プロローグ
とある森の奥。
そこで一つ燃える焚き火を受けて、二つの影が伸びていた。
「“かつて人類の世界は閉ざされていた。”――」
一人の男性がその明かりに照らされた本の頁を捲る。
彼の持つ本は既に何度も読み込まれ、頁の全ては人の手垢や日にやけて茶色く汚れていた。本の表紙にあるはずのタイトルすらも削れて分からない。
その本の内容は、多くの読者が「嘘だ、誇張だ」と蔑み、ある者は神への冒涜たる異端の書として燃やす者もいるような記述のある代物だった。
「“人類は支配領域を大幅に縮小し、かつては生態系の頂点とまで自惚れていた自尊心は瓦礫と化した。”――」
そんな本の冒頭に記された文面を朗読する男性の傍らには、一人の少年が膝を抱えてその瞳を輝かせながら彼の言葉の続きを待っている。
本来、自身の著作であるこの本を他人に朗読することは、男性にとっては苦痛や羞恥以外の何物でもなく、世間からの評判から見ても少年に読み聞かせることに適した本ではないと理解していた。
「“発展した技術や文明は衰退し、隆起した大地と歪んだ空によって物理的にも空間的にも断絶された人類には、先に終末しか見えていなかった。”――」
だが少年の視線が、男性が黙ることを許さない。
その視線の輝きが単なる焚き火の光が反射しただけであれば、男性も少しは気楽に読めた。または盲目的に本の内容を信じるような幻想家や信者のような読者であれば、怒りを顕にし断ることも出来たであろう。
「“だが、それは突如として開け放たれる。”――」
しかし、少年の瞳から感じるものは純然たる好奇心によるものだった。
少年にとっては本の内容の真否などはどうでも良いことであって、男性の口から語られるこの世界の可能性の拡がりこそが重要なのだ。
――未知を知りたい。
人間の根幹に根ざす好奇心と呼ばれるもの。人の発展と進歩における最も重要な動機になり得るもの。その少年の純粋な想いは男性が若かりし頃に抱いていたものと重なり、とても無下に対応することなどは出来なかった。何より――
「“数百年の時を経て、久しく見た外の世界は、伝承や記録とは全く異なる世界が形成されていた。”――」
この本をボロボロになるほど読み込んでくれた最大の読者が、適当な期待や嘲笑、侮蔑ではなく、純粋な表情で聞いてくれていることがどこか心地良かったのだ。男性にとってはむず痒いことこの上なかったが。
「“未知の動植物や環境。それに古き同志たちが遺した遺跡。外の世界は神秘と謎に溢れ、まだ見ぬ輝きに満ちていた。”――」
少年は何度、この話を聞いたであろうか。
だが飽きることはない。むしろ聞く度に自身の中で膨れ上がるものを感じていた。
同じ景色を見たい、どんなものか確かめたい、他にはどんなものが世界にあるのか、彼の見たこともないものがまだあるのか。
それを見た時、自分ならどういうことを思うのだろう――
感激に打ち震え涙を流すのだろうか、それとも恐れ慄き足を震わせるのか、あるいは納得行かずに怒りを顕にするのだろうか。
――分からない、だから知りたい。
その純粋な気持ちは少年を動かす唯一無二の原動力であった。
未知が興味に、興味が期待に、期待が明日への活力になる。
早く明日が来ることを望みながら、この男性とのワクワクする時間をより長く楽しみたいという自己の願いが矛盾していることに、この少年が気付くのはもっと先であろう。
「“人はその溢れる輝きから、その世界を【神世界】と呼んだ。”――」
男性の言葉に徐々に熱が籠もり始める。
少年の膝を抱える手にも自然と力が込められる。
「“そして、その世界に己の好奇心のみを胸に抱き、危険を省みず足を踏み出した者たちこそが、”――」
今から少年に語られるのは男性の物語。
少年――アルフレッド・ウォーカーの原点であり、全ての始まりの記憶。
だが、ここから始まる物語は――
「俺ら、開拓士だ」
この少年の未来の話だ。
読んで頂きありがとうございます。
次話は明日投稿です。