表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小さな山荘

作者: 春猫

 その小さな山荘にはとても快活な家族が毎年お越しになっていた。老いて、もう目が見えなく、眼鏡をかけて、目を細めてようやく新聞が読める。そんなご老人がいて、その娘さん、そのお婿さん、そのお二人のお子様。大変、元気のよい男の子二人。それに、とても賢いゴールデンレトリバー、ご老人は雑種だと言い張るのだけど、あの毛並み、あの堂々と垂れた大きな耳は間違いなくゴールデンレトリバーのもので、友達の家の隣家が飼っていたものと相違なく、その五人と一匹が、毎年、夏の七月一日から八月のいっぱいまで、冬の十二月二十日から一月七日まで、この小さな山荘にいらして、この軽井沢の森の中で、楽しくバーベキューや散策や、夜にはキャンプファイアーを囲んでさまざまな楽器を鳴らしての演奏会なんかをして、たくさんのご友人と一緒にお過ごしになる。私は、普段は街のほうに住んでいて、その家族がお越しになる時期以外は月に一度、この山荘に来て、窓という窓、この小さな山荘には大小さまざまな窓がたくさんあり、小さいのは頭ひとつ通るくらいの、二十センチ四方のものから、床から天井まで広がった大きな窓が六枚続いた引き戸、これを開くとこの山荘の二階から白樺がたくさん並んだ森が見渡せて、私も、その家族もみな、そこからの景色が好きである。その窓という窓を開けて回り、一日、この山荘に風を通して、まるで山荘に呼吸させるようにしておいて、私は拭き掃除をして、屋上や、山荘の周りの広場、森の中の落ち葉なんかも拾って綺麗にして、という風に山荘の管理を任されている。そして、その家族がお越しになる時期は、私もこの山荘に一緒に寝起きして、家事手伝いとしても雇われている。しかし、それも名目だけで、掃除も、食事も、洗濯も、キャンプファイアーの後片付けも、バーベキューの後片付けも、全て、その家族がみな、仲良く楽しみながらやってくれるので、まるで私がお手伝いさんという感じでもなく、私も家族の一員であるようにして振舞ってくれるのである。しかし、それでは悪いと思って、山荘の周りの掃き掃除だけはやると言い張って、ひとり、朝早く起きて箒と熊手をもってせっせと働くのだけど、始めて間もなくご老人がお起きになられて、やあ、いい朝だね、ご苦労さん、どれ、私も手伝うか、朝も気持ちいいからねと言ってもうひとつ熊手を取り出してきてらして、私の隣で落ち葉をかき集めなさる。しばらくするとお婿さん、娘さん、そのお子様が起きてらっしゃって、また、やあ、いい朝だね、ご苦労さん、私も手伝うか、なんて言ってたまった落ち葉や木の枝なんかを箒で集めてゴミ袋にお入れになって、娘さん夫婦とお子様二人、並んで朝霧のかかる森の中の道を、かさかさと地面の草を踏む音を森の中に響かせてお歩きになってゴミ収集所まで歩いていってしまわれるのである。私はとても気持ちがいい申し訳ない気分になって、せっせと朝ご飯の支度にかかるのである。

 ある日、河口湖まで出かけることになった。私は最初、遠慮したのだが、家族揃って、そんな薄情なことを言うとからかわれて、無理矢理に連れて行って貰うことになった。朝ご飯を食べ終わり、食事の後片付けが終わってから私と娘さんでサンドウィッチとフライドポテト、鶏の唐揚げを作り、娘さんは子供のためにと言ってウィンナーを焼いてあげて、それをアルミホイルやラップに包んで籐のバスケットに入れ、ワゴンに乗ってお婿さんの運転で河口湖まで行った。河口湖に着くと、もうお昼時であったが、着いて早々弁当を広げるのもなんだかなあとご老人が言ったので、皆もそうだ、そうだねと頷いて、お弁当を詰めたバスケットを皆で代わる代わる持って、湖のほとりをぶらぶらと歩いた。よく晴れた日で、少し、汗ばむくらいの天気の日で、ガスもなく、富士山がよく澄んで見える。残念ながら、風があったので湖面には細かな波が立ち、あの有名な富士山の、上下に広がる景色を拝むことは出来なかったが、ああ、いいお天気。そう思っていると、お婿さんが全身で伸びをされた。それを見て私も伸びをする。と同時に娘さんも伸びをされた。私と娘さんは思わず顔を合わせて笑った。

「やあ、本当、いい天気、いい富士だなあ」

 ご老人が今さらのようなことをおっしゃる。言葉面は確かに今さらのことなのだが、ご老人がおっしゃるので、とてもとても深い、何十年も寝かしたワインのように、豊かな響きがあった。そうは言っても、私にはそのワインの味がわからない。それでも、何か深さがあるのだけはわかって、それで心が打たれるように感動してしまって、ああ、今日はいいお天気、いいお富士様。今日が今年一番の、いやいや、私のたった三十二年の人生の中で、一番の、そしてこれから先、四十年、五十年と続く人生の中でも一番の、いいお天気、いいお富士様である。そんなお告げを聞いたような、ありがたい気分になった。

 やがて河口湖のほとりを四分の一だけ周ったところで、いい景色もだんだんと少なくなってきて、しょうがなく、今来た道をそのまま戻り、最初のお富士様が真正面に見える広場で、ビニールシートを広げて、その上にお弁当を広げてお昼にした。私と娘さんが作ったサンドウィッチは食パンニ斤を使ったのにも関わらず、ペロリとなくなってしまって、フライドポテト、鶏の唐揚げ、ウィンナーもあっという間になくなってしまった。食べ終わると、やはり、富士山を向いて皆、何も言わず、ただ後ろ姿でその気持ちよさを見えない言葉にして、その後ろ姿を見ているだけで、私は大変嬉しくなってしまった。

 その日、帰りは街に寄り、駅前のそば屋で夕食を取り、夜は各々が各々の書物、ご老人はどこか外国の写真集、娘さんは久し振りに読むわと言ってヘルマンヘッセ。お子様二人は揃って学校の宿題を広げ、お婿さんはリビングの一角でソファの肘掛に腰掛け、ひとりバイオリンの練習に励んでいた。私も、その年の直木賞受賞作が久し振りに面白いと友人が教えてくれたので駅前の本屋でその本を買って、リビングの片隅にある階段の脇に据えられた椅子に腰掛けて、近くにあった壁掛けの絵画を照らす灯りの方に傾いてそれを読んでいた。リビングの窓側、例の六枚続きの戸の前にあるフロアスタンドライトの光の下で読書していらしたご老人には、こっちのソファまで来なさいよと声を掛けていただいたのだが、やはり、私はこちらが、どうぞ、お構いなくと丁重に、しかし断固として辞退して、その場所にいた。私はそこが好きだった。ふと、顔を上げると、リビングを彩る白熱灯のライトの光がファブリックであふれた、無垢の木がふんだんに使われたこの山荘の家具を照らし出し、そこに、ほっこりとしたご老人、気品のある娘さん、そのお子様二人、お婿さんの奏でるバイオリンの音。その暖かさが見渡せるその場所が大好きだった。私は本を読むのに疲れると顔を上げ、そのリビングを見渡した。

 ふと思い付いてキッチンに立ち、ご老人と娘さん、お婿さんのためにサントリーウィスキーの水割り、お子様二人のためにオレンジジュースを用意して持っていって差し上げた。ご老人とお婿さんは声を揃えて、おお、どうも、ありがとうとおっしゃってさも大切なものを頂くようにしてお盆の上からグラスを手に取られ、お子様二人にはテーブルの上に置き、娘さんは頭を下げていただいた。お盆を胸に抱えてキッチンに戻ると、私の後について娘さんが入ってこられた。

「あら、今日はウィスキーはいりませんでしたか?」

 そう問うて娘さんのお顔を見ると、いつになく真剣な表情をしていらっしゃる。何か、胸騒ぎを覚えて、私の娘さんの言葉を待った。娘さんは手に持ったウィスキーグラスを右手で持ち、左手で右手を隠すようにしていた。

「実はね」

 娘さんはそう言うと、深くため息をつかれた。余程のことがあるらしい。私はますます体を硬くして立っていた。自分の分のウィスキーを注ぐ手も休め、娘さんと同じように右手を左手で隠すようにしてぎゅっと握り締め、娘さんを正面に捉えて立った。

「実はね、しばらく、この別荘には来れなくなるのよ」

 娘さんは私が予想していたのと同じくらい、大変なことを言った。予想通り、丁度同じくらいの覚悟をしていたくせに、がんと玄能で殴られたような気がして、何も言えず立ち尽くすのみだった。なぜ?どうして?なにがあったんです?それはどれくらい?今年の冬はだめでも、来年の夏は?いくつもの疑問が頭の中に浮かんでは、すぐに消えていく。それは全然、重要ではないのである。それよりも、悲しい。底もなく、悲しい。悲しさだけ、私の中で渦巻いて、私は泣くことも、口を開くこともすべての感情、言葉を忘れて、悲しかった。

「実はね、おじいちゃん、癌なのよ」

 癌、と言われても、やはり悲しかった。また、ますます悲しくなったというわけではなく、涙が込み上げるわけでもなく、悲しかった。悲しいのは悲しい。悲しい以外なにものでもない。悲しい。私が何も言えず立ち尽くしているので、娘さんもどうすることもできず、私を見たまま黙っていた。時々、テーブルの上のウィスキーボトルあたりをちらちらと見ては、私を見ていた。どうやら、私の言葉を待っているというのは分かったが、私はそれだけ気付いているにも関わらず、うんとも言えず、頷くことも出来ず、ただ悲しかった。

 一体、そのままの状態でどれくらいの時間が経っただろう。二分、三分、いや、十分ほどであろうか。それは私の思い込みで、実はものの三十秒ほどだったかもしれない。不意に娘さんの後ろ、半開きのドアが大きくギリリと開いてゴールデンレトリバーが入ってきた。そして娘さんの足元をすり抜けて私の足元まで来たのである。私はそれで、はたと気付いて我に返り、うつむいてわっと泣き出してしまった。声をあげないでおいたほうがいい気がして、声を押し殺して、泣いた。不思議なもので、声を出したくないと思うとそれに反比例するように声がこみ上げてくる。歯を食いしばって、唇をわなわな震わせて泣いた。涙は不思議と出なかった。けれども、声が、次から次へと出てくる。声を押し殺して、泣いた。何故かふと、ご老人の声が蘇ってくる。「こっちのソファまで来なさい」とさっきかけられたその声を、響きそのままに思い出して、ああ、私は取り返しのつかないことをしたと思った。悔しさまでこみ上げてきて、そのせいでも泣いた。もう、泣いたことしか覚えていない。

 それから数日して、八月三十一日が来て、ご老人も、娘さんも、お婿さんもお子様二人も、ゴールデンレトリバーの雑種も、皆、ワゴンに乗って帰ってしまった。ついぞ、ご老人の口から癌の話は聞かなかったので、その話はそれぎりだったが、私は例年よりも大きく、強く、取り残されたという気分になって、悲しく車の後ろ姿を見送った。

 その年の暮れ、いつもその家族が山荘に来る日の朝、電話が掛かってきて、ご老人の危篤を聞かされ、そのまま取るものも取らず東京まで駆けつけ、その日の深夜、都内の病院の一室でご老人は静かに、突然ふと呼吸をお止めになられて、息を引き取られた。その死に顔は、まるで何か忘れ物でもされたかのように、何のことはない、平常、普通の顔だった。

 それからも毎年、その家族は山荘にお越しになり、それまでと同じようにバーベキューや散策、キャンプファイアー、演奏会、お子様二人が大きくなられてから始めたテニスも私が混ぜてもらって遊ぶものの、少しの寂しさを感じない日は、一日もないのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ