ヒロインはヒーローその1と遭遇する
廊下は走ってはいけません。
そんな事は百も承知だけど、今はそんな事気にしてはやっていられない。
編入したての私に親切にしてくれる隣の席の女の子が、所属している料理部に誘ってくれて、おまけに焼きたてのクッキーのお裾分けまでしてくれて、鼻歌でも歌いそうなくらいウキウキしながら帰宅しようとしていたのに。
明日、大嫌いな数学で小テストがあることを思い出し、おまけに教科書とノートは教室に置きっ放しだったから。
こんな時間に学校に引き返す羽目になった。
しかも、さっさと忘れ物を回収して帰りたいのに、未だにこの広い校舎の構造を把握しきれていなくて、若干迷子になっている。
うう、この迷子体質が恨めしい…。
パタパタと走り回る事数分。
やっと、自分のクラスを見つけ、勢いよくドアを開いた。
と、電気がついていないから、誰も居ないと思っていたら、ポツンと1人男子が座っており、こちらをゆっくりと振り返った。
びっくりした。
一瞬幽霊かと思った。
確かあったよね?編入初日に誰かわからないけど、教えてもらったこの学校の七不思議。
数十年前に自殺した幽霊がいるとか、いないとか…。
…大丈夫だよね?
まだ幽霊出る時間じゃないよね?
生きてる人だよね?
「あ、ごめんなさい。まだ人が残っているなんて思わなくて。勢いよくドア開けちゃって、うるさかったですよね。」
確認の意味も込めて話かけてみたけど、返事無し。
ぼんやりとこちらを見てるだけ。
…うん、さっさと教科書とノート取って、ダッシュで帰ろう。
ガサゴソと机の中を漁り、目的の物を探す。
うー、机の中、ぐちゃぐちゃ。
自分の大雑把な性格が憎い。
ちゃんと普段から整理整頓しておけば、ささっと取り出せたのに!!
本来教科書とノートだけ入ってる筈の机から、飴の包み紙やら、お菓子やらが転がり出て、なかなか目的のものだけ、取り出せない自分の机の中を呪う。
と、また例の幽霊疑惑の人から視線を感じる。
…なんか怖い。めっちゃ見られてる気がする。
怖いもの見たさの好奇心もあって、チラリと視線の方を向いた。
げっ、目があった!
ヤバイ、呪い殺されたらどうしよう??
と、内心焦ったけど、ちょっと待って。
私、この人知ってる。
うんそう、確か同じクラスの人だー。
なんか、頭良さそうな人で、女の子達が騒いでたかも?
名前は…うん、知らないや。
私、人の名前と顔覚えるの苦手なんだよねー。
大体クラス全員の名前と顔一致する頃には、またクラス替えがやってくるから、仲良くしてくれる人以外、最初から諦めてるし。
あー良かった。幽霊じゃないのが判明したら、ホッとした。
ホッとしたら、お腹空いたなぁ。
早く、探してクッキー食べよう。
って、あの人まだこっち見てるんですけど?何?
何なの??
さては…。
私がクッキー持ってるの知ってる?
これか?これ狙いか?!
甘い匂いが漏れてて、分けてくれるの待ってる感じ?
あ、ため息ついた。
やはりそうか、クッキー狙いか。
そんなにお腹がすいてるなら、早く帰ってご飯食べればいいのに。
もう、仕方ないなぁ。
勿体無いけど、同じクラス仲間っぽいし。
ちょっとだけ、分けてあげるか…。ちょっとだけだぞ。
そう思いながら、彼に近付き、泣く泣くクッキーを差し出した。
…。
反応無し。
「あ、甘いもの苦手?それとも、手作りダメな人?」
何故食べない…。
彼の代わりに私がポリポリとクッキーをつまんで食べた。
うん、美味しい。
だけど彼は相変わらずぼんやりと見てるだけ。
えー、何それ。
やっぱり幽霊…?
怖いから、もう帰ろう…。
と、タッパーごと自分に引き寄せて自席に戻ろうとした。
その時、はじめて彼が反応した。
ゆっくりと、クッキーを1枚つまみ、お上品に口に運んでから、ニッコリと笑った。
「うん、美味しい、ですね。貴女みたいに優しい味がします。」
…。
っぷ。
クッキーを食べてからの第一声がそのセリフって。
本気なの?本気で言ってるの?
「貴女」って。高校生だよね?
お貴族様じゃないよね?
何?何なの?私を爆笑させたいの?
冗談で言ってるならともかく。
本気で言ったのなら笑ってはマズイ。
腹筋よじれそうだけど。
その辺、私は空気を読める女。
とっさに横を向き、顔を伏せながら必死に笑いを堪えた。
ツライ、腹筋がツライ。
これは、早々に引き上げなければ。
愉快な彼を傷付けてしまう。
そう必死に笑いを堪えている私に彼はトドメをさしてきた。
「ねえ、あそこに見える星の名前を知っていますか?少しだけ、貴女と星について語りたいと思います。」
星!
貴女と語る!!
ヤバイ、愉快すぎるワードきた!!!
咄嗟に吹き出しそうになる口元を手で押さえ、涙目になりながら、必死に怒涛のお笑い攻撃に耐える姿は。
彼にとって、ロマンチックなひと時に感動する、とても初心で純粋な子に映っていたなんて、知らなかった。
その後から小一時間、私は耐えた。
笑いを堪えるのがこんなに大変だなんて。
私は知った。
笑ってはいけない◯◯のテレビ番組の出演者の気持ちを。