終末を欲す
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ひと区切り。個人的に、好きな言葉だ。
どんなに楽しいことでも、生きている限りはどこかしらで「終わり」を求めてしまう。疲れ果てた身体が発するかもしれないし、飽きを覚えた心が発するかもしれない。
終わりがあるからこそ、頑張れる。よくも悪くも、状態が変わってくれることを僕たちは望みがちなんだろう。そして、どこまでいっても「限り」が訪れるのは、この世界も同じこと。
ひとつ、僕が迎えた「終末」の話、聞いてみないかい?
昔の僕は、いまよりも読書の時間が多かった。
家の本棚に、古今東西の作家の全集がそろっていて、読むのに苦労しなかったのが大きい。娯楽のたぐいも制限されていて、選択肢が限られていたのも後押ししていただろう。
正直なところ、僕は本の内容そのものに興味をひかれるのは稀だ。
おそらく、長短を問わなければ千単位、あるいは万単位の話を読んだかもしれない。けれどその中で、寝食をわきに置くほどののめり込み……という経験は数えるほどしかない。
僕にとって、読書は逃避だったからね。
当時の両親の教育方針に、「時間を無為に浪費するべからず」というものがあった。これは僕自身にも当てはめられて、親は僕が視界に入るとき、何か建設的なことをしていないと不安を覚えたらしい。
へたにぼーっとしているところ、手持無沙汰にしているところを見られると、何かをやるようにせっつかれる。これが嫌で嫌で仕方なく、カモフラージュのためにそばへ本を置くようにしたというわけだ。
僕の相棒は、開きっぱなしの本が相手となる。部屋にいるとき、眠っているときを問わずだ。ただし、その中身が頭に入っているとは限らない。
ただ本を広げている姿勢を見せれば、親の機嫌は悪くならなかった。僕の読書ポーズを見て、時間を有意義に使っていると思い込んでいたのだろう。実情をどこまで把握していたか。
親に小言を言われないためだけに重ねる時間。意味があってないような、苦行のときばかりが身体につのっていく。
アイマスク代わりに、本を広げて寝ることも珍しくなくなったころ。
僕はこの役目を負うに、ぴったりの一冊を広げて、いつもそばへ置くようになった。
いかに詳しく突っ込んでこないとしても、同じ本ばかり読んでいたら怪しまれるだろう。
身代わりに開く本は、別に数冊用意しながらも、かの本はろくにめくられることもなく。ただページをおっぴろげながら、その日もそばにはべっていた。
今日の分の勉強は済ませている。正直、あまり好きではないから、必要なことを済ませたらもう、一分一秒だって鉛筆を握りたくなかった。
頭が疲れているのか、いまの読み途中の本の中身は、ほとんど入ってこない。眠気も強烈だ。
僕は床へ寝転がりながら、例の一冊へ手を伸ばす。
重さ、大きさ、いずれもほどよい気持ちよさを提供してくれるのが、こいつだ。いま読んでいる本を押しのけてでも、仕事をやらせるのはこのためだ。
開く個所も決まっている。
全1237ページ中、712と713ページの開き。骨なり筋肉が厳密にはシンメトリーになっていないのか、片側に少し重みを感じる程度がよし。
四六時中、開いていたためか、あるいは僕の顔の皮脂にあてられ続けたためか。紙面は他の部分よりも、やや黄ばみを帯びてきていた。
しかし汚い感じはしない。むしろ寵愛だ。親も僕の要望も同時に見たし、安らぎを与える。絶妙な加減をもつことの証。
これ以上、誇らしいことはないだろうと、僕はいつものようにあお向けた顔へ、開いた本をかぶせていく……。
近くで親の悲鳴を聞いたのは、いったん記憶が飛んでからだった。
近寄ってくる足音を後押しに、一気に意識をたぐって、アイマスク代わりの本を引きはがしにかかって……。
引きはがす?
ありえるはずのない抵抗。普段はラグなく外れる本が、ぴたりと顔にしがみついてくる。
表紙へかける、指に力を。ぐっと上へと持ち上げにかかると、ガムテープを剥がすような耳障りな音と一緒に、本はもぎ離される。
直後、どっと僕の顔いっぱいに降り落ちてきたのは、インク。
黒々とした液体を、とっさに目へ入れまいとまぶたを閉じた。代わりに顔を叩く水の気配と、ほどなく抱き起される感触が続いた。
目元を拭い、まなこを開いてそれが親に抱えられたのだとはじめて気づいた。同時に自分が置かれた状態にも。
僕の横たわっていたあたりには、黒々とした水たまりが浮かんでいたのさ。
頭から肩にかけての大きさ。顔も服も遠慮なく汚す、そのそばにはがされ落ちた紙面には、いささかも文字は浮かんでいなかったんだ。
記されていたはずの文字が、すべて流れてて一帯を汚したのだと、僕たちが察するのに時間はかからなかったよ。
あの本は長らく閉じられず、僕のアイマスクに使われ続けた。それはつまり、本にとって「読まれる」という仕事を、延々と強いられた状態のままだ。
いつ休めるとも知らず、エンドレスに。そりゃ本来の機能が失われて、どうかしてもおかしくないさ。特に状態が悪かったのかもしれない。
このことがあって、親が「無為な時間を過ごすな」と言ってこなくなったのは幸いだけど、少し困った体質になった。
というのも……ほら、身体に力を入れるとね、うっすら肌に文字が浮かんじゃうんだよ。
ジンマシンみたいに、浮かぶのも消えるのもあっという間。力をこめ続けなきゃ長くは見られない。
やっぱね。何事もほどほどに区切った方がいいんだろう。