156.迷走破綻
世界の始まりの大陸“神の台座”。
そこは、オービュミル大陸の北西に位置する氷に覆われた大地だ。
あらゆる生き物の侵入を拒む閉ざされた大陸。
その中央には冷たい風が吹き荒ぶ広い氷の平原がある。
雲で覆われ、極夜の時期に当たる大地は、深い暗闇に閉ざされているはずだった。
しかし、見渡す限り、一面の氷は淡い輝きを放っている。
それどころか、一筋の草はおろか表土すら見えない凍てついた氷面の中央には、したたかな輝きを帯びた生命力溢れる濃緑の大樹が一本。
その傍らに。
片方しかない紅の瞳で大樹を仰ぎ見る白髪の男が居た。
姿は人にしか見えないが、今では人間という括りに当てはめることが不可能な別の存在。
その手から、紅の剣が伸びた。
落ち着いて、リュヌリアンを構える。
左隣では、エルがジュレイドを構えてる。
視線と呼吸を合わせて、頷いて。
走る。
……急に、進む方向が真っ暗になった。
違う。周辺全部、闇で覆われてるんだ。
「リリー。見えるか?」
「大丈夫!」
進む方向には、あの人が持つ斑の光と紅色の剣が見える。
これは、闇の魔法だ。
エルは見えてるのかな?
隣に居る金色の輝きが速度を落とすことはない。
月の祝福を受けたリュヌリアンもジュレイドも光ってる。
大丈夫。
このまま、走って攻撃を……。
力を込めて振ったリュヌリアンの攻撃は、紅の剣に防がれた。
でも、ジュレイドが綺麗に敵を斬り払う。
斬ったのに、斬れないなんて。
……亜精霊みたい。
私を弾いた後、紅の剣が攻撃の矛先をエルに定める。
でも、エルなら大丈夫。
リュヌリアンを引き戻して……。
エルが、紅の剣の向きを遠くにそらした。これなら私が攻撃できる。
リュヌリアンで、斑の光を斬りつける。
心臓が、波打つような感覚……。
この人は、亜精霊じゃない。
私たちが戦ってるのは、生きてる人間。
払い抜けた私の後ろで、エルがジュレイドとエイルリオンで攻撃した。
この人に効果があるのは、エイルリオンとジュレイド。
……私の役目は、エルの攻撃の道を作ることだ。
油断すると簡単に押し負けそうになるほど強い。
一つ一つの動作だって、私が今まで出会って来た強い人を彷彿とさせるぐらい俊敏で的確だ。
とにかく、エルが攻撃出来るタイミングを作らなくちゃ。
暗闇の中。
リュヌリアンと紅の剣がぶつかる。
ここで、抑え込む!
エルのジュレイドとエイルリオンの攻撃が綺麗に入った。
「アンシェラートに選ばれただけのことはある」
余裕の顔で、目の前の人がリュヌリアンを弾いて遠くに逃げる。
……追いかける?
「アイフェル!アーラン!」
エルが声を上げると、目の前に手が伸びてきた。
……エルは後退してる。合わせよう。
『貰うよ』
アイフェルの方に黄色の光が伸びていく。
暗闇が晴れて。
アーランの方に、黒い光が伸びる。
『ちゃんと待ってて良かったね。アーラン』
『タイミングは任せる約束だ』
「ありがとう」
黄色の光はアイフェルと、黒い光はアーランと、ずっと繋がってる。
あの人の中にある斑の光。あれは、魔法を使うことで少し変化するのかな。
今は、黄色い光と黒い光が端に寄ってる。アイフェルとアーランは、あの人の神の力を引き抜いてるんだ。
見晴らしが良くなった。
エルの隣に立って、リュヌリアンを構える。
「賭けをしたい」
「賭け?」
「俺たちは、お前を越える」
「何を以て越えた証とする?」
「俺たちの勝利条件は、空を覆う雲を消すことだ」
空を晴れに変えれば、月の女神の助力でレイリスを助けられる。
「私たちが負けたら、神の力を渡します」
「それは、私の目的を理解した上での取り引きか?」
この人の目的……。
―私こそが、この地上を支配する神。
―お前たち人間を祝福する人間の神だ。
人間の神となること。
―人と精霊が色濃く存在するこの地ほど使いやすい場所はない。
―死体も多く手に入ることだしな。
―……さぁ、私の糧となれ。
この人は、暴力で人間を従わせようとしている。
「神さまは、力での支配も信仰の強制もしないです」
「王都を攻撃しようとした奴に誰が付いて行くんだ。お前を神として崇める奴なんて一人も居ないぞ」
「弱者を操る方法など無限に存在する」
「私たちは、簡単に操られたりなんかしない」
「皆、一人一人が自分の意思で生きてる」
「神の救済が全く必要ないと?進む方向を簡単に違え、悪意と私欲の為に争いを繰り返すのが人間だ。この世界には、争いの歯止めとなる存在と、人間の悪意のすべてを受け止める存在が必要だ」
争いを止める為に作られる存在。
「それが、勇者なの?」
「それが、悪魔なのか?」
「その通りだ。敵が居ない世界では、お前のすぐ隣に居る者が簡単に敵となる」
「そんなこと、絶対ない」
「そんなこと、絶対ない」
エルと手を繋ぐ。
「人間に可能性が存在すると言うのなら。その力を私の前に示すが良い」
「賭けに乗るんだな」
「私の勝利は、アンシェラートによって選ばれた勇者二人の死だ」
「空が晴れたら俺たちの勝利だ」
エルと視線を合わせて、走る。
炎の魔法が目の前に広がった。
……平気。全然熱くない。
真っ直ぐ走って行って、攻撃を仕掛ける。
私が攻撃を抑え込んでいれば、エルが……。
急に、相手が力を弱める。
どうして?
「あ、」
視界の端に、もう一本の紅の剣が見えたところで、エルが攻撃を食い止めてくれた。持ち手から、上にも下にも刃が伸びる剣なんて。
すかさず相手に一撃を加えて、エルと一緒に下がる。
その瞬間、あの人の中で斑の光の流れが変化したのが見える。
今、癒しの魔法を使ってる?
「パール!シミュラ!」
『了解』
『まかせろ』
すぐに来た二人が、アイフェルとアーランのように神の力を引き抜いた。
「良く解ったな」
青い光がパールと、緑の光がシミュラと繋がる。
「魔法の流れが見えたの」
「すごいな」
良かった。
あの人も消耗してるみたいだし、この調子で……。
行ける。
そう思った瞬間、地面が動く。
『リリー、気を付けて』
足元から、尖った氷が突き出る。
「リリー!」
リュヌリアンを刺して氷を砕いたけれど、足場がどんどん上昇して止まらない。
押し上げられた勢いのまま、空に飛ばされた。
空の上からは下の様子が見える。
周りが炎で包まれてる。エルの魔法っぽいけど……?
大精霊とあの人を繋いでる光が見えても、燃え盛る炎で二人の正確な場所がわからない。
このまま下に降りるのは危険だ。
一度、高く上がった氷の上に着地しよう。
戻ったところで、氷の上にエルが来た。
「リリー」
「エルっ?」
どうして、ここに?
「大丈夫か?」
「心配しなくても大丈夫だよ」
『後ろだ』
エルの背後に、あの人が飛んでくる。
あ。風の魔法?
「デルフィ!」
「デルフィ!」
『待ってたよ』
デルフィが風の魔法を引き抜く。
でも、あの人はそのままエルに向かって斬りかかってきた。エルが相手の攻撃を片手で防いで、エイルリオンで斬りつける。
……まさか、私を吹き飛ばしたのは、攻撃対象をエルに絞る為?
「エル、離れて」
エルが右手に移動したのを見計らって、思い切りリュヌリアンで攻撃する。
紅の剣で防がれたけど、斬った勢いのまま吹き飛んで、遠くに落ちたのが見えた。
「エル。……私のことは、心配しないで」
「そんなわけにはいかない」
「私、ちゃんとエルが攻撃出来るように頑張るから」
エルから離れないように気を付けて、ちゃんとサポートする。
「追いかけよう」
「あぁ」
エルと一緒に、氷の上から飛び降りる。
氷上で立っている人の元へ走る。
さっきみたいに吹き飛ばされないように気を付けなくちゃ。
氷が出てきたら、今度は早めに逃げよう。
……大丈夫。魔法の危険はない。そのまま、リュヌリアンで斬りかかる。
結構、力を入れてるんだけどな。全然、体勢を崩せるような気がしない。
でも、ジュレイドとエイルリオンの攻撃が、私の攻撃よりも効果的に入ってるのは確かなはず。
この人の攻撃は全部私が引き受けて、エルには攻撃に専念してもらわないと。
少し引いて、もう一度、リュヌリアンを振り下ろす。
攻撃は相手の肩に入ったけど……。
「あっ」
『リリー!』
思い切り弾かれて、重心が後ろにずれる。
何とか耐えて、攻撃を避けながらリュヌリアンを振り戻そうとしたところで、エルが私の前に来て攻撃を受け止める。
……今のは、大丈夫だったのに。
そのまま、右後方へ引く。
『エル!』
え?
「……っ」
全然、見えなかった。
紅の剣がエルの右肩の上に伸びる。
……下から、斬り上げられた?
でも、エルはそのまま攻撃を続ける。
大丈夫なの?今の攻撃は、防具が防いでくれた?
あ……。エルの背には、防具が斬られた跡が残ってる。
防具に綻びは一切ないけど、くっきりと残った線が攻撃の深さを物語る。斬撃が貫通しなかったとしても、衝撃は響いたはずだ。
エルが背後を取られるなんて?
いつ、斬られたの?
エルが引いたのを見て、リュヌリアンを思い切り振る。
『エル、防具が……』
……まさか、さっきの攻撃が防具を貫通した?
『大丈夫か?』
私のせいだ。
私のせいで、エルが怪我をした。
これ以上、エルに負担させるのは駄目。
私が、この人の攻撃を引き受けないと。
紅の剣の動きを目で追う。
「リリー」
今だ!
思い切り、紅の剣を下から上に向かって弾く。
私の胴体もがら空きだけど、それは、目の前のこの人も同じ。
すかさず、エルがジュレイドとエイルリオンを刺す。
やった。上手くいった。
なら、もう一度。
何度か打ち合って、紅の剣を思い切り弾く。
エル、この人への攻撃はお願い。私は、こっちの剣を抑え込む。
『終わったよ』
『終わった』
アイフェル、アーラン。
これで、光の魔法と闇の魔法は使えない。
この調子で……。
『終わった』
『終わったぜ』
パール、シミュラ。
水の魔法と大地の魔法も使えなくなった。
これで、癒しの魔法は使えなくなったってことだよね。
大丈夫。
このまま行けば……?
あれ……?
今、思ったような攻撃が出せなかった。
だめ。もっと、集中しなくちゃ。
『終わったよ』
デルフィ。
これで、空も飛べなくなったんだよね。
順調だ。
……あ、だめっ。
早い!
「エル!危ない!」
エルが、ジュレイドで紅の剣を防ぐ。
全然、間に合わなかった。今のは、私が抑えなきゃいけなかったのに……。
エルが下から伸びた攻撃を避ける。
ごめんなさい。エル。
私が、前に行かなくちゃいけないのに……。
目の前の人は、エルへの攻撃を続けてる。
後ろからリュヌリアンで斬りつけるけど、全く相手にしてもらえない。
やっぱり、狙いはエルなんだ。
何度斬りつけても、私の攻撃じゃ、全然意味がない。
エルを守らなきゃいけないのに。
目の前で、エルの姿が揺らぐ。闇の魔法だ。
金色の光が一度離れて。紅の剣が空を斬る。
そして、エルが勢いを付けて再び戻って来た。
エイルリオンが目の前の人を斬り払い、そして、胴体を貫通して刺さったジュレイドの先端が、目の前の人の背中から飛び出る。
『エル!』
同時に。
エルが、口から血を吐き出した。
「エルっ」
エルが持っていたエイルリオンが地面に落ちる。
『エル』
うなだれたエルから、目の前の人が紅の剣を抜いて。
そして、遠く離れる。
『エル』
倒れたエルの元に行って、エルを抱き起こす。
「エル!」
エルの体から、精霊たちが飛び出す。
『エル』
金色の光が、薄れていく……。
『エル』
血の溢れる心臓に向かって、顕現したバニラが魔法を使う。
『エル』
そうだ。道具。
『エル』
持っていた魔法の玉を、薬を。
エルに向かって使う。
『エル』
でも、全然、効果がない。
「エル」
バニラが魔法を使うのを止めて。
静かに首を振った。
うそだ。
「エル」
返事をして。
目を開いて。
お願い。死なないで……。
『え……?』
エルが、ゆっくりと目を開く。
「エル……?」
そして、ゆっくり立ち上がると、エイルリオンを持つ。
「ジュレイドは?」
『え?』
声が違う。
「……消えたのか?」
「あなたは、誰……?」
紅の瞳が、見たことのない眼差しで私を見下ろす。
「私は、ヴィエルジュ」
「ヴィエルジュ……?」
ふらつきながら、エイルリオンを引きずるように持ちながら。ヴィエルジュと名乗った人が、あの人に向かって、歩みを進める。
何が、起きてるの?
『エルは、ヴィエルジュの御使いになる契約を交わした。肉体から魂が離れた瞬間、あの体はヴィエルジュのものとなる』
「どうして……」
そんなこと……?
遠くで、ヴィエルジュの御使いが、あの人に向かって、両手で持ったエイルリオンを振り下ろす。
……あれ?
周りを見回す。
「ジュレイドは、どこ?」
どこにも落ちてない。
『わからないわぁ』
『エルが、あの男に突き刺した後、そのまま消えたように見えた』
「消えた……?」
どうして?
エルの剣だから、エルと共に消えた?
それとも、別の理由が?
『だめ……。あたし、もう、ここに居られないわぁ……』
「ユール」
『リリー。さよならぁ』
ユールが空に向かって飛んで行く。
そうだ。真空の精霊は、契約者なしに地上に存在できない。
『ごめん……。僕も、ここは無理だよ……』
『アンジュ。オイラが、あったかいところまで連れて行ってあげるよー』
『ありがとう、ジオ』
『リリー。じゃあねー』
『さよなら、リリー』
「ジオ、アンジュ……」
アンジュを抱えたジオが飛んで行く。
『エルが居ないなら、私も帰るわ』
「ナターシャ」
『またね。リリー』
行っちゃった……。
『皆、精霊だからね。本来の居場所は決まってる』
「イリス……。メラニーとバニラは?」
『上空にアーランが居る』
『私も。シミュラが居る限り、ここに残ろう』
「ありがとう」
エルが居ないだけで、皆が、こんなに簡単にばらばらになっちゃうなんて……。
エル。
『何、泣いてるのさ。リリーは勇者なんだろ?』
「だって……」
守れなかった。
『まさか、このまま投げ出すつもり?』
「だって、エルが居ないのに、」
『エルは、まだ戦ってるぞ』
「違う。あれは……」
あれは……。
戦ってるのは……?
エルがヴィエルジュと御使いの契約を結んだのは、死んでも戦い続ける為なの?
勇者としての役目を全うする為?
『立ってよ、リリー!ここから、生きて帰るんだろ!』
生きて……。
―勝っても負けても、何が起こっても。
―必ず、二人で一緒に帰ろう。
……エル。
涙を拭って、リュヌリアンを持つ。
ヴィエルジュは、あの人に向かって慣れない手つきでエイルリオンを振り回してる。
攻撃とも戦いとも呼べないような動きなのに。
あの人は、その一つ一つの一撃を、その体に受け止めている。
……あの人は。
ヴィエルジュに、攻撃出来ないんだ。
あの二人を、これ以上戦わせるなんて、だめ。
私が、終わらせるんだ。
立ち上がって。
空に向かって魔法を使う。
雲が裂けて、周囲に陽だまりのような明かりが広がる。
守れなかった。
戦えなかった。
私の力じゃ、何の役にも立たなかった。
それでも。
私が、終わらせるんだ。
すべて。
集中して力を込めて。
大きく輝くリュヌリアンを、あの人に向かって振り下ろす。
空にまで突き抜けた光の剣が、あの人ごと氷を砕く。
リュヌリアンを持ち直して。
そのまま、真っ直ぐ走って。
リュヌリアンで、敵の心臓を貫く。
……ごめんなさい。
命が失われる音が身体に響いて、血が噴き出す。
ごめんなさい。
ヴィエルジュの御使いが、もう息をしていない体を腕に抱いて。
静かに、開いたままの紅の瞳を閉じる。
終わった。
何一つ成し遂げられなかった。
エルと一緒に帰るって約束も。
あの人の想いをヴィエルジュに伝えるって目的も。
……何もかも、出来なかった。
ヴィエルジュの御使いが、私の方へ来る。
「エルは……。あなたに何を望んだの?」
「すべてが終わった後、この体をお前に返すよう頼まれた」
「どうして、そんなこと……」
「受け取れ」
持っていたリュヌリアンを手放して、ふらついた体を両腕で抱き留める。
……エル。
強く抱きしめて、その場に座り込む。
まだ、少し温かい。
生きているみたいなのに。
なのに……。
「どうして……」
もう、魂はここに無い。
「どうして、エルが望んだ未来に、エルが居ないの……」




