6:思春期と理性
「ところで、お兄ちゃん。その人、血まみれっぽいんだけど、大丈夫なの?」
シロは心配そうに吸血姫を覗き見た。
「本人は寝ていれば治ると言っていたんだがな……」
あの廃工場で確かに吸血姫はそう言っていた。
それに吸血姫は人間とは違い、高い再生能力を持つと聞く。今もすやすやと寝息を立てているところを見るに、このまま安静にしておいてやるのがいいだろう。
「それってお兄ちゃんと同じ回復系のスキルがあるってこと?」
「ん、あぁ……多分そうなんだろうな」
スキルというか種族的な特性だろう。しかし、そこを訂正するとややこしいことになるので、スルーした。
「とりあえず、この子はいったん俺のベッドに置いてくる」
我が家は2LDKの一戸建て。二つの部屋は俺の部屋とシロ部屋であるため、客室何て気の利いたものはない。
「えー、女の子だよ? 大丈夫なの?」
「あー、まぁ大丈夫だ。ちょっと変わった奴だからな」
こいつは吸血姫。目を覚ましたとき、隣にいたのがシロでは、何があるかわからない。
「ふーん、そ。……変なことはしちゃ駄目だよ?」
「しねぇよ、馬鹿!」
「なら、いいけど。それじゃ、お兄ちゃん先にお風呂に入ってきなよ。シロは晩御飯、温めなおしとくから」
そういうとシロは、再び台所へと戻っていった。
「全く、俺を何だと思っているのやら……」
ぶつくさと独り言を言いながら、俺は自室に向かい、ベッドに吸血姫を降ろしてやる。
「急に暴れだしたりは……しないよな?」
鬼族は今もなお続く、千年戦争を引き起こした種族。その気性は荒く、血に飢えている……と歴史の教科書に書いてあった。
「にしては……ちょっとイメージと違うんだよな」
この少女は態度がでかく、歯に衣着せぬ物言いだが、気性が荒く、血に飢えているという風には見えなかった。
「ま、気にし過ぎても仕方ねぇか」
俺は頭を切り替え、風呂場へと向かう。
■
「ふわぁぁ……」
風呂に入り、シロとの幸せな食事を終えた俺は、食器を洗いながら大きなあくびをする。
小さいころに両親を亡くしているらしい我が家では、こういった炊事洗濯といった家事は当番制で回している。
「んー、もうこんな時間か……」
部屋にある掛け時計を見れば、二十二時三十分。そろそろ寝る支度をしないと明日の授業に支障が出る。
「それじゃ、お兄ちゃん。シロはお風呂に入ってくるねー」
「あぁ」
その後、洗い物を終えた俺は、吸血姫の待つ自室へと向かう。
「よしよし、まだ寝ているな」
吸血姫は俺が置いた位置から少しも動かず、今もぐっすりと眠っていた。
「それにしても……」
この吸血姫は、まるで作り物のように本当に美しい。ただし『黙っていれば』、という仮定条件が付くが。
まるで陶器のようなきめの細かい白い肌。透き通るような、艶やかな銀髪。そして出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる見事なプロポーション。
「ふむ……」
ふと気付けば俺の右手は、彼女の胸部に吸い寄せられているではないか。その距離およそ30cm。
「なっ、しまった!?」
迂闊にも俺は、惑星『おっぱい』の重力圏内に入ってしまった。
(ぐっ……まずいっ!)
俺の鋼の意思に反して、右手はどんどんおっぱいに引き寄せられていく。
寝ている少女の胸を揉む。それは正義の味方として――否、男として許されざる行為だ。
「……うぅおおおおおおっ!」
俺が全理性を導入し、右手の動きを止めたその瞬間――。
「お兄ちゃん?」
「なっ!?」
――いったいいつから、そこにいたのか。シロが扉の隙間から、こちらを見ていた。
「し、シロ!? お前、風呂に入ってたんじゃ――」
「――ねぇ、今……何をしようとしてたの?」
ハイライトの無くなったその目が、とてつもなく恐ろしい。
「ち、違う! 俺はただ、布団を被せてやろうと思っただけだ! 決して胸を触ろうなんて、ワンタッチならセーフだよな、なんて思っていない!」
「ふーん……ならいいけど」
そういってシロは静かに扉を閉めた。
「あ、危なかった……」
もし俺の理性があと少しでも弱かったら、もし『おっぱい』の重力に気付くのがコンマ数秒でも遅れていたら……。そう考えるだけで身の毛もよだつ。
(しかし……あまりにタイミングが良過ぎやしないか……?)
まるでその目で俺の行動を見ていたかのように……はっ!?
そのとき俺の脳裏に電撃が走る。
「か、カメラだな!? どこかに監視カメラがあるんだろ!? なぁ、おいシロ! 今も見てるんだろう!? なぁ!?」
その後、血眼になって監視カメラを探していると、騒がしくしてしまったからか、ベッドで寝かせていた吸血姫が目を覚ました。
「ここ……は?」
「おっ、目が覚めたか。安心しろ、俺の家だ」
「ん、……そうか」
吸血姫は寝起きが悪い性質なのか、ずいぶんと寝ぼけ眼だ。
彼女は大きく伸びをすると、立ち上がり、自らの服を入念に確認し始めた。
「ふむ……、着衣の乱れはないな」
「何をしているんだ?」
「ん? あぁ、なに、思春期の猿が私に劣情を催して、不埒なことしていないか確認していただけだ」
「そんなことするか!」
さっきのあれは……そう、未遂だ。