2-03
ひとまずこの森で出会った幼女の様子を確かめてみる。
吸血鬼は人間を餌にする都合上、ある程度人間の健康状態が本能的にわかる。
「うう……ん……」
うめき声を上げる幼女を抱きかかえて見てみると、どうやら栄養失調っぽい。
顔色は褐色の肌でだいぶわかりにくいが、少なくともよろしくないことがわかるし、身体は骨と皮ばりにやせ細っている。
あとは脱水症状もありそうだ、唇がかなり乾いている。
「つっても気絶状態で水飲ませたら窒息しそうだしな……どうしたもんか」
ひとまず脱水については置いておき、他の症状がないか見ていく。
「身体に何箇所か擦り傷があるくらいか……あとは」
……この歳の幼女には見合わない、服とも呼べないボロ布と、無骨すぎる首輪だな。
まぁ、首輪については知っている。コイツは――
「サクヤさーん、どうでしたかー……ってあれ? その子どうしたんすか? ていうか奴隷じゃないっすかその子」
……そう、これは奴隷の首輪。
街で貴族のような連中が連れているのを見たことがある。
とはいえ、俺が見た奴隷はみんな痩せてはいても健康状態は良好に見えたんだが……この子の衰弱具合は一体どういうことだ?
「……わからん、俺もさっきこの子を見つけた」
「ふーむ……もしかして逃亡奴隷っすかね」
「どっかから逃げてきたってことか?」
なるほど、それならこの衰弱も納得できるか。
……少なくとも、もう一つの可能性として考えていた、彼女の主による虐待よりはよほどいい。
「前にどこかの奴隷商人が奴隷に逃げられたって話を聞きましたし、多分その子だと思いますよ。逃げた奴隷はダークエルフの幼い少女って話でしたし」
「ダークエルフ……? あ、ほんとだ耳尖ってる」
「気づかなかったんすか……」
いや、だって幼女が目の前で気絶するという異常事態に気が動転して……。
しかし、言われてみれば確かに耳は尖っているし、これだけ衰弱しているのに強い魔力を感じる。
「……しかし、なんでこんな幼い子が奴隷になっているんだ? この国の奴隷は借金のカタに自分を売った借金奴隷か、犯罪の刑罰で奴隷に落ちた犯罪奴隷しかいないって話だが」
「……建前上はそうなんすけどね、中には子供を誘拐して、無理やり奴隷にして売りさばくような連中もいるんすよ。奴隷に逃げられたっていう商人も黒い噂が多いらしいですし」
なんというか……どこの世にもクソ野郎はいるってわけか。
「それにダークエルフって、エルフの中では忌み子なんすよ。闇に落ちたエルフって言われてて……実態はただの突然変異なんすけど……ひどいと生まれた瞬間に殺されたり、そうでなくても家族からも疎まれて売り払われる事もザラだそうっす」
「……ロクでもねぇな」
……まぁ、そういうのは俺の世界でも昔あった話だ。科学が発展していない魔法の世界では仕方ないのかもしれない。
だとしてもだ、こんなに小さな子どもを売り払うなんて心は痛まないんだろうか。
「……サクヤさん、可哀想っすけど逃亡奴隷を匿うのは犯罪っす、だから――」
「ああ、俺達で匿おう」
「――そう匿…………え? いやサクヤさん、話聞いてました?」
「ああ、全部聞いてた。そのうえでこの子は俺が助ける」
この子はきっとずっとつらい思いをして、それでも頑張ってここまで逃げてきたのだ。
助けてと、俺に手を伸ばしたんだ。
なら俺はその手を掴む。これ以上傷つけさせたりは、絶対にしない。
そうさ、そのためなら何でもしよう。
「犯罪行為? ハッ、こんな小さな子供を傷つけるような法なら、そんなもん踏みにじってやるわ!」
「あー……まぁ、半分くらいそう言い出すだろうとは思ってましたけどね……」
「そう言って、ココもノリノリなんだろ?」
気づいてぞ? お前俺がこの子助けるって言った瞬間尻尾が揺れてたの。
今だって機嫌良さそうにゆらゆら揺れている。
「まぁ、小さな子供を見捨てるのは寝覚めが悪いっすからね。どうせサクヤさんのことだから考えなしなんでしょ? あたしが策を練るっすよ」
「ああ、頼んだぜ」
俺達は笑みを交わし、街へ戻る準備をした。
さて、軽く街に戻るとは言ったが、このダークエルフ幼女奴隷は逃亡奴隷、つまりはお尋ね者である。
そして街の東西南北にある門には衛兵が常駐しており、そのまま通ったらまず間違いなく問い詰められて俺達はブタ箱行き、幼女はもとの商人の手元に戻ってしまうだろう。
「というわけで用意したのがこちら」
「……毛皮っすね」
「ああ、毛皮だ。ただし骨は残してあるからある程度イノシシの形を留めている」
そう、先程狩りまくったイノシシの肉をくり抜いて作った、生皮のきぐるみである。
ココにも言ったとおり骨を残しているので、小さい幼女が入ってもある程度形は保てる。
これを中心に、周囲に本物のイノシシの死体を乗せればそう簡単にはバレないだろう。
「まぁ、問題はなめしてないから血なまぐさいってことだが……こればっかりは我慢してもらうしかないな」
「……可哀想なんで鼻に麻痺の魔法かけときますね」
そんな便利な魔法のおかげかはわからないが、幼女は意識を失ったまま、特に抵抗することなく毛皮に収まってくれた。
「で、このまま街に行って、適当なところで幼女を俺が預かって宿へ。ココはそのまま冒険者ギルドで精算を済ませてくれ」
「あいあいさー。……でもサクヤさんがいないと変に思われないっすかね?」
「そこはほら、怪我したとか……」
「ギルマス相手に大立ち回りして、ワイバーンを討伐したサクヤさんが、イノシシ相手に怪我?」
「……ないな」
「……ないっす」
……誰だよこんな面倒な評判立てたやつ!? 俺だわ!
ひとまず話し合った結果、あまりにも返り血を浴びすぎたので洗い流すために宿に戻ったということになった。
……また変な噂が立ちそうだが、コラテラルダメージだと自分を納得させる。
「じゃあ話し合わせるためにも本当に血みどろになりましょうか」
「ええ……必要かそれ……」
「もし衛兵にほんとに血みどろだったか聞かれたらまずいじゃないっすか」
「まぁそうだけど……」
不服だが、とりあえず指を噛み切ってから血液操作で全身血みどろになってみた。
「うわきっつ」
「お前がやれっつったんだろうが」
「いやそうっすけど……ちょっと離れて歩いてもらっていいっすか?」
「しばくぞ」
……まぁ、実際悲惨な状態なのでやむなく離れて荷車を引くことになった。
その後、案の定悲惨な状態の俺が衛兵に心配されてちょっと騒ぎになりかけたり、証拠隠滅のため毛皮を収納袋にしまうときに幼女ごと仕舞いそうになったりと少々トラブルはあったものの、作戦通り俺と幼女は見咎められることなく宿に戻ることに成功した。
「ふぃー……さて、これからどうしたもんかな」
井戸水で血を洗い流して(といってもほとんど血液操作できれいに落とせたのだが)、宿の一室に戻り、ふとつぶやく。
「……全然目ぇ覚まさないな」
やや湿った髪を拭いつつ、ベッドで眠る幼女を見つめる。
その視線の先は、エルフ特有の長い耳だ。
……気になる。すごく気になる。
何が気になるのかといえば、骨格だ。
人の耳は基本的に軟骨で形を維持しているが、やはりエルフも同様なのだろうか? それともしっかりとした硬い骨格なのだろうか?
なんかこう……学術的好奇心がむくむく湧いてくる。
……触ってみたい。
い、いやしかし、幼女に勝手に触れるなんて……いやでも別にエロい目的じゃないし……ちょっと好奇心満たしたいだけだし……。
いやでも親しい間柄だって耳を触ったりなんか滅多にしないだろう。やはりここは我慢を……。
「……全然目ぇ覚まさないな」
……いや、いやいや、目を覚まさないからって、そんなことは……。
そんな、ことは……。
「……ちょ、ちょっとだけ」
好奇心に負けた俺は、ゆっくりと幼女の耳に手を伸ばし――
「うう……ん……?」
「!!?!?」
――絶妙なタイミングで目を覚ました幼女にビビり、椅子からひっくり返って転げ落ちた。