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ルシオ三級審問官、最後の事件(2/4)

■■ 4月13日22時(7時間後)・帝都某所の地下室 ■■


「――で? お前らの教祖様は、どこに行っちまったんだって聞いてんだよ!」


 俺は黒いフードを被った、地味な顔をした女に向かって怒鳴りつけた。


 俺がどこで、何をしてるかなんてのは、実に簡単な話だ。


 最近じゃあ、帝都のあちこちで小さな異端教団が自然発生するようになった――ことになっている。それこそ昼間の会議で延々と揉めたのも、それが原因だ。

 だが俺にしてみれば「何を今更」って話だ。帝都にはずっと前から善良な市民(・・・・・)による貧相な互助団体があちこちにあった。別に異端でもなんでもない、ただの「集まり」だ。


 だが去年、その手の集まり(・・・)のひとつが、麻薬の密売で摘発された。

 俺にしてみればこれまた「何を今更」って話だ。帝都の旧市街はずっと前からイキった若造(ギャング)どもの溜まり場になっていて、連中は自分がどれくらいワルかを自慢しあうために、ご禁制の麻薬の密輸に手を染める。そうやって入ってきた葉っぱ(・・・)の売人として、微妙に善良ではない市民の「集まり」が選ばれるなんざ、掃いて捨てるほど起こってきた事案だ。


 だのに物知らずな教会のお偉いさんの誰かしらが、「帝都には異端教団が儀式に用いる違法な薬物が蔓延していて、その流通を小規模な異端教団が担っている」と騒ぎ立てた。あれだ、生まれて初めてカラスを見た箱入りの司祭様が、「黒い鳩が飛ぶとは何と不吉な!」と叫ぶような話だ。

 結果、俺たち現場の人間は、異端でも何でもない連中を追い立て、調べ上げ、かといって「異端教団などありませんでした」と報告すると話がややこしくなるので、「異端者を自白させました」と報告し、それから実態と報告の辻褄をあわせる。人間が3人集まれば悪巧みをするとはよく言ったもので、善良な市民による無害な互助団体であっても、叩けば埃は出るものだ。


 ともあれ、俺にしてみるとこれはまたとない好機でもあった。

 なるほど、つまらない詐欺だの横領だのの常習犯をとっ捕まえて尋問室(・・・)に送り込むだけで実績になるというのは、それはそれで悪くない。だが50歳の大台がちらついてるってのに、いまだに最前線でのたくってる俺が、「実績」を稼いだところで得られるものは無きに等しい。

 だから俺は、こうやって「異端教団」の集会場に乗り込んで、「お話し合い」をすることにしたってわけだ。


「もう一度だけ聞くぞ。お前らの、教祖様は、どこに行った!?」


 大声で怒鳴ると、黒フードの女は縮み上がりながらも、ボソボソと答えをよこした。


「そ、その、ガレナ親方は持病のぎっくり腰をやらかしまして、今夜は私たちの集会もお休み、なんです。

 わ、私は、ルシオ審問官様に、そのことをお伝えするために……」


 ぎっくり腰! ぎっくり腰ときた! 

「異端教団の教祖がぎっくり腰(魔女の一撃)にやられて家から動けなかったため、今夜の魔女集会(サバト)は開催されませんでした」なんざ、報告書には絶対に書けん。もちろん、報告書を書くつもりもないが。

 俺は半ば呆れながらも、それを顔に出さないように注意しながら――感情を顔に出さないのは俺の得意技だ――要点に踏み込むことにする。この手の「お話し合い」に無駄な時間を使ってしまうと、だいたい碌でもないことになるものだ。


「では教祖代理様に聞くとしよう。審問会派に対する喜捨(・・)は、どこにある?

 あいにく、先月は忙しくて受け取りに来れなかったからな。2ヶ月分、まとめて払ってもらおうじゃないか」


 要は、そういうことだ。

 俺はこの手の「無害な互助団体」を選りすぐって捜査対象として上に報告し、そいつらには「俺はお前らが異端者ではないことをよく知ってる。だが世間知らずな審問官がお前らの捜査を担当したら、お前らは一晩を尋問室で過ごした後、次の朝日は火刑台の上で拝むことになる。俺みたいなちゃんとわかった(・・・・・・・・)審問官がお前らに対する捜査をズルズルと引き伸ばしてやるから、そのための経費を払え」と言い含めてある。

 どうせこの手のお祭り騒ぎは、じきに終わる。言い出しっぺが「実はただの勘違いでした」とは言えないってだけで、審問会派も教会もそこまで馬鹿じゃあない。遠からず適当な中間管理職が詰め腹を切らされて、「帝都における小規模異端教団大量発生問題」は終結するだろう。それまでの間、こいつら無実の市民を俺が守ってやればいい――そのついでに俺の懐に多少の小遣いが入るなら、これぞWin-Winってやつだ。


 だが世の中にはどうしようもなく頭の悪いヤツがいて、俺の親切な提案が蹴られることもある。そう、こんなふうに。


「あ、あの、もう、私たち、現金がほとんど用意できないんです。

 な、なんとか、1ヶ月ぶんは、あ、あつめました。これで、ゆ、ゆるして頂けませんか……?」


 阿呆め。そりゃあもちろん俺だって、受け取った喜捨(・・)の3割くらいは自分のポケットに入れている。だが残り7割は、審問会派の上を黙らせるために必要なカネだ。現に今日だって、あのクソッタレなクラウディオのジジイから「先月の喜捨がまだ届いておらんようだぞ」と耳打ちされたばかりだ。

 そうやってわりとカツカツな運用をしてるってのに、半分しか払えない、だと?

 まったく、平民どもはクズばかりだ。俺たちがカネのプールで泳いでて、プールの水がちょっと減ったから川に水を汲みに来た――その程度の認識しか、こいつらの萎びた脳みそには詰まっていない。

 だから俺は、マジものの怒りをこめて、最後通牒を突きつける。


「いいか。俺が、俺だけの力で、お前らをこのクソみてえな異端騒動から守ってやってると思ったら、大間違いだ。俺だってお前らと同じで、払うところに払ってるからこそ、お前らを守ってやれてんだよ。

 だから、払えねえってなら、話はここまでだ。お前ら、この地区を担当する司祭にも睨まれてるんだろ? 次に会うのは尋問室か、さもなきゃ大聖堂前広場の火刑台だ。じゃあな」


 鬼みたいな表情を作って(鏡で確認したことがあるが、ガチで鬼みたいだ)黒フードの女を威嚇すると、たまりかねたのか女はベソベソと泣き始めた。


「そ、そんな――お、おねがい、おねがいです、たすけ、たすけて、ください……ど、どうか、おねがい、です……そ、その、そ、あ、その、な、なんでも――なんでも、します。なんでもしますから、どうか、たすけてください……」


 話にならん。「何でもする」とはいい覚悟だが、その手の言葉は美人が口にしなきゃ説得力ゼロだ。こいつは自分のツラを自分で拝んだことがないのか? つうか、そんな洗濯板みたいな胸で、客がつくとでも思ってるのか?

 ……と思って「アホか」と返しそうになった俺は、そこで軽く息を呑んだ。薄暗いランプの光に照らされてさめざめと泣き続ける女は、よくよく見ると、えもいえぬ色気がある。顔は十人並みだが、雰囲気というか、風情と言うか、とにかく嗜虐心をひどく煽る何かがある。

 あいにく俺は女を殴って興奮する趣味は持ち合わせていないが、需要とうまく噛み合えば、相当なカネになるはずだ。そういう仕事をさせたが最後、その夜のうちに殺されるだろうから、「一括での買い取り」をしてくれるレベルの太い客が必要になるが、こちとら伊達に20年も審問官をやっちゃいない。その手のお偉い(・・・)クソ野郎(・・・・)には、何人か心当たりがある。


 ふむ。こいつは予想外の拾い物をしたかもしれん。


「何でもする、と言ったな?

 俺は、お前が身体を売って大金を稼げる場所を知っている。そこを紹介してやる。稼ぎの全部をよこせとは言わん。半分、俺に渡せ。あと半分は、お前が自由にしろ」


 この状況でのテラ銭5割は、かなり良心的なレートだろう。もちろん、最終的には俺が全額ゲットすることになるからこその条件だが。

 だがこの馬鹿女は、首を横に振った。


「……そ、それは、だめ、むり、むりです。そんなの、むりです。

 ど、どうしても、そ、そういう、こと、し、しなきゃ、だめ、ですか?」


 床にへたりこんで必死で首を横に振る女を見ていると、俺の中で嗜虐心が激しく燃え上がるのを感じた。衝動的に女を蹴飛ばしそうになったが、懸命にこらえる。商品に自分で傷をつけるほど、俺は馬鹿じゃあない。


「嫌だってなら、勝手にみんなで仲良く火刑台に並んで、異端者として死ね。

 ああ、お前らを捕らえに来た審問官に、俺のことを密告しても無駄だ。俺たち教会(・・)がお前らを庇ってるってことの意味を、よく考えるこった」


 すすり泣き続けた女は、ついに床にうずくまって、動かなくなった。

 だがそのとき、言葉にならない気味の悪さが、俺の脊髄のあたりを走った。


「……そ、それは、つまり、し、審問会派の――」


 床にうずくまった女は、ひとつ咳払いをすると、ゆっくりと視線を上げる。


「審問会派の上層部だけじゃなくて、ジャービトン派やボニサグス派、もしかして賢人会議とか枢機卿みたいな偉い人の間にも、あんたのケチな汚職に相乗りして甘い汁を吸ってる寄生虫がいるってこと、ルシオ三級審問官?」


 黒フードの女は、地獄から湧き出した怪物かのように、燃える瞳で俺をにらみつける。


「ま、さすがは歴戦の審問官だよね。賢人会議だの枢機卿だの、そんなお偉いさんとつながりがある――ああ、なんだ、やっぱそんなつながりなんてないのか。そりゃそうだよねぇ」


 動揺のあまり、俺は一歩後ろに後ずさっていた。

 そりゃ確かに、常識的に言えば俺が教会の偉いさんとつながってるなんてのは、考えにくいだろう。だから「俺たち教会」と言った言葉が嘘だと考えるのは、ごく自然なことだ。

 だがこいつは、そういう常識的な(・・・・)ルートでその結論に辿り着いてはいない。むしろ、俺の心を読んだかのような……


「人間はね、嬉しい話を聞くと、身体のあちこちに『ワオ! 嬉しい! めっちゃ嬉しい!』っていうサインが出ちゃうんだ。でさ、あたしが『お偉いさんとつながりがある』って言ったとき、あんためっちゃ喜んだじゃん。

 これ、ただの想像だけど、『コイツは俺のバックを掴んでないぞ』『コイツは俺を過大評価してるぞ』『ならハッタリでこの場を切り抜けることだってできるはずだ』みたいなこと、あんたの本能が(・・・)考えたよね?

 わかるわー、それ。なんか意味不明だけど、とにかく間違いなくヤバイぞコレっていう状況で、脱出とか逆転とかのチャンスに気づいちゃう(・・・・・・)と、超嬉しいもん。あたしも一度、自分の嬉しいモーションを見抜かれて、死にかけたことあるし」


 俺は無意識のうちに、自分の右頬を一発ぶん殴っていた。これは俺にとっての、一種の儀式だ。どんなに自分が混乱していても、この動作と痛みがあれば、反射的に身体は戦闘モードに入る。


「オッ、いいねえ。いい反応。一気に戦う審問官の顔になったよね。

 でもさ、悪いけどあんた、ビビってるよ」


 俺が、ビビってる? 馬鹿な――いや待て、これは重大なヒントだ。俺はビビってない。なのにこの謎の女は、「俺がビビってる」と言った。つまりこいつ(・・・)は、俺にビビってほしい。ということはほぼ間違いなく、この女は俺にビビっている。俺が捨て身で暴力を駆使すれば、自分では勝てないことを理解している。だからこうやって心理戦に出ている。

 ならば話は早い。俺がやるべきことは、腰の剣を抜き、この女を殺すこと。それだけだ。この女が何者であれ、俺が異端教団と取引していたことがバレたらいろいろマズいことになる偉いさんは、けして少なくない(クラウディオのジジイもその一人だ)。だから……


「だからさっさとこの女を殺して、『俺があることないこと囀ったら困る連中』の政敵のご自宅に、駆け込む……ってところ?

 うん、あたしもそれがいいと思う。クラウディオ爺さんのところに駆け込んだら、あんた確実に口封じで殺されるもんね。それよりは、クラウディオ爺さんの敵の懐に飛び込んで、自分を政治的に利用してもらったほうがいいよね」


 剣を抜きかけた俺は、思わず手を止める。冷たい汗が一筋、首筋を流れ落ちた。

 この女は――何者なんだ? 俺は、ここまでズバリと俺の心を読んでくる相手に、本当に暴力で勝てるのか? 少なくともこの女は、俺がどんな攻撃をしようとするのか、完全に読み切れると思って間違いない。そんなバケモノと戦って、勝ち目があるのか? 


 勝ち目など、あるはずがない。


 そう思った途端、足が凍りついた。もう一歩も、動けない。動けるものか。動いた瞬間、俺は死ぬ。このバケモノに、殺される。

 硬直している俺の目を見つめたまま、女はゆっくりと立ち上がると、こう言った。


「ルシオ審問官。あんた、自分がビビってないと思ったよね?

 でもあんたは、あたしに心を読まれる前からもう、完全に逃げ腰だったよ。

 今すぐには殺さないから、自分の左足、見てみなよ」


 言われるがままに、俺はぎこちなく自分の左足に視線を下ろす。

 履き潰れる寸前の靴のつま先は、真横を向いていた。


「敵に立ち向かおうとする人間は、両足を開いて、大きく構える。これはクマでも猿でも一緒。関係ないけど、アライグマがそれやるとめっちゃ可愛いんだよね。

 でもね、あんたの左足は、ずっと真横を向いてた。つまりあんたは戦闘モードに入る前も、入ってからも、左方向に身体を回して逃げ出したいと思ってたんだよ。これ、審問会派の武術訓練基礎クラスに出れば、教官から最初に習うはずだけど?」


 気がつくと、俺は大声で何かを喚きながら、地下通路を走っていた。恐怖に突き動かされるがままに、走っていた。自分が左方向に身体を回して逃げたのかどうかも、覚えてはいなかった。左手には松明を持っていたけれど、それをいつどこで手にとったのかも記憶がない。


 でもあの女が最後に言った言葉だけは、耳の奥にこびりついていた。


「あたしは潜入審問官、フェーニャ・フェドーシヤ・シャレット。

 ちなみにあたしのことをフェネーチカって呼んだら、その瞬間に殺すからね?」


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