3-09
それを聞いたのは、騒ぎに目を覚まして戦闘の準備を整えているところだった。
「――アオオオオオオオオオオオオオン!!」
今のは、数ヶ月前にも聞いた、あの黒い獣の声。
まさか、サクヤさんがまた……。
「おいココ、今の遠吠え、まさか」
「急ぎましょう、ニーナちゃん」
私と同じ結論に至ったニーナちゃんと共に、窓を開けて外へと躍り出る。
私は獣人だし、ニーナちゃんはダークエルフ。
身体能力が人より高い私たちなら、二階から飛び降りたくらいでは怪我などしない。
そして、そこで見たのは、かつてサクヤさんが強がりでフェンリルフォームなどと名付けた、あの黒い獣が爪で、牙で、黒装束の男たちを蹂躙している姿だった。
「なんだ……なんなんだこれは!?」
「話が違うぞ! 一瞬で仕留めれば暴走しないんじゃなかったのか!?」
「わ、わからん、とにかく逃げ――」
言い争っていた男たちは、一人は踏み潰され、もう一人は爪で輪切りにされた。
「……まずい、まずいぞココ」
「ええ、まずいっすね……」
黒装束が死んだことではない。
そもそも彼らが襲ってきたからサクヤさんは暴走してしまったわけで、私たちが同情する余地などない。
それ以上に問題なのは、だ。
「……サクヤさんの剣……紅椿が見当たらない」
今のサクヤさんは血液の鎧で覆われている。
これを突破して、再びあの精神世界に突入するには、同じくサクヤさんの血液でできた紅椿が必須だ。
だというのに、どこにも見当たらないのだ。
おそらくサクヤさんがどこかに落としたのだろうが……あいにく夜目がきかない私では、この暗闇の中で剣を見つけるのは至難の技だ。
「……仕方ない。ご主人ほどじゃないが暗視能力のあるアタシが剣を探す。ココはご主人を抑えてくれ」
「了解っす」
ニーナちゃんなら、ある程度はこの暗闇でも見通せる。
となれば、この役割分担が最適なのだが……。
「今のサクヤさん相手に、一人ってのはきついっすねぇ……」
黒装束と共闘しようかとも思ったが、あいにく今頭をスライスされた一人で全滅だ。
……そもそもサクヤさんを暴走させたきっかけになった連中だ、生きていたとしてもあまり共闘したくはない。
「……やるしかないっすよね!」
私は杖を構えて術式を構築する。
発動させるのは火と光……すなわち陽光属性。
「死なないでくださいね、サクヤさん! ……サンライズジャベリン!!」
陽光の槍が、サクヤさんの右腕を貫く。
「ガァアアアアアアア!!」
やはり陽光属性の耐性はほとんどないようで、獣となったサクヤさんは悶え苦しむ。
見れば血液の鎧はドロドロに溶けており、中のサクヤさん本来の腕も火傷のような傷を負っている。
「痛みに耐性がないのは幸いっすね!」
どんな傷であれ動きを止めてくれるのは、隙ができてありがたい。
もし普段のサクヤさんと同等の痛みへの耐性を持っていたら、まず勝ち目はないだろう。
あの人、毎日両手破裂させるとかいう、普通の人間じゃありえない痛みへの強さを持ってますからね。いやまぁ、普通の人間じゃないんですけど。
ともあれ、しっかり効いてるし、悶えているが致命傷には程遠いようなので、陽光魔法を連射して時間を稼ぐ。
……ただでさえサクヤさんを攻撃するなんて心が痛いのに、嬲るようなことはしたくないが、仕方ない。
このままでは私たちもサクヤさんも危ないのだと言い聞かせ、急所を外すように連射していく。
「そこっ!!」
そうして、足を撃ち抜こうとした瞬間だった。
「ガアッ!」
「うそっ!?」
私の魔法が、氷の盾で防がれた。
これは、サクヤさんの魔法。
まさか、獣の状態でも使える知能が――
「ガウッ!」
「しまっ――」
氷の盾はほんの一瞬で蒸発した。
しかし、今のサクヤさんにはその一瞬で充分だった。
その巨体からは考えられないほどの速度で私に迫り、爪を振るう。
まずい、魔法で防御……だめ、私にあの一撃を防げる防御魔法はない。
回避も間に合わない。この獣は私よりも速くて、避けても追いついてくる。
……なら!
「撃ち抜け!!」
「ガァ……アアアアアア!!」
とっさに撃った魔法が、迫るサクヤさんの腕を撃ち抜いた。
防御できない、回避できないなら、撃ち落とす。
いわば、魔法でのパリィ。
ソロ時代に会得した、火力特化の私にだけできる防御方法。
最近は全く日の目を見なかったけど、いつ役に立つかわからないものだ。
……とはいえ、ノーリスクとはいかなかった。
「くっ……やっぱキツいっすね……」
とっさだったからとにかく火属性の魔法を撃ったのだが、近距離すぎてこっちも食らってしまった。
というか、血液の鎧でノーダメージな獣よりも私の方が重傷だ。
特に右腕がまずい。爆風と炎による火傷で、杖を持ってるのが精一杯だ。
けど、引き下がれない。
「まだまだぁ!!」
「ガウッ!!」
左手の指を起点に、陽光魔法を連射していく。
カルミナさんとの修行で、指での複合属性発動を覚えたおかげだ。
いつか役に立つだろうとは思っていたが、まさかこんなに速く役立つとは。
しかしやはり杖での発動よりも遅く、獣は軽々と魔法を回避していく。
「くうっ……フレイムジャベリン!!」
迫る爪を撃ち落とすために最速で撃てる魔法を撃つが、やはり陽光属性でなければ効果がないようで、弾かれはしたもののダメージを受けた様子はない。
ダメだ、これじゃあジリ貧だ。
なんとか打開策を……。
そんな時だった。
「いい加減……正気に戻れご主人!!」
「ゴアッ……ガバッ……!?」
声と共に、獣の首に見慣れた赤い剣が突き立てられた。
「ニーナちゃん!」
「ココ、見つけてきたぞ! さぁさっさと正気に戻れご主人!」
「ダメっすニーナちゃん! 狙うなら心臓じゃないと――」
ニーナちゃんはいつもの癖で首を狙ったのだろうが、吸血鬼は首を裂かれてもほとんどダメージを受けない。
心臓を狙わないと、今のサクヤさんは止まらない。
「しまっ――ぐっ!?」
「ニーナちゃん!」
まるで鬱陶しいものを振り払うように獣はニーナちゃんを吹き飛ばし、首に刺さった剣を抜き、放り捨てた。
まずい、ニーナちゃんは生きてはいるが動けそうにもないし、負傷した私じゃ獣をすり抜けてあの剣を拾いに行けない。
……絶体絶命とはこのことか。
……けど、諦めるわけにはいかない。
「サクヤさんに……あたしらを殺させるわけにはいかないんすよ!!」
痛み、震える足に力を入れて、駆け出す。
……その瞬間だった。
「いい根性だ。さすが私の弟子だね」
私と獣の間に、カルミナさんが降り立った。
「カルミナさん……」
「まったく……それに比べてサクヤ、アンタはなんて体たらくだい。本能に負けてるようじゃ、まだまだひよっこだね」
言いつつ、一歩を踏み出す。
その瞬間、カルミナさんの身体が一回り大きくなったかのように感じた。
「っ……!」
「さぁ馬鹿弟子、お仕置きの時間だよ」
それは、老婆とは思えぬほどの、とてつもない威圧感と魔力によるものだ。
そして、カルミナさんが消える。
「ガッ……!?」
「本能で動いてるだけあって、反応速度は普段より速いね。でもその後の対応がダメだ。これなら普段の方がましだね」
接近して、顎を殴る。
起こった現象はそれだけなのだが、その速度が異常だった。
私が認識できたのは、顎の鎧が砕けて吹き飛ぶ獣と、拳を振り抜くカルミナさんだけだった。
「ココノエ、ちょっとしたレクチャーだ。暴走した吸血鬼ってのは、本能が作り出した擬似的な人格で動いている。そして、この擬似人格ってのは本来の人格よりも弱い。……まぁ、当時は気づけなくて、後々状況を分析して分かったんだが」
……当時、というのはわからないが、カルミナさんも同じように暴走した吸血鬼と戦ったのだろうか。
「そして、この弱い擬似人格が意識を失えば、自然と本来の人格に戻る。では、暴走した吸血鬼を手っ取り早く対処するには?」」
「……一度、意識を失わせる?」
「正解だ。今から実践してやろう」
そういうと、再びカルミナさんは消え、治りかけていた獣の顎を再び殴る。
「顎を殴れば脳も揺れて意識を失う。人間も吸血鬼も脳に意識がある以上、これは絶対の理屈だ。そして――」
一瞬、信じられないほどの魔力がカルミナさんの手に集まり、解放された。
陽光属性の魔法。それだけは理解できた。
だけど、それがどんな魔法なのか、全く理解できなかった。
それほど術式の構築から発動までが一瞬で……なによりも、規模が大きすぎた。
なんせ、魔法を直に食らった獣の頭が、吹き飛んでいる。
あれほど頑丈だった血液の鎧を抜いて、だ。
「頭に意識があるのなら、頭を吹き飛ばせば意識が飛ぶ。火力さえあれば、これが一番手っ取り早いだろうね」
カルミナさんの言葉通り、サクヤさんを包んでいた血液の鎧はドロドロに溶けていき、サクヤさんが人の姿に戻る。
……まぁ、頭がないのだが。
「ちょっ! やりすぎっすよ!! サクヤさん今能力封印されてるんすよ!?」
「暴走した時点であんな封印吹き飛んでるよ。ほら、もう再生が始まってる」
言われて見れば、確かにサクヤさんの頭は修復されていた。
……サクヤさんは再生に時間がかかるけど無事で、私もニーナちゃんも回復魔法でどうにかなる。
つまり。
「一件落着、だね」
「それ、あたしが言いたかったんすけど……」
美味しい所全部持ってきましたねこの人……。




