24:入部届
昨日のメアとの出来事を思い出していた。
そう言えば昨日のメアは学校に着いてから一緒の朝の勉強会も、昼休みも放課後も一度だって異世界の言葉を使わなかった。
いつもなら異世界の言葉でデレてきて、それを誤魔化すように後からそっけない態度を取るのに。昨日のメアは一度もそんな様子を見せなかった。俺を文芸部に誘う為に、出来る限り素直でいようと思っていたのかもしれない。だがそれに気付くのが遅すぎた。
今日は朝から何もメアとは話をしていない。
朝の勉強会には来てくれた。でも言葉を交わす事はなかった、それから放課後になるまで一度も俺とメアは喋っていない。
どうするべきなんだ。
あと一ヶ月、一ヶ月しかないんだ。タイムリープのスキルもあるが戻れるのは数日前、それに繰り返し使えるものじゃない。この前の抜き打ちテストの日に使ったせいで、昨日に戻りたくとも戻れない。
この一ヶ月でメアに友達が出来なければ、彼女はいなくなってしまう。あらゆる痕跡を残さず、人々の記憶からも消えてしまうのだ。
「――いくん、葵くん!」
声が聞こえてきて俺は我に返った。
姫月が俺の名前を呼んでいた。それに気が付いて咄嗟に振り向いた。
姫月が心配そうな表情で俺を見つめている。
「どうしたの、葵くん? 一昨日も、昨日も、今日だってずっと上の空。何かあったの?」
「いや……ちょっと考え事をしていて」
我に返った後、俺は教室を見回した。
そうだ。今日の放課後から俺達のクラスも文化祭に向けた準備を始めたのだ。
女子は自分達が着るメイド服の裁縫。男子も教室を彩る為の小物を作ったり色々と準備で忙しい。
そして今回の文化祭の準備で一番活躍すると思われていた俺が、何もせずに呆然と立ち尽くす様子を見て、心配になった姫月が声をかけてくれたのだろう。
「もし具合が悪かったら帰っても大丈夫よ? 準備も始めたばかりだし、文化祭までは日にちもまだあるから」
「具合は悪くないんだ。大丈夫、やっていくよ」
「そう言ってもらえて嬉しいけど……無理しちゃだめよ。何かあったらいつでも言ってね」
姫月は気配りが上手だ。俺の些細な変化にも気付いてくれるし、こうして優しくしてくれる。俺に声をかけてくれた後、姫月はメイド服の裁縫に戻っていった。俺は床に座り込んで男子達に混ざり小物の制作に取り掛かろうとする。
今度は翔太が俺に声をかけてきた。
「姫月にも心配されてたが、本当に大丈夫かよ」
「ああ……翔太にも心配かけさせて悪かったな」
「葵が上の空な理由分かるぜ。一昨日は雨宮が病欠したからだろ。昨日の理由は分かんねえけど、今日は雨宮と何も喋ってねえみたいだし、どちらにしろ理由は雨宮だろうな。喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩、そういうわけじゃないんだけどさ」
「じゃあ雨宮と一緒に文化祭の準備したかったのかよ? でも残念だったな。あいつは文芸部で出し物をしたいって、放課後になったら部室に行っちまったしよ。部活に入ってないオレ達はクラスの出し物の為に教室に残って作業をやんねえとな」
「……雨宮が文芸部で出し物、か」
「まあ文芸部の出し物なら雨宮一人で十分さ、自分で書いた小説の配布やらがメインだしな」
「雨宮……本を読んだ事はあるけど、多分書いた事はないんだ」
「へえ。じゃあ文化祭で配る作品が初めてのものになるってわけか」
「そうだろうな。でもちゃんと書き終えられるのか……準備の期間だって長くはないし」
「あー、家でも出来るから大丈夫じゃねえか?」
「そういう事じゃないんだ。小説って書き終えるのが一番難しいんだ。読んでる人が思っている以上に……作品を完結出来るってのは凄い事なんだ」
「葵の言い方だと書いた事があるみたいな感じじゃねえか」
「ああ、ある。俺も本を読むのが好きでさ。それで自分でも書いてみたくなって、ネットに書いた小説をアップしたり……結構やってた」
「へえ。ほんと葵は趣味が多彩だな、それでさっき言ったように完結させるのが大変だった経験があるわけか」
「ああ。一番初めに書いた作品なんて起承転結の起しか書けなかったよ。意気揚々とネットにアップしてみたものの誰にも読んでもらえなくてな」
そうだ、そうだった。
初めての挑戦。でも決して上手く行かなかった。
けれどある時俺は出会ったんだ。感想欄に俺の作品が面白いって褒めてくれる人が。
新しいエピソードを載せるとその人は必ず反応してくれる。面白いって、頑張れって背中を押してくれた。初めの頃は読者だって少なかった。けれどある日、その人は俺の作品のレビューをサイト内に書いてくれて、それからびっくりするくらいに色んな人から作品を読んでもらえるようになったんだ。それから書くのが楽しくなって止まらなくなった。
最後まで物語を書けたのは俺一人の力じゃない。ずっと応援してくれるあの人がいたからだ。あの人がいたおかげで俺は物語の完結というゴールに辿り着けた。
メアの姿が脳裏に浮かんだ。
初めて小説を書いていたあの時の俺の姿と、今の彼女が重なって見えた。
彼女は今きっと小説を書いている。誰にも応援されず、たった一人で。
俺が作品を完結させられたあの時のように、今のメアにも応援してくれる誰かが必要だった。
「メア……」
俺は立ち上がっていた。自分の鞄に駆け寄り、片付けてあった一枚のプリントを取り出す。それに今日の日付と自分の名前を書き記した。
「おい、どうした?」
「悪い。やっぱ俺が間違ってた、神様にあんな事を言われて、何をするべきなのかを見失っていたんだ」
「神様って……何言ってんだ?」
「翔太。姫月へ代わりに言っといてくれ、俺はクラスの出し物には協力出来ない」
「部活に入ってないお前が協力しないって……サボるって事か?」
「違う。部活にはこれから入る。分かったんだ、俺が文化祭で本当は何をするべきだったのか。メアの為に何をしたら良かったのか」
メアは俺を文芸部に誘いたかった。誰かではなく俺と力を合わせて、俺達が大好きな小説を通じて、文化祭を成功させたかった。それなのに俺は神様の言う事を鵜呑みにして、メアに友達を作らせようと躍起になって、彼女の想いをないがしろにしてしまった。
「すまん、翔太。あとは任せたぞ!」
「あ、葵!?」
俺は教室を飛び出した。真っ直ぐに廊下を駆け抜ける。
向かう場所は決まっていた。古びた校舎――文化部棟、その一番奥にある文芸部室。
扉の前で息を整える。こんなに緊張するのは人生で二回目だ。
一度目は異世界で魔王だったメアとの決戦の直前、魔王城の扉の前。
そして二度目は今この瞬間。同級生であるメアに想いを伝える直前の、文芸部室の扉の前。でもあの時の重苦しい気持ちはない、この緊張はもっと別の感情からくるものだ。
俺はドアノブに手を伸ばす。そしてゆっくりとその扉を開いた。
部室の中には彼女がいた。長テーブルを前にして、集中しているのか俺が来た事には気付いていない。
「メア」
その言葉に彼女は頭を上げた。
手には鉛筆を持って、テーブルにはすり減った消しゴムと、何度も書き直された原稿用紙が並んでいる。
それ以上は何も言わずに俺は部室の中へと入っていった。
ゆっくりと歩いていく。メアは何も言わずに俯いて、俺から視線を逸した。
「メア、渡したいものがあるんだ」
「え……?」
取り出した一枚のプリントを彼女へと手渡す。
書かれた俺の名前を見つめ、それを読んだメアの瞳から涙が零れるのが見えた。
ぼろぼろと溢れていく大粒の涙が頬を伝う。
メアへと渡したのは一枚のプリント。
それは俺の名前が書かれた文芸部の入部届だった。
「一緒に頑張ろう、メア。俺達で文芸部の出し物を成功させよう」
「うん……うん……っ!」
涙を零しながら彼女は笑顔で頷いた。
彼女に必要なのは誰かじゃなかった。ずっと彼女を応援し続けてきた俺だった。
メアは異世界では生涯誰一人として友を作らなかった。その孤独が彼女を歪ませた、魔王になるキッカケになってしまったと神様は言っていた。
だがそうじゃなかったのだ。
誰かに頼る事が無かったのではない、自分以外を信じる事が出来なかったのでもない、彼女は頼れる人に、信じられる人に出会えなかっただけなのだ。
その孤独が彼女を歪ませたというのなら。
友を持たないその孤独が世界を脅かす巨悪となったのなら。
俺が彼女と共に歩む、彼女に頼られる、信頼出来る存在になろう。
勇者としてではなく一人の人間として、魔王ではなく俺の大切な友達であるメアを、ずっとずっと傍で支え続けるのだ。
神様よ、良く見ておけ。
メアは二度と魔王なんかにはならない、俺が絶対にさせない。
お前が俺をメアの友として認めないのなら全面戦争でも構わない。
メアを消し去ろうとしてみろ。異世界で最強だった俺がお前をぶっ潰してやる。
その決意と共に俺は彼女の手を取った。握りしめた。
任せてくれ、メア。お前は絶対に守ってみせる――絶対に。