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第二章 虚構と現実 4

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『――これで、緊急放送を終了します』


 それはどのような解釈で聞いたとしても、一種の冗談のようにしか聞こえない放送であった。ゆえに混乱に苛まれていた恭介でさえも一瞬愕然とし、思考を停止させられた。空白の一瞬、それが最後の考える時間だったのかもしれない。次に恭介が思考を動かしたのは、どこからともなく聞こえる悲鳴や怒号の連鎖だった。

「な、なにがおこってるんだ? 市民に変化した存在ってなんだよ一体……」

 恭介は繁華街へと通じる裏道を無意識のうちにひた走っていたことに、皮肉にも有り得ない放送を聴くことによって認識することが出来た。同時に、裏道には人気が無く、ほとんどの人間が車道のある大通りのほうに居るであろう事を自覚する。大地震で建物が倒壊しているのに、わざわざ狭い道を走る人間などいるはずも無いことに気がついたのだった。

 不安と、人が大勢いるであろう安堵を入り交じらせながら、恭介は裏通りから大通りの様子をうかがう。

それはどうしようもない異常な光景だった。

 ほとんどの人が完全に混乱しながら逃げ回っている。異常に目を血走られ、周りなど一切見えてはいない。大地震の最中であれば一見当然のように見えなくも無い。だが、半分の人間は絶望感に陥りながら走り回り、半分は明確な敵意を向けて走り回っている。今は地震も収まり、時間で言えば冷静な判断力を回復させていて当然な状態のはずなのだ。恭介はその違和感から圧倒的な恐怖を味わっていた。ただでさえ異常な状態の中、確かに恭介の目には逃げ惑い、争い合う同じ顔姿をした人間たちを捉えていた。

 恭介は飛び出そうとした大通りから、一歩、二歩と後ずさりし、そして慌ててきた道を逆走した。細い路地を曲がり、はみ出した植木鉢を勢いのまま足に引っ掛け倒し、それでも尚走った。そして恭介は勢いのまま反対方向から歩いてきたのであろう中年の男に正面から体当たりする形でぶつかってしまった。お互いがしりもちを突く形で倒れこみ、互いの顔をうかがう。男は憮然とした表情で話し出す。恭介は一切喋らない。

「痛いじゃないか。こんな状態で混乱しているのかもしれないけど回りに注意するぐらいは気をつけなさい」

 男は立ち上がり尻についた土汚れを手で払いのける。恭介は一切動かない。

 恭介の余りの無反応ぶりに違和感を覚えた男は親切心から恭介に手を差し伸べるのであった。

「どうしたんだ? さあつかまりなさい。こんな所にいてはいつ建物か倒壊するかわからんよ」

 恭介は男の親切心に答えることが出来なかった。戸惑いと驚き、そして明確な敵意が自身を支配していくのを感じる。

「う、う、うわあああああああああああああああああ!!」

 恭介はすぐさま立ち上がり、叫ぶと同時に男を突き飛ばす。そして突き飛ばして出来た道、恭介には退路であったが、そこを全速力で駆け抜けた。

 恭介は男の顔を知っていた。だからこそ顔を青ざめさせ、混乱した。男は確かについさっき恭介に瓦礫の中から助け出され、そして息を引き取った男だったのだ。

 人が混乱している時、涙を流すことを恭介は始めて知った。足を止めたら二度と立ち上がれないような感覚を覚えた。無我夢中で細い路地を走りぬけ、通学路になっている一方通行の道をただ走る。そのまま疲れて足を止めざる終えなくなるまで恭介は走り、気がつけば繁華街のすぐ前まで来ていた。呼吸をせねば気を失いそうなほど自身を追い込み、何とか恐怖を押しのけていた恭介は、三車線の大通りを隔てて繁華街の入り口であるショッピングモールが見えているにもかかわらず、歩道橋の階段へ腰を下ろした。

 涙が絶えず流れているのを鬱陶しく思ってそれを手でぬぐう。手は絶えず小刻みに震えていた。

「ちっくしょう。なんなんだよこれ。止まれよ!」

 震える左腕を押さえる為の右腕まで震え、止めることは出来なかった。その状態で恭介は辺りをうかがった。

 眼前は薄い煙に包まれ、ショッピングモールがどのような状態かを容易に連想でき、辺りを意外と多くの人が走り回っていることにようやく気がついた。しかし誰も恭介には気がつかない。交通機関の停止した状態で歩道橋を使用するものは一人としていなかった。

 まだ神経が高ぶっているのに気がつきながらも、皆が一様に一方の方向へ移動しているのが伺えた。その先は例の施設がある場所だと直感で気がつき、しかし恭介はその場を動こうとはしなかった。自身を落ち着かせる為、不安をごまかす為、誰もいない場所で一人喋った。

「皆、避難所に向かっているのか。あいつらも避難してるのか? 俺はどうすんだ。考えなきゃな……」

 ――それにしても何だってんだこの状態は。ただの地震じゃないってのかよ。それに……へんな化け物までいて、どうかしてる。町の人間に化けてるなんて、さっきのおじさんを見てなきゃ信じらんねえよ。あの人だってとても化け物には見えないじゃないか。分かりっこない。ましてや俺の分身がいたら――

 そこまで考えて、恭介は突然立ち上がった。一つの仮説を思いついたのだ。もし自身と同じ格好をした化け物がいたら、皆が化け物だと認識する保証は一つも無い事に。つまり早く皆を見つけなければ、危険が誰かに迫る恐れがあると。

 それだけで充分だった。恭介は重い足を無理やりに動かし、逃げ惑う人々との流れを横切るようにショッピングモールへ向かった。

 恭介は見る。そこは完全に常識が崩壊していた。住宅街と違い、建築物が密集していたことと、火気が多かったこともあり、恭介の目に映る光景はさながら巨額の制作費を用いた映画のワンシーンであった。そこに町で一番人の多い場所という状況が拍車をかけている。燃え盛る炎と、逃げ惑う人々、逃げ遅れた者の死体、何者かに襲われたであろう死体。襲われている人々、襲う人々、同じ顔。

 恭介は思わずたじろく。今飛び込めば確実に混乱に巻き込まれるのは必死であった。ここまで暴力的な光景は見たことが無く、人が己の命の為に防衛本能を働かせることがこれほど恐ろしいことであると、恭介は始めて学んだ。そして防衛本能が牙をむいて恭介に襲いかかる事も容易に想像でき、だからこそ躊躇した。

 また、危機的状況で冷静さを取り戻していた恭介には、現状として仲間がどこにいるかをまったく認識していないことを理解でき、繁華街に存在しているのかさえわからないという事実を認識していた。同時に後悔をした。秘密基地に向かう方を先決にすべきだったかと。

 それでも恭介は首を振って不安を払った。この異常な状態で『待つ』という選択肢は仲間を危険に晒すのと同義であり、『動く』べきであると。

 覚悟は出来た。恭介は震える足をゆっくりとではあるが動かし、平静を保ちながら歩いた。選択肢として歩行者天国となっている通りを行くのは無謀といえた。すでに天国とは正反対の地獄と化した通りはいまだ多くの人が逃げ惑い、煙に包まれ狂っていた。恭介は姿勢を低くし、ウィンドウショッピング用の細い歩道を行くことにした。洒落た並木が滑稽に規則正しく並び、足元のレンガを敷き詰めた道の上にはショップのウィンドウが割れた破片で酷く綺麗に輝いている。店に近いせいか煙は酷く、視界は少し前の人の顔さえ判断がつかないような状態である。

 恭介は慎重に足を早めながら、行くべき場所を定めていた。この事態が起こる前、当たり前の日常として約束された秘密基地への集合。通常ならば皆は基地へと向かう途中だったと言えた。経験上、手ぶらで基地に現れるものは少なく、何らかの物資という名のおやつを持参してくるのが通常である。そして性格上、晃や優一はそういった気配りに乏しいい面がある。結論としては女性人の誰かや賢児は地震が来た際に繁華街にいた可能性があると判断できた。それは恭介自身も知れ得ない、危機的状態で冷静さを保てるという稀有な才能だった。恭介は可能性としてこの町で最も大きな商業施設であるデパートに歩みを向けた。

 もう一つ恭介には才能というべきには余りに無謀な性格を持っていた。

 ゆっくりと確実にデパートへ向かう際、恭介は絶えず怒号や悲鳴を耳にしていた。それを煙が覆い隠していたため、恭介は足を動かすことが出来ていた。だが、本来恭介は誰かが危機的な状況に陥っている際は、どうしても助けずにはいられない人間だった。それは幼少の頃にあこがれたヒーローがいまだ精神の一部として居座っているからでもあり、無粋ながら危険な場所に一歩踏込むという状況に血が騒ぐという野次馬根性を持っているからである。

 恭介がようやく状況にもなれ、目的を定めて移動をしている時、事は起きた。

「誰か! た、助けてー!」

 不意に煙の中から飛び出してきた女性を恭介は見てしまった。

 女性は地面を這いずりながら逃げ惑っている。どうやらショップ店から逃げ出してきたようであった。すぐにショップ店から男が飛び出してくる。男は恭介より少しだけ年が上のように見え、カジュアルな格好をしている普通な青年だった。女性は恐怖で顔が青ざめ、青年は目を血走らせてモップを頭上に振り上げていた。

 瞬間的に恭介は足元に転がっている瓦礫から手のひらに収まるサイズの石を取り、青年がモップを振り下ろす動作に入ったと同時に、全力で青年に向けてその石を投げ放っていた。

 元々運動を得意としていた恭介であったので、煙の中でも短距離であれば石を人にあてることなど造作も無いことであった。その確信から、石を投げた体勢からそのまま駆け出し、青年の肩口に石が当たって体勢がよろめいたのをスキに、這いつくばっている女性の手を掴んだ。そして半ば力ずくで女性を引き起こし、手を引く形で細いガラスまみれの歩道を駆け出した。

「さあ、走って!」

 女性の顔も確認しない。視界の悪い中確実に機能しているのは聴覚くらいであった。そして聞く。

「何しやがるクソ餓鬼! そいつは俺の彼女の格好をした化け物だぞ!」

 恭介は思わずぞっとし、背筋が凍る思いだった。

 ――化け……物?

 青ざめた恭介は、しかし走るのを止めず、煙の中で彼女の顔を見た。

 彼女は煤で汚れた顔に涙を流しながら言った。

「あいつが化け物よ! 本当のあの人は……わた、私を庇って崩れてきた建物で……潰され――」

 それ以上は喋れなかった。恭介も同じである。どちらが正しいのかなど判断の付けようも無かった。ただわかったのは、確実に彼女は人間に見え、人間らしい感情を持っているという事だった。

 どれだけ移動し、どの場所を走ったかも分からなかったが、恭介は青年が追ってきていない事を確認してから足を止めた。辺りを見回し、現在地がどこであるかを確認する。どんなに煙が充満していても通いなれた場所であるから、判断は容易であった。場所的には中心地より少しそれた位置で、中心のデパートを通りこした所。大分迂回していたことを知った。

 それから女性を見る。女性は恐怖と逃避行から疲弊しきっていた。恭介は女性の神経を逆なでしないよう、言葉を選びながら喋った。

「あの、今はここから出ることを先決にしましょう。位置的には住宅街から離れているし、農業地区に向かった方がいいです。放送は……聞きましたか?」

 女性は喋らずただ頷く。恭介も頷いた。

「どうやら馬鹿げた事態になっているみたいだ。でもここからなら避難場所へ抜けるのは住宅街の大通り沿いに向かうよりたやすいですよ。農業地区を抜ければ例の避難場所になっている施設です。歩けますか?」

 女性はまた頷く。

 恭介は考え込んだ。男としてか、仲間としてか、二択しかない状況でどちらを選んでも正解は無い理不尽な問題だった。

「すいません。俺はまだやることがあって、待ってる奴らがいるんです。ここで待ってもらうわけにもいかないし、先に避難場所へ避難してください。後で俺も必ず行きますから」

 女性はしばらく黙り、そして決意を込めて頷いた。

「あり、がとう……」

 深くゆっくりお辞儀をし、ふらつきながら農業地区を抜ける為の方向へ歩き出していった。

 その光景を見ながら、恭介は罪悪感を味わっていた。本来であれば彼女についていくべきなのだという考えがあったからである。この仲間と天秤にかけねばならない状態を改めて異常だと感じつつ、何とかせねばという一種のヒーロー感もあった。誰かが誘導をしないとこのままでは逃げることさえ出来ずに炎に包まれかねない状況である。それに消防や救急も動いてはいないことを知り、町全体が機能していない危機感を覚えた。

 それでも恭介は鋭い勘から崩れかけデパートを見る。少し距離はあるが十分やそこらで着ける距離である。

 恭介は腕につけていた時計を見た。基地前から移動に一時間以上も経過していることに驚く。驚きは足に伝わり、自然とデパートへ向けて走らせた。他者へのヒーロー感は自然と仲間へ向かった。


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