22:神様の采配
自分で言うのも何だがメアとはかなり仲良くなっているように思う。
朝早くの二人きりの勉強会、昼休みは一緒に弁当を食べ、放課後になれば文芸部室で一緒に本を読む。
繰り返される平凡で幸せな毎日、その日々の中で彼女との距離が縮んでいくのを感じた。俺と一緒にいて彼女が時折見せる柔らかな笑み。そして異世界の言葉でデレながら、恥ずかしがってそっぽを向いてしまうメア。
異世界では勇者と魔王として敵対し合っていたのが嘘のようで、確かな絆が芽生えていくのを感じていた。
だからこそ俺はそこで原点に立ち返る事にした。
それは何故、異世界の魔王『ナイトメア・カオス・ダークネス』が『雨宮メア』としてこちらの世界に転生してきたのか、というものだった。勇者である俺は元々こちらの世界の住人だから、異世界転移を経て向こうの世界を救ってこちらの世界に戻ってくるのは自然な流れ。けれどメアの方はそうじゃない。
初めから向こうの世界の住人で、力と知識と才能を失って抜け殻のような状態で、その姿が可憐で可愛らしい彼女になったとしても、彼女がこちらの世界とは無関係であった事に変わりはない。
そしてこちらの世界に転生してきた後の、彼女が置かれている状況は悲惨なものだ。家族とは一緒に暮らしていなかった、一人ぼっちで健全とは言い難い貧乏な生活を送っていた。それは生きる為の最低限のような苦しい生活だ。
看病の際に夕飯を作ってあげようと思って開いた冷蔵庫の中は空っぽで、外に着ていく為の服もなく、俺が手を差し伸べなければ頼れるような人もいなかったはずだ。
転生する以前とは真逆の生活。
どうして彼女がこんな辛い目に合っているのだろうか。
――その答えは俺の夢の中で示された。
メアの看病を続けてベッドの上で眠る彼女を見守っていたら急激な眠気に襲われた。
異世界から戻ってきて初めての経験。確かに疲れていたはずだが、寝落ちをしてしまう程ではなかったはずで、それなのに気付けば俺は夢の中にいた。
不思議な夢だった。
真っ白な空間に佇む俺。夢の中なのに意識がはっきりとしている。
明晰夢っていうんだっけか、こういう夢を。
何処までも続く白い空間を見回した。
「待てよ……ここってもしかして」
夢の中で言葉を口にする。
俺はここを知っている、一度だけ訪れた事があった。だがどうして夢の中に現れた? それとも夢じゃなく『また』なのか?
ここは下校途中に流れ星に巻き込まれ、俺が異世界へと転移した直後に訪れた空間。勇者としてのチートなスキルとステータスを与えられた『神の領域』と全く同じように見えた。
またなのか? 寝落ちをしたのではなく、また俺は異世界へと転移させられるのか?
異世界を救う為に再び召喚されてしまったのかと不安が募っていく。
『斎藤葵、そう不安に思う必要はない。妾がそなたをここに呼んだ理由は別のものだ』
聞き覚えのある声がした。
声の方へと振り向くと、見覚えのある姿がそこにあった。
長い金髪の白いローブを身に纏った美しい女性。その手には煌めく杖を持ち、背中からは白い翼を生やす。間違いない、俺を異世界へと転移させた女神の姿がそこにあった。
「夢、じゃないんだな。また俺を呼んだのか?」
『呼んだのは確かだ。しかし、そなたの肉体は向こうの世界に残ったまま。そなたの精神だけをこちらの世界に呼んだのだ』
器用な事をしてくれる。寝落ちをしたんじゃなかった、これは夢じゃない。俺は神の領域に魂だけを連れてこられた。どおりで夢にしては意識がはっきりとし過ぎているわけだ。
『その通りだ。これはそなたの夢ではない。そなたの記憶にもある神の領域そのものだ』
「……考えている事も筒抜けってわけか。さっきのは言葉にしたつもりはなかったんだが」
『うむ。肉体から離れている以上、そなたと意識と妾の意識は繋がっているものでな。声にしなくとも全て伝わるという事だ』
「今回は何の用事だ? 悪いがまた異世界を救ってくれ、って言われても今回はお断りだぞ。以前と違って今の俺は学校生活を楽しんでるしな」
『安心すると良い。そなたの救ったあの世界は今も平和だ。巨悪であった魔王ナイトメア・カオス・ダークネスが討たれた事で、善と悪の均衡は保たれ続けている』
「じゃあ俺をここに呼んだ理由は一体何なんだ?」
『そなたが倒した。魔王ナイトメア・カオス・ダークネス――雨宮メアについての話をする為に、妾はここにそなたを呼んだのだ』
「……やっぱりメアは、俺が倒した魔王で間違いなかったか」
『一目見て気付いていただろう。そなたは勇者としての力を元の世界へ帰還した後も持ち続けているからな』
「ああ、メアが魔王だって事は分かっていた。でも俺が気になっている事はそうじゃない、メアはどうやってこっちの世界に来た?」
『全ては妾の采配だ。そなたが帰還すると同時に、妾はそちらの世界の因果律に干渉し、魔王ナイトメア・カオス・ダークネスを雨宮メアとして転生させた。理由はいくつかある、それを伝える為に妾はそなたの魂をここに呼び寄せたのだ』
「なるほどな、全部神様の仕業だったってわけか」
俺が巨万の富を得た時のように、神様は因果律やらを弄って本来なら生じる矛盾を上手い事なかったことにしてしまう。こっちの世界にいなかったメアを、元から存在していたように世界を書き換えたのも神様にとってはきっと造作もない事だったのだろう。
『ナイトメア・カオス・ダークネスが魔王として存在していた時は、あの者の力は妾を遥かに凌駕していた。あの時は神である妾でも魔王に干渉する事は出来なかったが、そなたが勇者として魔王を倒した事で奴は力を失い、妾は奴にも干渉出来るようになった。本来ならあの時に魂ごと存在を抹消させる事も可能だったが、奴の存在はあまりに特別なものでな。そう簡単な話では済まなかったのだ』
「魂ごと消滅させる事は出来たけどやらなかった……と?」
『そうだ。奴が討たれた事で善と悪の均衡は保たれるようになったが、ナイトメア・カオス・ダークネスの魂そのものを消滅させてしまうと世界に歪みが発生することが分かった。善と悪の均衡どころの話ではない、世界そのものを壊しかねない巨大な歪みがな』
「それだけメアの存在があの世界にとって大きなものだったって事だろ。まあ頷けるよ、実際めちゃくちゃに強かったからな、魔王の時のメアってさ」
『うむ。そして無策のままでは繰り返しとなってしまう。こちらの世界でナイトメア・カオス・ダークネスが新たな肉体を持って生まれ変われば、再び力を付けて善と悪の均衡を崩す強大な存在になる。だからと言って魂を消滅させれば世界が滅びる。いくら妾が因果律に干渉しようとも決して覆す事の出来ない世界の運命だった。それでとある可能性に賭ける事にした』
神様は言いながら俺へと指を差した。
『勇者であるそなたのいる世界に、魔王ナイトメア・カオス・ダークネスを託す事にした。ちょうどそなたが向こうの世界へ帰った時に、彼女をそちらに送り込んだ。そちらの世界のルール、そなたの国で使われている言葉など、最低限の常識を教えてな。妾が弄った世界の因果については……まあ説明する必要はないだろう」
「なるほどな……雨宮は実際に海外で暮らしていたわけじゃなく、俺が戻ってきたタイミングに転生してきたってわけか」
『その通りだ。全く違う環境、全く違うルールが働くそなたの世界なら、あの魔王が善と悪の均衡を崩す強大な存在にならないのではないかという可能性に妾は賭けた。奴の魂はこちらの世界を離れるが繋がりが断たれるわけではない、世界の崩壊も起こる事はない。実に素晴らしい案だとそう思っていた』
「全部お前の手のひらの上だったって事か。メアが貧乏な生活を送っているのも、魔王だった時とは真逆の環境を再現する為か?」
『そうだ。恵まれた環境を与えれば妾の世界に居た時と変わらぬ。奴には変化が必要だ、そう思っての事。だが違う環境、違う世界だというのに奴はやはり同じ運命を辿っている』
「同じ運命を辿ってる? 何処がだよ、真面目に勉強はしてるし、学校にだってちゃんと通ってる。今のメアには魔王だった時の要素なんて何一つあるように思えないが」
『そなたは魔王として君臨する以前の奴を知らんのだ。奴は以前の世界でも勉学には真面目で、魔導学院という魔族の教育機関にも毎日通っていた。そして授業が終われば一人で書庫に籠もりずっと本を読み続けていた。そう全く同じなのだ『友人が誰一人として出来ない』ところまで、全く変わっていなかった』
「な……?」
その言葉に驚きを隠せなかった。
メアはあちらの世界でも、真面目で誠実だった。そして口下手で誰かと関わる事が苦手で、友人を誰一人として作る事が出来なかった。確かに同じだ、こちらの世界でもメアは変わっていない。誰とも関わらないまま一人の世界に閉じこもり続ける姿を俺は目にしていた。
『勇者であるそなたは魔王としてのナイトメア・カオス・ダークネスしか知らなかった。となれば当然であろう。だが今お前が接している雨宮メアは、魔王として君臨するまでと同じ人生を歩もうとしている。確かにそなたによって倒された事で力と知識と才能を失った。だが時間をかけることで失った全てをいずれ取り戻す、失ったものを取り戻せば、奴はまたこちらの世界に舞い戻るだろう。そして再び魔王として君臨する。つまり繰り返しだ。奴はまた善と悪の均衡を崩す巨悪となる』
神様の言っている事だ。きっとそこに間違いはないはず。
だが俺には信じられるものではなかった。あのメアがまた魔王になる? 真面目で誠実で、ちょっと引っ込み思案なだけだろう? そして俺には異世界の言葉でデレてくる、優しい笑みを向けてくれる彼女が、異世界で出会った禍々しい魔王になるという事が想像出来ない。
『勇者、葵よ。ここからが本題だ、妾がそなたの魂をここに呼んだ理由を話す。妾はナイトメア・カオス・ダークネスを試したいのだ。違う世界、違う環境を与えた事で、奴が魔王にはならずもっと別の人生を歩めればそれで良いだけなのだ。だがこれより先、奴が異世界で辿った時と変わらない人生を歩むのであれば、また奴が魔王としての道を進んだのであれば、妾は奴の魂を消滅させる。それがこちらの世界の崩壊に繋がったとしてもな』
「本気で言っているのか? メアが変わらないっていうのなら、メアを消し去ってあっちの世界が壊れても良いって、本気で言ってるのかよ!?」
『本気だ。世界が崩壊した後、妾は全ての力をもって再び世界を作り変える、今度こそ失敗のない世界を生み出すしかない。これは苦渋の選択だ、出来れば妾もそうはしたくない。そなたが救ってくれた多くの命まで失われる事になるのだからな、これは神として最悪の行いと言って良いだろう』
「ああ……その通りだな、最悪の神様だ。自分の生み出した世界が自分の思い通りにいかないからぶっ壊して作り直すなんて、最低だ」
『うむ。妾もそれは望みたくない。だからそなたに頼るのだ。再び力を貸して欲しい、勇者よ』
「俺に何をさせたい? 今までメアが魔王として道を踏み外さないよう、彼女の力になってきたはずだ。それが勇者としての役目だと思って既にやっている、それでも駄目だっていうのか?」
『確かにそなたは勇者として出来る事をやってくれている。だがな、それだけでは足りんのだ。妾は奴が本当に魔王への道を歩まないのかの確証を得たい。だから奴に試練を課す、だがそれを奴に知られてはならぬ。奴が自らの意志で魔王へと至らない証拠を示す必要があるのだ』
「メアに知られずに……メアの意志で証拠を示す? お前はメアに何をさせたいんだ?」
『ナイトメア・カオス・ダークネスは生涯一人として友を作らなかった。誰かに頼る事もなく、自分以外を信じる事が出来なかった。その孤独が奴を歪ませたのだ。奴の孤独が世界を脅かす巨悪となった。奴にとって必要なのは共に歩み、支え合ってくれる者。こちらの世界で奴がそんな相手を作る事が出来るなら変化が起こったと認めよう。奴が友を作った時、二度と道を踏み外さぬと信じよう』
「メアに友達を作らせる……だと」
『ああ。だが奴の意志でだ。奴が自らの意志で他者を信頼し心から頼りたいと、共に居続ける者を見つけなければならない。そなたは勇者として彼女に施しを与える事で導こうとしている、だがそれでは駄目だ。導く者ではなく共に歩む者――彼女にとって対等な相手こそが必要不可欠。奴が自らの意志で孤独を脱する事が出来た時、妾はあの者から手を引く。期間は今から一ヶ月、でなければ雨宮メアを消滅させる、妾の講じた策は失敗であったと、この世界に居た痕跡も記憶も存在も一つ残らず消し去ろう』
白い空間が崩れ始める。天井が壁が床が、音をたてて崩壊していく。
『頼むぞ、世界を救った勇者よ。次は魔王の心を救うのだ』
俺の体は奈落へと放り出され、最後に聞こえた声と共に――目を覚ました。




