自由を否定する自由を認めるべきなのか、差別主義者を差別してはいけないのか
タイトルの内容を前川喜平氏がツイッターで呟いたそうです。
さて、それに反論してみたいと思います。
まず前提として日本は法治国家であり、言論の自由が憲法によって保障されています。
また、間接民主制であり、憲法の改正は国会議員の議決と国民投票、法律の改正は国会議員の議決によって決まる事に異論を持たれる方はいないでしょう。
では本題です。
自由を否定するのは自由なのか?
否定というのがどういう状態を指すのか分かりませんが、とりあえず一人の個人が否定したところで憲法の内容は変わりません。
否定しようがないのに否定するとは?
また、言論の自由がありますので、自由はいらないと主張をする事自体、自由なのではないでしょうか。
そして民主主義とは一人の思いから始まる社会です。
どのような意見を持つのも自由ですし、それを他者に発信するのも自由な筈です。
それに共感する人が増え、政治家を動かす事になって初めて社会は変わります。
逆に、たった一人だけではいつまで経っても社会は変わりません。
自由を否定する言動が許せなくとも、一つの意見として意見その物は尊重し、仮に反対ならば自由を守ると宣言している政治家に投票すればいいだけです。
自由を否定する言動をしている人、その人個人の人権は守るべきです。
法治国家なので。
それとも、自由を否定している人の自由は奪ってもいいと言いたいのでしょうか?
言論の自由を認めないのですかね?
言論それ自体に違法性があると?
そんな馬鹿な話があるのか・・・
勿論、名誉棄損や犯罪教唆、ヘイトスピーチ等、言論の内容によっては犯罪となります。
でも、自由を否定するだけで犯罪になるのですか?
意味が分かりません・・・
また、今現在自由は否定されています。
公共の福祉に反する場合、私有財産などは否定されるからです。
たとえば高速道路の建設に関し、どうしても許せなくて断固反対を貫く地主がいた場合、道路を作らねば多発する事故を防げない等の理由により、強制的に土地を接収されるでしょう。
日本に自由はないのです。
勿論、社会通念上許される範囲での禁止ですが。
また、子供を心配する親から、SNS上で出会いを求める書き込みを禁止するという提案があったとしたらどうでしょう?
自由を否定していると思われますか?
差別主義者も同じです。
たとえば私がツイッターで人を殺せと主張しているとします。
字面だけを見ればヤバい思想の持主だと皆様判断されるでしょう。
殺人主義者だと。
しかし、詳しく見ると違う印象を持たれるかもしれない。
詳しい主張はこうです。
武器を持って自分を害そうとしている者に容赦は要らない。
躊躇えば自分がやられてしまうから、守るべき者がいる場合こそ迷う事なく殺せ。
むしろ先制しろ。
これで殺人主義者でしょうか?
人を殺す事を勧めていますか?
では差別主義者はどうなのか?
差別主義者とは何を差別している、しようという者なのか?
想定している差別とは何なのか?
個々人によって捉え方が違うのではないか?
前川氏は結局のところ、議論の前提とすべき言葉の定義づけをせずに、イメージだけで物事を語っているに過ぎません。
レッテル貼りをしているだけとも言えます。
差別主義者と言えば誰もがネガティブなイメージを持ちますから。
アメリカでは白人にレイシストと叫べば怯んでしまうらしいですが、それと似ているでしょうか。
社会に流布しているマイナスイメージを相手に貼り付け、思考を停止させて自分の思うように議論を進めていく、そんな印象です。
そうでなければ自由とは、差別とは何か、しっかりとした定義を行ってもらいたいです。
あと、言論と行為は明確に分けて考えて下さい。
自由を否定する言動と他人の自由を奪う行為(財産を奪うとか命を奪う等)は別次元の話です。
差別主義者と実際に差別する行為も違います。
在日朝鮮人の在留許可を即刻取り消せというのはただの意見表明です。
しかし、在日朝鮮人は皆殺しにせよというのは場合によっては犯罪教唆、ヘイトスピーチでしょうし、身近な在日朝鮮人の方々への嫌がらせはただの犯罪です。
前川氏だけではありませんが、差別ガーとか人権ガーと宣う方々は、そこのところをごちゃまぜにしているイメージがあります。
自由を否定する、否定せよというのは言論の範囲内です。
それが実力行使となれば犯罪です。
分けて下さい。
反社会的な組織がどこかの施設を爆破しようと計画している場合は、共謀罪で罪となりますので、また別の話です。
ケースバイケース、個々の事例を精査しましょう。
また、個々の事例を見る事なく、差別主義者というような定義の曖昧な言葉で物事を語るのは、自分の意見を押し付けたいだけだと思われます。