2-12
ニーナの前に立つのは私兵を引き連れた悪徳商人。
違法な奴隷の取引や国内への持ち込み禁止の物品、はては違法薬物の売買にまで手を染めている極悪人だ。
名前など覚えてもいない。
ニーナにとっては、いつもの獲物だった。
いつものように逃亡奴隷として振る舞い、潜入し、金を盗む。
悪徳商人だったのには特に理由はない。ただ、わずかに残った良心が、こういった卑劣な人間を狙うよう無意識に働いていたのかも知れない。
しかし、潜入したもののどうにも監視の目が厳しく、盗みを働いて脱出できたのは帝都で売り払われる寸前のことだった。
そのせいで近場で手頃な隠れ家として、あの森に潜むこととなった。
……予想外に獣や魔物が強く、本気で遭難しかけたが、次の獲物であるサクヤたちが釣れたので結果オーライだ。
そんなふうに、ニーナにとってはもう終わった相手である悪徳商人だったが、彼にとってはそうではないようだった。
「探したよぉニーナぁ……ずっとこの街で情報を探って、ようやく、ようやく二人組の冒険者がそれらしき娘を連れているとの情報が入ったときは、嬉しくて嬉しくて眠れなかったさ」
「……へぇ、そんなにアタシに会いたかったのか?」
やはり、情報が漏れていた。
サクヤたちに落ち度はないだろう。彼らは彼らなりにニーナを精一杯匿っていた。
しかし情報はどこから漏れるかわからない、おそらく宿屋の店主からの又聞きか、あるいは他の宿泊客か……。
……そこまで考えて、サクヤたちをかばうような思考をしている自分に嫌気が差す。
いつまで未練がましくいるんだか……今はまず、この状況を打開しないと。
「ああ、会いたかったさ……奴隷の分際で俺の金に手ぇ付けやがって!! この怒りを、屈辱をぶつけて!! 金をすべて取り返す!! そのためにここまで粘ったんだからよぉ!!」
「外道な上にしつけぇとは……アンタ本当にどうしようもねぇな」
「ハッ!! てめぇほどじゃねぇさ! 保護してもらって匿ってもらって飯を食わせてもらって! その恩を盗みという仇で返す最低の裏切り者のこそ泥娘ほどじゃあなぁ!!」
「…………っ」
商人の言ったことは事実だ。
だがその事実に、ニーナの心がえぐられる。
その隙を見逃さなかったのだろう、商人は大声で私兵に命じる。
「やれ!! あのこそ泥をぶちのめせ!! ただし殺すなよ、やつの隠した金の場所を吐かせにゃならん!」
そんな商人の大声とは打って変わって、私兵たちは静かに、しかし大胆に動き出す。
光属性の魔法でニーナを照らしつつ、剣士たちが近接戦を仕掛けてくる。
「くっ……!」
私兵のほとんどは奴隷だった。
皆似たようなボロ布のような服を着ており、死んだ目でニーナに斬りかかってくる。
逃げようにも光魔法で照らされているせいで動きが丸わかりで、逃げようがない。
完全にニーナの手の内を知っている戦い方である。
ニーナはダークエルフだ。そしてダークエルフは基本的に魔法が使えない。
だが、ニーナの過酷な生活環境が原因か、はたまた暗殺者のような戦い方を続けていた影響か、いつしか彼女は闇属性の魔法を扱えるようになっていた。
特に得意としていたのが隠蔽魔法によって闇に隠れ潜むこと。
影でもなんでも、暗がりに逃げ込んでしまえばニーナを見つけるのは至難の業だ。
だからこそ、光属性の魔法によって常にニーナを照らし続け、隠蔽魔法を発動させないようにしているのだ。
(……あの頭巾があれば、また違うのかもしれねぇが)
あれの力は凄まじい。本来影に潜まなければ使えない隠蔽魔法が、目立ちにくい程度の効果とはいえ光の中で使えるのだ。
あれにニーナの隠蔽魔法を組み合わせれば、あるいはこの状況を打破できるかも知れない。
だが……。
「……いい加減、未練がましいにも程があらぁ!!」
未練を振り切るように、ニーナは隠し持っていたナイフを抜いて地を蹴った。
「――っ!!」
「シッ!!」
無言で剣を振るう男、その剣をのけぞるように回避し、同時にナイフを振るう。
「ぐっ……!!」
「まず一人!」
結果、ナイフは男の腕の筋を切り裂き、男は剣を落とした。
普段だったらとどめを刺すところだが、その余裕はない。なんせ十数人に剣士が群がってきているのだ。
無力化すればそれでよし、余裕があれば殺す。
そう方針を決め、まずは迫った剣を回避するため跳躍した。――その瞬間だった。
「――がはっ……!? なに、が……?」
攻撃を受けるようなヘマはしていない。そのはずだったのに、ニーナの体を凄まじい衝撃が貫いた。
「がっ! ぐっ! ああっ!!」
さらに連続して衝撃が襲う。
見れば、そこには杖を掲げる魔法使い。
しかしその格好は剣士と同じものだった。
(まさか……本命は、この魔法だった……?)
剣士に襲わせ、近接戦しかできないと勘違いさせておいて、紛れ込ませた魔法使いに致命の一撃を打ち込ませる。
なるほど、実に有効な戦術だ。
「……げほっ!! がっ……はぁっ! はぁ!!」
そんな事を考えながら、ニーナは体を転がして魔法を回避する。
全身が痛くて痛くて仕方ないが、ここで動きを止めたら終わる。
「いいザマだなぁこそ泥娘ぇ!! てめぇら奴隷はそうやって地に這いつくばって泥に塗れてるのがお似合いなんだよ!! なのに俺を騙し、あまつさえ金を盗む……絶対に許さねぇ!! てめぇは拷問にかけて金の場所を吐かせたあと、ありとあらゆる苦痛を与えてぶち殺してやる!!」
「……ハッ、アタシを捕まえてもいねぇのに気が早いこったな!!」
魔法攻撃が止まった隙をついて、ニーナは跳ね上がるように起き上がった。
体は軋むし痛みでナイフを手放しそうになるが、それでもなおニーナは駆け出す。
狙うは魔法使いの五人。アレさえ無力化できれば剣士たちはなんとかなる。
しかし相手もそれをわかっているのか、剣士たちが道を塞ぐ。
「邪魔だテメェら!!」
闇魔法で黒い靄を発生させ、剣士の視界を塞ぐ。
そしてその隙に、剣士たちの腕を切って無力化させた。
……だが、数が多すぎる、とてもじゃないが捌ききれない。
隠蔽魔法は使えないが、目くらましくらいの魔法は使える。
だが、やはりダークエルフであるためか、ニーナは魔法の燃費が悪い。
あまり乱発しては、魔力が尽きてしまう。
「ぐっ……らぁっ!!」
とはいえ、温存しすぎて負けては意味がない。
ここが使いどころだと、全力の目くらましを発動。
「ぬうっ……」
「これは……」
その瞬間、周囲が靄に包まれた。
これでニーナの姿は一瞬だが見えなくなる。
その一瞬で、隠蔽魔法を発動。
(……逃げるのは癪だが、これじゃ勝ち目がねぇからな)
そう判断したニーナは、すぐさま建物の影へ隠れようとして――
「……なっ――」
――目があった。
そしてそのまま、膝を撃ち抜かれた。
「ぐうっ……つう……!!」
「ハッハハハァ!! こそ泥奴隷の考えてることなんざお見通しなんだよ! この場は俺の私兵、三十人が包囲している! お前が好きそうな暗がりを重点的になぁ!! 逃げ場なんざねぇんだよ!!」
「ぐっ……そりゃ……用意のいいこって……」
「さぁ、仕上げだ! テメェには金の場所を吐いてもらわなきゃいけないからなぁ、殺しはしねぇ。だがそれだけだ、喋れる状態ならあとはどうだっていい。腕の一本くらい吹き飛ばしておけ!」
「く……そ……」
逃げようにも、膝を撃ち抜かれているせいで立ち上がれない。
その間にも魔法使いの杖に、魔力が収束していく。
「……ここまでか」
すべてを諦め、そうつぶやいたときだった。
「いいや、まだまだこれからさ」
聞き慣れた、穏やかでのんきな声が、聞こえた。
発射される魔法、それからニーナをかばうように、立ちふさがる。
「氷血術……氷血晶!!」
「うそ、なんで……」
「よう、さっきぶりだな、ニーナ」
見知らぬ魔法でニーナをかばい、気の抜けた笑顔を浮かべるのは、先程ニーナが裏切ったはずのサクヤだった。