10話:やり過ぎた……
俺たち生徒は体育委員の号令通りに、体操隊形に広がり、入念に体をほぐしていく。
「あぁ、それにしても飛鳥先生、ほんまに綺麗な人やなぁ……」
隣で屈伸運動をしている緑里が、しみじみと感慨深げにそうつぶやいた。
「まぁ……そうだな」
飛鳥先生が美人という点は、帝辺高校に在籍する男子全員が認めるところだろう。
『伸ばしている』というよりも、『放っておいたらそうなった』感じの長い黒髪。しかし、決して不潔な印象はない。最低限のケアはしているのか、それとも生来持ち合わせたものなのか、美しい毛艶がある。そして前髪を留めている飾り気のない黒のヘアピンが、非常によく似合っていた。
すっぴんを疑うほどに化粧っ気がないにも関わらず、潤いのある地肌。左右均整のとれた顔は、まさに『整っている』と言えるだろう。
「それやのに、何で貰い手が見つからへんねやろな……」
男子女子問わず、生徒から人気の先生だが、間違っても先生を呼ぶときに『日取先生』と言ってはならない。現在二十九歳、翌年には三十路という過酷な戦地に突入する先生に対し、『独り』――つまりは独身であることを想起させる言葉は厳禁だ。
「はぁ……なんなら、ぼくが立候補したいくらいやわ」
この緑里とかいう男「上は四十五歳、下は十二歳までいける!」と豪語して憚らない。上はまぁ……個々人の趣味嗜好があるため、口を出すつもりはないが、下は友人としてどうかと思う。それに今回の場合は――。
「いや、教師と生徒は普通にまずいだろ……」
そんな話をしていると準備運動の時間が終わり、先生が出席を取り始めた。
「赤威。……赤威はいるか?」
その一番初め。頭文字に五十音順にて敵無しの『あ』を持ち、続く二文字目にア行に次ぐ実力を誇る『か』を有する赤威帝の名が呼ばれる。しかし、返事はない。
「先生ぇ、帝くんは基本午前の授業には、来ませんよー」
「全く……仕方がない奴だな」
赤威帝――校則が緩く、染髪や制服の着崩しなど比較的多くのことが許された帝辺高校において、最も我が道を行く生徒。――いわゆる不良だ。
(まぁ、悪い奴じゃないんだけどな……)
結局、欠席は赤威帝一人だった。
「――よし、それでは運動実技のテストを始める。まずは遠投からだ」
俺たちは先生に着いていき、校庭の端――遠投の測定場所へ移動する。
「入学時の実技試験の際に、一通りやっているから既に知っているとは思うが、念のため簡単に説明をしておく」
「遠投では、この硬式球を使用する」
そういって、先生は懐から握りこぶし大の硬式球を取り出した。
「助走はいくらつけてもらっても構わん。が、この白線を一歩でも超えた場合は、その記録は無効扱いとなるから注意しろ。言わずともわかると思うが、これは運動実技――当然、スキルや強化魔法の使用は禁止とする。以上だ」
遠投の説明を終えた先生は「何か質問はあるか?」と、生徒に問いかけた。
すると予想通りというか何というか、緑里が手を挙げる。こいつは女性教員の授業では、その先生と話をしたい・気に入られたいがために、熱心に受講し積極的に質問する。反面、男性教員の授業は、ほとんど寝ている。呆れ返るほどに、自分の欲望に正直な男だ。
「あのー、これって皆だいたいどれくらい飛ぶもんなんですか?」
「いい質問だな、緑里。一年男子の平均は、例年だいたい100m前後……と言ったところだな。ちなみに帝辺高校の過去最高記録は450m。記録保持者は、私だ」
(あんたなのか……)
飛鳥先生が帝辺高校のOGだと言うのは有名な話だが、まさかそんな記録を持っているとは知らなかった。
「硬式球は体育倉庫にあるから、準備が出来たものから、一人一球ずつ取ってくるように。体育委員、計測は任せたぞ」
そしてクラスメイトたちが一人一人順に、ボールを投げ始める。
「――117m!」
「――111m!」
「――124m!」
体育委員が記録を報告し、それを飛鳥先生が記録していった。誰も彼もが皆、平均である100mを超えているため、後続である俺たちには少しプレッシャーがかかる。
「ふむ……。このクラスは、少し優秀だな……」
それを見た飛鳥先生は、満足気に頷いていた。
「――よし。ほな、ぼくもボチボチやってくるわ」
「おう、頑張れよ」
緑里はサムズアップを決めると、真剣な表情となった。
「緑里宗次、行きます! ――飛鳥先生、よぅ見といたってな!」
「わかったから、さっさと投げろ」
「ほな――せいっ!」
斜め45度に投げ放たれたボールは、今までの誰よりも高く、綺麗な放物線を描いた。
「……ほぅ、やるじゃないか」
これには飛鳥先生も感嘆の息を漏らす。
「――158m!」
「おーっ、ずいぶん飛んだな!」
「やるじゃねぇか、緑里!」
「ただの変態じゃねぇってことかっ!」
体育委員が記録を読み上げ、クラスメイトたちから歓声があがった。
「ふっ、まぁまぁやな」
緑里はどうしようもない変態だが、無駄にスペックが高い。運動実技はもちろんのこと、魔法実技の成績も悪くない。
(……俺も負けてられないな)
魔法系統はてんで駄目な俺だが、運動実技に関してはそこそこ自信がある。
「うし、そろそろやるか」
立ち上がり、遠投の開始地点に立つ。
硬式球を力強く握り、思いっきり、ぶん投げた。
「そらよ……っと!」
渾身の力を込めて投げた球は、高度を落とすことなく、ぐんぐんと距離を伸ばしていく。そして――学校の敷地を超え、空の彼方へと消えていった。
「……あれ?」




