38浄化の聖歌
世界が、時間が何もかも止まっていた。
まるで世界が切り取られたかのようだ。
『人の子よ。私の声が届いているか?』
――誰?
『私は伊邪那岐。国産みの神である。人の子よ、母親を助けたいか?』
――助けたい。お母さんを助けたい。この身に変えても。
『私とは違うのだな……。ならば祝福を授けよう。悪鬼を浄化する聖歌を』
その瞬間意識が無理やり現実に引き戻された。
防御魔法は顕在したまま、異形の怨霊と化したカリエラに掴まれている。
そして体もボロボロだ。
「ゴホゴホ……。〈聖なる言霊よ、我が歌を以って浄化の聖歌となれ。私は貴方の悲しみを感じ、大切なあなたを救いたい。穢れし魂よ、原初の海へとおかえりなさい。そして全てに救いを与えられん〉」
異形の怨霊カリエラを光が包み込んで行く。
光りに包まれると、光る暖かな水の中に浸かっていた。
★
そこは城の地下牢だった。
カリエラは天界騎士団に捕まり、天使の象徴である純白の翼を切断されボロ雑巾の様に牢の中に転がらされていた。
明かりは扉の窓から漏れるのみ。
ベッドは鎖で支えられた木の板。
トイレは半壊していた。
「どうして……。アドルフ助けて……」
啜り泣きながら床に倒れたまま夫であるアドルフの助けを待っていた。
しかし1日、3日 1週間経っても現れることはなかった。
定期的に食事を持ってくる看守に何度も何度も頼み込み、アドルフの行方を聞く。
「しつこい罪人だな。死んだよ、あんたが収監された日に天界騎士団に討たれたぞ」
「そ、そんな……。エルシアを失って、アドルフまで……うっ、うっ……」
それからは地獄のような日々だった。
外に出ることも出来ない終身刑。
まるでスポンジを食べているかの様な食事。
翼の傷跡が痛み、まともに寝れない夜。
「ほら、飯だ」
「看守さん。私に恩赦は無いんですか……?」
「さあな。そーいえば過去に一度だけここから出れた奴が居たって話だな」
カリエラはそれを聞き、人界に落とされたエルシアの元へ行くべく牢獄生活を耐え抜くことを決意した。
どんなにマズイ食事でも、水で飲み込む。
どんなに痛い夜でも泣かずに耐え抜く。
そんな牢獄生活が数ヶ月続いた。
ある日の事だった。
看守が別人に変わったのだ。
「こんにちは看守さん」
「お前もしぶといな。普通だったらこんな環境女だったら死んでるぞ」
「私はいつか恩赦され、人界へ行って娘に会うんです。それまで死ねません」
それを聞いた看守は一瞬固まったが、次の瞬間には笑い出した。
「ははは! マジかよ! 恩赦なんて禁忌を犯したお前にあるわけ無いだろ。俺を笑い殺す気か」
「えっ……。だって前の看守さんが言って……」
「あいつも残酷なこと言うぜ。期待させておいてこの仕打ちか」
笑って去っていく看守の声を聞きながら絶望の表情を浮かべていた。
それからというもの食事は喉を通らなくなり、みるみるうちに痩せこけて行った。
食事を取らなくなってから壁に頭を着けながら立ち尽くしている。
夜も寝ずに立ち尽くし、毎日巡回に来る看守は不気味な者を見る目になっていたのだった。
ある日看守が食事も取らず立ち尽くしているのを見てられず声を掛けた。
「お、おい。お前飯食わないのかよ。こっち向いて話を聞けって」
看守は鍵を開け恐る恐る中に入ると、カリエラの肩に手を伸ばした。
方を掴んだ瞬間、棒立ちの体制のまま床に倒れたのだ。
「し、死んでるのか?」
元々体を洗う事が無かった罪人の匂いに慣れてしまっていたため、死臭に気が付かなかったのだ。
★
「アタタカイ。アァ……アドルフ、エルシア」
光と共に水が蒸発していき、中からはエルシアの記憶にあるカリエラの姿があった。
五芒結界陣が消え、エルシアの防御魔法も消え去った。
「……あぁ。エルシア……。エルシア!」
「ゴホゴホッ! おかあ、さん。よか……た」
「私は何てことを。我の威を示せ、ハイフリートヒール! ……発動しない? 我の威を示せ、ハイフリートヒール……なんで!」
「霊体には魔法は行使出来ない」
「あなたは……。お願いします、エルシアを助けてください。私の全てを捧げます。どうかエルシアを……」
渡守はそれを聞くと手を向けた。
「大御神の代行者たる我が命ずる。天之癒」
「うっ……う?」
「エルシア!」
「お母さん? 正気に戻ったんだね、良かった」
渡守は数歩下がり家族水入らずの会話が続いた。
話が終わったのか、エルシアがカリエラの手を引いて来た。
「渡守さん、お母さんをよろしくおねがいします」
「分かった。もういいのか?」
「うん。きっとお父さんもあっちで待ってると思うから、寂しくないように逝ってもらうんだ」
「お土産話も出来たので早くアドルフと話したいわ!」
「なら葬頭河へ行くか」
そう言うと指を鳴らし、一瞬にして葬頭河へ移動した。
カリエラは船に乗るとエルシアに最後の別れを言った。
「エルシア、頑張って生きるのよ!」
「うん! お父さんによろしくね」
「では往くか」
渡守が船を漕ぎ出し、葬頭河の向こうへと消えていく。
それと同じくエルシアの姿も消えたのだった。
目を開けるとファルト、アリス、ルルがエルシアの事を覗き込んでいた。
「……わわ!」
「おはようね。エルシア」
「ルルさん……おはよー」
「ところでー。あのキッチンは何かな?」
体がビクンと跳ね、ガクガクと体が震え始めた。
「あ、あのね! 洗い物をしようとしたんだけど、泡が沢山泡立っちゃって……」
「片付けないで寝てたのね?」
「え! 私寝てないよ、お母さんと会ってたの。あれ? でも……あれ?」
「そう……寝てたのね。お説教の時間よ!」
その後足が痺れて立てなくなったことは言うまでもない。
朝飯を食べ終わった後、アリスの部屋で集まっていた。
エルシアは窓の側に立ち外を見ている。
沈黙が続き、ファルトが口を開こうとしたその時エルシアがファルトの言葉を遮るかのように話しだした。
「私が倒れてた時の言葉全部聞こえてたよ。そうだね、私は1人じゃないね」
「エルシアさんもう怒ってないんですか?」
「うん。もう怒ってないよ。それでね、聞いてほしいんだ~」
「なんですか?」
「さっきお母さんに会ったんだ~。骨と皮みたいに痩せ細ってて翼も切断されてたよ」
「それは……」
アリスはそれを夢だと言おうとしたが次に出てきた単語に、更に夢だと確信していた。
「お母さんから瘴気が溢れてきてね、私一瞬で血まみれになっちゃった」
「エルシアさんそれは悪夢じゃないですか?」
「私も最初は悪夢であってほしかったよ。でもあの痛みは現実だった。渡守さんが結界を張って逃げられないようにされて死ぬかと思った」
渡守と言う言葉にファルトが反応を示した。
アリスはそれになにか秘密があるような燻りを感じた。
「エルシア、それ以上は」
「****様に祝福されてね、怨霊になったお母さんを浄化出来たんだ」
「今何て言った?」
「私も聞き取れませんでした。もう一度お願いできますか?」
「****様だよ」
やはりエルシアの言葉を聞き取ることが出来ない。
ファルトは渡守が言い放った言葉と合わせ2度目、アリスは初めてのことだ。
(何かエルシアが変わった……?)
「その後お母さんと話してくよくよしないって言われたんだ。だからね」
エルシアが振り返った。
その表情はいつもの笑顔だ。
「これからもよろしくね!」
「あ、あぁ。よろしくな」
「改めてよろしくおねがいします。エルシアさん」
この日は少しエルシアの事が眩しく見えた。
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