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智枝理子の資料集  作者: 智枝 理子
Sep2エル編ノーカット版より抜粋「Requiescat in pace」
38/56

155 冴えわたる道

 装備も整えたし、荷物の整理も終えた。

 いつもより荷物の量が多い気がするけど。

 ……しょうがない。

 

「おはよう、エル。リリー」

「おはよう、エル。リリーシア」

「おはよう」

「おはよう。……早起きだな」

「見送りするって言ったからね」

「朝ご飯は出来てるわ。お昼にサンドイッチも作ったから、持って行ってね」

「わぁ。美味しそう」

「ありがとう。持って行くよ」

 テーブルにサンドイッチの包みを置いたキャロルを抱き上げる。

「前より重くなったな」

「もうっ。女の子に失礼なこと言わないでくれる?」

 可愛い。

 ……子供の成長は早いな。

「コーヒーが入ったよ。一緒に食べよう」

「あぁ」

「うん」

 良い匂いだ。

 

 ※

 

「いってらっしゃい。エル、リリー」

「いってらっしゃい。エル、リリーシア」

「いってきます」

「いってきます」

 

 ルイスとキャロルに見送られて、ガラハドの屋敷を出る。

 いつものようにオルロワール家を通り抜けていると、リリーが顔を上げた。

「ネモネ?」

『早起きなんて珍しいんじゃない?』

 リリーが屋敷の方を見て、大きく手を振る。

 アリシアにポリシア、メルリシアだ。

 見送ってくれるらしい。

 

 オルロワール家の門を出る。

「隊長さん」

「ガラハドに、パーシバル」

「おはよう。エル、リリーシア」

「おはようございます」

「おはよう」

「おはようございます。本当に、早いっすねぇ……」

 パーシバルが欠伸をしている。

「調子はどうだ?」

「大丈夫です」

「いつも通りだよ」

「適度な緊張は戦闘に向くが、緊張し過ぎは体を固めるだけだ。上手く力を抜くんだぞ」

 リリーの方は、少し緊張してそうだな。

「少し、手合わせをお願いします」

「朝から元気だな。剣は使わないぞ」

「わかりました」

 リリーとガラハドが広い通りの中央へ行って、格闘の訓練を始める。

「元気っすねぇ」

 もう一度、パーシバルが欠伸をする。

「こんな朝っぱらから、何してるんだ?」

「早朝の見回りっすよ」

「ここはセントラルだぞ」

 一番隊の担当だ。

「良いじゃないっすか。後で隊長の家にも行ってきますよ」

「なら、早く行った方が良いぞ。リリーのガトーショコラがまだ余ってたはずだ」

「まじっすか。後で絶対行きます」

「あぁ。頼むよ」

 ルイスとキャロルのこと。

「はい」

「ありがとうございました」

 声が聞こえてリリーの方を見ると、ガラハドに礼をしてる。

 終わったらしい。

「良い顔になったな」

「はい」

「エル、リリーシア。ちゃんと帰って来るんだぞ。いってらっしゃい」

「いってらっしゃい。お気をつけて」

「はい。いってきます」

「いってきます」

 

 城の正門。

 朝早いけど、門が開いてる。

「おはようございます」

「おはよう」

「おはようございます」

 衛兵に挨拶をして、城の中へ。

「エルロック。リリーシア」

「レティシアさん。ユベール君」

 ……魔法部隊の連中が勢ぞろいだな。

「朝っぱらから演習か?」

 レティシアが息を吐く。

「こんな早朝から王都の上空を飛ぶ輩が居るのだ。不測の事態に備えなければならないだろう」

「そう簡単に落ちるわけないだろ」

「だと良いが。……無事を祈っている」

「あの、どうか、お気をつけて」

「ん。いってきます」

「いってきます」

 魔法部隊も、人数が増えたな。

 

 衛兵が巡回するだけの静かな城内を通り抜けて、北門へ向かう。

 北門の前の広場では、セリーヌたちが熱気球を膨らませる作業をしていた。

「おはよう」

「おはようございます」

「おはよう。準備はもうすぐ整うわ」

「待っててねぇ」

 セリーヌ、ユリア、マリー。そして、カミーユ、アシューとノエル、ルードにルシアン。

 ……手伝いは必要なさそうだな。

「相変わらず変な装備だな。何本剣を持ってるんだ?」

「見たままだ」

 エイルリオンとジュレイド、彩雲と逆虹に加えて、ヴィエルジュの枝で作った杖まで持ってるからな。

 リュヌリアンとカーネリアンしか持っていないリリーに比べると、変な装備だろう。

 っていうか。

「これが、魔法の玉の大玉か?」

「そうよ」

 でかいな。こんなの手軽に持ち運べないし、使うのも大変だ。

「簡単に割れないから、急いで使う時は剣で斬った方が早いかもしれないわ」

「えっ。魔法が出てくるんだよね?大丈夫?」

「大丈夫よ。中身は逃走用の煙幕だもの」

「そうなんだ」

 リリーが胸をなでおろしてる。

 ……何が入ってると思ったんだ?

「こっちの中玉は回復魔法よ。危ないと思ったら、すぐに使ってね」

「うん。ありがとう」

 使うような事態になったら、全力で逃げないと。この装備を貫通する攻撃を受けるなら、対策の練り直しが必要だ。

「浮かぶわよ!」

 熱気球が立ち上がる。

 でも、今回は地面に繋いであるから、前みたいに勝手に動くことは無い。

「荷物を運びこむわ。っていうか……」

 セリーヌが俺とリリーを見比べる。

「他に持って行くものないの?」

「え?」

 装備は整ってるし、武器もある。薬も山のように持たされたし、非常食も持ってる。他に必要なものなんてないと思うけど。

「エルロック様」

 振り返ると、入り口の方からシャルロとカーリーが来た。

「シャルロ。珍しいな」

「お前の顔も見納めかもしれないからな」

「何が見納めだ。すぐに帰って……」

「エル!」

 後ろから声をかけられて、飛んできた何かを避ける。

 飛来したものは、そのまま地面でいきなり爆発した。

「えっ」

「何、投げてるんだよ」

 飛ばした連中を睨みつけると、楽しそうに笑ってる。

「だって、お前のコートは爆発にも耐えられるだろ?」

「耐久テストだよ」

「何が耐久テストだ。お前らが作ったんだろ?」

「俺、実際の性能は見たことないんだよ」

「まぁ、着た状態のテストはしてないな」

「僕は反対したよ……」

 ったく……。

「当てられるものなら当ててみろ」

「お。言ったな」

「よし、全員、エルを狙え!」

 そんな小さな魔法の玉、いくつ投げられたって当たるわけがない。

 ……いや、避けた奴があちこちで爆発してる。

「ちょっと、あんたたち!何やってるのよ!」

「あちこちで煙が上がってるねぇ」

「やめなさい!」

 避けた一発が城壁の上の方に当たって爆発する。

「あ」

 やばい。上には巡回中の衛兵が居るはずだ。

 見上げると、爆発の爆風が不自然な風の流れで散る。

 誰か居る……?

「参ったな。見つかってしまったか」

 城壁の上。

 風になびかれて剥がれた空間の隙間から、人の姿が現れた。

「アレク、ロザリー」

「アレクさん、ロザリー」

 闇のコートで隠れて来たみたいだけど、今の爆風でコートがめくれたらしい。

「アレクシス様!」

 城壁の上に居た兵士が慌ててアレクの方に向かうと、どこで控えていたのか、ローグとマリユス、ライーザが現れた。

「エル。リリーシア。いってらっしゃい」

「二人の帰りを待っています。いってらっしゃい」

「あぁ。いってきます」

「はい。いってきます」

 近衛騎士と共に歩いて行く一行を見送る。

 ……皆、忙しいはずなのに。

「エル、リリー。準備できたわよ」

 皆が、熱気球の周りに集まっている。

「デルフィ、来てくれ」

『ふふふ。ちゃんと居るから心配しないでおくれ』

「エル。大精霊たちも、ここに集まってるよ」

 そうだったのか。

「じゃあ、出発しよう」

「うん」

 リリーと一緒に、熱気球の籠に乗り込む。

「熱気球の動かし方は大丈夫よね?」

「上昇と下降の方法はわかってる。方角は精霊に頼むよ」

「火力が足りなくなりそうだったら、予備の炎の中玉を使って」

 赤色の中玉か。

 ……二つもある。そんなに必要あるか?

「これからロープを切り離すわ。一気に空に飛んで行くから、振り落とされないように気を付けてね」

「わかったよ」

 身を乗り出していなければ、簡単に落ちないだろう。

「リリー。気を付けて」

「うん。ありがとう、セリーヌ」

 セリーヌが離れる。

「準備は良い?」

「良いよ」

「待って!」

 リリーが周りを見回す。

「皆、ありがとう。たくさん手伝ってくれて。私たちの為に、色々用意してくれて。私たち、ちゃんと帰って来るね!……いってきます!」

「いってきます」

 泣き出したマリーをユリアが撫でている。

「皆、ロープを切って!」

 繋いでいたロープに向かって、カミーユたちが剣を振り下ろす。

「ありがとう!」

 熱気球が、一気に上昇する。

 ……聞こえたかな。

 

 ※

 

 地上が遠い。

『さて。目指すは神の台座だね』

 顕現した風の大精霊、デルファイが気球の横を飛ぶ。

『寄り道するところはないかい』

「ないよ。真っ直ぐ目指してくれ」

『それは残念』

『それで?私たちは、君たちの傍に居れば良いの?』

 光の大精霊、アイフェル。

『近くに居ては意味がないだろう』

 闇の大精霊、アーラン。

『では、どこに居れば良い?』

 水の大精霊、パール。

 リリーが小さな悲鳴を上げて俺の腕を掴む。

 ……リリーは、本当にパールが苦手だよな。

 隣に居るのは、大地の大精霊、シミュラか?

『自然に溶け込んでても、あいつには気づかれそうなんだよな』

 どうするかな……。

「デルフィ、この熱気球を上空に留めておくことってできるか?」

『一点から動かさないのは難しいけれど。神の台座の上空にふらふら浮かべておくことなら出来るよ』

「それで十分だ」

『隠しておきたいなら、私が幻惑の魔法でもかけておこうか』

「あぁ。頼む」

『わかったよ』

 目くらましは、あった方が良い。

「地上に居るあいつから神の力を奪うのも、これぐらいの距離で可能か?」

『出来るよ』

『可能だが。距離が離れた分だけ、呼びかけに応じる時間はずれる』

「どれぐらい?」

『この程度なら、誤差の範囲だろう』

 メラニーが補足する。

「なら、それで大丈夫だ」

 大精霊が近くに居ると解れば、あいつも神の力を奪われないよう警戒するかもしれない。そうすると面倒だ。エイルリオンとジュレイドを使えばあいつを本来あるべき姿に戻せるとはいえ。溢れた神の力がどうなるかはわからない。

 大精霊が回収できるのは、あいつが魔法に変換した力で、神の力そのものは扱えない。溢れ出た力が再びあいつに回収されるなら意味がないだろう。

 だから、なるべく、あいつに魔法を使わせるよう仕向けないと……。

『相変わらず難しい顔してんな』

 大地の大精霊。

「はじめまして、シミュラ。エルロックだ」

『そういや、初めてだったか』

『初めてではないだろう』

 パール。

「アンシェラートの儀式で顔は合わせたけど。ちゃんと挨拶してなかったから」

『いや。会ったのは、もっと前だ。洞窟でキマイラと戦ってた頃から知ってるぞ』

「それ、子供の時の話しだろ?」

『そうだったか?今と変わんない顔してるだろ』

「どこがだよ。ちゃんと成長してるぞ」

『シミュラ。あまり人間をからかうな』

 シミュラが笑ってる。

 ……からかいやがって。

 でも、グラム湖を拠点にしてる大精霊なら、あそこに出入りする人間を見ててもおかしくないか。

 周囲を見回す。

 下は、もう海。神の台座に向かって一直線に進んでる。

『神の台座って、すごく寒いの?』

『そうね。グラシアルよりも寒い場所だと思うわ』

『あの地は極寒だ。アンジュはエルから出てはいけない』

『わかった』

「アンジュだけじゃない。お前ら全員、勝手に出てくるなよ。それか、俺から離れてろ」

『えぇ?一緒に居るわよぅ』

『離れるのは危険だ』

『そうだよー』

『自分を守る魔法を使うことも忘れるな』

『頼りにしてねぇ?』

「……頼りにしてるよ」

 皆。

「ねぇ、エル」

「ん?」

「大精霊が回収した神の力って、どこかに出さないといけないんだよね?」

「そうだな」

 いくら大精霊でも、過剰に得た神の力を留めておくことは出来ない。

「その力で、新しい精霊を生むことは出来ないの?」

『そんなことは、してはいけない』

『過剰に精霊を生めば自然を破壊するからな。……砂漠がそうだろ?あそこは、砂の精霊の力で満たされていて、バランスが悪い』

 精霊のバランスが良かったのは、オアシス都市ぐらいだっけ。砂漠のほとんどの土地は、レイリスが生んだ砂の精霊と、炎の精霊が占めている。

「じゃあ、対になる力で相殺するのは?前に、パールとシミュラが見せてくれたでしょ?二人が手を合わせると、力が消えていくの」

『え?何?二人でそんな実験してたの?』

 パールとシミュラが顔を見合わせる。

『実験ではない』

『人間の真似だ』

『君たちは仲が良いよね』

『人間と慣れ合っているデルフィに言われたくない』

『ふふふ。人間は良いよ?』

 触れ合うのは、人間の真似事になるのか。

「っていうか、触れ合っても平気なのか?」

『アイフェル』

 アーランがアイフェルに向かって手を伸ばす。

『えぇ?人間の真似をするの?私たちが?』

 笑って、アイフェルがアーランの手に触れる。

 触れ合った場所が混ざって。そこから、ぼんやりと暗い橙色に染まっていく。

「アイフェル!」

「アーラン!」

『これは……。確かに、力が削られるね』

 二人が手を離すと、暗い橙が消えて。二人の手の形も元に戻った。

『手っ取り早く力を消費する方法なのは、確かみたいだね』

『しかし、混ざった力が消滅したと考えるのは早計だ』

『俺たちの場合は、泥みたいなのが残ってたな』

『合わさった力は消滅しなかった』

 アイフェルとアーランが合わせた力も、消滅せずに別の形になった可能性がある?

『困ったね。これじゃあ、自然にどういった影響を与えるのかわからない。エイダとパスカルは上手く力を合わせて消したみたいだけど』

『消した?そんなことはない。精霊なら、誰もが自然への影響を感じたはずだ』

『異常は感じたが……。バランスを崩すような変化は見られないだろ?』

『今のところは』

『まぁ、こんなこと、前例がないからな。二人が根源へ還ったってことぐらいしか……。アーランは、どう思ってるんだ?』

『わからない。ただ、エイダの気配もパスカルの気配も探せない以上、二人は根源の神へ還ったのだと考えている』

『私もあれ以来会ってないよ。二人は愛によって結ばれ仲良く根源の神の元へ向かったんだ。きっとね』

『そう考えるのが自然だね』

 自然って。

「もしかして、誰もエイダとパスカルがどうなったのか解ってないのか?」

『わからない』

『二人が一つになろうとして、それを成功させたのは確かだ』

 消えた事実があるだけ。

『検証は君の役目だろう?エルロック』

 エイダとパスカルがどうなったか?

 二人は、俺たちの目の前で溶けるように消えた。

 ……いや。完全には消えてない。

「二人が消えた後に、これが残った」

 指輪に加工した宝石。ルブライトを見せる。

『エイダとパスカルが残した宝石だね』

『精霊玉っぽいな』

『精霊の力は感じない』

 これも、大精霊たちが解らないもの。前例のないこと。

 ……エイダとパスカルが、何をしたのか。

 あの時、何が起きたのか。

 二人の存在が消えた以上、根源の神に還ったと考えるのが自然だ。

 でも、エイダとパスカルは、完全な魂の片割れ同士ではない。根源の神へ還ろうと思っても無理な関係だ。合わさらないはずの魂は、どこへ消えたのか?もし根源の神へ還ったなら、どうやって?

「エル。それ考えるの、帰ってからじゃだめ?」

 確かに。

 今、考えても答えなんて出ない。

「そうだな。あいつをどうにかした後だ」

『そうだね』

『そろそろ見えて来たよ』

 進路の先に見える巨大な氷の塊。

 神の台座。

「適当な場所で、リリーと一緒に降りるよ。デルフィ。俺たちが助けを求めたら、俺たちをここまで引っ張り上げてくれ」

『助けの合図は?』

「風のロープを空に向かって打ち上げる」

『それを掴んで引っ張り上げれば良いんだね』

「あぁ。頼むよ」

 眼下に広がるのは、氷の大地。神の台座。

 この高さから見ると、そんなに広い土地には見えないな。

 大樹が点在してる。

 飛び降りる時は、あれを目印にしよう。

 ……一応、この魔法の玉は持って行くか。ヴィエルジュの大樹に入れておけば、邪魔にならないだろう。

 

 ※

 

 熱気球の高度を下げる。

「俺たちが降りれば、軽くなった気球は上昇する。これぐらいの高度を保っていられるか?」

『これぐらいの風船ならいくらでもコントロールできるよ』

 風船って言うには大きいと思うけど。

 大精霊にとっては、変わらないらしい。

「リリー、準備は良いか?」

「うん。いつでも大丈夫」

「捕まって」

 リリーを抱きしめる。

「じゃあ、行ってくる」

「いってきます」

『いってらっしゃい』

 大精霊たちに見送られて。

 リリーを抱きしめたまま、熱気球から飛び降りる。

 

 落下。

 

 砂の魔法で速度を緩めて、周囲を確認する。

 

 

 落下。

 

 一面に氷が広がる平原。

 その中央に、不自然に色を添える濃緑の大樹。

 それに向かって。

 

 

 落下。

 

「あいつの気配は?」

「ないよ」

 

 

 

 落下。

 

 氷の大地に近づく。

 見える範囲には誰も居ない。

 

 

 

 

 落下。

 

 リリーを抱きしめる腕に力を入れて。

 早めに、衝撃を吸収する為の砂の魔法を使って。

 

 

 

 着地。

 

 辺り一帯に砂ぼこりが舞う。

 立ち上がってリリーを離して、周囲を警戒する。

 誰も居ない。

 ……静かだ。

 辺りに舞った砂ぼこりが落ち着くまで、周囲の警戒を続ける。

 一面に広がる見晴らしの良い氷の平原。

 防具のおかげで寒さは感じないけれど。生き物も何も居ない凍てついた大地は、すべての音が吸収されたかのように静まり返っている。

「精霊が居ない」

「精霊が?」

 ここには氷の精霊がたくさん居るはずなのに?

 リリーが周囲を見渡す。

「あれ?地面が光ってる……?」

「本当だ」

 砂でざらつく地面の下。

 氷が淡く光ってる。

 空は雲で覆われているし、極夜だから雲の上にも十分な明かりはないはずなのに。

 ここでは、十分な視界が確保されている。

「月の渓谷みたいだな」

「月の渓谷みたいだね」

 声が重なって、顔を見合わせて。

 思わず、笑いが漏れる。

『二人とも、ここはやばい奴が居る場所なんだからね?』

『今のところ、周囲に異常はないようだが』

『気を付けてよー』

「ごめんなさい」

『ふふふ。いつも通りで良いんじゃなぁい?』

『そうね』

「お前ら、絶対に俺から出るなよ?」

『わかった』

『了解』

『ボクは、リリーの方に居るよ』

「あぁ。頼む」

「ありがとう。イリス」

 さてと。

 リリーの手を引いて、ヴィエルジュの大樹の前へ行く。

「ヴィエルジュ、居るか?」

 大樹に向かって話しかけると、大樹の洞が開いた。

 中には、ヴィエルジュと封印の棺。

 そこに、持ってきた魔法の玉を置く。

「呼びかけるまで、洞は閉じて待っててくれ。危なかったら別の場所に居ても良い」

「わかった」

 膨らみを残したまま、大樹の洞が閉じる。

「あいつを探しに行こう」

「どこに居るかわかるの?」

「確実とは言えないけど……。ここから西に進む」

「わかった」

 リリーと手を繋いで、氷の大地を歩く。

 あいつが拠点として使っていそうな場所。

 まず、女王の手記にも書かれていた通り、あいつが拠点として使う場所は大樹の近くだ。あいつが食事を必要とする人間なのかはわからないけれど、少なくとも人間が安心できるような居住場所を選ぶ傾向にあるのは確かだろう。

 さっき上空から観察した感じだと、大樹は神の台座のあちこちに点在していた。

 その中のどこかに居るとして……。

 アリシアに見せてもらった神の台座の観察記録によると、氷の総量の減少が顕著だったのは、神の台座の北東部分だった。おそらくそこは、フォルテが封印されていた場所。フォルテが飛び出して被害が出た場所なんて、居住には適さないだろうから、あいつが拠点として使うのは東ではなく西側になる。

 そして西側には、一か所だけ、大樹が氷に埋まっている不自然な場所があった。天候の変化も受けず、静かに生活できるとしたらその辺だろう。

 っていうか。迎えに来てくれたら楽だったんだけどな。

 落下地点に選んだのは、広い平地に大樹が一本立つという、上空からもわかりやすい場所だ。

 足場の良い平原は戦うのにも向いているから、ここを選んで降りたけど。気づいてないのか、迎え撃つ気がないのか。あいつが来る気配はない。

「寒くないか?」

「平気」

 リリーが微笑む。

 虹のワンピースの性能は理解してるけど。

 撫子のマントを身に着けてるとはいえ、見た目は、かなり寒そうだ。

「空、暗いね」

 リリーが空を見上げる。

「今は極夜だからな」

「そっか」

 太陽がほとんど出ない時期。

 今、空に太陽があるかもわからない。

「グラシアルも極夜があったのか?」

「冬至の頃は極夜の時期だけど……。女王の力があったから。真っ暗で怖いって思う日はなかったよ」

 城の中は、常春だったって言ってたっけ。

「あ。この光って、城の中に似てるかも」

 リリーが見てるのは、凍った地面。

「グラシアルの?」

「そう。お城の中って、光源がなくても、だいたいの場所は明るかったんだよ。あれ?でも、夜は暗くなってた気がする……?」

『城内の光の調節は、女王がやってたんだよ。エルとリリーも見ただろ?城の外の大広場にあった、女王の機嫌が解るっていう装置』

「球体のオブジェのこと?」

『そうだよ』

 リリーと初めて会った時に見た奴か。

 プレザーブ城を眺める広場に浮かんでいた球体のオブジェ。女王の機嫌によって、色が変わると言われていたやつだ。

『あれと似たような感じで、明るさを変えられるんだ』

「じゃあ、この氷の明かりも誰かがコントロールしてるのか?」

『わからない。そんなこと出来るのは、氷の大精霊ぐらいだと思うけど』

 今は居ない氷の大精霊?

「イリスには出来ないの?」

『小さな氷ならともかく、こんなに広い範囲は無理だよ』

 なら、あいつがコントロールしてる?

 でも、あいつが魔力を大して使わずに制御できるのは、空を雲で覆うぐらいなんだろ?氷を光らせるのは魔力を消費する行為のはず。

 だとしたら、あいつじゃない。

 ……何の力が働いてるんだ?

 神の台座は、それだけ特殊な場所ってことか?

「グラシアルからは、神の台座は輝いて見えたのか?」

「え?うーん……。日中は普通の氷の塊にしか見えないし、月の出ない夜に光ってた印象はないよ」

 普段から光ってるわけじゃない?

 でも、月の渓谷は、上からじゃないと光が見えないようになっている。ここが同じような特徴を持つなら比べようがないな。

「エル」

 リリーが、俺の手を強く握る。

 あいつの気配があるってことか。

 得体の知れない魔法の気配を感じるし、この先に居るのは間違いない。

 氷の壁が複雑にそびえる場所。所々に木の根もまとわりついてるみたいだ。

 樹木があるし、道の先は氷の下へ続いている。

 予想通りってところか。

 ここを外したら探す当てもないし、早めに見つかって良かった。

「メラニー。トラップに警戒してくれ」

『了解』

「行こう」

「うん」

 リリーと一緒に、人が歩くことを想定したような氷の道を進む。

 程なくして、氷の洞窟に入った。

 リリーが氷の天井を見上げる。

 思ったより高い。

 道幅も二、三人が並べるぐらい余裕があるし、かなり広い空間になってるみたいだ。

「綺麗……」

 透き通った氷が硝子のように輝いている。

『ちゃんと警戒してよ』

「わかってるよ」

 リリーの声が響く。

 あいつが一本道の先に居るなら、俺たちの話し声もあいつに届いてるだろう。

 

 ※

 

 辿り着いた場所にあったのは、ドーム状の広い部屋。

 その中で人間が一人、床に向かって木の枝で何かを書き込んでいる。

 ここ、天井は氷なのに床が氷じゃないな。

 しゃがんで触ってみる。

 土……?

 粘土みたいだ。これに、木の枝で傷をつけて何かを書き込んでるらしい。

「勝手に書き込むな」

 顔を上げて声の主を見たけれど、向こうはこっちを見ようとしない。

 何を書いてるんだ?

 部屋の中央を起点として、円が何重にも描かれている。円と円の間には膨大な量の文字。

 大きな魔法陣のようにも見えるし、ただの大きなノートにも見える。

「エルの部屋みたい」

「どこが?」

 ここは、部屋と呼べるような場所じゃないけど。

「本が散らかってるところ?」

 確かに、あちこちに本が散らばってるな。

 手近な場所に落ちていた本を拾ってめくる。

 ……違う。

 これ、こいつが書いた研究ノートだ。

 複雑な内容だな。まとまらない論調で書かれたものばかり。試行錯誤の形跡もかなりあって、読みにくい。それに、何を目指した研究なのかもわからない。魔法の研究?精霊の研究?いや。魔法陣?魔力の研究……?

 難解過ぎる。

 俺が知らなくても、こいつにとって既知の理論が省略され過ぎて内容についていけない。

 床に広がる文字を見る。

 古代語みたいだけど。これが古代語だとすれば、俺の知らない古代語が複数ある。

 まさか、文字を創作してる?

 古代語は精霊の存在そのもの。魔法陣に描いて精霊の力を引き出す為に使われる文字だ。

 でも、俺は現代では知られていない古代語を知ってる。ロマーノで見た魔法陣。あれには、クレアを示す文字が刻まれていた。あれは、文字の系統が古代語と同じにも関わらず、精霊には無関係な文字。つまり、人間によって創作された文字だ。

 こいつは、ここで何をしてる?

 何を作ってる?

 床に描かれた言葉の意味は?

「なんか、ここって違うよね」

 リリーが見てる方へ行く。

「違うって?」

「なんとなく……」

 リリーが見てる場所は……。

 月と星の運行を示してそうだな。

 確かに、違和感がある。

 なんでだ?

 ……あ。わかった。

「北がずれてる」

「どういうこと?」

「これだと、リラが北極を示す星になってる。本来ならポラリスだろ?」

「北を定める星はリラだ」

 声をかけられて、振り返る。

「違う」

 天文学の本は持ってたかな……。

 あった。

 天文学の本を渡すと、相手が持っていた本を落とす。

「……エルみたい」

『本当にね』

 床に落ちた本を拾って、めくる。

 これも天文学の本?

 ……星の位置が違う。

 これって、俺が知ってる星の名と同じ名前だと考えて良いのか?

 アークトゥルスが、全然違う位置にある。

 リラとアルテア、アリデッドを結ぶ三角形は同じ。

 この本によると、真北にある星はリラだ。現在のポラリスは、北からずれてる。

 ……そういえば、観測する時代によって位置が変わる星もあるって聞いたことがあるな。

「この本は、いつの記録なんだ?」

「軸がずれている。……何があった?」

「軸?」

 軸って……。

 人の話を聞かずに、独り言を呟きながら歩き去った相手が、急に振り返る。

「エルロック・クラニス。そして、リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ」

「違うよ。私の名前は、リリーシア・クラニス」

「私が複数の名を持つように、どちらも君を示す言葉だ。用件を聞こう」

 ……切り替えが早いな。

「賭けをしたい」

「賭け?」

「俺たちは、お前を越える」

「何を以て越えた証とする?」

「俺たちの勝利条件は、空を覆う雲を消すことだ」

 方法は、いくつかある。

 魔法を使えないぐらい弱体化させる。

 自らの意思で雲を消すよう誘導させる。

 リリーの魔法で雲を吹き飛ばしてもらう。

「良いだろう」

「俺たちが勝利した時に求めることは一つだ」

 リリーを見る。

「ヴィエルジュに……。あなたの愛してる人に、自分の気持ちを伝えてください」

「断る」

 嫌なのか。

「言葉で言わないと何も伝わらないです。ヴィエルジュは、あなたを拒否してるわけじゃなくって……」

「私と彼女の間には何者も介入させはしない」

「私たちが負けたら、神の力を渡します」

「私の勝利は、お前たちの死。お前が内に封印する力を取り出せば済む」

 やっぱり、リリーが神の力を持っていることは把握済みか。

「俺たちが用意したのは、お前が砂漠まで取りに来た封印の棺だ。封印を解いた状態で、今、ヴィエルジュが保管してる。真偽を確かめたいなら、ヴィエルジュに聞けば良い」

「それは、私の目的を理解した上での取り引きか?」

―お前たちは根源的に精霊とは相容れない、太古の種族を駆逐する運命を持った存在なのだ。

―さぁ、私と共に来い。

―古い神を、精霊を凌駕し、人間の為だけの世界を作るのだ。

 こいつの目的は、人間を導く人間の神となること。

「神さまは、力での支配も信仰の強制もしないです」

「王都を攻撃しようとした奴に誰が付いて行くんだ。お前を神として崇める奴なんて一人も居ないぞ」

「弱者を操る方法など無限に存在する」

「私たちは、簡単に操られたりなんかしない」

「皆、一人一人が自分の意思で生きてる」

「神の救済が全く必要ないと?進む方向を簡単に違え、悪意と私欲の為に争いを繰り返すのが人間だ。この世界には、争いの歯止めとなる存在と、人間の悪意のすべてを受け止める存在が必要だ」

 悪意のすべてを受け止める存在。

「それが、悪魔なのか?」

「それが、勇者なの?」

「その通りだ。敵が居ない世界では、お前のすぐ隣に居る者が簡単に敵となる」

「そんなこと、絶対ない」

「そんなこと、絶対ない」

 リリーと手を繋ぐ。

「人間に可能性が存在すると言うのなら。その力を私の前に示すが良い」

「賭けに乗るんだな」

「私の勝利は、アンシェラートによって選ばれた勇者二人の死だ」

「空が晴れたら俺たちの勝利だ。さっきの約束に従ってもらうぞ」

「良いだろう。……お前たちが降り立った神樹の傍で待つ」

 目の前に居た男の姿が消えた。

 転移したのか?魔法陣を使わずに?

「あの人、ヴィエルジュの傍にはいつでも行けるのかな」

「なんで?」

「精霊って、目印のある場所には行けるはずだから」

「目印って、精霊玉?」

「えっと……。エルは見たことないかもしれないけど、エイダって、エルが指輪にしてた精霊玉から出てくるんだよ」

「なんだそれ」

 精霊玉が目印になるっていうのは聞いてたけど。

 呼ばなくても精霊玉を通じて、いつでも契約者の元に転移出来たのか。

 ……同じ属性の力を持ったものが自由に使える力の流れ。転移の魔法陣の理論に似てるな。

「だから、目印がある場所にはいつでも行けるのかなって」

 任意の場所に自由に転移されるなら困るけど、大樹の傍にしか転移出来ないなら、限定的な使用法と考えて良い。

「戦ってる最中にも、あいつが転移の魔法を使う可能性がある。その時は、ヴィエルジュの大樹を探そう」

「わかった」

 転移の魔法。

 アンシェラートの保護があるから可能な方法だと思ってたけど。神の力を持つあいつは、アンシェラートの保護なんてなくても自力で転移が可能らしい。

「リリー。準備は出来てるか?」

「うん」

 リリーが俺の手を握って、俺を見上げる。

「勝とうね」

「もちろん。勝つよ」

 


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