27:文化祭
土曜日――文化祭当日、ついにこの日が来た。
俺達のクラスのメイド喫茶も無事に開店準備を済ませたとの事で、結局一度も手伝いは出来ないままだったが姫月と翔太からは『文芸部の方、頑張って成功させて!』とエールをもらう。
そして俺達文芸部は文化祭の作品展示コーナーにテーブルと椅子を設置し、一つ一つ手作業で装丁した小説を並べる。美術部の描いた立派な絵画や写真部の撮影した美しい風景写真、書道部や手芸部の展示品に囲まれながら、俺達は来場者が来るのを待った。
俺の隣で座っているメアを横目で見る。
体が小さく震えている、じっとテーブルの上の小説を見つめて固まっている姿を見ると、彼女の緊張が痛いほど伝わってきた。
俺はそっと彼女の肩に手を伸ばす。
「大丈夫だ、メア。絶対に上手くいくさ」
「う、うん……頑張る」
他の高校では二日間だったりするかもしれないが、うちの高校の文化祭は今日の一日限り。短期集中、全力で今日中に文芸部として作品を配布しきるしかない。
昨日装丁し終えた小説はテーブルの上で積み重なっていた。
去年の三年生にとって集大成とも言える作品と同じ量を配布しなければならない。俺とメアの新生文芸部にとってそれはかなりの量になる。
けれどこれを配り切る。メアとそう決めた、必ず成功させると誓った。
文化祭の始まりを告げるチャイムが鳴る。
今頃、他校の生徒やら親御さん達が正面玄関から入ってきているだろう。
しばらく待っていると作品の展示コーナーにも人が来るようになったが、美術部の絵や風景写真ばかりに集中して俺達文芸部の方には見向きもしてくれない。
その理由は明らかだ。
写真や絵などは一目見ればその良さが伝わるものだが、小説は文字を通してちゃんと読み込んでもらわなくてはその良さが伝わらない。
去年までの文芸部なら毎年続けてきた作品集で、一度読んだ事のある人が今年も読んでみようと思ってきてくれる人もいたはずで、けれど俺達は完全なゼロからのスタート。初めて小説を書いたばかりのメアの作品を読んでくれるファンはいないのだ。人の流れはあるがちらりとこちらを見た後に別の展示物の方へと意識が行ってしまう。
メアは俯きながら自分の書いた小説の表紙を見つめていた。読んでくれる人が現れて、その人に向かって『ありがとう』と感謝の言葉を伝えながら、この本を手渡す光景を想像していたに違いない。
けれど現実は残酷だ。刻一刻と時間だけが過ぎていく、まだ一冊も配れていない。
「やっぱり……無理だったのかな。だめ、だったのかな……」
小さく肩を震わせながら俯くメア。その瞳に僅かだが涙が溢れていくのが見えた。彼女はこの小説を書き終える為に今までずっと頑張ってきた。その頑張りが報われず、無駄だったと知った時の虚無感、やるせなさと悲しさは計り知れないものだ。
俺はメアの書いた小説を手に取ってページをめくる。
内容の面白さは俺が保証する。
高校の文芸部の作品らしいかと言われたらそうじゃないかもしれないが、今まで色んな小説を読んできた俺がお世辞抜きで面白いと思える内容なのだ。ちゃんと読んでさえもらえれば分かってもらえる。そうだ、必要なのはとにかく読んでくれる人を集める事だ。
俺は小説を手に持ったまま、パイプ椅子から立ち上がった。
「あおいくん?」
「俺もネットで小説をアップした時さ。やっぱり単に作品を載せただけじゃ読んでもらえなくて。今の状態ってそれに似てると思うんだ」
「え……?」
「でも面白いって言ってくれた人がサイトにレビューを書いてくれた時、それでたくさんの人が読んでくれるようになって嬉しかった。一緒だよ、メアの作品が面白いって今ここに居る人達に伝えられさえすれば、きっとみんな手に取ってくれるようになる」
そうだ。小説はまず面白い作品がここにあると、それを周りに知らせる必要がある。他のネット小説を書いている人達もそうだった。表紙を工夫したりSNSを通じて色んな形でPRを行ったり、まず周りに作品の存在を知ってもらうところから始めていた。
それはきっとネット小説でも、今この目の前にある手作りの本だって変わらないはずだ。
ちょうど目の前に眼鏡をかけた男子生徒達が一箇所に固まって美術部の展示物の前に集まっていた。
俺はその生徒達に向かって声をかける。
「すみません、ちょっと良いですか」
「あ、はい。なんでしょう?」
俺の声に振り向いた彼らの元に手作りの本を持っていく。
小説を読んだりしますか、文芸部の作品に興味ありませんか? そんなところから会話を始める。最初は怪訝な表情を浮かべていた男子生徒達だが、この作品のあらすじと内容の面白さを伝えていくとその様子に変化が現れた。
偶然にもその男子生徒達は俺のようにネット小説を読んでいるらしく、彼らにとって馴染みのある魔王による転生がテーマな恋愛小説だと知るとメアの書いた本を手に取ってくれた。そして生徒達は一同に集まって内容を読み始める。
その様子をメアは固唾を呑んで見守った。
そして男子生徒達は顔を上げる。
「これ面白いですね。あなたが書いたんですか?」
「いや、俺の担当は別で書いたのはあそこに座ってる女の子の方ですね」
「え!?」
男子生徒達は眼鏡をかけ直す仕草をした後、椅子に座って小さくなるメアを見つめた。
弱々しく肩を震わせてちらりとこちらを見るメア。とても可愛らしい少女がこの作品の作者だと知った瞬間に目の色を変えた。
男子生徒達はメアの元に駆け寄っていく。
「あ、あの、一部下さい!」
「ぼ、僕も! 僕にも下さい!」
鼻息を荒げて興奮する男子生徒達。メアはその様子に驚きながらも立ち上がって、一冊ずつ手渡ししていく。彼女はその時に「ありがとうございます」と感謝の言葉を決して忘れない。
男子生徒達は満足げな様子で、もらったばかりの小説を読みながら作品の展示コーナーを離れていった。メアはその後ろ姿を見つめながらほっと胸を撫で下ろす。
「メア、言えたじゃないか。ちゃんとありがとうってさ。凄いよ」
「あおいくんのおかげ。あおいくんがあの人達にわたしの作品が面白いって言ってくれたから、こうして渡す事が出来た」
「メアの書いた作品が面白かったからさ。だから俺も胸を張って周りに勧められる。この調子で全部配りきろう。文化祭を成功させよう」
「うん!」
メアは笑顔で答えてくれる。彼女の為にもこの流れを止めてはいけない。もっとたくさんの人に声をかけてメアの小説を手に取ってもらおうと、俺がまたメアの小説に手を伸ばした時だった。
俺達の所に私服姿の4人組の女性が近寄ってきた。
花のような清らかさを感じさせる上品な女性達が俺達のテーブルの前に並んだ。
「さっきの様子見ていました。こちらが文芸部の展示コーナーだったのですね」
「はい。本の装丁が忙しくて目立つようなコーナーを作れなかったんですけど、ここが俺達文芸部の展示コーナーです」
「私達、この学校のOBで以前は文芸部だったのです。顧問の先生から今年は文芸部の入部が居なくて廃部になるかも……と聞いていたので、今年の文化祭は文芸部の出し物はないと心配していました。でもあなた達が私達のいなくなった後の文芸部に入ってくれたんですね。とても嬉しいです」
「もしかして……あなた方が?」
「はい。私達は去年卒業した元文芸部員です」
そう言って真ん中の女性はにこりと笑みを浮かべる。
驚いた。彼女達の作品集は文化祭の準備期間中に参考に読ませてもらった事もある。商業誌と比べても遜色のない内容で、去年の配布数の多さにも納得していた。この4人があの作品集を手掛けたのか。
「新しい文芸部のあなた方が書いた作品、頂いても?」
「もちろんですよ。書いたのは俺の隣のこの子で、これが初めての作品です」
「あら、それは凄いですね。文化祭の配布作品が初めてだなんて。しかもそれを手渡ししているんですか?」
「ええ。この子の希望で。読んでくれる人にありがとうと伝えたいって」
「とても素敵です。去年の私達は展示コーナーに短歌を飾ったり、色々な工夫はしましたが手渡しではなく自由に取ってもらうような形にしていましたから。文芸部にも新しい風を吹かせる人が入部してくれたのを嬉しく思います」
「ぜひ作品の方も楽しんで下さい。面白さは俺が保証するんで」
「はい、では頂いていきますね。お二方の文化祭の成功を祈っています」
4人はメアから手作りの本と感謝の言葉を受け取ると、小さく手を振りながら展示コーナーを後にする。去年の文芸部の人達に会えるとは、応援もしてくれてとても嬉しくなってくる。
それはメアも一緒だったようで、満足気な表情を浮かべていた。
さて、この調子で行こう。
流れは来てる。まだ文化祭が終わるまでには時間がある、ここに来るたくさんの人達にメアの本を手に取ってもらうんだ。元文芸部だったあの人達からも温かい応援の言葉をもらったんだ、頑張らなくては。
もうメアにはあんな悲しげな顔はさせない。
その為にも全力を尽くすんだ。
俺は展示コーナーに来た人達への宣伝を続ける、次第にたくさんの人が文芸部のコーナーに立ち寄ってくれるようになった。
最初に本を渡した男子生徒達が他の生徒を連れてきてくれたりもした。メアが書いた作品が面白かったという事で、小説が好きな友達に勧めてくれたらしい。そしたらその友達がまた別の友達にその面白さを伝えてくれて、連鎖的に人が集まるようになった。
今の若い子はどんな作品を書くのかと興味を持ってくれる保護者や、同じように文芸部をやっている他校の生徒。それにクラスの出し物の休憩時間に姫月が友達の女子を連れてきてくれたり、翔太も一緒にクラスの男子と遊びにやってきた。
その文芸部に並ぶ人達を見て興味が湧いた人が、更にまた集まってくるという好循環が生まれていく。
途中からは椅子に座っている暇もなくなった。
テーブルに重ねられた手作りの本はどんどん減っていった。
文化祭が始まったばかりの時は誰も集まらず、彼女は小さく肩を震わせながら俯いていた。その瞳に僅かだが涙が溢れていくのを見た。もうそんな悲しげな表情を浮かべるメアは何処にもいない。きらきらと目を輝かせながら、感謝の言葉を伝え続ける彼女の姿を見て胸の中にたくさんの想いが溢れていった。
手作りした本を一冊も残す事なく、メアはその全てを一冊ずつ丁寧に手渡しして、一人ひとりに感謝の言葉を伝える事が出来た。
俺とメア、二人の新たな文芸部。俺達の初めての挑戦は大成功で幕を閉じる。
文化祭の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。