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3/4

ルシオ三級審問官、最後の事件(3/4)

■■ 4月13日23時(1時間後)・帝都某所の水道橋 ■■


 このクソッタレが。

 この、クソのクソの、クソッタレが。


 どうしてこうなった? 俺はいつ、何を間違った? しかもフェーニャ潜入審問官、だと? なぜ、たかがこんなケチな汚職で、潜入審問官なんていうバケモノが出てくる? そもそも潜入審問官なんて役職は噂話でしか語られない、ほとんど伝説も同然の連中だ。サイコでマッドな異端教団に、その信者の一人として潜り込んで、正気を保ったままこっち側(・・・・)に戻ってくるなんて、どう考えたって人間じゃあない。

 いや、今はそんなことはどうでもいい。なぜ、俺の行く手に、審問会派の紋章をぶら下げた女が――しかも、よりによってあの(・・)ミルカ審問官が立ってるってんだ!?


 呆然と立ち尽くす俺に向かって、ミルカ審問官は迷いのない足取りで近づいてきた。ちょっとでも足元を誤れば谷底に真っ逆さまな古くて狭い水道橋の上を、大舞踏会のホールに出てくる令嬢みたいな優雅さで歩きやがる。こんな状況でも、美人ってのは美人なんだな……なんていう、全力でどうしようもない感想が心によぎった。

 やがて俺の前に立ったミルカ審問官は、俺に向かっておごそかに告げた。


「あなたを逮捕します、ルシオ三級審問官。

 もはや、あらゆる抵抗は無意味です。どうか、投降してください。あなたがすべてを証言してくれるなら、死罪は免除されます」


 俺は勇気の限りを振り絞って、美しき告発者に抗弁する。自分の声がどうしようもなく震えているのが、我ながら惨めで、可笑しかった。


「なんで、あんたが、ここに――?」


 俺の疑問に、ミルカ審問官は深々とため息をついた。


「あなたは真面目な人です。だから明日から休暇が得られるとなれば、大事な仕事(・・・・・)は今日中に片付けようとするだろうと考えました。

 ――やはり、動機はお金ですか?」


 あまりにも無意味な問いに、俺は思わず笑ってしまう。


「そりゃあな。カネだよ。なにもかも、カネのためだ。

 調べてると思うが、別に俺には病気の親族がいるわけじゃあないし、こっそり孤児院に寄付するような人間でもない。ただ俺は、カネが好きなんだ。カネを愛してる。だから、やった」


 こんな説明では納得しないだろうなと思ったが、ミルカ審問官は完全に納得したようだった。いや、それどころか彼女は俺よりもずっと、俺のことを理解していた。


「あなたは、誰からも評価されなかった。愛されなかった。認められなかった。

 でもお金だけは、あなたを客観的に評価し、愛し、認めてくれる。

 だからあなたは、お金に依存した。この世でただひとつ、あなたに平等に接してくれるお金に、恋をした。

 ――そういう人は、たくさん見てきました」


 臓腑をえぐるかのような言葉に、俺は我を忘れて言葉を返していた。


「ああ、そうだ! その通りだよ!

 見ろよ、このツラを! 商売女ですらビビってベッドの上で小便を垂れ流す、このツラを! 評価される? 愛される? 認められる? そんなことがあり得るはずがないだろうが!

 そう、そうだよ! 要は何もかも、あんたらのせいだ!

 俺はただ、認められたかった。だが俺には、あんたみたいな才能はない。同期はどんどん偉くなって、なかには異端者に殺されたヤツもいるが、それですら俺にしてみれば羨ましかった。俺はいざとなったら腰が引けちまって、殉教者になる覚悟で突撃することなんかできなかった!」


 自暴自棄になって叫びながら、自分で自分の言葉に泣きそうになる。


「俺はただ、ガキの頃に憧れた、立派な審問官になりたかったんだ!

 それだけだ! 俺の望みは、ただそれだけだったんだ!

 三級審問官になって3年で、それがどうしても叶わない夢だと思い知らされた。それでも底辺を這いずり回って努力して、努力に努力を重ねて、5年目にようやく得たのがこの顔の傷だ! 顔に巻かれた包帯が外されて、鏡で自分のツラを初めて拝んだときは、悲鳴を上げてたさ!

 結局俺は、どんなに努力しても立派な審問官にはなれず、かといって審問会派を辞めたところで、こんな顔面をぶら下げた人間ができる仕事なんて限られてる。審問官資格を返上して、小さな村で司祭様をやるにしたって、教会に来たガキは卒倒しちまうだろう。

 それから今まで15年。15年だ! そのあいだ俺がどんな気持ちで審問官をやってきたか、あんたらに分かってたまるか!

 なあ、なんでだよ。なんで、俺なんだよ。なんで俺だけ、こんな目にあわなきゃいけないんだよ。こんなケチな賄賂くらい、誰でも受け取ってるじゃあないか!」


 俺の獣じみた咆哮は、夜空に吸い込まれていった。

 そんな俺に向かって、ミルカ審問官は穏やかな言葉を投げかけてきた。


「1つ、大前提として言うべきことがあります。

 あなたは自分のことを無能と評価しましたが、それは幾重にも間違っています。あなたには才能がある。努力する、という才能が。

 三級審問官になれないまま審問会派を去っていく見習いは、けして珍しくありません。あなたは努力を積み重ねることで、余人では届かない、正式な異端審問官という地位を得たのです。そのことを、あなたは分かっていたはずです」


 馬鹿げた慰めの言葉に、俺は弱々しく頭を振る。ミルカ審問官のような「完璧な人間」を見上げるようにして毎日を生きる俺たちの気持ちなど、やはり彼女にはまるで理解できないものなのだ。


「あなたの才能が適切に発揮されなかったことを、残念に思います。そして少なくともその理由の半分は、我ら審問会派のシステムの問題であるとも感じます。

 でも、半分は、違う。

 あなたは自分の才能を、意図的に(・・・・)違う局面で(・・・・・)駆使した。

 ルシオ三級審問官。あなたは、『なぜ俺だけ』と聞きましたね? 理由を教えます。あなたは目下、私たちが極秘で進めている計画において、その重要な構成員の一人として迎えられる予定でした。あなたの才能を正しく見抜いた人も、審問会派にはいるんです」


 そんな、馬鹿な。

 そんな――馬鹿な。だとしたら。だとしたら、つまり――


「私たちが進めている計画は、極めて重要な計画として、教皇猊下の名の下で進行しています。それだけに、計画に参与する人間の身体検査(・・・・)は欠かせません。

 なぜ、あなたがこうして摘発されるに至ったのか?

 それは、私たちがあなたの過去と現在を調査したからです」


 ――この、クソが。クソッタレが。そこまでバレて(・・・・・・・)いたのか(・・・・)!?


「いま、あなたが帝都で行っている活動は、けして褒められたものではありませんが、問答無用で取り締まられるべきものでもありません。

 あなた以外にも似たようなことをしている審問官はいますし、保護する相手から金品を受け取っている審問官もあなただけではありません――まあ、今日のあなたの提案(・・)は、罪に問われるレベルで悪質でしたが」


 クソが。クソが。クソが。クソッタレが。


「でもあなたが過去にやってきたことは、そんなレベルの悪事ではない。

 およそ15年ほど前から、あなたは様々な異端教団に対して審問会派の情報をリークしたり、あるいは彼らに犠牲の羊(・・・・)を出させたりすることで、共存共栄の関係を構築してきた。神に対する重大な背信行為です。

 しかもこれらの背信行為は、捜査上の必要があってのことではなく、純粋にあなたの私利私欲に基づいたものでした」


 そこまで聞いた俺は、反射的に反論する。


「証拠は? 証拠はあるってのか?」


 そう。証拠はないはずだ。なにせ異端教団を相手にした商売(・・)だから、最終的には異端者が皆殺しにされて、取引終了となる。審問会派は、異端者どもを見逃さない。

 だからこそ、俺は足がつくようなものは一切提供しなかったし、俺と教団の間には最低でも4人は挟むようにしていた。そして教団が摘発されたときには、仲介した人間の半数は殺してきた。

 しかも、俺が最後にその手の商売(・・)をしたのは1年ほど前だ。今更、証拠が出てくるとは思えない。


 だが当然ながら、こんな手垢のついた抗弁には、万全の反論が用意されていた。


「あなたが行った隠蔽工作は、完全に把握しています。手口さえ分かってしまえば、たとえ天才的な努力と言えども、個人の力では消しきれない疵は残るものですから。

 とはいえ、あなたの工作は実に見事なものでした。もし私たちが、あなたがどんな背信行為を、どのように行っていたのかを絞り込めなかったら、今でもあなたは『限りなくブラックなグレー』であり続けたと思います。

 でもあなたは、ごく最近、ひとつだけミスをした。それがヒントになって、私たちはあなたが行った犯罪の全貌を把握できました」


 喉の奥から、「最近の、ミス?」という言葉を押し出す。

 ハッタリだ。ハッタリに決まっている。俺がここ最近帝都でやっていた小遣い稼ぎの段取りに、ミスなんてない。だって俺は――


「いま帝都で起こっている同様な収賄事件のなかで、あなたの売上(・・)だけが、突出しているんです。

 要するに、あなたは上手くやりすぎたんですよ。初犯とは思えないどころか、『過去に尋常ならざる規模で試行錯誤を繰り返し、豊富な経験を積んでいる』と判断するしかないくらい、あなたは完璧(プロ)だったんです」


 ――ああ、この無能ども! クズ野郎! クソどもが!


 俺の脳裏に、俺と同じような小遣い稼ぎをしていた同僚たちとの会話が蘇る。そしてそのたびに、俺が腹の中で怒りすら感じていた思いもまた、逆流する汚水のように喉元へとせり上がってきた。


 馬鹿野郎! 自分が保護(・・)しようとする組織の規模と活動傾向から、過去の資料を洗って最悪の事態まで検討した計画を立て、それに従ってリスクヘッジをし、そのために必要な経費を計算した上で、どうしたら利益を最大化できるか、どういう組織を狙い撃ちすれば一番美味しいかくらい、真面目に計算しろよ! 「カネの出入りが激しくなりがちな貴族関係者をターゲットするのではなく、地道に働いてる帝国の公務員や職人ギルドの関係者を狙い撃ったほうが、ロングスパンでの収益は大きい」ことくらい、常識だろうが! 賄賂を取るなんていうヤバイ橋を渡るってときに、どうしてその程度のことも考えないんだよ! 収賄を(・・・)舐めるんじゃねえ(・・・・・・・・)


「あなたは自分が無能だと思いこみたいがゆえに、他人はもっと上手くやっているはずだというバイアスを抱いてしまった。だから自分の工作が、他人のそれより圧倒的にずば抜けていることを、認められなかった。

 実際には、あなたは天才的な努力を積み重ね、超一流の犯罪者として大成したんです。クラウディオ一級審問官が、己の悪事のパートナーとして、あなたを選ぶくらいに。

 そんな大犯罪者が、己を無能と信じてこんなケチな小遣い稼ぎを真面目にやれば、悪目立ちするのは当然です」


 ミルカ審問官の言葉は俺の心を深く抉ったけれど、同時にそこには一縷の望みも見えていた。俺は溺れるものが藁を掴むがごとく、その望みに飛びつく。


「――そう、そうだ。クラウディオのジジイ。クラウディオのジジイだ。

 あいつが、俺に命令したんだ。俺は命令されただけだ。何もかもは、一級審問官が発動した、審問会派の、正式な作戦行動なんだ。

 わかったら、そこをどけ。これ以上、クラウディオ審問官の作戦を妨害するなら、あんたと言えども、面倒なことになるんじゃないのか?」


 俺の必死の抵抗を、ミルカ審問官は一言で切って捨てた。


「それは嘘です。あなたはアドリブで嘘をつく練習までは、あまりしてこなかったようですね。それだって本気で練習すれば、それこそ潜入審問官にだってなれたでしょうに。

 あなたの言葉は、何もかもが嘘です。動機の告白すら嘘じゃないですか。

 あなたは、審問官として認められたかったわけじゃあない。血の滲むような努力を積み重ねた末に、何度も何度も背信行為を秘密裏に成功させ、しかもその犯罪は前人未到とも言える長期に渡って審問会派の捜査を逃れてきた。いえ、捜査される気配すらなかった。

 あなたは、その歴史的な快挙を、誰かに認めてほしかった。そしてそのためには、罪を繰り返すしかなかった。

 だから、私があなたの罪を認めます。投降してください。そしてすべてを話してください。それ以外に、あなたの偉業の全貌を後世に伝える方法は、ありません」


 頭のどこかで、ポキリと何かが折れる音がした。

 おそらくそれは、「心が折れる音」だったのだろう。


 俺はむしろ、圧倒的な満足感を得ようとしていた。だって俺は、ミルカ審問官に認められたのだから。


 そして、そうやって心が完全に穏やかになったからこそ、俺はこの土壇場で、自分が騙されようとしていたことに気づいた。


 ……そうだ。この、クソ野郎が。

 取り澄ましたツラをした、最悪のクソ野郎めが。


 だから俺は、胸を張って宣言する。


「拒否する。

 あんたはクラウディオ審問官が俺と悪事を働いたと言ったが、その証拠があるのか? あるはずがない! あのクソジジイが、あんたみたいな小娘に詰められた程度で『自分がやりました』なんて白状するはずがないじゃないか! ましてや物証など、あのジジイが残すはずがない!

 つまりさ、あんたも嘘つきなんだよ。大嘘つきだ。あんたは俺が過去に背信行為をしていて、その証拠も掴んだと言ったが、それも嘘だね。

 そうそう、あんた、いいことを言ったな。さすが、学のある奴は違うね。『限りなくブラックなグレー』。そうだよ。俺は確かに、ブラックに見えるかもしれない。だがグレーだ。違うってなら、俺がブラックだっていう動かぬ証拠を、ここに持ってこいよ!」


 俺の反論に、初めてミルカ審問官は言葉を詰まらせた。


「考えてみれば、最初から変だったよな。

 証拠が揃ってるっていうなら、俺を待ち伏せする必要はない。あんたはただ、明日の朝になったら、俺を提訴すればよかった。

 なのにこうやってわざわざご出陣になられたってことは、今夜のうちに俺の自供が必要だからだ。真正面から告発するんじゃあ、証拠不十分なんだろ? 違うか?

 残念だったな。あんた、自分が思うほど、嘘が上手くねえぞ」


 無様ではあるが、勝利は勝利だ。危なかった。もちろん、俺はけして安全圏に逃れきったわけじゃあない。だが、俺には「努力」がある。ミルカ審問官のような天才すら凌駕する、努力が。だから俺は、絶対に逃げ切ってみせる。どんなにブラックに見えても、あくまでグレーの範囲に留まり続けてやる。


 そんな決意を固めながら、俺は背後を振り返る。もう、無理に水道橋を渡って逃げる必要などない。むしろ、そもそもそんな必要なんてなかった――というか、俺はなぜ、水道橋から逃げようとしたんだ……?


 その疑問の答えは、すぐさま帰ってきた。


「信じらんない。せっかくミルーシュカ姉さんが綺麗に幕引きできるチャンスをくれたのに。普通、それを捨てる? それを捨てるだなんてとんでもないよね? あり得なくない?」

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