12話:パンチングマシーン
「う、嘘だろ、20m超え!?」
「つか、これやばくね? 人間族の最高記録なんじゃないの!?」
「やっぱ式久は、すげぇな……」
先ほどの遠投よりも大きなざわめきが起こる。
「ふっ、まさか一年生に私の記録が二つも塗り替えられるとはな……」
そういった飛鳥先生は、嬉しそうでもあり、また少し悔しそうでもあった。
「さて運動実技最後の種目は――これだ」
先生が校庭の片隅を指差すと、そこには黒々とした巨大な三台のパンチングマシーンがあった。
「一年男子の平均は……1500ポイントぐらいか。ちなみにこの学校の最高記録は、7700ポイント。既に察しの通り、記録保持者は私だ」
(どれだけいいパンチ持ってんだよ……。というか運動実技総なめかよ……)
いや、そんなツッコミをしている余裕など俺にはない。
(既に二回も目立つ成績を残してしまっている……これ以上は、本当にまずい)
薬物の使用を疑われたら、その時点でアウト。その後に待つ血液検査で鬼族であることが判明し、即殺処分となってしまう。俺だけならば、まだいいが、おそらくシロにも調査の手は伸びる。そうなればおそらく、妖魔保護罪により、終身刑や死刑といった重い処罰が下るだろう。それだけは、なんとしても避けねばならない。
しかし、問題はない。この種目――パンチングマシーンだけは自信がある。
(さて……行くか)
俺は立ち上がり、巨大なパンチングマシーンと相対する。
心なしか……いや、ほぼ確実に周囲の注目を集めている。みんな、新たな記録の樹立を期待しているのだろう。
(……だが、悪いな。今回ばかりはその期待――裏切らせてもらう!)
昔、テレビか何かで聞いたことがある。パンチ力とは握力×体重×速度だと。
(この実技において、繰り出すこぶしの『速度』を緩めすぎるわけにはいかない)
それでは手を抜いているのが、誰の目にも明らかだ。
さらに『体重』これはもう、当然ながらどうしようもない。
(つまりポイントは……『握力』!)
グーの形にさえしていれば、外見からではどれほど力を入れて、こぶしを握っているのかは判断できない。
(――よし、いけるっ!)
俺はまるでマシュマロのように柔らかく・優しく握ったこぶしで、右ストレートを放った。
――しかし、そのとき事件は起きた。
「ふぁ……ふぁっくっしょんっ!」
こぶしを繰り出したその瞬間、運悪く大きなくしゃみをしてしまった。
響く轟音。流れる妙な沈黙。目を開かなくても、最悪の結果がありありと想像できてしまう。
(……やっちまった)
恐る恐る目を開けるとそこには――打撃部分が大きくひしゃげた『元』パンチングマシーン、『現』燃えない大型ごみの姿があった。
「な、なんという威力だ……」
飛鳥先生は、悲惨な状態になったパンチングマシーンを見て息をのむ。
「体育委員、ポイントはっ!?」
「は、はいっ!」
先生が確認を急がせる。
「っ!? に、25000ポイントですっ!」
学校記録である7700ポイントにトリプルスコアを付ける大記録だ。
「や、やべぇぇええええっ!?」
「こりゃ、次の対校戦はもらったぜ!」
「やっぱあの噂は、マジだったんだっ!?」
クラスメイトたちから、一際大きい歓声があがる。
(……逃げるか? シロを連れて)
脳内で逃走計画を企てていると、右肩ががっしりと掴まれた。
「……神夜」
振り返ると、そこには神妙な面持ちをした、飛鳥先生がこちらをジッとみていた。
「いや、先生……これはその……」
まともな言い訳が何も浮かばない。
(くっ……シロは今頃、学校か)
ここからシロの通う学校まで、そう遠くはない。今の俺の身体能力ならば、三分もあれば着くだろう。
(……行くか)
俺が逃亡の決断を下したその瞬間――先生が重たい口を開いた。
「やはり噂通り……か。神夜……お前、入学テストでは手を抜いていたな?」
「……え?」
「職員会議でも話題に上がっていたんだ。あまりにも『おかしい』、とな……。超問題児と噂のお前が――いや、それについては何も言うまい。私は、お前がこの学校の危機に立ち上がってくれたことを嬉しく思う。次の対校戦、期待しているぞ!」
「は、はぁ……」
噂通り? おかしい? 超問題児? ……いったい何の話をしているか、わからない。しかし、どうやら助かったようだ。
その後、二台となったパンチングマシーンを使用して、運動実技のテストはつつがなく終了した。
「――さて、これにて運動実技は終了だ。続いて魔法実技のテストを行う。場所はA棟地下の魔法演習室だ。小休憩も考慮して……そうだな、今から二十分後の十時二十分には集合しておくように」
そういうと飛鳥先生は、携帯灰皿を持って正門の方へと歩いて行った。先生はかなりの愛煙家だ。校内は全面禁煙であるため、よく正門で煙草をふかしている姿を見かける。
(そういえば前に「どんどん喫煙者に、厳しい社会になっていくなぁ……」と愚痴をこぼしていたっけか……)
春先にあったぼんやりとした記憶を思い出していると、突然緑里が食って掛かってきた。
「ちょ、ちょっと酷いわ、シキやん!」
「な、何がだよ!?」
「ぼくは、この日のために――もとい、飛鳥先生に褒めてもらうためにめちゃくちゃ努力したんやで!? それやのに……そないに全部持っていかんでも、ええやん!」
「お前……」
「褒めて……褒めてほしかったんや……。頭を撫ぜられたり……あわよくば、抱き締めてもったり……」
緑里はそういうと、歯を食いしばり、静かに涙を流し始めた。
(こいつ……何て自分の欲望に忠実な奴なんだ……)




