8:休息
「ふむ……」
シャルは何かを思案するように、顎に手を添えた。そして、おもむろに机の上に置いてあったボールペンを手に取る。
「おい、何をするつもりだ?」
すると彼女はその両端を持ち、半分に折るべく力を込め始めた。
「ちょっ、もったいないことす……あれ?」
しかして、ボールペンは折れることはなかった。
「やはり……どうやら私の吸血姫の力は、ほとんど失われて……いや、お前に奪われてしまったようだな」
「それは……なんつーか、悪い」
しかし、シャルは大した気にした素振りを見せずに、ぶつぶつと今後の計画をつぶやく。
「力づくが無理となると後は……説得か。まぁ、気長にやっていくとしよう」
彼女はそう言って大きく伸びをすると、ベッドへ潜り込んでいった。
いくら説得されようが、吸血鬼の村に行く気はない。そんなことよりも――。
「なぁ、それ……俺のベッドなんだけど」
「男は床で寝ろ。部屋から放り出されんだけ、マシだと思え」
「お前何を勝手なこと言って――」
俺が文句を言い切る前にシャルは、枕を抱きしめ、すやすやと寝息を立て始めた。
「寝るの早過ぎだろ……。ったく、しょうがないな。今日のところは、見逃してやるか……」
シャルの口振りから察するにあいつは長い間、ずっとあの鬼狩りの三人組から逃げ回っていたのだろう。気丈に振る舞ってはいるが、精神的にはかなり疲労が溜まっているはずだ。
俺は仕方なく掛け布団にバスタオルを、枕にティッシュの箱を採用し、ひんやりと冷たく固い床の上で眠りについた。
■
「――ちゃん。お兄……ん。……お兄ちゃんっ!」
目を覚ますと、目の前に制服姿のシロがいた。シロは現在中学三年生。既に見慣れたものとなったその制服姿だが、いまだに瑞々しさを感じるのは、兄としての贔屓目が入っているからだろうか?
「ふふっ……。おはよう、シロ」
「何笑ってるの!? というか『おはよう』、じゃないよ! 今、何時だと思ってるの!?」
「何時って……、げっ!?」
目をこすりながら掛け時計を見ると、驚くべきことに時刻は既に八時を回ろうとしていた。一時間目の開始は八時三十分。朝支度の時間を考えれば、間に合うかどうかの瀬戸際――いや、ほぼ望みはないと言っていいだろう。
「嘘だろ!?」
俺は毎日六時に起きるよう、しっかりと置時計にアラームを設定している。しかし、どういうわけか、いつもの位置に置時計はなかった。
「全くもう……早く支度しなよー。それじゃ、シロは先に行くね」
「あぁ、気をつけてな。いってらっしゃい」
「はいはーい、いってきまーす!」
妹を見送った俺は、素早く朝支度を済ませ、制服に着替える。俺の通う帝辺魔法高校の制服は、上が白のワイシャツ。下は黒の学生ズボンという非常にオーソックスなものだ。
教科書等必要なものを鞄に詰め込み、全ての準備が整った。今すぐにでも家を出たいところではあるが、一言シャルには『家を荒らさないように』と言いつけておかなければならない。
「シャル! おい、シャル! 起きろ!」
よほど深い眠りについているのか、何度も呼ぶが全く起きる気配がない。
「この――さっさと、起きろ!」
仕方なく、強引にシャルにかけられているタオルケットを剥ぎ取ってやった。
「……ちっ。……なんだ、朝から騒々しい」
すると彼女は、それはそれは大きな舌打ちと共に、わずかに目を開けた。
「俺は今から、学校に行って――って、お前の仕業か!」
見れば、シャルの胸元には、俺の置時計が抱き締められていた。おそらく、鳴り響くアラームをうるさく思った故の行動だろう。
しかし、今そこを指摘している時間の余裕はない。
「あー、もういい。とにかく、俺は今から学校に行ってくる。夕方までには帰ってくるから、それまでおとなしくしておくんだぞ?」
「ふわぁ……わかった、わかった。ほら、もうさっさと行け」
シャルは大きなあくびと共に、まるで煩いハエを追い払うかのように手を振った。
「それじゃ、行ってくるから。絶対に外に出たりせず、家でおとなしくしておくんだぞ!」
彼女を家で一人にするのは内心とてつもなく不安だが、学校をサボるわけにはいかない。俺は後ろ髪を引かれる思いを振り切って、自宅の扉を開け、学校へと向かった。
「……全く、騒々しい奴だ。ふわぁ……ん……、どれもうひと眠りするか」