っ張られるように
アヤカはそのまま連れて行かれた。
「え!?どうしたの!?」
慌てて、ミナも後を追ってきた。
え?え?
上川さんの妻の手に引かれるまま、
アヤカは人気の無い非常階段を降りて、
ひとつ下のフロアまで来た。
「あ、あの!?」
アヤカが危険を感じて腕を振りほどくと、
上川の妻の足がやっと止まった。
「・・・・ごめんなさい。
無理やり連れてきてしまって。
誰にも見られたくなかったものですから・・・。
私、上川の妻の上川カヤコと申します」
少し息が上がっていた。
「あ・・・鈴井アヤカです。
・・・この度はご愁傷様です。
それと、こちらは平井ミナさんです。
私と同じカフェ・ヴェルデのスタッフです」
少し息を切らしながら追いついてきたミナが
アヤカの横に並んだ。
「ひ、平井ミナと申します。
この度はご愁傷様でございました。
・・・でも、あの、これは一体・・・?」
ミナもカヤコの突然の行動に
頭が追いついていないようだった。
「突然申し訳ありませんでした。
他の誰にも聞かれたくなかったんです。
さっき、偶然、
記帳台であなたのお名前を見たんです。
それで係の人がどの人か教えてくれたので・・・」
「そうですか・・・えっと・・・」
それを聞いてもよくわからない。
私が上川さんの最期を、その、看取ったからかしら。
その最後の様子を聞きたいのかしら。
しばらく沈黙が続いた後、
上川カヤコがやっと口を開いた。
「・・・あの、鈴井さん、
探偵をなさっているんですってね?」
「え!?」
思ってもみなかった言葉。
「・・・実は生前、夫からあなたのお名前を
聞いていたんです。
私も2回ほどあなたのお店に伺ったことがあって、
それを夫に話したら、
鈴井さんはこれまでこの益戸で起きた、
色んな事件を扱ってきたって話してくれて。
ナイショだけどって言ってましたけど」
そっち!?
上川さんの最後のことじゃなくて!?
アヤカとミナは顔を合わせた。
「あの、急に夫が亡くなって、色々混乱してて、
すっかり忘れていたんですけど、
さっきあなたのお名前を聞いて、
思い出したことがあるんです。
それで動転してしまって、
いきなりここにいきなり連れて来てしまって。
ごめんなさい。
・・・実は、夫が亡くなる少し前、
あなたのお名前を聞いていたんです。
確か4月の初め頃だったと思いますが、
冗談みたいに言っていたことがあるんです」
上川カヤコは自分の胸に手を当てた。
「すみません、
かなり前のことなので正確ではないのですが、
・・・夫は『もし、もしもだけど、
僕が突然いなくなったら、
益戸のカフェ・ヴェルデのオーナーの
鈴井さんを訪ねて欲しい』と」
「え!?・・・私を・・・ですか?」
「・・・はい。
でも、夫とのその時の会話は、
そんなに真剣に聞いていなかったんです。
その時は、困ったことが起きたらとか、
鈴井さんに相談してとか、
そういう意味で話していたのかと思ってました。
家で私が洗濯物を畳んでいる時で、
私も軽くハイハイって
『いなくなるなんて、なんだか不吉なじゃない』
って笑って返しただけで。
・・・でも、まさか、
本当に・・・いなくなってしまうなんて。
思いもしませんでした。
その時は彼も一緒に笑っていたし。
・・・それと、『その時は鈴井さんと
中学の卒業アルバムを一緒に見て、
僕を思い出して欲しい』と」
「・・・どうしてそんなことを?
あの、私、上川さんから何も聞いていなくて。
それにアルバム・・・ですか?
確か、上川さんとは同じ歳でもないですし、
私、香椎の中学校の出身なんです」
「わかりません。・・・でも、今考えてみたら、
その後、なんだか時々塞ぎ込むような
事が多かったんです。
帰りが遅くなったり・・・、
いつもだと大体同じ時間に
帰宅していたんですけどね。
でも、益戸スプリング・フェスティバルも
近かったので、
てっきり仕事が忙しいんだなとしか
思っていなかったんです」
「あの、この事、警察には話したんですか?」
ミナが口を挟んだ。
「いえ、その事は今まですっかり忘れていて、
さっき芳名帳で鈴井さんのお名前を見つけて、
急に思い出したんです」
上川さんが私に?
しかも何で中学の卒業アルバム?
「あの、奥様と上川さんは、
同じ中学の同級生なんですか?」
「違います。
夫は益戸西中学の卒業なんですけど、
私は神奈川の出身なんです」
「じゃあ・・・お二人は・・・」
更に質問を重ねようとしたその時、
上川の妻を呼ぶ女性の声が聞こえた。
「カヤコさーん?・・・どこーー?」
「あ、、はーーい!います!」
カヤコが声をする方向へと顔を向けた。
すると、先ほどの友人達の中の唯一の女性が、
階段から姿を現した。
ワンピースタイプの喪服に、
長い髪をシンプルに一つにまとめていた。
第一印象は儚げなキレイな人、
という感じだ。
ふわりと何かのスパイスの香りが漂う。
「葬儀スタッフの方が探していて・・・
ゴメンね、お話し中だった?」
「モナさん、ありがとう、すぐ行きます」
「・・・じゃあ、私は先に行ってるわね」
モナと呼ばれた女性はアヤカ達を一瞥すると、
ペコリと小さく会釈をして
また階段を登っていった。
そうだ、
いつまでも喪主が席を外すのはおかしいわよね。
今カヤコさんはお通夜の来客に、
対応しなきゃいけないのだから。
慌てる上川の妻にアヤカが言った。
「あの、今は何かと忙しいでしょうから、
もし良ければ、また日を改めて
お話することはできますか?」
「はい。
明日は告別式がありますので・・・
明後日、土曜日に家に来て頂くか、
お店に伺ってもよろしいでしょうか?」
「わかりました。
では夕方3時にウチの店でどうでしょうか?
その時に上川さんの言っていた
卒業アルバムもお持ち頂いて、
・・・あの、お子さんは大丈夫ですか?」
「・・・しばらく母が家にいてくれますから。
これから色々と片付けや、今後の事もあるので。
ナオヤは・・・息子はまだ父親がいなくなったことを
よくわかっていなくて。
突然のこの状況に不安定になっているんです」
カヤコも気丈には振る舞っているが、
いきなり夫を亡くし、息子の父も失われたのだ。
しかも殺人事件という犯罪の被害者。
母子とも大丈夫のわけがない。
しかし警察の捜査がまだなかなか進まない中、
夫の漏らしたほんの一言が、
もしかしたら夫の死の原因の
何らかの解明になるかもしれないと考えているのだ。
アヤカはキュッと拳を握った。
「あの、もしよろしければ、
ナオヤくんとお母様も一緒にいらして下さい。
ナオヤくんが好きなお菓子も
用意しておきますので。
では、明後日、店でお待ちしていますね」
「ありがとうございます」
アヤカとカヤコはお互いの連絡先を
交換し合った。
「・・・急にお話させて頂いたのに、すいません。
あとそれと、探偵のお仕事の料金って、
お幾らなんですか?」
「え!?料金??
いや、私達、このミナもなんですけど、
探偵業なんて本当はやってないんですよ。
今までたまたま、その、偶然事件に
巻き込まれたりとかして、
素人で調べたことがあるだけで。
・・・だから上川さんも、なんで私達のことを
話したのか、わからないんです」
「わかりません。
でも、不安があったことは確かなんだと思います。
だから、鈴井さん達のことを私に話しておいたのだと。
・・・でも、本当にアルバムに
何かあるんでしょうか?
今さらですけど、私の思い違いかもしれませんし。
警察が言うように通り魔なのかもしれません。
このことで、お二人に無駄足をさせてしまうかも・・・」
急に弱気になったカヤコにミナが優しく声をかけた。
「そんなことないですよ。
上川さんの話したことで、
奥様がそんなに気に掛かっているのなら、
何らかの予兆があったんだと思います。
それに、もしこれが何でもないと確認できれば、
奥様の気がかりが一つ減るわけですから」
「・・・ありがとうございます。
今日はこちらに泊まる予定なんですが、
明日告別室が終わって家に帰ったら、
私もアルバムをみつけて調べてみます」
連絡先を交換して、足早にカヤコは
上のフロアに戻って行った。
ミナがその様子をじっと見つめていた。
「・・・彼女、強いわね。
上川さんが亡くなってから、
まだ何日も経っていないのに」
「・・・うん」
辛く、悲しみの真っただ中にいるのだろうに、
それに耐えてとてもしっかりしている。
母は強し・・・ともいうかもしれないけど。
・・・ふと、疑問が浮かんだ。
あまりにも気持ちの切り替えが早くない?
・・・殺人事件は身内が犯人であることが
統計的に多いという。
カヤコが犯人である可能性は?
ミナを見ると彼女も考え込んでいた。
もしかしたら、ミナもカヤコのことを疑ってる?
あんなに傷心そうな妻を疑うべきでは
ないだろうけど・・・、
もしかしたら、あるかもしれない。
「・・・そうなんだ。
私、上川さんは誰かおかしい不審者に
殺されたのかなって考えてた。
あの人、いい人そうだったから、
誰かに恨まれるなんてことないと思ってた」
「私もよ。
だってあんな人混みで誰かを殺そうとするだなんて、
普通考えられない。
誰かに見られる可能性のほうが高いじゃない?
市の職員さんや警備員さん達も
かなりの人数で警備していたものね。
駅前だから、監視カメラも多いし」
お通夜翌日の金曜日の朝。
チカが久しぶりに出勤してきた。
昨日のお通夜の後、自宅に戻ったアヤカは、
念の為チカにも報告を入れておいたのだ。
(というのも内緒にすると
チカが怖いからなんだけど)
すると、ミステリー好きの夫ミッキーの
後押しもあり、チカも本日から仕事に復帰。
今は開店前のわずかな時間で
チカに昨日の出来事を話していたところ。
(チカ、前回の事件で危ない目に
あったんだけどなぁ・・・大丈夫かな)
「私も一緒に・・・と言いたいころだけど、
店の営業中でしょ?
奥の席で話すの?
うん、それがいいね。
状況も状況だし、私はフロアを見とくから、
姉さんとミナちゃんで話を聞いたほうがいいよ」
「ありがと、チカ」
ホッと胸を撫で下ろす。
アヤカの上川カヤコへの疑惑は
まだ心の中にしまってあった。
もう少し確信がないと、
ミナにもチカにもさすがに言えない。
「その代わり、次の日の日曜日、皆で集合ね!」
(うわ〜〜〜〜、そう来たか!)
「あ、それならウチに来ない?」
その時、
ミナが厨房の窓からひょっこり顔を出した。
「新作のスープを2種類を試作しようとしていたの。
良ければ、みんなでブランチにしましょ」
「わ〜〜楽しみ!
ねえミナちゃん、
ミッキーとアンも一緒でもいい?」
「勿論よ!・・・でも、あのね・・・・」
ん!?
「・・・もしかしたら、久保さんも来るかも
しれないんだけど・・・いい?」
むしろウェルカム!
新しい情報があるかも!
「もちろん!・・・っていうか、ミナちゃん、
私たちも行っていいの?
オウチデートじゃないの?」
「・・・うーーん、約束はしてるんだけど、
今上川さんの事件で忙しいから、
本当に来てくれるかわからないのよ」
ミナが顔を赤らめる。
「ってミナ、逆に久保さんから
この事件のこと全然聞いてないの?」
アヤカは首を傾げた。
「少しだけ、ね。
久保さん、真面目な人だから、
警察の情報守秘義務に従って、
容疑者とか個人名とかは言わないの。
大体のところだけ。
・・・この事件、人が多い場所、
つまり大衆の面前で起きたでしょ?
久保さん曰く、そういうのって目撃者が多いと
思われがちなんだけど、
実際は何も見ていないことが多いらしいの。
事件の時、ちょうどパレードがあったけど、
みんなの目がそっちにいっていたり、
スマホを見てたりしていて、
目撃者が全然出てこないみたいよ。
だから、今、監視カメラとか誰かのスマホに
何か映っていないか幅広く調べているみたい。
目撃者も募ってるみたいよ?」
アヤカは顔を曇らせた。
「確かに私も店の方と、
パレードを交互に見ていて、
上川さんがよろけて歩いている
ところしか見ていない。
その前にどこにいたのかわからないのよね。
ほら、上川さん、スタッフ用の緑色のジャケットを
着ていたでしょ?
ベストみたいな、
えーと、ビブス・・・って言うんだっけ?
それ着ている人も多かったから、何ていうか、
スタッフの人は大勢見ているはずなのに、
個人の顔は認識しないっていう」
チカがうんうんと相づちを打った。
「そういうのってあるよねー。
ほらさ、病院とかで白衣着ている人は、
みんな先生に見えちゃうみたいな?
制服で認識してて、案外顔は見てないの。
・・・ねぇミナちゃん、上川さんの家族とか、
仕事関係で怪しい人はいないの?」
チカがミナに問いかけた。
「そっちも調査が進まないらしいの。
でも、奥様や家族関係は良好だったみたいよ?
仲が良い家族だったみたいで、
よく家族で一緒に遊んでいたり、
買い物している姿も
ご近所の方に見られていたみたい。
アヤカと私もカヤコさんと話したけど、
しっかりとした奥様だった。
上川さん本人の悪い噂もなかなか聞かないって」
「そうなると、仕事関係なのかな〜?」
「市役所内の人間関係もいいらしいわ。
人当たりも良いし、誰かが言い争いしていても、
仲裁してくれるような貴重な人だったみたい。
とにかく上川さんの人の良さしか聞かないって。
・・・ただ、ね」
「ただ?」「ただ!?」
アヤカとチカの声が被る。
「役所関係の仕事だからこそ、
本人の知らないところで、
恨みを買っていることもあるかもしれないって、
久保さんは言ってるわ。
ほら、役所の人がいくら真摯な仕事をしていても、
怒鳴り込んで来る人とかいるでしょう?
自分の思い通りじゃないと怒鳴り込んでくる人とか。
もしかしたら、そういう関係者かもって。
とにかく、初めより範囲を広げて
色んな人に聞き込みしているらしいわ」
「む〜〜、ありそうだよね」
チカが唸る。
「そっちは私達には調べることは出来ないわね。
警察の方が人が多いから人海戦術?
って言うんだっけ?
ねえ、姉さんはこれからどうするの?」
「うん?」
「この事件、調べるの?
なんかそういう感じになってきてるケド」
「・・・どうなんだろう。
上川さんは私達に相談してって言ってたみたいだし、
だったら、故人の意志を尊重するのも、
あるんだけど・・・。
・・・でも、今回はすぐ解決するんじゃない?」
「なんで?」
「今のところは目撃者がいないみたいだけど、
今は監視カメラも多いし、真っ昼間に起きた事件よ?
たぶんすぐ犯人は捕まるわよ」
「・・・そう?あ、そういえばさ、
いつもだと来るあの警部補、来ないね。
ほら、一之瀬サン」
チカが訝しげに首を傾げた。
「そうなんだよね。
結局お通夜でも見かけなかったし」
一之瀬警部補が来なかったということは、
警察はやっぱり通り魔が犯人だと
考えているということかな?
カフェ・ヴェルデの営業が終わり、
アヤカは自宅へ帰ってきた。
帰り際にスーパーに寄って、
お惣菜コーナーで割引されていた
コロッケとチーズ揚げ、
ピザも買ってきた。
ここ数日色々あったし、
今日は読もうと思って積んであった小説を
一冊取り、ワインを飲みながらゆっくりしよう。
そう思っていた矢先、
ソファに投げ出していたアヤカのスマホが
振動した。
慌てて冷蔵庫を閉め、スマホに手を伸ばす。
と、表示は登録したばかりの上川カヤコ。
「もしもし?」
「あ、鈴井さんですか?
あの、上川です。
すいません、遅い時間に。
あの、明日なんですけど、
伺うことができなくなって・・・」
「あ・・・わかりました。
じゃあまた都合のいい時に・・・」
「あ、あの、違うんです!
実はウチ、泥棒に入られたんです!」
「え!?泥棒ですか!?」
「ええ、今日なんですけど、
午前中は告別式だったので、
家には誰もいなかったんです。
それで告別式が昼過ぎに終わって、
家に祭壇を作るために葬儀社のスタッフの方と、
帰ってきたんですが、
そうしたら、家の中が荒らされてて・・・。
もう、あちこちモノが引っ張り出されていたんです」
「じゃあ、お怪我はないんですね?
あの、警察へは・・・」
「もちろんしました。
先程まで警察の方がウチの中を調べていたんです」
そんな。
何でこのタイミングで?
「葬儀中で家に人がいないのを見計らって
泥棒に入るとか、
ニュースで聞いたことはありますけど、
それでしょうか?」
「警察の方もそんなことを仰っていましたが・・・。
夫は公務員なので、大勢の方が今日、
告別式があることはご存知ですから、
そうなのかも、と」
「盗られたものはあるんですか?」
「それが・・・わからないんです。
私と息子は昨日セレモニーホールに
泊まっていたので、その間じゃないかと
警察の方がおっしゃっていました。
葬儀の時に頂いた御霊前は
セレモニーホールに置いてあったので無事です。
家にも多少の現金は置いてありますけど、
わからなかったのか、盗られてはいませんでした。
高価なものも何もありませんし」
「犯人はまだわからないんですよね?」
「はい。
警察の方がこの社宅の防犯カメラや
家の近くの防犯カメラを
調べているらしいんですけど・・・」
確かにそういう葬儀泥棒があることは、
ニュースで見たことはあるが、
上川さんは普通の地方公務員だ。
自宅も社宅だし、失礼だが、
そんなにお金があるとは思えない。
御霊前のお金を狙って?
それはありうるかもしれない。
でも・・・・・・・・。
「あの、カヤコさん?
卒業アルバムってありました?」
「え?・・・あっ!
ちょっと、待ってください!!」
アヤカはスマホを耳に当てたまま、
神経を研ぎ澄ました。
ガサガサとした音やバタンと何かを閉める音が
何度も聞こえた。
(まさか・・・まさかね)
5分程待っただろうか。
「あの、鈴井さん?」
多少息を切らしたカヤコさんの声が聴こえてきて、
アヤカは慌ててスマホを握り直した。
「あ、はい!います!!」
「ない、ないです!アルバム!」
「無いんですか?」
「アルバムが置いてあった場所に無いんです!」
「間違いないですか?」
「さっきまで警察の方と、
散らかったものを片付けて、
全部元の位置に戻したつもりなんですけど、
夫の小学校と中学のアルバムが無いんです。
・・・私、鈴井さんに言われるまで
全然気付きませんでした。
昨日、鈴井さんと話した後、
すぐ確認すれば良かったんですけど、
家にはあれから帰っていなくて。
・・・あの、まさか、
泥棒の目的って、夫のアルバム・・・なんですか?」
カヤコさんの声が震えている。
「・・・わかりません。
カヤコさん、昨日私に話してくれた
卒業アルバムの話って、他の誰かに話しました?」
「いえ、話してません。
昨日お葬式で鈴井さんの名前を聞いて
思い出したくらいですから・・・・」
ということは、葬儀に来ていた誰かが、
アヤカ達の話を聞いていたということ?
それで卒業アルバムを奪おうと?
ああ、そうすると、
上川さんを刺した人物は、
お葬式にも来られる人、
つまり上川さんの親近者ってことになってしまう。
家族、親戚、友人関係、職場関係。
まさか葬儀スタッフってことは無いだろうけど。
もちろん見知らぬ人物が
何食わぬ顔をして葬儀に入り込む可能性もある。
「あの、カヤコさん、
・・・脅かすつもりはないんですけど、
今、そこにいるのは危険かもしれません。
泥棒が卒業アルバムを奪っていったなら、
また来る可能性はないとは思いますが、
カヤコさんやナオヤくんが・・・」
「・・・いえ、ココを離れるつもりはありません。
まだ夫がココに眠っていますし、
夫が殺されたことと、
泥棒に入られたということで、
警察の方が外で警護をしてくれているんです。
だから、大丈夫だと思います」
「わかりました」
卒業アルバムを盗むために、
上川宅を荒らしたのならば、カヤコはシロだ。
さすがに喪主が
葬儀場を離れることはできないだろうし、
自ら自宅を荒らす時間なんて無かったはずだ。
アヤカはカヤコを疑っていたことが恥ずかしくなり、
顔が赤くなるのを感じた。
とにかくアルバムというアヤカ達にたった一つだけ
残されたキーワードが失われた今、
どう動くこともできない。
カヤコには警察にアルバムが無くなったことを
伝えるよう話して、電話を切った。
シンと静まり返った自分の部屋で、
アヤカはこれからどうしたらいいだろうと考えを巡らせた。
これで終わりでいいのだろうか?
私にできることは?
・・・とにかく今はない。




