希望の最果て
<注意書き>
Septarcheシリーズのネタバレを含みます。
ノーカット版では、エル編「149 深淵に続く闇」「150 選んで」の間に入っていた幕間です。
生まれた時から、周囲からは畏怖と奇異の目で見られていた。
自分は神に選ばれた特別な存在だと。
神に選ばれた存在は巫女と呼ばれる。
水の神に祝福されたなら水の巫女。
炎の神に祝福されたなら炎の巫女といった具合に。
これまでの例に習えば、幼子になる頃には、どの神の祝福を得たのかわかるらしい。
けれど、私の場合は何の神かわからなかった。
だとすれば、特別な存在なんかじゃないのではと思うが、そんなことはないと、皆、口を揃えて言う。
理由は簡単。
体つきが違うから。
神に選ばれた存在は、どこか普通じゃない体をしているらしい。
体の一部が欠損、あるいは増殖していたり、髪の色が緑ではなかったり、足が魚だったり、羽が生えていたり。
分かりにくいケースでは、盲目だとか喋れないなんてこともあったらしい。
それもすべて、神の力を得たが故の変異という話だ。
例えば、私の里に居た巫女は三つ目で、額にも目があった。
ならば、私は他とどう違うのか。
最初はわからなかった。
私の卵を産んだ母の話では、私には卵を産む器官が存在しない、異物がついている、という話をされた。
意味が解らなかった。
しかし、卵を産めない体のせいか、成体になっても赤子に飲ませる乳を出す部位が膨らむこともなく、飛び抜けて背も高い等、他と比べて酷くアンバランスに育ったのは確かだ。
成体になってもなお、自分が得た神の力はわからないと言うのに。
ただ、何かと重宝されることはあった。
周囲からは力持ちと言われ、あらゆる作業を難なくこなせた。
また、道具を作るセンスもあると言われた。
果実を集める籠に、木で作る家や石で作るかまど。
調理に使う道具や、衣類を編む棒に至るまで。
何かと頑丈で便利なものを作ることが出来た。
中でも画期的と言われたのは、大地を傷つける道具だ。
これによって作物を効率良く育てる畑が出来た。
これまでも大地に種を植えることで実りを得ていたが、畑は、それをもっと効率良くする方法だった。
当初は、浮遊する植物を大地に縛り付ける行為を咎める者も居たが、植物の主である妖精たちは、自分の種が増えることは嬉しいと、私のやり方に好意的だった。
元より、大地に根差す植物や、水中で育つ植物も稀に存在している。
大半の植物は浮遊するものだが、住処の変化には柔軟な存在なのだろう。
畑では植物が豊かに実り、安定して食べ物を得る生活が確立された。
それによって周囲から喜ばれたのは言うまでもない。
新しい大地との付き合い方。
これが、私が神から得た力?
しかし、その答えも違うと言う。
神の祝福は奇跡の力。
大精霊のような奇跡を引き起こせる力のことらしい。
何もわからないまま。
生まれてから三十年が経過した。
私は成人の儀式を迎えた。
成人した者は、自分の意思で生きることが出来る。
本来なら、巫女はその務めに就くらしいが、得た力の解らない私では務めに就きようもない。
私は里を出ることにした。
自分に力を与えた神の意思を問うために。
里の者は私の旅立ちを祝福し、私に助言を与えた。
神に会いたいのなら、世界樹に登ると良いと。
世界樹は、世界中のどこからでも見渡せるほど巨大な樹木だ。
この世界に存在するすべての植物の源流であり、水を操り、すべての植物を育む存在だ。
妖精たちを統べることから、妖精の女王とも呼ばれる。
その大樹の上に、神々の住む場所がある。
浮遊する大樹に登ることは、翼のない人間には難しいことだ。
しかし、大樹の袂には、大樹の根を餌にするドラゴンが居るらしい。
ドラゴンの協力を得ることが出来れば、大樹を登るのも容易いだろう。
神の居場所を支える世界樹を食うなんて、と思うが。
世界樹も根が伸びすぎると浮遊に障害が出る為、ドラゴンと上手く共生関係を築いているらしい。
……というのは妖精から聞いた話だから、どこまで事実かはわからない。
精霊と違って平気で嘘を吐いてくる妖精の話など、簡単に鵜呑みに出来ないだろう。
そう話すと、林檎の妖精は、自分の話が事実であると証明する為に私の旅に同行すると言った。
林檎の妖精は、浮遊する樹木に林檎を実らせてくれる。
妖精が居れば食べ物に困ることはないだろう。
快く同行を受け入れた。
そして、もう一人。
炎の精霊も同行してくれることになった。
生きる為には水と食料が欠かせない。
出来れば、水の精霊に同行を頼みたいところだったと言うと、早速、炎の魔法で攻撃された。
大樹を目指すなら川の上流に向かって歩くことになる。
清い川ならば、人間が飲んでも毒にはならないという話だ。
最も。
それは、常に私が馬鹿にされることでもあった。
成人になっても毒の区別がつかないなんて情けないと。
何を基準に区別しているのかと問うと、見ればわかるという返事だ。
私には、理解できない。
そして、炎の精霊は語った。
たいていのものは、炎で燃やすことで美味になるだろう。
何より、日が沈んだ大地において、炎の力は役に立つだろうと。
なるほど。
確かに、旅立つ私に炎の力は重要だ。
私は、炎の精霊の同行を承諾した。
私と林檎の妖精と炎の精霊は大樹を目指した。
途中、いくつかの里に寄った。
どの町でも歓迎されたが、異質なものを見るような目は、生まれた里で感じたものと同じだった。
成人するまでに自分の力がわからない巫女など存在するのかとも言われた。
ある里には、水の神の力を得た巫女が居た。
彼女は、明らかに里の者すべてから感謝され、祝福されていた。
神に選ばれた特別な存在だから?
違う。
自分たちの利益になる巫女だったからだ。
彼女は利用されていた。
しかし、誰も彼女を祭り上げることに違和感を感じていなかった。
水の巫女でさえも。
ある里には、炎の神の力を得た巫女が居た。
彼女は水の巫女と違い、監禁に近い生活を強いられているようだった。
勝手にものを燃やされては困ると。
炎は重要な力だが、必要以上に使われては困るという判断らしい。
逃げることを勧めたが、それに対して彼女は首を傾げた。
何故?
おかしいのは、私の方なのか。
これは違和感として感じてはならないことなのか。
私もいずれ、望もうと望むまいと、与えられた役目に就くことになるのか。
いくつもの里に立ち寄った。
いくつもの風景を見てきた。
私は……。
やがて、世界樹の元へ来ることが出来た。
しかし、ドラゴンたちは、話も聞かずに私を威嚇してきた。
強力なブレスを吐きながら荒々しく暴れる様子は、話を理解できない赤子そのものだ。
いや。
赤子ならばいずれ対話も出来るだろうが、成体のドラゴンがすべてこうならば話し合いは不可能に思える。
ドラゴンが暴れる限り、私は大樹に近づくことが出来ない。
何か方法が必要だ。
考えた末、私は、炎の精霊の力を借りて、ある道具を作ることにした。
それは、生き物を傷つける道具。
あらゆる道具は、扱いを誤れば怪我をする。
それを、故意に怪我するよう作り変えるだけだ。
最も、そんな簡単な工夫ですら、私以外に出来る者は居ないだろう。
新しいことを試みる者が居ないのだ。
この世界は、与えられたものを享受することが当たり前となっている。
皆、古くから存在する神から授かった知恵に縋り、現状の維持を望む。
変化を引き起こしてはならない。
変わっていてはならない。
巫女と呼ばれる存在が畏怖と奇異の目で見られるのも、それ故だろう。
巫女は、明らかに変化した存在だ。
最も、その扱い方ですら今では慣習化されているようだが。
出来た。
完成した道具は、素晴らしく輝いて見えた。
まるで神の力が宿っているかのように。
私は、ドラゴンに会いに行った。
ドラゴンはブレスを吐いて脅してきたが、ブレスは一度出しきれば、もう一度吐くまでに時間がかかる。
私は新しい道具でドラゴンを傷つけることに成功した。
叫び声を上げたドラゴンに、他のドラゴンたちが群がって来た。
私の道具は、多くのドラゴンを傷つけた。
その内に、これまでとは比べようもないほど巨大なドラゴンが目の前に立ち塞がった。
真っ赤なドラゴンは、私に向かって威嚇するような仕草はしなかった。
とても礼儀正しいドラゴンだった。
私は、ようやくドラゴンに向かって話をした。
そのドラゴンは、静かに私の話を聞いてくれた。
そして、神の元へ連れていってくれることを約束した。
残念ながら、妖精と精霊とは、ここで別れなければならない。
林檎の妖精と炎の精霊に礼を言って、私は赤いドラゴンと共に神の元へ飛んだ。
遥か天空、世界樹の上の方。
ドラゴンは、神が居る雲の真下へ私を連れていった。
世界樹の枝の上に。
世界樹の幹は雲を突き抜けて、更に伸びていた。
ここから先は一人で行かなければならない。
私は、神の居る雲の上へ登った。
そこには、神々が存在していた。
私は、自分に力を与えた神を探したが、誰もが違うと答えた。
ならば、私は何者なのか。
神の一人から助言を得た。
私が得た力は、おそらく地上に居る神の力ではない。
だからと言って、太陽の神の力でも月の神の力でも、この星のアンシェラートの力でもないらしい。
私が得た力は、新しい力。
世界を変える力。
長く停滞した時代を変える力。
ここに来るまでの間、私が目にしたことで、変えなければならないと感じたことがあるならば、それを変えるのが私の役目だと。
世界が違和感を感じなかったことも、私はおかしいと感じた。
それが答えだとしたら。
私は、変えられるかもしれない。
私は、世界を変える旅に出た。
世界は簡単に私を受け入れてはくれない。
けれど、少しずつ変化を起こすことに成功した。
一方で、世界には様々な歪みが生まれた。
そこから、暴力的なものも生まれた。
私は、その暴力を御す為に道具を作った。
斧や剣。
槍。
棒や盾。
弓。
その道具を扱う技術も伝えた。
しかし、私よりも力のない者が暴力に立ち向かうことは難しいようだった。
変化を引き起こした責任もある。
これは、私が取り組む問題だろう。
そう思っていたが、私に協力するものが現れた。
それは、精霊たち。
元から自然の維持に努めてきた精霊たちは、目的を同じにする私に協力してくれた。
そして、ドラゴンも。
私と共に戦ってくれた。
私を受け入れてくれるものは、少しずつ増えていったように思う。
何より、畑を作る技術は、どの里でも思った以上に喜ばれた。
ただ、闇雲にやって成功する方法ではないこともわかった。
妖精や植物には土地や空気の好みがあるらしい。
私は、妖精や植物のことをもっと知る必要がある。
それには、最も知識のある者を訪ねるべきだろう。
私は、妖精の女王に会いに行くことにした。
妖精曰く。
妖精の女王は、世界樹のどこかに居る。
妖精と心を通わせることが出来る。
しかし、生き物と心を通わせることが出来るかは知らない。
誰も試したことがないのだから。
未知のことならば、私がやるべきことだろう。
しかし、これは世界を旅するよりはるかに難しいことだ。
世界樹。
その頂上はドラゴンの力を借りなければ到達出来ないほど雲を越え遥か天空へ突き抜けており、幹は果ての見えない壁のように大きく広がり、遠く高い位置に見える太い枝は数えることなど不可能なほど無数に存在している。
世界樹は、最早、樹木とは呼べないほど、別格な存在だ。
効率的に女王を探す方法を考えたが……。
良い案は浮かばなかった。
とにかく登ってみることにしよう。
無数に伸びる世界樹の根を食い荒らすドラゴンの背を越え、太く伸びた根に捕まり、上を目指す。
ひたすら、上へ。
山登りですら、こんなに過酷な崖を登ったことはない。
ひたすら、上へ。
果てのない木の崖。
樹木に深く槍を刺し、そこにロープと布を下げて休憩を取る。
すると、槍を刺した部分から透明な水が流れて来た。
この樹木からは、水が手に入るらしい。
世界樹は水の神から生まれたと言うし、かなりの量の水を持った存在なのだろう。
水が尽きたら帰還しようと思っていたが、干物にした果実も十分持ってきている。
当分の間、登り続けることが出来そうだ。
どれぐらい登っただろう。
途中、丁度良い木の洞があった。
洞と言っても、巨大な世界樹にとっては虫食い穴程度の大きさかもしれないが。
そこは、私が寝転がるのに十分な広さがあった。
しかも、新鮮な果実まで転がっている。
小動物か鳥が使っている場所?
それが本当なら会ってみたいところだったが、久しぶりに安眠できる場所だったこともあって、次に目覚めたのは昼過ぎだった。
寝ている間に動物が来た形跡はない。
新鮮な果実を食べて、更に大樹を登ることにした。
その木の洞には、この先も何度か遭遇することになる。
どれぐらい登っただろうか。
ようやく太い枝が生える場所まで来た。
太く大きな枝は、家がいくつも乗りそうなほど広い。
にも関わらず、枝から更に分かれて伸びた小枝には、不思議なことにいつも見かける林檎が実っていた。
ややアンバランスな気もするが、枝に比例して果実が大きくなるということはないらしい。
真っ直ぐに伸びた太い枝は、途中からいくつもの道に分かれている。
枝の先に妖精の女王が居ることはあるだろうか。
それとも、このまま登り続けるべきか。
林檎を手に取り、どう進もうか思案していると、すぐ横に何かが降り立った。
それは、眩いほどに光り輝く美しいもの。
精霊のように直接発光しているわけではないというのに。
それなのに。
これまで見たどんな星よりも煌めき、これまで見たどんな花よりも麗しく、これまで見たどんなものよりも心奪われる。
これが、妖精の女王?
持っていた林檎を落とすと、彼女はふわりと浮いて、その林檎を手に取った。
「どうぞ」
風が唄うように透き通った美しい声。
自分の血が熱く沸騰するような激しい熱を感じる。
目も耳も声ですら、奪われる。
渡された林檎を受けとれずに落とした私の体を彼女が支える。
その手を、私は捕まえた。
その後。
どんな話をしたのかは覚えていない。
病にかかったように熱がおさまらない私の傍に彼女はずっと寄り添ってくれた。
日が暮れて、彼女は大樹に開けた洞に私を招いた。
どこか見慣れた木の洞は、私が何度も過ごした場所に良く似ている。
その話を彼女にすると、彼女は、私の為に作ったのだと語った。
自らの命を危険にさらすようなことなどしてはならない、と。
そこで初めて、私は世界樹を登っていた理由を彼女に話した。
「あなたに会う為に私はここへ来た」
彼女は少し驚いて、頷いた。
「それならば、好きなだけ私の元に居て構わない」
その言葉の通り、私はずっと彼女の傍に居た。
植物の知識を求めたのは確かだ。
しかし、それ以外のこともたくさん話したように思う。
彼女の持つあらゆる知識を聞き、私の生み出したあらゆる物の話をした。
あるいは、全く関係のないことも。
言葉を交わさない静寂の時も。ただ、共に過ごした。
自分に起きた変化に理解が追い付かない。
とにかく、傍に居たかった。
繋いだ手を離したくない。
それは、彼女も同じだったらしい。
どれだけの時間が経過したのかわからない。
この時が永遠に続けば良いと。
そう考えていた。
でもそれは、彼女にとって罪だった。
突然。
彼女は、私に木の洞から外へ出るよう告げた。
この手を離すなんて考えられない。
そう言うと、彼女は私の手の中に光るものを入れた。
これがあれば、もう一度会える。
それなら、私も何か……。
胸の内から、光る剣が生まれた。
私はそれを自分の代わりに傍に置いて欲しいと願った。
彼女は、それを承諾した。
繋いでいた手を離して。
外に出ると、目の前には見覚えのある赤いドラゴンが居た。
その背に乗ると、すぐにドラゴンは飛び立ち、大樹から遠く離れた。
そこから見えたのは。
枯れた世界と、大地に縛り付けられた世界樹の姿。
それは、神々が下した決定。
彼女は、自分の役目を放棄した結果、罰を受けたのだ。
彼女には、世界中の植物に等しく水を与える役目があったらしい。
しかし、私と過ごした長い間、役目を放棄した為、世界の植物は枯れてしまったのだ。
赤いドラゴンは、私を神の元へ連れていった。
神は語った。
私に雲を作る力を与える。
大地に傷を付けるその力を使い、妖精の残した種を使って枯れた植物と妖精をすべて復活させよと。
世界から、浮遊する植物が消えていた。
羽を持つ生き物たちですら、浮遊する植物を失ったことで地上付近でしか生きられなくなったようだ。
飛んでいる精霊も、生き物たちの為に地上に降りている。
ここは、私の知っている世界ではない。
私は、すべての植物を復活させなければならない。
そして、やりかけの仕事をしなければ。
私と彼女が見えない場所で。
私と彼女が役目を怠った為に。
世界は崩壊した。
世界中で、歪みから生まれた暴力がひしめいていた。
大精霊とドラゴンが協力して暴力に抗っていたが、それでも抑えられないものは私が請け負うことにした。
私は、誰よりも戦いに向いていたらしい。
戦いに必要な道具も次々と作り出した。
世界は広く、簡単に思い通りにはいかない。
けれど、役目をこなせば、いずれ、世界は再生する。
私は、自分に与えられた役目を続けた。
……何の為に?
誰の為に?
遠くに大樹が見える。
大地に根を張った世界樹は、遠くへ行くほど小さくなり、やがて視界から消えた。
壊して、傷をつけて、新しく作り変える。
新しい世界は、美しいだろうか。
もう、世界が美しかった頃のことを思い出すことが出来ない。
会いたい。
何に?
誰に?
遠くに大樹が見える。
あれは、確か世界樹。
神々が住むという場所だ。
……役目を果たさなければ。
会いたい……。
手の中に残った最後の種。
こんなに美しい種なのに。
どこに植えるべきか見当もつかない。
これだけは、手放してはいけない気がする。
何故?
種を植えなければ妖精を復活させる義務は終わらないのに。
義務を終えれば自分の望みが叶うはずなのに。
望み?
望みなんてあっただろうか。
会いたい。
それしか、思い出せない。
轟音と何かを斬り裂く音。
壊れ、傷つけ、消滅させる音。
気が付くと、ドラゴンの屍の上に立っていた。
何故、この場所を目指していたのか。
何故、この場所に居るのか。
思い出せない。
ぼろぼろに食い荒らされた大樹を撫でる。
かつて、ドラゴンは大樹の木の根を食うことを許されていたらしい。
それが何故なのかは知らない。
しかし、美しい大樹の幹を食うことは許されていないだろう。
これでもう大樹は傷つけられることはないはずだ。
この上に、神々が居る。
私は、大樹に登った。
前にも登ったことがあるような気がする。
けれど、それがいつのことだったか……。
登っていると、休むのに丁度良い場所に木の洞が存在した。
こんなに都合良く存在するのも不思議な話だが、利用しない手はない。
それに。
どこか懐かしい気もする。
登って。
休んで。
前よりも早く登れる気がする。
前よりも……?
ようやくたどり着いた太い木の枝に登り、林檎をかじる。
近くには、穴でも空いていたかのような丸い跡が残っている。
形は、休憩に使っていた木の洞の大きさにも似ている気がする。
触れてみる。
見覚えがあるはずなのに、何も思い出せない。
会いたい。
ここで、何があった?
林檎が手から滑り落ちた。
落下した林檎は、一瞬の内に小さくなり、目で行方を追うこともできない。
今頃、地面に叩きつけられて潰れていることだろう。
先へ進もう。
登って。
登って。
登って。
そして。
神々の住む場所へたどり着いた。
神々は、何故来たのかと尋ねた。
私は、あらゆるものを傷つける道具を持って答えた。
神を殺す為。
神を消滅させる度に、体の中に力が湧いた。
神の力が体の中に入って来る。
欲しかったものは、これなのか。
炎の神も。
氷の神も。
光の神も。
闇の神も。
水の神も。
大地の神も。
風の神も……。
「愚者」
そう言い残し、真空の神は去った。
地上から神は消えた。
今日から私が、この世界の神だ。
違う。
神になりたかったわけじゃない。
ずっと大事にしていたもの。
手の中にある最後の種。
あぁ。
ようやく思い出した。
ようやく、思い出せる資格を得た。
会いたかった。
ようやく、会いに行ける。
何もかも、あの時へ戻せる。
出会った時へ。
そして、また……。
共に過ごした大樹の洞の中に、彼女は居た。
彼女は御使いの姿で私を出迎えた。
記憶の中の妖精の姿と同じなのに、それは私と同じ。
人の姿だ。
再会の喜びのまま温もりに身をゆだね、言葉もなくひとときを過ごした後。
私は、彼女に告げた。
希望を。
これでもう、何ものにも邪魔されることなく、共に過ごせる。
一緒に行こう。
彼女は、拒否した。
彼女は、星の神アンシェラートと手を結んでいた。
彼女が浮遊することは二度とない。
彼女が役目を放棄することもない。
「これ以上、何も壊さないで」
私は彼女の元から去った。
その後。
彼女の御使いから、新しい人間が生まれた。
私の力を受け継いで生まれた生き物。
ブラッド。
私が持つ神の力と彼女の持つアンシェラートの力で新しく創られたもの。
古い存在を上書きする存在。
神の力は創造の力。
この存在を皮切りに、この先、同じものが次々と生まれることになるだろう。
神からの祝福を得ずに。
このままでは、ブラッドは、私が犯した罪を、神を殺した罪を負うことになってしまう。
でも。
この新しく生まれた命を消すことなど、誰が出来ると言うのだろう。
ならば、せめて私が祝福するしかない。
この自然に反した存在を。
神の祝福も精霊の祝福も得られない種族を。
私が守護するのだ。
だから。
彼女が私の手を取ることは、二度と……。
やがて。
世界は二つの生き物が生きる場所になった。
神が創った生き物のクレア。
私が得た神の力を宿すブラッド。
両者は似て非なる者だった。
運命に従って生きる祝福された古い種族のクレア。
同族殺しも行う呪われた新しい種族のブラッド。
二つの種族は争いを繰り返した。
長い時を越えて。
私は、その争いに終止符を打つことにした。
アンシェラートを立会人とした契約を行うことで。
「この世界を二つに分ける。世界の半分をクレアの土地に。世界のもう半分をブラッドの土地として分かつ」
「両者の境界は、大地の底から大地の頂上の間とする」
「大地の底、大地の中で一番低い場所は、水の底。そこから境界までをクレアの土地とする」
「大地の頂上、大地の中で一番高い場所は、地上で最も高い山。そこから境界までをブラッドの土地とする」
水で埋められた土地がある分、狭くなるとはいえ、低地には作物の実りを促すのに十分な肥沃な土地が存在する。
植物を食べて生きるクレアにとっては、充分な条件だろう。
クレアは、その条件を承諾した。
痩せて作物の実りの少ない土地がブラッドの土地となるわけだが、生き物も糧とする彼らには大したことはない。
何より、ブラッドは皆、ブラッドの神である私の決定に反対などしない。
ブラッドもまた、その条件を承諾した。
両者は承諾した。
精霊も、妖精たちも、彼女も。
皆、この契約に立ち会い、契約に従うことを了承した。
けれど、誰も知らない。
本当の意味を。
契約が成立した後。
私は、世界樹を斬り倒した。
彼女を。
世界樹は倒れ、世界で一番高い山に突き刺さって折れた。
水の神から生まれた世界樹が、多くの水を抱えていることを私は知っていた。
世界樹から大量の水が流れ出た。
世界のすべてを洗い流すかの如く、世界中を水で埋めてしまうかの如く。
世界は水没した。
静けさを取り戻した世界に広がるのは、揺蕩う水。
やがて海と呼ばれる場所。
海と陸の境界は、私が示したクレアの土地とブラッドの土地の境界と同じ。
クレアの土地はすべて水に沈み、失われたのだ。
私は、古い種族を滅ぼした。
それでも尚、古い種族は精霊の祝福を得た。
私は、クレアを乗せた大地の一部が、月の大精霊によって天へ昇って行くのを見た。
雲の上となればアンシェラートの管轄外。
元の土地がクレアのものであったならば、契約に従って私があの土地に入ることも出来ない。
私の計画は大部分が成功したものの、一部は失敗した。
精霊が私の予想を超えたことには驚くが、どちらにせよ、クレアが大地に戻ることはない。
何より、私の血を引く子供たちの多くは助かっている。
世界樹を斬り倒す前に与えた啓示によって、ブラッドは船を作った。
世界が水没しても、船に居たブラッドは流されることなく生き抜いた。
そして、生まれ変わった土地で新しく生きるのだ。
世界はブラッドのものとなった。
この契約は誰にも覆すことは出来ない。
これ以上水が溢れないよう、氷の大精霊によって氷漬けにされた世界樹の根。
かつて世界樹がそびえ立ち、雲の上には神が居た場所。
神の台座。
今はもう、何もない。
神は消えた。
神が創った古い生き物たちも。
古い世界が消えていく。
神がいなくても世界が続いていく。
もう、この世界に役目など必要ない。
これで彼女も自由になったはずだった。
けれど、彼女は古い生き物と新しい生き物の為に生きることをやめはしなかった。
最初に生まれたブラッド。
私の子もまた。
だから。
彼女が私の手を取ることは、二度と。
ない




