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神のいない世界

「…長…んちょう!・・・・団長!」


轟音と叱咤の声で目をさます。


「何だよ、こんな時に居眠りか!?」


私は眠っていたのか?口の中に鉄の味が広がるのを感じた。頭痛がする。


「うぅ・・・」


立ち上がった瞬間に思わず低いうなり声をあげた。道理で痛いはずだ。額が少し切れている。遠のこうとする意識を捕まえ目を這う赤い膜のような血液をぬぐい、目を見開く。


「あんた、団長だろ!しっかりしてくれよ!」


年若い声で檄が飛んできた。いまだ、耳を裂くような轟音が響いている。眼前にある”異形”のものをめがけて猛進する仲間たち。それが放つ咆哮はあらゆるものを穢し、犯していった。大地、空、そして人さえも。”それ”から一撃をもらったのだと気づくまでにそう時間はかからなかった。空気と人の焼ける匂いを感じながら彼、ヴァトーは剣を構え、同志に語り掛ける。もともと、自身の腕にとまった1匹の蚊すらも殺めることをためらう彼の意識は今や戦士として眼前の敵を屠るためだけにあった。

かつての美しい空を、大地を、この世界をその手で取り戻さんとするために。彼は祈った。いや、「祈ろうとした」。


「祈って何になる。なにに祈る。祈るくらいならいっそ果てまで突き進もう。」


この語り掛けが聞こえたかはどうでもよかった。いや、(問題ではなかった)。次の瞬間の彼の言葉は周りの喧騒をかき消すほどに強烈に、鮮烈に同志に向けられたのだから。


「総員、戦闘態勢!!これより、世界を取り戻す!!!」


戦場を走った檄はその場のどんな音よりもけたたましく響く。奇跡など起こりはしない。あるのはただ、地に足のついた人の所業。また、気まぐれで起こした神の所業。


偶然か、はたまた必然か。


ーーーしかしーーー


その信念ある正義と絶対的な邪悪という相反する要素の根源がそこにあった。





1、終わりの始まり


良く晴れた空。小鳥は歌い、花は咲き乱れ・・・などといった詩人めいたことを考えながら教会の前にたたずむ一人の男。身長は少し高めだろうか。みじかくまとめた銀髪交じりの黒髪に、眼鏡をかけた聡明な顔立ちはどこか儚げであるかのような、それでいて優しい表情を浮かべていた。そんな彼のもとに幼い兄弟二人が競うように駆けてくる。


「ヴァトー神父、おはようございます!」


赤毛の少年が声を上げた。


「あぁ、おはよう。今日も元気だね。アル。」


「今日こそ神父様から一本取るんだ!」


褐色毛の少年が目を輝かせて神父の裾を握った。


「ずるいぞ、ソル。今日は俺からって約束だろ!」


「こら、二人とも。喧嘩をするならどちらも稽古なしですよ。」


いつもの風景である。これから始まるミサの準備に追われるシスターたちを尻目に子供たちを諫め、街の商人からお布施をもらう。「いつもの」風景だった。


彼、ヴァトー・シュレインは一介の神父である。毎朝6時に起床し、教会を掃除したのちに朝食をとってこどもたちに剣の稽古もつけていた。とはいえ、これはアルもソルもやんちゃすぎてほとんど言うことを聞かないので何とかしてくれという母親からの相談を受けてのことだった。剣などほぼ素人である。だが幼子に負けるほど不得手、というわけでもないので街の守衛に簡単な手ほどきを受ける程度で十分対処できていた。


「今日はソルからでしたね。さ、いつでもどうぞ。」


「今日こそ一本取るぞ!」


教会の裏手にある井戸の周りがいつもの稽古場、もとい児戯の場である。二人は向かい合って木剣を構えた。


「やあああああっ!」


けたたましい声とともに木剣を振りかざしながら小さな体躯が迫ってくる。


が。


「うわぁっ!」


簡単にいなされ、勢いそのまま体が地を滑っていく。


「今日もダメでしたね。さ、次はアルです。来なさい。」


「くっそぉ…」


しょぼくれるソルを尻目にアルは肩をぶんぶん回して気合を入れた。


「..どうぞ。」


「・・・ッッ!はああっ!」


先ほどの猪突猛進とは違い、しっかり相手を見据えた構えで木剣を振りぬく。ヴァトーはたやすくそれを受け止め、絡め流した。


「はい。一本です。」


「くっそぉ…」


悔しがり方がそっくりなのは兄弟ゆえだろうか。


「残念でしたね。さ、ミサを始めますよ。」


「ほら見ろ、守衛さんにちょっと構え方習ったくらいで勝てる相手じゃないって。」


「お前だってただとびこんでるだけじゃないか!」


「なんだと!」


「こら、けんかはするなといったでしょう。神はいつでもその行いを見ているのですよ。」


にらみあう兄弟を半笑いで諫める。


「ねえ、神父様。神様って、ほんとにいるのかな。」


ソルが無垢な瞳で問いかける。


「えぇ。もちろん。きちんと祈りを捧げていれば必ず神は答えてくれます。」


「へえー、おれにはわかんないや。祈りとか。」


「ソルには少し難しかったですかね。まぁ、いずれ分かりますよ。」


「にしても今日はなんか守衛さんが騒がしいな。祭でもないのに。魔物でも来たのかな?」


アルが頭の後ろに手を回しながらぽつりと言った。


「いえ、私は何も感じませんしそれはないでしょう。後で様子を見に行ってみます」


「神父様のその力あんまり強そうじゃないよな。魔物の気配がわかるってやつ。」


「それはもちろん。戦うための力ではありませんし。これは皆さんを守るために神より賜った恩寵です。」


にこやかに笑いながらヴァトーはアルに諭した。


「おんちょう?よくわかんないや。おれ、もらうんならもっとかっこいい能力がいい!火とかぼおーって出るの!」


「ソルがそんなもの持ったら村がまる焼けだよ。」


「そんなことあるもんか。今に見てろ。」


兄弟げんかを始めそうな二人をほほえましく思いながら、ヴァトーはふたりを手招きした。


「ほらほら。二人とも行動に入りなさい。」


「はーい。」


厳かな雰囲気の中、ミサが始まる。聖歌隊の歌声、神父もとい、ヴァトーの洗礼の声。


「天にまします我らの父よ。願わくはみ名をあがめさせたまえ・・・」


いつもの風景である。講堂の窓にこれ見よがしにはめ込まれたステンドグラスからは差し込む要項は幾重にも重なった絹のように彩られていた。


(主よ。私たちをお守りください・・・)


はじめは小さな違和感だった。


(?おかしい。いつもならば主からの語り掛けがあるはず・・・ここまで無反応なことなどいちども・・)


(主よ・・お応えください・・)


いつもならば祈りに呼応するように神からの語り掛けがあるはずが何も感じないのである。普段は5分程度で終わるはずの祈りがなかなか終わらないことに皆違和感を覚え始めていた。


「しんぷさまー、どうしたの?」


「い、いえ、なんでもありませんよ。いつもより、主の言葉が聞こえづらくて。」


幼子の問いかけに若干の動揺を覚えながらヴァトーは答えた。


(主よ、どうしたというのです!どうかお応え・・)


次の瞬間、勢いよく扉が開き守衛の一人が青ざめた顔で扉をけ破らんばかりに飛び込んできた。


「し、神父!大変です!!む、村の前に魔物の群れが!」


「!?!?バカな!私は何も…」


言いかけたところでヴァトーはすべてを悟った。神の声が聞こえなくなっていることの意味を。自身から、神の恩寵が消えていることを。


「皆さん、とにかく避難を!シスターは皆の誘導してください!!教会の地下室なら安全なはずです!私は守衛長に話を聞いてきます!」


そういうが早いか、村の大門へ足を向けた。法衣が邪魔で走りにくいとか、泥で汚れるとか、そんなことはもはやどうでもよかった。一刻も早く、何が起こっているのかを突き止めなくてはーーーそんな思いと同時に神の恩寵が聞こえなくなっていることへの一抹の不安も拭い去れないでいた。


(神よ・・いったいなぜ…)


村の大門にたどり着いたときには息は上がりきり、頭と心臓のが入れ替わってしまったのかと思うほどに激しく脈打っていた。


「守衛隊長殿、状況は!?」


壮観な顔立ちの男性に食い入るように尋ねた。中年ほどだが、体はたくましく鍛え抜かれており、その険しい顔は年齢以上のすごみを感じさせるほどだった。もう声もかすれてほとんど出ていなかったが、お構いなしに詰め寄る。隊長は険しい顔つきを崩さないまま冷静に答えた。


「ヴァトー神父、少し落ち着け。いま、儂の部下が大門で食い止めている。魔物とはいえ、あんなものは儂も初めて見た。まるで人間の軍勢のように統率をとっているのだ。アヴァン王国に救援依頼を飛ばしたが、到着までには3日はかかる。それまで何とか持ちこたえるさ。」


「そうですか...」


少し落ち着いてきたのか、額の汗も引き顔の血色も元に戻っていた。


「そこで相談なんだが、あんたの力を貸してくれないか。今までの魔物とは毛色がずいぶん違う。何が起こるかわからないからな。」


それを聞いてドキッとした。今の自分にその力はない。原因もわからない以上、すぐに解決できることでもない。


「じつは....」


すべてを聞いた後、隊長は頭を掻きながらため息をついた。


「そうか...まいったな。こんな時に..」


「すいません、お力になれず....」


「まあ、こんな状況じゃ仕方ねぇさ。俺たちで何とかするよ。あんたは教会に戻っててくれ。」


しおれたひまわりのように頭を垂れるヴァトーに隊長が言葉をかけた。その顔からけわしさは消え、にこやかな顔立ちでヴァトーの肩に手をかける。


「あんたはいつもみんなを導いてきたじゃねえか。今回は俺たちの仕事だ。任せな」


力強い檄に後押しされ、彼はまっすぐ隊長を見据えた。


「ここを、頼みます....!」


「おう。早くいけ。」


もと来た道を急いで引き返す。行きと同じことを考えたが、そんなことはいい。早くみなに知らせなくては。自身のことも調べなくてはーー

そんな思いが頭をめぐる。すでに法衣は裾が裂け、泥にまみれて大掃除をした後の雑巾のようになっていたが


「このままの格好で戻ったら笑いものだな。」


などと楽観的にとらえていた。

教会の鐘楼が見えてくる。白塗りの壁に大きなステンドグラスが映え、皆の心の拠り所である。それが見えてくると、彼はますます足を速めた。


ここでまた一つ違和感が生まれる。煙が見える。黒い煙だ。鐘楼の窓から立ち上っているのが見えた。いやな予感が背中を伝う。同時に、隊長の言葉を思い出した。今までの奴らとは毛色が違うーーーー

もう息が上がっているのも法衣が汚れるのも自身の恩寵が消えたこともなにもかも忘れ、教会へ急いだ。


「シスター!皆!大丈夫ですか!?」


さっきまで限界を超えた走りをみせたものとは思えないほどの声量で叫んだ。やはり煙が上がっている。地下室への入り口である。酸欠で青ざめた顔をさらに青くし、必死の表情で叫んだ。


「アル!ソル!!」


返事はない。ただ、くすぶる煙と残酷な静寂があたりを包んでいた。


「リン....メディさん....シスター・セント....」


いくら呼んでも返事はない。


「神父様....」


か細い声がした。とっさに後ろを振り向くと幼い女児が扉越しにこちらを見ている。


「リン!」


泣きそうな声で駆け寄り、力いっぱい抱きしめた。


「よく…よく無事で…」


眼鏡の裏に大粒の涙をためながら腕に力を込めた。見失わぬよう、まもれるように。


「神父様、いたい」


あまりの安堵に力が入りすぎていた。慌てて手を離す。涙で汚れた顔ではあったが、確かに生きていた。


「すみません。他の皆は?無事なのですか?」


肩に手を添えて尋ねた。


「あっち。皆いるよ。」


そういいながらリンは教会の裏手にある小高い丘を指さした。


「良かった...」


再びの安堵に胸をなでおろす。と同時に一つの疑問が生まれた。


「リン、あなたは何故一人でここに?この煙の原因はなんですか?」


「お人形取りに来たの。突然壁を破って黒い人が入ってきたから」


ーー黒い人?魔物のことか?だが、人の形をした黒い魔物など聞いたことがない。ましてや地面の中になど…

だが、今はいい。魔物の気配を感じれない今、この小さな命を守れるのは自分しかいないのだから。


「では人形をとってきますね。煙を吸ってはいけませんから、ここで待っていてください。」


そういって祭壇の戸棚にリンを隠し、上においてある祭事用の剣をとった。神事に使うものとはいえ、名のある職人が打ったものであるらしいので最低限はどうにかなるだろう。リンにどのあたりで落としたのかを聞き、階段を下りた。


「さすがに暗いな。明かりはつくだろうか。」


手探りで燭台を探し、火をともす。1部屋、二部屋見まわったところで、案外人形は簡単に見つかった。人形を手に講堂で待つリンのもとへ戻る。


「意外と簡単に見つかりました。さ、皆のところへ戻りましょう。お母さんも心配しているはずです。」


手をつないで丘へと戻る途中もやはり魔物の気配を感じることはできなかった。他愛のない話をしながらも思考を巡らせる。恩寵のこと、魔物のこと。気なることは枚挙にいとまがないが、考えても答えは出なかった。


「リン!!!!あなたどこに行ってたの!」


「お母さん!」


やはり娘を心配していた母が駆け寄る。剣を握りしめているヴァトーをみて一瞬ドキッとした様子だったが、手をひいているヴァトーを見てほっとした表情に戻った。深々と頭を下げる。


「神父様、ありがとうございました。」


「いえ、大丈夫ですよ。」


ヴァトーも会釈をしようと頭を下げた刹那ーーー

ーー空気ごと揺れるかのような轟音と衝撃。肌を焼く風。すさまじい閃光は目に痛みを残した。”それ”が何なのか、魔物なのか、獣の類か。あるいは。だが、ヴァトーがその類のことを瞬時に棚上げしたのは当然といえるだろう。痛み、やけどに苦しむ嗚咽の海。焼けた土の臭いにまじって、錆びた鉄のような生臭いような鼻を衝くにおいがした。


「ーーー何が…。何だこれは…。いったい…。」



(皆!)


声が出ない。こんなにも近くにいるのに。近づけば光彩の生み出す複雑な模様まで確認できるような距離にいるのに。だが、届かない。彼らは嘆いているのか。それとも泣き叫んでいるのか。神父として、皆を導かねば。しかし。

目の前にあるのは人ではない。焦げ臭い肉の塊に足がちょこんと生えたようなまぎれもない”物体”である。物体を導くことはできない。気が付けば、ヴァトーは”それ”に手を伸ばしていた。血は止まっていた。傷....もとい断面からは煙がくすぶっている。


なぜ。何故私ではないのだ。神の恩寵を失った私などもはや神父などではない。”こうなるべき”は私だったのだ。この母親には子がある。使命があるというのに。そんな考えばかりが巡る。涙は出ない。言葉は出ない。周りが流す嗚咽すらも。いや、すでに”出せない”のだ。気が付けば、彼の身体は地に突っ伏し苦悶の雄たけびを上げていた。


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